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烏天狗と贄の花  作者: 葵日野
2/21

烏天狗



───パンッ!

乾いた音が室内に響いた。小さな灯火の光だけが頼りのこの部屋で、仮面で顔を覆った男はその奥の紅く冷たい眼光で少女を見下ろす。

広い武家屋敷のような豪奢な室内にしんとした重苦しい空気が漂う。


「触らないで」

「…………」


漆黒の花嫁衣裳に身を包み、艶やかな化粧を拵えた少女──(ゆき)は、目の前の男を精一杯睨みつけた。上質な絹を用いた花嫁衣裳は、人間界の風習とは異なり黒一色。その色がなお印象付けるのは、揃いの衣装に身を包んだ目の前の“あやかし”の存在だった。


雪が生まれた村には、数年に一度儀式がある。

それこそが、今目の前で雪を俯瞰する存在──“烏天狗”への贄となる女を選出し、婚姻を結ぶ“花送り”の儀式だった。雪はその“花”に選ばれた。まだ成人にも満たない、齢十六の少女である雪がだ。


今より昔、あやかしとの共存が立ち行かず、全土であやかしによる被害が多発していた。

そんな中、雌が生まれないという烏天狗一族は、機になると女を攫いに近隣の村を襲ったらしい。

烏天狗の一族が暮らす山の麓に位置するのが災いした雪の村は、農業を村全体の家業としていた為、気候・土・空気など、全てが揃ったその土地を簡単に手放すことも出来なかった。何故なら、烏天狗があの山に移住してきたのは村が確立した時よりもずっと後の事だったから。


生活が成り立っている村に突如受けたあやかしによる被害。

村は都に救援を求めたが、何せ都からは遥かに離れた場所に位置する村だ。日頃の農産物の積送の実績により兵は送ってもらえたものの、簡単に助けを呼べる距離でもなければ、この距離の遠征に回されるのは弱卒ばかり。烏天狗程の武力を携えたあやかし相手に勝てるはずもなく、討伐部隊はあえなく全滅し、手の施しようがなかった。


そんな時に取った策が“花”を差し出す事だった。


定められた年に女を──つまり、“花嫁”を捧げること。それを共存の契りとし、村を脅かさないという協定が烏天狗と村の間に結ばれた。


理屈はわかる。村を守るためにはそうするしかないということも。

だが、それは“当事者”になっていない人間が言えることだ。送られた娘の気持ちなど誰も理解していない。何故なら、村はこの儀式を“花送り”と称して、名誉なことだと吹聴しているから。


(何が花送りよ……)


何も知らなかった。何も伝えられていなかった。いつかの花送りのためにと、蝶よ花よと育てられてきた末路が、この現状。

こんなことを和平の裏付けとしているこの村の歪さに雪は幻滅していた。子供の頃から共に過ごしてきた村の仲間たちも……そして家族も、私を生贄としか思っていなかったのだ。


『我が家から“花”が選ばれるなんて!』

『これは名誉なことなんだよ、雪!』

『誇らしい!お前の家族でよかった!』


あの優しさも、言葉も。

……今思い返しても吐き気がする。

みんながみんな気が狂ったように褒め讃えるだけで、誰一人、悲しんでくれる人はいなかった。知っていた癖に、相手が“あやかし”だってことを。みんなが忌み嫌う、“烏天狗だってことを。


……けれど、今なら理由が分かる。目の前に差し出された盃の中の真っ赤な液体を見れば、一目瞭然だった。


一刻も早く他人になりたいのだ。


烏天狗の花嫁となる娘は、不老長寿の為、婚姻の儀の際に烏天狗の血液を飲まされる。

それはつまり、“存在をあやかしに合わせる”という事だ。人間であり、人間ではなくなる。

そんな不可解な存在が、何かの際に村に戻ってきた時──恨みを買い、自分たちが殺されないように。自分たちが平穏に暮らせるように。褒めて、讃えて、賛する。烏天狗と……その混ざり者と、当たり障りなくやっていくために。距離を、置くために。


だからこその、精一杯の反抗。

こんな花嫁衣裳を着せられて、目隠しをされて籠に乗せられて、こうして烏天狗の城まで連れてこられて、逃げ場など一切ないけれど、あの村へは羞悪の念が耐えないけれど、何が花嫁だと叫びたいけれど、それでも。それでも。


(───せめて“人間”でありたい)


そのたった一つの願いが、雪を動かしていた。


「……クッ」


次の瞬間。男は妖艶に口元に弧を描いたと思えば、叩かれた反動でズレた仮面を取り外す。

(カラス)”を模したその仮面の下は、普通の人間と何ら変わらない。漆黒の髪に切れ長の紅い瞳、整った美しい顔立ち。その身を包むのはいつもの山伏装束ではなく雪と揃いの黒の衣で、その背からは普段からじゃ考えられないほど小さくなった漆黒の翼があった。

こんな“人間”がいたら、きっと村の女達は騒いだに違いない。取り合いだって起こるはず。それぐらい、顔のいい男だということは私でも分かった。しかしそれは、相手が“人間”だった場合だ。


「……私の顔に傷を付けるとは。余程肝が据わっているらしい」

「………」

「血を飲まぬというのか?」


夫となる目の前の烏天狗は、地面に落ちた盃から零れ落ちる赤を見て、再度雪を見下ろした。

その威圧的な視線に肩が強ばるが、隙を見せまいと雪は強気に睨み返す。


「絶対に飲まない。あんたの血なんか」

「っ貴様! 頭首になんという口を!」


側近だろうか、傍らの烏天狗が声を荒らげるが、男の手によって制止される。


「今宵よりお前は私の妻。虚勢を張っていられるのも今のうちだと思うが?」


…そう。雪の警戒心は血を飲ませられることによるものだけではない。

贄の使命はただ一つ……村の指導者から嫌という程聞かされたもの。“子供を産む”のだ。今目の前に佇む男──現 烏天狗一族の筆頭・飛燕(ひえん)の子供を。

そのための初夜を必然的に迎えなくてはならない訳だが、雪はそれだけは何がなんでも阻止したかった。異物の子を産むことこそ、己が人外になる証だから。


「そんなの知らないわ!あんたなんかに犯されるくらいなら、この舌を噛んで死んでやる!」



あやかしなんかにこの身を許し、孕ませられるなんて死んでもごめんだ。寧ろ、そんなことになるくらいなら死んだ方がマシだ。


(……そう。死んだ方がマシよ……)


だから何も怖くない。付き人のように周りを囲む烏天狗たちが向けている武器など、一切気にならない。だって、どうなったって結果は変わらないのだから。血を飲む選択も、この男の子を産む選択も私には無い。死んだ方がマシなら、ここでこの刃に貫かれて死のうが結果は変わらない。人間でなくなることよりも怖いことなんてないのだから。


「………」


飛燕の落としてくる高圧的な視線から逃げも隠れもしない雪は、それでも震えてしまう手を隠すため、爪がくい込むまで握り締める。

正直、この赤い目で見つめられるだけで身体が震えるし生きた心地がしない。もはや意地で逆らっているといっても過言ではない。本当は殺される覚悟も、自ら死ぬ覚悟もまだ無いくせに。


緊迫した雰囲気が漂う室内。反応がないまま相手の様子を伺うが、暫くして返ってきたのは呆れを含んだため息だった。


「その態度が許されるのは今のうちだけだ。今宵より名実共にお前は私の“妻”、そのように“選ばれた者”だ。間違っても村に戻れるなどと思うなよ」

「……っ」


濁さない言葉が胸を突き刺す。

そんなことはわかっている。逃げ出して村に帰ったとしても、そこに自分の居場所がないことも。……分かっている。分かっているのに。まだ、認めたくない自分がいる。この期に及んでそんなことを考える自分が更に腹立たしくて唇を噛んだ。血が滲んで鉄の味が口内に流れる


「とりあえず今日のところは見逃してやる。だが明日、必ず血を飲め。この山は日本でも有数の高山だ、人間が生活するには厳しい」

「絶対にイヤ」

「…………」


男は複雑そうな顔をした後にまた深いため息を落とした。しかしこちら側が折れる気は到底無く、頑として警戒を解かない。


「まあ良い。夜も更けた、そろそろ寝所に入ろう」

「!」


そう言って開けられた引戸の先には綺麗に敷かれた一式の布団があって、雪の顔はサッと青冷めていく。丸窓から差し込む月明かりに照らされた寝所は、今日が初夜だということの現実を突き付けているようで。


「い、いや…………」

「…何?」

「イヤ!絶対にイヤ!」


首を左右に勢いよく振って、男から距離を置く。入口側は烏天狗たちが密集しているから逃げ場はないが、少しでも離れたくて壁に背をつけた。


「あんたとは寝ない。絶対に……っ」

「……、それが許されると思っているのか?」

「っ……私は、あんたのことを夫だなんて思わない。思うつもりもないわ!」


こんな無理矢理な結婚式した所で、私があんたのモノになると思わないでよ! 雪はそう、涙で目を滲ませながら叫ぶ。


「大嫌い! 出ていって! 一人にして!」


その場にあった掴めるもの全てを男に投げた。中には割れ物も含まれていたらしく、激しい音が室内を汚す。当たり散らす雪の錯乱に、烏天狗たちは頭首を守ろうと一歩前に出るが男はそれすらも制止させた。ただの一言も雪を叱する事はなく、威嚇する雪を黙って見つめるだけである。


やがて、落ち着いたのか荒い呼吸をしながら投げるのを辞めた雪を見て、男は一つ息を落とす。


「仕方あるまい、今日のところは別室で寝てやる」

「…………」

「だが、今日のところはだ。心積りをしておけ」


───それと。

男は瞬く間に雪へと距離を縮めると、その顔を無理やり上げさせた。月明かりが差す赤い瞳は、この世のものとは思えない妖艶な美しさを持っていた。


「私の名は飛燕だ。覚えておけ──雪」

「!」


唐突に名を呼ばれ、ドキリと胸が鳴る。不意をつくことに成功したからか、飛燕はしたり顔で部屋をあとにした。




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