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烏天狗と贄の花  作者: 葵日野
10/21

家族




飛燕は雪の素直な甘えに感慨に浸りたい所だったが、そんな彼女の腫れ上がった顔を俯瞰して顔を歪める。

最初は、伝えようか迷った。

けれど──。


「また少し、昔の話を聞いて欲しい」


雪は落ちそうな瞼をゆっくりと開き、飛燕の言葉に耳を傾ける。


「知っての通り、烏天狗一族には女は生まれない。故に、先祖代々母親に人間を娶ってきた」


烏天狗の寿命に反し、人間の寿命はとても短い。

烏天狗の子孫を多く残すために、昔はより多くの人間の女を攫わなくてはならなかった。


「私が幼い頃は、秩序なんてものがなかったから……多くの女が犠牲になった。不謹慎ながらも、おかげで烏天狗一族は栄えたが……私はその身勝手な繁栄は望まなかった。故に、私の代になってからは、各拠点の頭首のみ婚姻という形で妻を娶る形式にしたが……」


あの山に移り住んだ当初から、お前の村はおかしかった。

定期的に“生贄”という形で女子を送り込んできては、それを和平の契りにしようと言ってきたのだ。


そんな曝露に雪は目を見開いた。

聞いてきた話と違うからだ。

村は“花送り”と称して尊いことのように語り継がせ、飛燕はそれが“契約”なのだと婚姻を結んだ当初に言った。

全部、烏天狗が無理を強いているのだと思っていた。

村が自ら生贄を差し出しているなんて、聞いたこともなかったから。


「あの村は表向きには友好的に見せて、その内部は薄汚れている」


女が生まれれば年頃になるまで育て、頃合になると『お納めください!』とまるでモノのように扱い女子を送り込む。

贄を出すことに躊躇がなく、当時は村から若い女子が一人もいないなんてこともあった。

産女なるものまで用意し、女が産まれないと焦り、近隣の村から奉納までさせる。

烏天狗を鬼神かなにかに誤想し、食糧と女子の譲渡を怠れば殺されると思い込んでいる。


「……それもこれも、先代が荒れに荒れていたことが要因だが、私の代になって以降も、烏天狗に対する異常なほどの恐怖はどれほど言葉を交わそうと拭えなかった」

「…………」

「哀れんだ我々が女を逃がしたところで、その女が村に戻れば“罰当たり”と罵られ村に戻ってきたことを隠すために殺された女もいた」


あまりの所業に見逃せなくなった我々は、致し方なく、“花送り”という名で数十年に一度女を受け取ることにした。

そうしなければ、女が生まれる度に村は女を送り込んでくるから。

女には都に逃がす形で自由を与えた。

野放しにすれば殺されてしまうから。


「……だから、お前には戻って欲しくなかった」


こんなことになるくらいなら、全て包み隠さず伝えておけばよかったなと飛燕また眉を下げて謝罪した。

なぜこの人が謝らなくちゃいけないのだろう。

悪いのは、過去に囚われて人間性を失った村みんななのに。


(でも、それを黙っていたのは……私のため、なのよね)


私が家族を、唯一の繋がりを失わないように。

幸せな思い出で留まらせて置くために。

変な感覚だ。

己を育ててくれた実の親にはあんな扱いを受けたのに、私から普通の生活を奪ったこの男から、愛のようなものを感じるなんて。

限界に近い体力がそんなことを彷彿とさせるのだろうか、今にも途切れそうな意識の中、雪はたったひとつだけ「なら、なんで私のことは逃がさなかったの」と問うた。

だって、ちゃんと教えてくれれば、あの村に戻りはしなかった。

普通に逃がしてくれさえすれば、私が飛燕を恨むことだって無かった。

それなのに、この男は…………最後まで私をそばに置こうとした。

愛していると、夫婦になろうと言葉をかけた。

それらの言葉は、これまで“花送り”されてきた女子みんなに言っている言葉なのだろうか。

そう思うと胸に刺が刺さる感覚が落ちるが、こちらの不安に反し、飛燕はくすりと笑った。


「言っただろう、お前は私の初恋なのだと」

「は……?」


また前と同じような言葉が帰ってきて、今度こそ信用ならない雪はじっと飛燕を睨みつける。

しかし飛燕の目はいつも以上に優しい色をしていて、その言葉を疑うことも雪には出来なかった。


「私は生涯妻を娶る気はなかった。…………しかし、お前だけはどうしても欲しかった。故に、生まれて初めて“花送り”の儀を利用してしまった」

「意味が、分からない」

「だろうな。だが、お前はこの世界で唯一、私を綺麗だと言ってくれた女だったから」


言っている意味がわからないと顔を上げれば、飛燕は愛おしそうに雪の額に口付けを落とす。

不意打ちなそれに目を見開く雪だったが、石のように動かない全身と飛燕に支えられ空を飛んでいる状態だと言うことに我に返る。


「覚えていないのも無理はない。お前が齢五つくらいの頃の話だからな」


当時お前は、山に入ってはならないという村の掟があるのにも関わらず、好奇心で足を踏み入れ、花を積んでいた。

たまたま気づいたのが私だったからよかったが、気性の荒い烏天狗であれば危なかったのだぞ。と全く覚えのないことで怒られる。


「あの村の人間の烏天狗に対する恐怖心は尋常じゃない。幼い頃からそれを植え付けられることもあって、この姿を見た途端に逃げ出すか命乞いをするかが常だ。しかし無邪気なお前は、私に近づいてきてこう言ったのだ」


───“綺麗な羽ね”。


「!」


ふいに、薄れていた記憶の断片が頭を過る。

行っちゃダメだと両親に言われていた場所に、ちょっとだけ……と山に足を踏み入れてしまったあの日。

山の奥に進めば進むほど綺麗な花や珍しい木の実がなっていて、楽しくなってしまった。

そんな時に、一度だけ…………。


「父をこの手で処し、秩序のためにと多くの命を奪ってきたこの汚れた私を、お前は綺麗だと言った。それが私には……この上なく嬉しかったのだ」


───惚れるには充分だろう?

飛燕は少し照れくさそうに目を細める。


「これでも十年待ったのだぞ? お前には少しでも家族といる時間を与えたかった。あんな家族でも、お前にとっては無二の家族だろうから」


そんな言葉に雪の胸は締め付けられる。

誰でもよかったわけじゃない。他でもない“私”だったから、飛燕は───。


「だからと言って、娶らないという選択肢はなかった。妻にするなら、生涯寄り添うなら、お前のような女がいいとあの時思ったんだ。だから……こうして迎えに来てしまった。それだけは、許してくれ」

「…………」


なんて馬鹿正直な人なのだろう。

また溢れ出てくる涙を抑えながら、雪は飛燕の胸に身体を寄せた。

子供の頃呼んだ御伽噺のように、運命的な出会いをして、好きな人と恋をしたいと思っていた。

けれど、この人よりも私を愛してくれる人がこの世界にいるはずが無い。

この人より優しいひとなんて、きっとどこを探してもいない。

優しくて、素直で、真っ直ぐなこの人以上に暖かいひとなんて、いない。

雪は定まった己の心に向き合い、飛燕の頬を撫でた。

こんなに真っ直ぐ向き合ってくれているのだから、せめて、私も向き合う覚悟をしなくちゃ。

この先の未来を生きるために。


「ねぇ……血をちょうだい」

「!」


私、このままじゃ死にそうだから。

雪は飛燕の頬を撫でながらそう弱々しく微笑む。

飛燕は少しの戸惑いの後、いいのかと尋ねる。

雪はこくりと一度だけ頷いた。


「……ありがとう」


こんな時まで自分で感謝の言葉を述べる飛燕に雪は苦笑した。

普通、私がありがとうって言うべきなのに……。


飛行を止めた飛燕の顔がゆっくりと近づいてきて、唇が重なる。

初めての口付けの味は血の味がして、理想とはかけはなれていたけれど、空の真ん中でする口付けは幻想的で嫌いじゃなかった。

何より、飛燕の優しさを唇で感じられて全身の力が緩んだ。暖かくて、心地良い。


(───ねぇ、飛燕)


私たちには言葉が足りなかったのだと思う。

私には歩みよる勇気がなくて、飛燕は嘘が下手だった。

私は知ってるようで愛を知らなかったから、本当のそれを知らないから、気づけなかったし、沢山見落とした。

こんなにも沢山の愛を示してくれていた貴方に気付かないふりをしてしまった。

開いてみれば、こんなにも暖かいのに。

だから、約束する。

これから先の未来はもう目を背けない。

きっと慣れるまで時間は掛かるだろうけど、少しずつ……あなたの妻として自信を持てるように、新しい“家族”になれるように、その一歩を惜しむことはしないと。

後悔は、もう二度としたくはないから。




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