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「今日はパラネル先生の授業の日ですよ?準備は出来てますか?」
「んー。気が進まんのぉ」
机に突っ伏した姿勢でだらける王女を、僕は呆れ顔で見る。
今日はミレイは休みだという事で、僕が一人で王女の面倒を見ている。
「そんな事言わないで下さい。凄い方なんですよ」
「分かっておるわ。お主よりも付き合いは長いからな」
「それに小説を書くなら、勉強は必要でしょう」
「細かい部分などはお主が考え書けば良い。妾はただ話の流れを考えれば良いだけじゃ」
「結局、投げっ放しですか!失礼ですが、本来ならば王女自身で書くべきかと……」
そんな会話をしていると、ドアをノックする音が聞こえる。
ドアを開けると、会話に出ていたパラネル先生がメイドに案内され部屋の前に立っていた。
「お待ちしておりました。パラネル様」
僕が会釈をすると、彼女は鼻を鳴らし、軽く侮蔑するような視線を向け、返答する事無く部屋の中に入る。
いつも通りだが、酷い応対だ。
王族専門教師という事で、僕より格上ではあるが、そういった態度は教育者としてどうなのだろう……?
むしろ、それこそが王族のあるべき姿だという事なのか?
パラネル様の詳しい年齢は知らないが、外見から察するに40代半ば位の目つきのキツイ、狐面のおばさん。獣人系か?
彼女は、王族の教養全般を一任されている人物。
少し脱線して、魔人の年齢概念についても説明をしておく。
まず、各種族の平均寿命から説明する。
人族の平均が70〜80歳くらい、異能系魔人もほぼ同じ。
獣人系魔人は50〜60歳くらい、他種族に比べるとやや短命だ。
エルフ族は150〜200歳くらいとかなりの長寿。
あくまで平均値であり、寿命や見た目には大きく個人差が出る。
つまり、エルフ属以外は概ね変わりなく、獣人系だと思われるパラネル先生は高齢者である。
あくまで推測だが。
「ご機嫌そうで何よりです。アルレ様」
僕に向けた態度とは打って替わり、表情筋を不自然に弛緩させた笑みを浮かべ、手を擦りながら王女に話しかけるパラネル先生。
毎度の事とはいえ不愉快だ。
「私もパラネル様にご鞭撻いただける日を心待ちにしておりました」
王女も、先程までの言葉や態度が嘘の様に上品かつ爽やかに微笑みを返す。
相変わらず驚く程の変貌振り。そう、これが王女の外面だ。
僕やミレイに見せる態度とは差がありすぎて、とても同一人物とは思えない。
◇ ◇ ◇
僕は勉強の邪魔にならぬよう、お茶の差し入れでもしようと部屋を出た。
色々な意味で、居心地のよい場所ではないので、立ち去りたかったというのが本音だ。
僕は給仕室でお茶の用意をしていた。
「あの、アルレ様の従者様ですよね?」
と、先程パラネル先生を連れてきたメイドの少女が、きょろきょろと周囲を見回し、誰も居ない事を確認し、小声で話し掛けてきた。
何度か見かけた事はあったが、話をするのは初めて。
頭に生えた羊のような小さな角を見ると、獣人系魔人かと思われる。
王女よりは少し年上か?
幼さの残る可愛らしい顔つきとは裏腹に大きな胸が目立つ。
「ええ、そうですよ。何か?」
「いえ、特に何という訳では無いんですが、どんな方か気にはなってて……でも、なかなかお声掛けする機会がなくて」
そういえば、1年近く城に出入りしているが、他の城内勤務者とも、殆ど話しをした事が無い。
思い当たる節が無い事も無いので、避けられているのかと思っていた。ちょうどいい機会なので、その辺も探ってみよう。
「そうでしたか。話し掛け辛かったですかね?」
「えっ?だって、アルレ様の従者様じゃないですか。私なんかが御声掛けして良いものかと……」
なるほど、確かに城内勤務のメイドさんよりは、王女の侍従の方が少し立場は上かもしれない。
「いえいえ、僕はそんな大した者じゃないですよ」
「そんな事は無いですよ。アルレ様は従者様に決まるまで何人もの候補の方をお断りしていたと聞きますし」
「お断り?」
それは初耳だ。
僕の前にも候補者が複数人いたのか。
「はい。えっと……その……”従者様”の前に……」
「セルム・パーンと申します」
「あっ、と、はい。パーン様の前に候補者の方が数名いたんです。ただ、どの方もお気に召さなかった様子で」
「それは何故ですか?」
「すみません。理由までは」
「……そうですか、すみません」
理由までは一介のメイドさんが知る筈も無いか、と、勝手に納得した。
前任者が王女の本当の性格に付いていけなかったのか、王女自ら解雇にしたのか、どちらにしても今の僕には関係無い事かもしれない。
そうは思いながらも、全く気にならないという訳では無い。
「いえいえいえ、こちらこそ何かすみません」
慌てて頭を下げるメイドさん。
僕もいたたまれなくなる。
「いえ、本当に、僕なんかに頭を下げる必要は無いですよ」
「そんな、アルレ様の従者様に……」
「だから、それも……たまたまで……」
「またまた御謙遜を」
自分でも就任までの理由が分からない為、説明のしようがない。
「あっ、そうだ、ならばもう一つ教えて頂いてもよろしいですか?」
「何でしょうか?」
「いえ、不審に思っていたのですよ、ひょっとたら僕は城内で疎まれていますか?」
敢えてストレートに聞いてみることにした。
答えが返ってこないならばそれはそれで仕方ないと最初から諦めながら。
メイドさんは少し考える素振りをしてから話し始めた。
「えっと、従者様の事ではなくて……それに私は全然そんな事を思っていませんし、アルレ様が選んだ方を信じています。ただ……実際、色々とその……良くない噂とかも流れてて。私はあまり面識が無いのですが、同僚達はアルロキア様の事をあまり快く思っていないようで……」
「噂って、どんな?」
「えっと……何と言うか。その……」
戸惑う様子のメイドさんを見て、それ以上の詮索はしない方が良いかと考えた。
まさかミレイの方が噂されているとは。
じゃあ、僕は何の関係も無く避けられていただけか?
まぁ、そういう噂が流れていると分かっただけでも良しとしよう。
ミレイも同僚と上手く付き合えそうな人物では無いし、軋轢があっても何らおかしくは無いか。
「やっぱりいいです。何となく想像はつきましたから。色々と納得がいきましたよ。それだけでもお礼を言いたいくらいです」
「すいません……」
メイドさんは申し訳なさそうに縮こまる。
「むしろ変な事を聞いて申し訳ありません。貴方だって抵抗はあるでしょうに」
「お気になさらず、私はアルレ様の信者ですから。アルレ様が信用する方を信じていますから」
真剣な瞳で言い切るメイドさん。
王女の信者って、いつから王女は教主になったのだ?
「分かりました。では、お言葉に甘えて、もう少しだけ。僕に決まるまではどんな方が従者候補になってたんですか?」
「えっと……確か、上級貴族の方とか、ベテランの従者の方とか」
「あぁ、なるほど」
まぁ、候補と上がるならばその辺りが無難かと思うと同時に、王女が断った事にも頷けた。
体裁を気にする王女は、万一に備え、そういった相手には本性を見せる事は無いだろう。
言い換えれば、外に漏れたとしてもいくらでも潰しが利くように、脛に傷を持つ僕等を選定したのだろうか?
「?何が、なるほどなんですか?」
「いえ、何でもないです」
「気になるじゃないですか!」
問い詰めてくるメイドさんに、なんと答えるか?
全くの嘘も難しいし、多少は真実を織り交ぜた言い訳でも考えるか。
「……そうですね。アルレ様は王族とか貴族とか、そういう柵から開放される時間が欲しいと仰っていました。だから僕みたいに何でもない一般人や、他人に無関心なミレイを傍に置いたのかと思います」
実際に王女が似たニュアンスの事を口走っていたのを覚えている。
どこまで真実かは知る由も無いが……。
「あぁ、なるほどぉ」
「そういえば、まだ名前を聞いてませんでしたね?」
僕は思い出した様に彼女に尋ねた。
「えっ?ああ、そうでした!!失礼いたしました。私はエレンテ・ムルシュと申します」
「はい、ムルシュさんですね。多分、忘れません」
「何ですか?それ」
ムルシュさんは笑って答えた。
冗談で言っている訳ではなく、僕は人の名前を良く忘れる。
わざわざ憶えている必要が無いからだ。
「では改めて、ムルシュさん。これから城内の事で分からない事とか訊くと思うので、ご協力よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。どんな方かと少し怖かったんですけど、話し易くて驚きました」
「そう言って頂ければ光栄ですよ。あっ、後、僕には”様”を付けなくて良いですよ。元が庶民ですから気が引けるので」
「……ですが」
「流石に呼び捨てはどうかと思いますが、”さん”くらい付けて貰えれば十分です」
「分かりました。パーン……さん」
「はい。有難う御座います」
僕は笑って答えた。