第八話
悟と共に1階のカフェに到着し、ケーキを選ぶ。俺と緋色の誕生日が被っており、ケーキなんて滅多に食べられないため、ショーウインドウに宝石のごとく並べられたケーキに心が躍る。
悩んだ挙句、俺はイチゴタルト、悟はチョコレートケーキを買ってカフェスペースの手ごろな席へ着く。
「ごめんごめん。好きなの選んだ?コーヒーも買っていいよ」
少し遅れて、悟志さんがやってきて、コーヒーを3人分注文してくれた。4人掛けの丸テーブルの椅子に腰をかけつつ周りを見渡す。病院の中のカフェスペースなだけあって、様々な人が闊歩している。点滴台を押して歩いている人も居れば、車いすで自走している患者もいる。
俺は人との会話が得意ではなく、人見知りするタイプのため、コーヒーが来るのを待っている間のちょっとした沈黙が痛い。
「――――ところで、さっきはなんであんな嘘ついたの?」
唐突に悟が沈黙を破る。正面に座る悟志さんは、ニコニコと変わらない笑顔のままだ。
「……というと?」
嘘ってなんだろうか。先ほどの会話の中にそんなものあっただろうか。
「さっき患者さんの家族と話してた時、意識がなくても声は届きますって言ってたけど、あれって自分全部嘘でしょ?なんであんな嘘ついたの?」
「あー……まぁ、流石にお前にはバレるか」
苦笑しながら悟志さんが後頭部をガシガシと掻く。
「あんな家族が死にそうな場面で……あんなありもしない事言うのは残酷じゃない……?」
どうやら悟は、先程悟志さんが患者家族に対して言った言葉が納得できないようだ。
「あれって嘘だったんですか?」
扉越しで聞こえていたけど、悟志さんが嘘をついている素振りは全く感じなかった。それなのに、確信を持って嘘だと指摘出来るなんて悟の感の良さに驚く。
「……うーん。まあ、感じ悪く思われるかもしれないけど、確かにあれは嘘だよ」
特に悪びれた様子もなく悟志さんが答える。
「なんであんな嘘を?」
「……なにが正しいかなんて俺にはわかんないけど、あの時、息子さんは何もしてやれなかったって言ってただろ?親の死に目で色々と思う所はあると思うが、少しでも後悔の念を減らせたらと思って、ああ言っただけだよ」
「でもそれって……なんというか……。罪悪感はないの?」
「あー……。まあ、あると言えばあるのかな?それよりもお前は正しいと思ったことにこだわりすぎだよ。もっと肩の力を抜けよ。この世は嘘ばっかりなんだから、たまには優しい嘘を言ってもいいだろ?俺にも信念くらいはあるよ。人を傷つけるような嘘はつかないっていう信念がな」
そう言って悟志さんは、店員が運んできたコーヒーを一口飲んでテーブルの上に置く。
どちらの言い分も理解できる。ただ、悟の方は悟志さんの言うように正しさというものにこだわり過ぎているようにも感じる。
俺はどちらかというと悟志さんの方の意見に賛成だ。人の思いなんて主観によって様々なものに変化するため、たとえ嘘だとしても、その人の心が救われるのであればそれはそれでいいとは思う。
イチゴタルトに舌鼓を打ちながら、2人のやりとりをぼんやりと聞く。
「……葵くんは?葵くんはどう思う?」
悟志さんの考えに釈然としない面持ちの悟が俺に問いかける。
「そうだなぁ。どっちの意見も正しいと思うけど、俺は悟志さんの意見に賛成だな。別に嘘だということがバレるわけでもないし……。それに、俺は意識がなくても声は伝わるって言うのもあながち嘘ではないと思うけどな」
あの時、息子さんが泣きながらお母さんに呼びかけていたが、聞き間違いかもしれないけど、お母さんの感謝の声が聴こえたような気がした。
「……そういうものなのかなぁ」
「深く考えすぎるなよ。お前は昔から色んな事を考えすぎるからなぁ。気楽に考えろよ。高校生の頃からそんな考えだったら将来ハゲるぞ」
苦笑しながらティーカップをテーブルの上に置く。それと同時に悟志さんの胸ポケットのPHSが大きな音で鳴り響く。
「それじゃあ、おっさんに付き合ってくれてありがとう。俺はまた病棟に戻るから、2人とも気をつけて帰れな」
そう言って悟志さんは、慌てたように電話にでると足早に俺たちの前から去っていった。
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「――――ということがあったんだけど、緋色はどう思うよ?」
あの後、悟と別れ帰路に着いた。現在は寝る前にゲームをやりたいと緋色にせがまれたため、一緒にプレイしながら今日の出来事を報告する。
「どっちでもいいんじゃない?」
興味なさげに緋色が答える。
「別にその悟志さんって人が言ったことも、相手が嘘と気付けるわけでもないし。要は捉え方次第じゃないの?……例えば悟志さんが凄く嫌な奴と仮定して、その嘘を吐いた後、家族が母親に対して泣きながら呼びかけるのを滑稽と笑いながら見るような人じゃなければいいと思わない?その悟君って人も正しい事イコール嘘を吐かないって事に拘り過ぎてるような気がしないでもないけど」
「おお……。確かに、そう捉えたら悟志さんもの凄く性格悪くなるな……」
コミュニケーションというものは非常に難しい。自分が相手に好意を持って話したことでも、相手によっては不快と捉えられてしまうこともある。
緋色が言いたいことは、つまりはそういう事だろう。価値観なんて人によって様々だ。要は相手にとって一番納得できる答えを用意しなければ、人同士は簡単に仲違いをしてしまう。
「それで、私の分のケーキは?」
不意打ちのような緋色からの発言に、一瞬思考停止する。ブラウン管テレビの中のキャラクターが落とし穴に落ちて悲鳴を上げる。
「わ・た・し・の・け・え・き・は!?」
「いた!痛いって」
めちゃくちゃ隣で頭突きしてくる。緋色の頭の高さが丁度俺の右肩の高さのため、頭突きの度にゲームキャラの操作が事故る。
「わ、わかったって!今度買ってくるなり、食べに連れてくなりするから!」
そう言うと、納得したのか緋色の頭突きが止まる。
「私に黙って行くからよ」
「だってお前家から出ないじゃん……」
「……あ?」
普段からするどい目つきがさらに鋭くなる。
「……すみません。いいところのケーキ買ってきます」
せっかく悟志さんに奢ってもらったのに、結局緋色にケーキを買う羽目になってしまった。高校生の少ない小遣いでケーキは痛い出費だ。
口は災いの元と言うか……。兄妹と言えどもやっぱりコミュニケーションは難しいということを再確認することができた。