第一話
「――――ッ!!」
夢から覚め、布団から飛び起きる。心臓が早鐘のように打っており、動悸が止まらない。
(……くそ)
額から流れ落ちた大粒の汗が目に入ったため、寝間着の袖で目を擦る。
動悸が止まらない。脈打つように頭痛がする。全身から汗が噴き出しており、寝間着がぐっしょりと濡れている。
(……勘弁してくれよ)
忌々しいあの日から2年の月日が経ったが、毎日のようにあの日の悪夢に苛まれる。
(寝言とか言ってなかったよな)
隣を見ると、濡れたように艶のある黒髪を腰まで伸ばした妹の緋色が側臥位のまま、胎児のように体を丸めて規則的な寝息を立てている。
どうやら無様な寝言を妹に聞かれずに済んだようだ。
枕元にある目覚まし時計のボタンを押し、時間を確認する。時刻は6時前。5月であり、部屋の中といえども空気は十分に冷たい。未だ動悸は治まらず、体は鉛のように重いため、自分の体温が残る布団から出るのは甚だ億劫ではあるが、今日も行きたくもない学校があるため、俺はゆっくりと布団から出る。
緋色を起こさないように、築何十年になるかわからない日本家屋の軋む廊下を忍び足で歩き洗面所に向かい顔を洗う。氷水のように冷たい水が蛇口から出てくる。冷水を手で受け止め、多少躊躇いながらも顔を洗う。寝起きのため若干夢心地が残る頭だったが、冷たい水により一気に現実世界に引き戻される。顔を洗いながら洗面所の鏡に映る自分の姿を見る。老人のように真っ白い髪に、死んだような目。我ながらなんとも覇気がない顔つきだと思う。
「……やだやだ」
顔を洗い、ようやく目が覚めたため、朝食の準備のためにキッチンに向かう。
「おはようー」
朝食の準備が丁度終わる頃合いに緋色が起きてきた。自慢の黒髪を手櫛で撫で付けながら、障子を開けて部屋に入ってくる。同年代の女子と比べて身長はやや高い方だろうか。濡れたような黒髪と、猫のように鋭い目つき、血のように赤い瞳の色をしている。
見た目でわかるように、俺たち兄妹は血が繋がっていない。小さい頃からこの世ならざる者を見ることができ、霊力があるからという理由で爺さんに拾われたらしい。また、霊力が強い人間はしばしば体に障害が現れるらしいが、俺の白髪や緋色の真っ赤な瞳がその例だ。
「ああ、おはよう。ご飯と味噌汁は自分でつげよ」
ちゃぶ台の上に朝食の目玉焼きとキャベツの千切り、ウインナーを並べながら緋色に言う。
「はーい」
返事をしながら何気ない動作で緋色がテレビの電源を入れる。テレビの中で無表情のニュースキャスターが淡々と近頃の事件を読み上げる。
『3ヶ月前より、巷を騒がせている通り魔事件ですがーーーー被害者は7人を超えーーーー犯人は未だ捕まっておらずーーーー』
テレビの音をBGMにして黙々と緋色と朝食を食べる。
「今日はどうするんだ?」
『学校は』とは言わずに緋色に問う。
「……うん。今日もあんまり体調良くないから、ゆっくりしておく」
俺の質問に少しだけ怯えたように肩を震わせて緋色が答える。
「……そうか。陣内先生には、俺から伝えておくからゆっくり休めよ」
当たり障りのない事を言って安心させるが、緋色の体調不良は嘘だろう。緋色もまた、眼の色の事などでいじめられ、中学校の頃から学校に通っていない。いわゆる不登校だ。高校に入学し、一月ほど経過するが一度も学校に行けていない。本音を言ったら、俺だって学校には行きたくない。だけど、それだと育ての親である爺さんに迷惑をかけることになるから、俺は惰性で学校に通っている。
「……うん」
覇気のない声で緋色が返事する。
『ーーーー近頃、国内でも流通が確認された新種の麻薬であるハーヴェストですがーーーー検出が非常に難しくーーーーまた、依存性も高くーーーー』
暗い話題のニュースばかり続くため、テレビの電源を切り食べ終わった食器を流しに持って行く。
「置いといていいよ。私が洗っておくから」
「そうか。ありがとう。それならお願いしようかな」
爺さんがあまり家に居ないため、家事は緋色と分担しているが、食器洗いや掃除、洗濯は緋色がしてくれるため、正直助かっている。
「じゃあ、行ってくる。昼飯はラップかけて冷蔵庫の中に入っているから腹減ったら食えよな」
「うん。ありがとう。行ってらっしゃい」
玄関で緋色が小さく手を振り、見送ってくれる。俺は教材がたっぷり入った紺色の鞄を掴み、足取り重く学校に向かう。
昔の出来事だけど吐き気と動機が止まらねえ…