82.戦いの渦
俺は背後の斬撃音を振り返ることなく、一足飛びに高い階段を飛び降りた。
このまま廊下を少し進めばユキノやヤガサキたちの居る客室にすぐ行き着く。
僅かに痺れる足ですぐさま踏みだそうとした俺は、そこで気がついた。
――足音がする。
それに複数人のものだ。廊下の先から誰かが走って近づいてきている。
まさか他の血蝶病者たちか?
頬の血を無理やり止血していた布きれを廊下に放り、低い姿勢で短剣を構える。
「あ! おにーちゃんいた!」
しかし幸いなことに、やって来たのはよく見知った顔たちだった。
「コナツ! それにみんな――」
「兄さま!」
最後尾のユキノは俺に気づいた瞬間、アサクラたちを押しのける勢いで前に出た。
駆け寄ってきたユキノは強張った顔をしながらも、声を掛ける間もなく素早く唱える。
「光よ、癒せ。《小回復》!」
かざした両手から眩いほどの黄金色の光が俺に向かって降り注ぐ。
決して浅い傷ではなかった。
しかし瞬きの後には、頬に一線、走っていた傷は跡形もなく消えている。
「アレ? おれの知ってる《小回復》と違う……」
首を傾けるアサクラは放置し、俺はユキノに何とか微笑んだ。
「ありがとうユキノ」
「いえ。それでいったい何があったんですか、兄さま」
「その前に、ユキノたちはどうして全員で廊下に?」
ユキノは不安そうな顔つきだった。
しかし彼女の疑問を解消するより先に、俺はそれを確認しておきたいと思った。
もしもここでも俺の知らない異変が起こっているなら、早急に対処を考えねばならない。
「それが、ハルトラが急に騒ぎ出したので、何か起こったのかと思って。さきほど皆さんの部屋を回って、たったいま合流したばかりなんです」
なるほど、そうだったのか。
ハルトラが俺の命令なしに巨大化している理由はそういうことらしい。
王城ということもあって、フィアトム城は防音環境も整っているが、魔物であるハルトラには恐らく上階で交わされる戦闘の気配が感じられたのだ。
そのお陰でユキノたちが臨戦態勢を整えて集まってくれていたのは僥倖という他ない。
「みんな落ち着いて聞いてくれ」
俺は共同戦線を張る仲間たちの顔を見回しながら、できるだけ端的に現在の状況を説明した。
外に居たところをハラと出くわしたこと。
アカイとハラと共に歩いていたら、突然ハラの様子がおかしくなったこと。
リミテッドスキル"塵芥黒箱"を用いてハラが血蝶者たち――確認した限りはマエノ・ホガミ――を城内に手引きしていたこと。
そしてアカイがその攻撃を受け倒れ、ミズヤウチは今も一人で戦っていること……。
「待ってくれよ。それ……アカイは無事なのか?」
俺の話を聞き終えたアサクラの顔には恐怖というより、困惑がより強く滲んでいるように見えた。
「俺が最後に見たときは息があった。けど……あの傷じゃ助からないと思う」
「そんな……」
アサクラはまだ何か言葉を続けようとした。
しかしその口が言葉を紡ぐより先に、凄まじい横揺れの震動が俺たちを襲った。
「っ……!?」
「うわ?!」
「ひゃっ……!」
――地震!?
次から次へと何なんだ、と文句を言う暇もない。
何とか壁を背にして、倒れてきたコナツとユキノを受け止める。
ヤガサキも壁に手をついたようだが、ワラシナとアサクラはその場に倒れてしまっていた。
「なに……なんなんですか……?」
ワラシナが誰に向けているかもわからない声を虚空に投げかけた一秒後。
――グオオオオッッ! と、冗談のように壮絶な。
鼓膜が張り裂けんばかりの獣の咆哮が、広い城内の隅々までを蹂躙した。
「みみ、つぶれたぁ……」
コナツがへなへなと力なく呟く。
轟音の余波がひりひりと耳を襲う最中、ようやく俺たちの誰もが悟っていた。
次から次へと発生するイレギュラーの数々は、決して無関係でも何でもない。
すべてが繋がっている。
すべて、マエノたちの攻撃なのだ。
「アンタたち、王が招いた《来訪者》の……!」
俺とは逆方向の、下の階からもんどり打つような勢いで駆け上がってきた兵士が、俺と目が合うや否や叫ぶように言う。
「門番から報告があった。正面扉を破って、ドラゴンが……ドラゴンが暴れてるんだ! もう何人もやられてる……! 今は近衛騎士が食い止めてくれてるが、いつまで保つか……」
そこまでをどうにか言い切った彼はぜえぜえと激しく肩で息をした。
「縦に長い城だからな……、まだ異変に気づいてない兵も多いんだ。おれはこの階の仲間にも声を、掛けてくる」
「お気をつけて」
「ああ。ありがとう」
ヤガサキがそう見送ると、兵士は微かに頷いて廊下を通り抜けていった。
「そのドラゴンは元々クラスメイトだった誰かなのかな」
彼が立ち去った後、アッサリとヤガサキが言う。
でも俺もその意見には同意だった。
自分よりレベルの高い魔物をテイムする確率が高まるカワムラの"魔物玩具"。
魔物の言葉を翻訳することができるネノヒの"段階通訳"。
それ以外に、ドラゴンのような高レベルの魔物を使役できるリミテッドスキルが存在するとは考えにくい。
それに、このタイミングで群れからはぐれた魔物が偶然お城にやって来たとはもっと考えにくい。
つまりそのドラゴンの正体は、マエノたちと別働隊として動く血蝶病者と考えるほうが妥当だろう。
「……なんなんですか。もうなんなんですかぁこれ!」
ワラシナがぐしゃぐしゃと髪を掻き、ヒステリックにわめき散らす。
「もう嫌……、なんでこんなことに……ここに来れば大丈夫って思ってたのにぃ……!」
「嘆いてても仕方ないと思う。今は出来ることをやろうよ」
字面とは裏腹に慰めるつもりもないのか、ヤガサキは思っても無さそうな顔で言いのけると、「さてどうする?」とばかりに俺に目線を向けてきた。
そこはヤガサキにも知恵を振り絞ってほしいところなのだが。……と軽口を叩く時間も惜しい。
「……ドラゴンの相手は騎士たちに任せる。それよりも俺たちはマエノを倒さないと」
最上階に近い位置に居る俺たちには、地上の様子は分からない。
だが近衛騎士は、あの一癖も二癖もあるホレイさんや、頼りがいのあるレツさんが育て上げた精鋭揃いの部隊だ。
そう簡単にやられはしないはずだ――と信じていたい。
何よりも今は、ミズヤウチ一人に、マエノたちの相手を任せておくわけにはいかなかった。
マエノは異様なスピードを誇っていたし、それにあの口振りによればホガミは魔法を得意とする術者タイプだろう。
大鎌をしなやかに振るっていたミズヤウチの姿を思い出すと、彼女が簡単に敗北するとは思わなかったが……その勝利を過信することも俺にはできなかった。
「でも倒すってどうやって?」
アサクラはますます弱々しい表情を浮かべて問うてくる。
俺は一度彼の顔を見てから、信頼できる仲間たちに目を向けた。
「俺が行く。ユキノとコナツ、ハルトラもついてきてくれ」
「承知しました」
「まかせてまかせて!」
『ミャア(了解)』
すぐに快諾してくれる三人に頷き、次にヤガサキに視線を移す。
「ヤガサキたちは最上階の、王様たちの救助に当たってくれるか?」
立ち入りが固く禁じられているので足を踏み入れたことはないが、最上階の最奥にラングリュート王を始めとする王族たちはそれぞれ広々とした居住区を所有しているらしい。
彼らの無事は早めに確認する必要があった。それで今後選択できる行動の幅も変わってくる。
できれば常駐している近衛騎士たちが既に避難誘導でもしていてくれれば助かるのが……今はあまりアテにはできない。
「わかったよ」
ヤガサキは表情を変えず頷くが、ワラシナは危険が少なそうだと感じたのかあからさまにホッとした顔つきだ。
アサクラも無言のままだが了承と受け取っても構わないだろう。
「よし、じゃあ――」
しかし俺の言葉はある人物の挙手によって遮られた。
「お、おれもナルミについてく」
そう言ったのは他でもないアサクラだった。
それだけに、明らかに怯えた様子の彼が放った言葉はひどく意外なものだった。
「……分かってるのか? 危険だぞ?」
「わ、わかってる。わかってるけど……でも」
アサクラは一度そこで言葉を区切って、覚悟を決めた顔で続けた。
「アカイは、まだ生きてるかもしれないんだろ。おれ今度は諦めたくない。コウスケのときのような思いをするのは……友だちが死ぬのはもう、嫌なんだ」
まっすぐに俺の目を見て、アサクラは言う。
けれど勇気ある発言とは異なり、その足は見るも無惨なほど震えている。
だからといって、俺にはアサクラの決断を止める術はなかった。
溜息を吐くかわりに、小さく頷く。
「……わかった。でも俺にはおまえを庇う余裕がない。それでもいいか?」
「ああ。おれのことは気にしないでくれていいから」
アサクラは情けない顔で笑った。
もしかしたら彼には既に、この先の絶望が見えているのかもしれない。
それくらい暗く、それ以上に底抜けに明るくも見える顔でアサクラが俺の胸元を軽く叩いた。
「おまえも死ぬなよ、ナルミ」
不思議な気分だった。
ユキノ以外のクラスメイトから、そんな前向きな言葉を向けられる日が来ると想像したこともなかったのだ。
「死なないよ」
でも、悪い気分じゃない。
少なくとも俺はそう答えて、笑みを返すことができたからだ。
そして今後の作戦が決まった以上は、こんなところで立ち話している場合ではない。
「後ろの階段から最上階に行こう。そう移動してなければすぐミズヤウチと合流できるはずだ。
状況にもよるけど、ヤガサキとワラシナは俺たちが戦ってる間に横を通って抜けてくれ」
「うん。それしかないよね」
「えぇー……」
最低限の指示を出し終えたところで、今さら、緊張で舌の根が渇いてくる。
おそらくはアカイも殺された。
ミズヤウチも無事ではないかもしれない。
地上からはドラゴンにも襲撃されていて、退路もない。
それでも――諦めない理由は、ただ一つだけある。
今も昔も俺にとっては、ずっとそれだけだった。
傍らのユキノと目を合わせる。
青く澄んだ、ガラス玉のように煌めく瞳で俺を見上げていたユキノが、柔らかく微笑する。
「行こう、ユキノ」
「――はい、兄さま」
ユキノが隣に居てくれるなら、俺はいくらでも戦えるんだから。




