75.闇の中の真実
その日の夜。
俺たちは割り当てられた客室で机を挟み、向かい合って座っていた。
フィアトム城のそれは、ハルバニア城の客室より一層広々とした部屋だ。
お姫様が出てくるアニメで目にするような、とにかく豪奢な家具や調度品で室内は彩られている。
それでもゴージャスすぎて逆に下品というわけでもなく、壁色はシンプルな貝色で統一されていたりなど、滞在者への配慮も随所に見られる。
総じて趣味の良い部屋、と俺は感じていた。居心地はそう悪くない。
……が、俺たちが注目しているのは部屋の内装ではない。
先ほどからじっと見つめているそれは、机の上に置いた一枚の紙である。
そこには、ユキノの整った字で三十人もの人間の名前が記されていた。
――――――――――――――――
〇朝倉悠
〇赤井夢子
●新幸助
〇石島淳彦
■榎本くるみ
■大石翼
●河村隆弘
△甘露寺ゆゆ
■児玉徹平
△佐野次郎
■高山瑶太
■竹下瑠架
■土屋佳南
△手島道之
■戸坂直
〇鳴海周兄さま
〇鳴海雪姫乃
?丹生田大志
■子日愛
〇合歓木空
〇原健吾
■深谷凛
□穂上明日香
□前野隼人
?松下小吉
〇水谷内流
?米良頂
■望月雄大
〇矢ヶ崎千紗
〇藁科伊呂波
――――――――――――――――
三年二組のクラスメイトを、出席番号順に並べたリストである。
名前の前の印にもそれぞれ意味があった。
〇は血蝶病ではなく、現時点で生き残っている者。
●は血蝶病ではなかったが、死んでしまった者。
□は血蝶病で、生き残っている確率がある者。
■は血蝶病で、死んでいる者。
△は血蝶病ではないと思われるが、生死不明の者。
?はそのまま、立場不明・生死不明という意味だ。
厳密に言えばイシジマやハラ、ネムノキの現状は分かりようもないのだが、現時点では死亡は確認していないので、「〇」該当者に含むことにしていた。
「既に十二人は亡くなっているんですね」
改めて、リストを上から下まで眺めたユキノがぽつりと言う。
生徒数三十人の内の、十二人。決して少ないとは言えない。
しかし、これは単に俺たちが把握しているだけの内容なので、実際はそれ以上と見るべきだろう。
また、これで血蝶病者で間違いないと確定できた人数も全体で十二人となった。
俺がザウハク洞窟で目にした黒フードは十五人。
こうなると、残りの三人もこのリストに照らし合わせば大体の予想がつく。
「残りの血蝶病者は、丹生田大志・松下小吉・米良頂の三人――か」
そう、「?」が冒頭に記された三人が、血蝶病者ということになる。
そして十五人の血蝶病者の内の十人が既に死亡しているので、残りの血蝶病者は四~五人と見て良いだろう。
――とはいっても勿論、どこかで認識ミスが生じていたり、あるいは今日いくつかの情報を提供してくれたアサクラやヤガサキが嘘を吐いていた、という可能性も無いわけではない。
だがそんなことを言い出したらキリがないので、今は最も可能性の高い部分を探っていくしかない。
「五人の内の四人が三日後、この城を攻めてくるんですね」
ユキノがペン先で「□」と「?」の人物たちを順番にトントンと叩く。
ワラシナが《回転運》で占った襲撃人数は四人。
四~五人しか生き残っていない現状で、その内の四人がフィアトム城の襲撃に参加するということだ。
彼らの狙いは生き残っているクラスメイトなのか、ラングリュート王なのか、あるいは別の何かなのか。
それはまだ分からないが、とにかく、これが今までで最大規模の戦いになるのは間違いない。
対するこちらの人数は、コナツ・ハルトラも含めれば九。
九対四なら、数の上ではこちらが有利だ。だが、それで気を抜ける状況でもない。
そして俺には、昼間からずっと抱いていた疑問もあった。
「……少し気になることがあるんだ」
「ワラシナさんに訊いていたリミテッドスキルの件、でしょうか?」
ユキノが先回りして質問してくる。俺は頷いた。
「ワラシナのスキルは、明らかに異質だ。他と毛色が違いすぎる」
「そう……でしょうか?」
しかしその違和は、ユキノは感じ取っていないらしい。
首を傾ける彼女に、俺は言い聞かせるような口調で違和感を説明していく。
「俺のスキルはまだ分かるんだ。相手のリミテッドスキルを奪う――つまり、《来訪者》相手にしか使えない。限定的ではあるが、これはまだいい。
でもワラシナは違う。血蝶病の相手と関連する事象を予知するってことは、ワラシナのリミテッドスキルは、対血蝶病者用の役目に特化したものってことになる」
「……結果的にそうなっただけ、とは考えられませんか?」
ユキノは少し考えてから、そう言った。
「例えば、もしもワラシナさんが血蝶病に罹っていたら、スキルの内容は血蝶病以外のクラスメイトに関連する事象を予知できるものに変更されていたとか」
「それも有り得るかもしれない。でも現段階では、俺は違うと思ってる」
ほとんど確信に近い考えだ。
でも今のままでは不安が残る。だからこそ、ユキノと共に言語化していく必要があった。
椅子に背筋をぴんと伸ばして座るユキノが、顎に白い指先を当てる。
「まず、一ヶ月ほど前に……ワラシナさんは、リミテッドスキルを得たんですよね」
「ああ。でも俺がそうだったように、スキルの内容自体はこの世界に転生する前から定まってたはずだ」
何故ならあの、金髪で生意気な女神さまは言っていた。
スキルはずっと所持していた。自分の願いを認めていないからこそ、扱えなかっただけなのだと。
その言葉を当て嵌めるなら、ワラシナは恐らく一ヶ月ほど前に、何らかのきっかけがあって自身の願いを自覚するに至ったのだ。
だからこそ彼女のリブカードにはリミテッドスキル"天命転回"が表示された。
以前から、最初からあったものが、ようやく可視化されたのだ。
「お誂え向きすぎるよな。血蝶病者に困らされてるところに、血蝶病者の情報を予知する能力者が居ますなんて」
「だとしたら……でも、それは……」
「うん」
ユキノも俺と同じ考えに辿り着いたようだ。
神妙な顔をする彼女に、俺はその結論を伝える。
「この世界に来るより前から――あの十五人が血蝶病に罹ることは確定していた」
「…………そんな」
「少なくとも、ワラシナは血蝶病にならないことも元々決まっていた。俺の仮説が正しいならそのはずだ」
自分で言っていて、気が滅入ってくる。
だとしたら――俺たちの認識には、最初から大きすぎる誤りがあったことになる。
誤りというよりは過ちだ。もしかしたら、取り返しがつかないほどの。
でもそれを、今この場で口にしたくはなかった。
ほとんど悪あがきだと自分自身が一番よく分かっているけれど。
今はまだ、あの人を疑いたくない。
そんな風に訴える感情を、無視することはできなかった。
「ほら、三日間の船旅でユキノも疲れただろ。今日はゆっくり休んでくれ」
「……兄さまは」
唐突に話題をすり替えた俺を、しかしユキノはいつものように尊重してはくれなかった。
「元の世界に戻りたくなることはありますか?」
息継ぎを挟まず、ユキノは一息にそう言った。
俺はその問いを前にしばらく固まる。ユキノは顔を俯け、両手の拳を握ったまま微動だにはしなかった。
どうして今さら、そんなことを訊くのか。
疑問でいっぱいの頭が正常に働かない。俺はどうにかして口を動かした。
「…………ないよ」
あるわけがない。決まっている。
……だけど。
「俺は、一度もない。ユキノは?」
同時に芽生えたのは疑いだ。
自分が思ってもないようなことを、ユキノが果たして俺に訊くだろうか。
そんな問いが彼女の唇から零れたということは、その時点で、彼女の頭の中に、少なからずその思考があったということなんじゃないか。
「私、は――」
一瞬、言い淀んでから。
ユキノは弱々しく首を横に振る。
「……私も、ありません。一度だって」
「そうか」
長い前髪に隠れて、ユキノがどんな顔をしているかは分からない。
でもきっと、泣きそうな顔をしていたのだろう。声は不安定に揺れていたし、握った拳も小さく震えていたのだから。
俺はそれを、見なかった振りを選ぶ。
「疲れてるだろ。もう寝たほうがいい」
刷り直しのようにぎこちない呼びかけだった。
それでもユキノはようやく顔を上げた。
その頃には、普段と変わりのない笑みが端整な顔にぺたりと貼りついていた。
「では、先に休ませていただきますね。おやすみなさい兄さま」
「ああ。おやすみ」
どことなく余所余所しい空気のまま、ユキノが壁際の寝台に移動する。
俺はそれを椅子に座ったまま見送って、ユキノが横になってから、一度大きくそのまま伸びをした。
――余計なことを考えるのはやめよう、と思う。
三日後に脅威が迫っているのだから、まずはその対処に目を向けるべきだ。
他のことはその後でいい。遅くはないはずだ。
明日、目を覚ました頃には、きっとユキノだっていつもの態度に戻っているだろう。
「ふわぁ……」
気を抜いたところで、欠伸がひとつ洩れた。
……俺もそろそろ寝ようかな。
ヤガサキから、明日はそれぞれの戦闘スタイルの確認や最低限の連携の練習をしたい、という申し出があった。早めに寝て体力を回復しておきたい。
欠伸を噛み殺しつつ、俺は先ほどからハルトラと戯れているばかりの幼女に声を掛ける。
「コナツももう寝るか?」
「んーん」
真ん中の寝台でゴロゴロと寝返りを打っていたコナツが、俺の方を向いてくる。
次の瞬間、はっきりと目が合う。
コナツの桜色の瞳は嘘のように清らかな光彩を放っていて、何となく、訊くつもりのなかった問いが口から零れ落ちた。
「コナツは、俺が「助けて」って言ったら助けてくれるか?」
うーん? とコナツは首を捻る。
その拍子に、両腕の中に抱えられたハルトラも首をこてりと傾けた。
その愛らしく無邪気な有り様に、何だか馬鹿なことをきいたなぁと、俺はすぐ撤回しようとしたのだが。
ウンウン悩ましげに唸った末にコナツは、
「……きがむいたら!」
とだけ笑顔で言うと、「がばーっ!」と奇声を上げてハルトラと共に毛布に潜り込んでしまった。
――そうか、気が向いたらか。
俺は苦笑してから、光魔法が封じられた部屋の照明をそっと落とす。
それからコナツを挟んでユキノと反対側の、窓際の寝台に寝転がった。
困ったときはコナツに言うといい、なんて別れ際のネムノキは言っていたが。
そんなときに何とかしてくれる力をコナツが持っているとは、俺には到底思えなかった。




