53.襲い来る魔の手
よし。船内に無事辿り着けてひとまず一息吐く。
でもまだ安心できる状況じゃない。
相手が本格的に毒攻撃を始める前に、こちらから打って出る!
「ハルトラッ」
呼応したハルトラが甲板に転がる樽に向かって一気に走り出す。
そう距離はない。しかし、そこから這い出る触手が群れのような重量となり、どっと凄まじい勢いで押し寄せてくる。
「ッく……!」
前方から迫る触手はハルトラが爪で牙で力任せに千切っている。
俺は真横、それに後方からも狙ってくるうねうねとした触手を、ハルトラの背で短剣を振りかぶりながら断ち切った。
だがとにかく数が多い。進もうとしても、数に圧倒されてまったく前に進めない。
『ッシャアア』
触手の先端には、まるで人間のような――尖った歯を持つ、不気味な口元が浮かんでいる。
その部分が叫び声のような声を上げては、次々と襲いかかってくるのだ。正直なところ、生理的に気持ちが悪すぎる。
「《略奪》!」
攻撃ざま、試しに一度だけ魔法を発動させてみるがやはり空振り。
あと《略奪》だけでなく、こちらも念のため試しておきたい。
「《魔物捕獲》!」
この魔法は自分の意志で使うのは初めてだが、やはり通じない。
魔物の魔法耐性が高いのか。それとも他に何か理由があるのか。
「ッ!」
発動の隙を突いて死角から赤黒い手が伸びてきた。紙一重で身を屈めて躱すものの、こう試してばかりいる余裕は全くなさそうだ。
……一本、二本。それに同時に三本。
伸びては向かってくる触手をとにかく連続でぶった切る。
それでも数は一向に減る様子がない。このままでは持久戦になる……
「!」
そこにさらに追撃。
背後から強襲を仕掛けてきた触手への対応が一瞬遅れた。
「かぜよ、きりさいちゃえ! 《ういんどらんす》!」
「水よ、切り裂け! 《氷刃》!」
瞬間、コナツとエリィがほぼ同時に唱え、彼女たちの手元からそれぞれ風と氷の鋭い刃が放たれた。
魔法が過ぎ去った後には、断面のみ残った哀れな触手の姿が残る。見事な魔法の冴えだ。
「助かった!」
「おにーちゃん、ふぁいとお!」
コナツが拳を振り上げて勇ましく応援ポーズを取る。
呑気な応援の声に、状況に関わらず一瞬和むが、
「うわー、船がー」
その後ろではバンダナ男はほとんどパニック状態でぎゃーぎゃー騒いでいた。
しかし申し訳ないが船の損傷を気にしていられる状況でもない。というかみんなかなり気遣って魔法を使ってるけど、触手が暴れ回って帆も船内もボロボロだし……。
「炎よ、射抜け! 《火矢》!」
二人に続いてレツさんの放った魔法は驚くべきことに、十本もの燃える矢となってその全てが触手へと命中する。
ユキノもさらに攻撃魔法を放ち、強い光に当てられた触手の群れが怯む。動きが止まったところを、俺とハルトラが協力して畳み掛けていく。
確かに触手の動きはそれなりに素早いし、鞭のようにしなる攻撃を見切るのは困難だ。
だがユキノのバフを受けた現在なら、大体はこちらに当たる前に切り刻める。それに少し攻撃を喰らった程度では大したダメージもない。
この勢いなら、もしかしたら勝てるかもしれない。
そう気が緩んだのを、見透かしたかのようにそれは起こった。
それは次に短剣で触手を切った直後だった。
俺は想像だにしていなかった、恐ろしい光景を目にしたのだ。
「なッ……!?」
抉られた触手の断面からごぽりと勢いよく吐き出されたのは――毒。
先ほどまではそんなものは出ていなかったはずなのに。
まさか魔物も追い詰められて、行動が変わり始めたのか。
このままでは真下のハルトラがダメージを負ってしまう。
俺は慌てて、零れ落ちた毒を自分の右腕で受け止めた。
その間、約二秒ほど。
「兄さま!」
「シュウくん!」
ユキノとエリィの悲鳴が聞こえる。
俺は歯を噛み締めて一瞬の激痛に耐えた。
薄く目を開けば――まだ少しひりつくような痛みはあるが、そのほとんどは無効化されている。
ユキノの《状態異常無効》のおかげだ。あれがなければ、この程度では済まなかっただろう。
だが、今の攻撃は先ほど確認した魔法の内のどれに該当するんだろう。
それとも魔法ではなく単なる魔物自体の特性なのか。ステータス表記自体に魔物の種族名などはなく、タケシタの名前のみの表示になっていたので現状では解明できないが……。
こうなってくると迂闊に触手は切れなくなった。
全ての触手があの毒攻撃を使ってくるとしたら、まともに相手はできない。
俺はハルトラの背に片手を置いたまま、威圧するように短剣を構える。
しかしこちらからは踏み出せない。
できれば、切ったり抉ったりする以外の攻撃魔法の援護が欲しいが……
「炎よ! 道塞ぐ災いを――」
「水よ、清き輝きをもって――」
俺の思考を汲んでくれたのだろう。
炎魔法と水魔法をそれぞれ得意とするレツさんとエリィが詠唱を始める。
だが触手も、魔法の発動するときをのんびりと待っていてはくれなかった。
猛り狂う十五もの手が襲い来る。
その全ては俺ではなく、威嚇するハルトラに向かっていった。
「ッッシャ!」
鋭く吠えたハルトラが、思いきり腕を振り下ろして強靱な爪で触手たちを薙ぎ払う。
が、全てではなかった。たぶん魔物も、一本さえ届けばいい、と思っていたのだ。
切断されかけながら、一本の触手が樽から伸び――。
ハルトラの顔面に、その先端から溢れ出す毒を浴びせたのだ。
「ギャアウッッッ!」
「ハルトラ!」
ハルトラが苦痛の声を上げる。ぶるぶると震え、背に乗った俺までが振り落とされそうになる。
しかも魔物の追撃はそれだけに留まらなかった。
『――――――ッッ!』
咆哮。
それとも悲鳴であったのか。
タケシタであったはずの触手の塊が蠢き、宙に伸び上がる。
その先端から、大量の――毒の雨が噴き出した。
「ッッ……!」
空を覆うその毒々しい雨粒は、まさに絶望的な光景だった。
まさしく雨か滝か。凄まじい勢いで降り注ぐ雨から身を捩り、毒の痛みに悶えながらも必死にハルトラは駆ける。
しかし毒を直接浴びたせいで、目が開けられないのか。
走ろうとしては帆柱に頭をぶつける。
触手に足を取られ、躓く。時折よわよわしく呻くが、とても戦いを継続できる状態じゃない。
「ハルトラ! ハルトラ……!」
俺の呼びかけにも、変に首を振るばかりで答えない。
逃げ惑う間にも、俺たちの頭上に毒の雨が降り注いだ。
ハルトラの背から飛び降りて、ふらふらと覚束ない足取りのハルトラを帆の下に無理やり押し込むようにする。
その、今は広すぎて恨めしいほどの背中を守ろうと馬乗りの形を取るが、天上から降り注ぐ毒の雨からは守りきれない。
こうしている今もハルトラは傷ついている。
あのときもだ。俺が、守ってやるべきだったのに――こいつは。
「っう……!」
毒を受ける背中が熱い。
熱くて、苦しい。痛い。閉じた目蓋の裏で灼熱が爆ぜる。
「ハルトラ小さくなれ! はやく! 小さくなるんだッ」
だめだ。俺の言葉がきこえていない。
このままではハルトラが――また――どうすれば――
涙さえにじんで視界が揺らいだそのときだった。
「光よ――――」
確かに、声がきこえた。
「彼の者らを、どうか悪しき者から守りたまえ」
誰よりもその声を、よく知っているから。
「…………《保護陣》!」




