52.魔物化
「それじゃ、さっそくだが――シュウ、あの魔物のステータスは分かるか?」
「はい! ……《分析眼》!」
使い慣れた魔法名を短く唱える。
たとえ相手が人ではなくとも、トザカから譲り受けた《分析眼》ならば相手のアクティブスキルや習得魔法くらいならいくらでも視ることができるのだ。
まっすぐに捉えていた異形の片隅、目に見える形でステータスが浮かび上がる。
俺はその一文字たりとも逃さない勢いで、目を凝らしたが――
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竹下 瑠架 “タケシタ ルカ”
クラス:狩人
ベーススキル:"言語理解"、"言語抽出"
アクティブスキル:"弓初級"
リミテッドスキル:"合成毒塊"
習得魔法:《毒手》、《毒息》、《毒雨》
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「……タケ……シタ?」
自分の見た文字の意味が、信じられない。
タケシタ? あれが?
どう見ても、全身から大量の触手を生やしたイソギンチャクのようなバケモノなのだ。
面影はどこにもない。それなのに、《分析眼》はその結果を翻すことはなかった。
「何だ。知り合いか?」
「いえ。いや……そうです。彼女は」
俺は一度言葉を句切って、言い直した。
「……あの魔物はあのとき、洞窟にも居た――タケシタルカです」
「タケシタって……あの三つ編みの子か?」
「はい」
レツさんも驚いたように片眉を上げる。後ろのユキノも衝撃に口を覆っていた。
無理もない。俺もステータスを見たというのに未だ信じがたいくらいだ。
トザカも、エノモトも、手遅れになる前に殺してしまったから。
俺はたぶん、何もわかってなかったのだ。きっと本当の意味では。
「これが……血蝶病になる、ってことなんですね」
――自分が、少しずつ自分じゃなくなってくのは、怖い。
そう、トザカは弱々しく囁いた。消え入りそうなあの声は今も耳にこびりついている。
タケシタもトザカと同じような気持ちを、抱いていたのだろうか。
抱きながらもどうしようもなく、抗えず――蝶の痣に身を蝕まれ、魔物に果ててしまったのか。
ああ、でも、だけど。
それならなおさら――俺が、彼女を殺してやらなければ。
以前の俺なら、そうは思えなかっただろう。
きっといつまでも躊躇って、正しい答えを探そうと躍起になった。
でも今は違う。もう俺は言い訳しようもなく殺人者だ。
どんな罪を重ねてでも、ユキノを幸せにすると誓った。そのためなら、どんな敵だって切り裂き、いくらでも乗り越えてみせなくては。
目の前の敵が、ただの女の子だった過去など、もう目を向けるべきじゃない。
「レツさん、前見たときはタケシタはクロスボウを使ってました。それに毒も。覚えてる魔法は……《毒手》、《毒息》、それに《毒雨》です」
妙に禍々しい色合いなのは、使う魔法に関連してだろうか。響きのイメージから、特に《毒雨》は侮れない気配がする。
ザウハク洞窟でユキノを射た矢も、タケシタが射たものだったが、あの矢に塗られた毒自体も彼女の手製だったということだろう。
俺が怯まずそう言い切ると、レツさんは少し安堵したようだった。
「毒魔法か、これまた嫌な縁を感じるが……クロスボウは手持ちにあるのか微妙だな。ここから見る限りは確認できないが」
俺は首を傾げつつ答える。
「そうですよね。まだ全部が樽から出きってないみたいなので、何とも言えないですけど」
「だな。しかし毒魔法か。となると……オレ、状態異常治す系の魔法覚えてないんだよなぁ」
脱力するようにレツさんが息を吐く。
それから背後の騎士たちをくるりと腰を回して振り返った。
「お前ら、今から誰か状態回復魔法覚えてくんね?」
「「「「無理ッス」」」」
「だよなぁ」
さっき死にかけてた騎士まで仲良く返事に参加していた。
ステータスを確認した限りでは、コナツはいずれ覚えそうではあるが……現時点では、コナツもエリィも状態回復魔法は習得していない。
こうなると、こちらの戦術はかなり限定されてきてしまう。
どちらにせよ、今にも船の中から出てきそうな魔物の動きを抑えるためにも、誰かは船の中で戦うべきだろう。
「レツさん、俺はユキノの魔法があるので……俺が前に出ます。後方で支援してもらってもいいですか?」
「ん? それならオレもついでに嬢ちゃんに施してもらえると助かるんだが」
……そっか。そりゃそうなるか。
勝手に話していいものでもないだろうと思って、そういえばユキノのリミテッドスキルのことはレツさんに話していなかった。
どうする? と意思確認のつもりで横を向いたのだが、ユキノは迷う素振りも見せずに俺に向かって頷き返してきた。
「レツさん、お話していなかったのですが、私の回復魔法は兄さまを対象としてしか発動しないのです」
「へええ? あ……もしかするとアレか?」
「そうです、アレです」
人目があるのを気にしてか単語を伏せてくれるレツさん。ユキノと俺はこくこく頷くばかりだった。
「なら仕方ねえ、前衛は任せる。やれやれ、シュウと肩を並べて戦う機会なんて中々ないからよ、楽しみにしてたんだがなぁ」
それはこっちのセリフです。
とは照れくさいのでさすがに言わないでおこう。
そしてそのときだった。
『ギ、シャアアアッッッ』
樽から這い出る異形の魔物が――思わず顔を顰めてしまうほどの汚声を上げた。
あちらこちら、めちゃくちゃに触手を伸ばしてくる。その内の一本は浮き橋にぶつかった。
と、その橋に使われた板が、「シュウウ……」と音を立てながら紫色の煙を吐いて溶けていく。
どうやら毒の効果っぽい。俺はちょっとだけ前衛を買って出たのを後悔した。
「! 放置されてお怒りみたいだな。お前ら、周りの人間の避難を誘導しろ。この船には誰一人として近づけるな」
「承知しました、副団長!」
レツさんは冷静に判断を下し、鋭くきつい目で頭上の異形を睨む。
俺はその横顔を見ながら、どうしても自責の念を感じずにはいられなかった。
――俺がタケシタのリミテッドスキルの内容まで読み取れたなら、もっと詳細な分析ができたのに。
歯痒い気持ちになる。俺は未だに彼女のリミテッドスキルを百パーセントの力では使いこなせていないのだ。
何故なら……"矮小賢者"の元の持ち主であったトザカナオは、俺のリミテッドスキル名だけでなく、スキルの能力も、その弱点までもを正確に口にしていた。本来なら、俺にだってそれを使いこなさなきゃならないのに。
が、もう反省している時間もない。
一度暗い猛省は心の片隅に追いやっておいて、俺は隣に進み出たユキノの名を呼んだ。
「ユキノ!」
「はい、兄さま!」
間髪入れず応えたユキノが、手にした白杖を大きく振る。
「《攻撃特化》、《防御特化》、《速度特化》、それに《状態異常無効》の愛……ですっ!」
ユキノが短く唱えると、大きな輝きを放つ黄金色の粒子が俺の身体に降りかかる。
「ええ……!?」
「うお、スゲえ……」
エリィ、それにレツさんが驚きの声を上げる。四つの魔法全てを詠唱破棄したのに驚いたのだろう。
《異常回復》はどれか一つの状態異常を治す魔法だが、この上級魔法である《状態異常無効》は状態異常を無効化するだけでなく、何度か未然に防ぐ効果をも併せ持っている。
毒で攻撃しまくってくるであろうこの魔物相手でもしばらくは保つ。……と信じたいところだ。
「ユキノは回復中心に援護を頼む。エリィとコナツは攻撃魔法で後ろから支援してくれると助かる!」
「わかりました、兄さま」
「う、うん。頑張る……!」
「らじゃーだよ、おにーちゃん!」
三人の少女がそれぞれの力強さを以て応じてくれる。
俺はさらに、既に全身の毛を逆立たせているハルトラに呼びかけた。
俺一人ではこの魔物の相手は荷が重い。やはりここは、ハルトラの力が必要だった。
「来い、ハルトラ!」
「ミャアッ」
子猫が、瞬きの後には巨大な化け猫へと変じる。周囲からどよめきの声が上がった。
駆け寄ってきたハルトラの背中にひょいと跨がる。
以前、この猫型魔物はタケシタの作ったのであろう毒の塗られた矢をぼりぼり食べていた。
恐らく状態異常への耐性がかなり強いのだ。今はそれを信じて、ハルトラを頼るしかない。
「じゃあ……行こう」
小さく呟き、腰の鞘から短剣を引き抜く。
浮き橋は魔物の毒が溶かしてしまった。船に乗り移るには、岸から船までをまず跳躍で渡らなければならない。
だが触手の束は、既に最も前方に立ちふさがる俺とハルトラを「敵」として認識しているらしい。じり、じり、と触手は迫ってきている。
この包囲網をくぐるのは簡単ではない――が、それでも前に進まなければ。
「ハルトラ!」
「シャッ」
ハルトラの太い足が力強く地面を蹴り上げる。
跳躍した俺たちは、一っ飛びに船の真上へ。そこに触手が問答無用で迫ってくる――
「光よ、走れ! 《光源流》!」
さすがというべきか。
絶妙なタイミングでユキノが光の波を放った。
直撃を喰らい、伸びてきていた触手の動きが僅かに怯む。
「ッら!」
仲間の触手を盾に光をかいくぐった触手が数本襲ってくる。
その全てを短剣と、そしてハルトラの牙とで切り刻み、俺たちは無事船内に着地を果たした。




