29.燕尾服はあなどれない
当初の予定とは少し変更となったが、俺とユキノは女の子を連れて【モルモイ】の小料理屋「とと屋」に入った。
ピークの時間は過ぎているようで、店内に俺たち以外の客は一人しかいなかった。
「おや、シュウ様、ユキノ様。奇遇ですね」
「どうも……」
奥の席で、庶民的な内装の中で完全に浮いている燕尾服のイケメン――エンビさんがナイフとフォークを巧みに操ってパスタを食べていた。何だかんだ暇なのかな……。
とと屋は夫婦で切り盛りしている小さな店で、店内にはカウンター席が七席ほどあるだけだ。
俺は致し方なくエンビさんの隣に。その横には女の子・ユキノの順番で座る。ユキノが般若のような顔をしていたように見えたが、俺と目が合うとすぐにニッコリ天使の微笑みを浮かべた。見間違いだったようだ。
「俺はAランチセットで。ユキノは?」
「では私も同じものを」
「君はどうする?」
「ん~……」
女の子はメニュー表を眺めて困り眉をしている。両足を机の下でぷらぷら揺らしながら、「よめない……」と小声で呟いた。
「じゃあ、お子様ランチセットはどうだろう。デザートもついてるみたいだよ」
「ん……じゃあ、それがいい」
良かった、頷いてくれた。
その後、十分と待たず次々と料理が出てくる。
「おいしーいっ」
きゃっきゃと幼い声を上げて女の子は大喜びしていた。
ユキノは何やかんやちゃんと世話を焼いてくれているようだ。
野菜スープを口に運びながら、俺は右隣のエンビさんの様子をちらりと窺った。
パスタを神速で切り刻むという斬新な食べ方だ。俺は隣にはきこえないよう声を潜ませた。
「エンビさん、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「はい、何なりと」
口元を華麗に拭いたエンビさんが執事然と応じる。
俺は頷き、緊張しながらずっと気になっていたそれを訊いた。
「……この子の胸元に、消えかけた隷属印があったんです。魔物じゃなくて人間相手にも、隷属印をつけることはできるんですか?」
正確に言えば、俺はマエノやトザカたちの身体にも同じように隷属印がつけられているのを目にしている。
が、今はそれは口にしないことにした。エンビさんに話していいかの判断はまだ下せなかったからだ。
エンビさんは俺の言葉に一瞬、眉を寄せる。
それから慣れた様子で胸ポケットから黒一色の眼鏡拭きを取り出し、レンズの汚れを拭っている。どうでもいいけど何してても様になる人だ。
「ええ、残念ながら可能です。厳密には、《魔物捕獲》で魔物に刻まれるものと、人間に刻まれるものは別の印ですが」
「別の印?」
「僅かに形が違うのです。《魔物捕獲》は魔物にしか効きませんし……奴隷商人は《人間捕獲》と呼ばれる珍しい魔法を用いて、人間を奴隷にするそうです」
「《人間捕獲》……」
じゃあ、血蝶病になったマエノたちを――いや、もしもマエノたちを血蝶病にした人間が居るとして……《人間捕獲》を掛けたのも同一人物だとしたら。
俺が会う人会う人に《分析眼》を使っていけば、いずれ犯人に出会えるかもしれない。
「なるほど、ありがとうございます。参考になりました」
俺はそう言って頭を下げた。魔法の練習になるし、まずは近場から探ってみよう。
一秒、二秒……
「そういえばパスタって、とと屋のメニューにないですよね。裏メニューとか?」
あと少し……集中しろ、もう少しで八秒……。
――《分析眼》、と俺は無声音で囁いた。
高等魔法ではないので、これで問題なく発動できたはず。
それなのに、魔法発動のタイミングで耳の奥でパキン、と変な音が鳴った。何だ?
「……おっと、もしかして私のステータスを覗こうとしました?」
「えっ」
ギクリとした。何でバレた?
「《保護陣》が壊れたので」
「何ですかそれ」
きいたことのない魔法名だ。
思わず拗ねたような声が出てしまった。エンビさんは口元を和らげる。
「何重にも張り巡らせている《保護陣》の一枚が、たった今壊れました。デバフや解析を防ぐ防御魔法ですよ」
「む……」
完全に相手が一枚上手だった。余裕で解説までされているし。
気分を害した様子もなくエンビさんは立ち上がる。それから俺を笑顔で見下ろし、低い声で言い放つ。
「ご安心ください、私は《人間捕獲》を覚えていませんよ。ラングリュート王は奴隷制度を廃止していますし」
「そうなんですか?」
「ハルバンに奴隷はいないでしょう? 王や兵の目の届かない所で非合法な商売に励む輩は、大量にいますがね」
エンビさんはウィンクした。
「ちなみにこのパスタは、私がお店の厨房を借りて作ったんです。シュウ様にも今度作りましょうか?」
「…………遠慮しときます」
「それは残念」
それでは、とエンビさんは会釈して店を出て行ってしまった。
+ + +
腹ごしらえを終えた俺たちは、モルモイを出立し街路を歩いていた。
モルモイには衣裳屋がなかったので、ダメ元でギルドに寄ってみたところ、顔見知りの女性冒険者がお古だという淡い空色のワンピースを譲ってくれた。
少し丈が長いようで、ワンピースというよりロングスカートになっていたが、少女は笑顔でそれを纏い、今はハルトラの背で「いけーっ」とか「すすめーっ」とか騒いでいる。ハルトラは律儀にニャアニャア答えていた。いくつかクエストも受注できたし、これで当初の予定は一通りこなした。
ここからもさらに徒歩で進んでいき、小さな山を越える。
その先に待ち受けるのがハルバンである。地図で距離は確認しているので、たぶん遅くとも夕方頃には到着するだろう。
「へぇ、《保護陣》……便利そうです、光魔法の一種でしょうか?」
道を進みながらエンビさんとの話の内容をユキノに語ると、違うところに食いついていた。そこかー。
しかし俺も不用心だった。《分析眼》で《人間捕獲》を使える人間を手当たり次第探そうと思ったが、ああいった防御魔法があるならそういうわけにもいかない。ここぞという場面で使用した方が良さそうだ。
「……ねえ、おにーちゃん」
「ん? 喉でも渇いた?」
「あたしになまえちょうだい」
「え……」
吐息を洩らしたのはユキノだった。彼女には、女の子に名前がないのを伝えていない。
「あたし、どれーからうまれたからなまえがないの。おかーさんとおとーさんのかおも、しらないし」
少女は笑いながら言うが、その言葉はあまりに痛々しい。
俺はどうしたものか迷う。この子はハルバンまで送って、そこで然るべき場所に預けようと思っていた。
すぐに別れる俺が、名付け親になっていいものなんだろうか。
「ニャッ」
巨大化しているハルトラが短く鳴く。
催促されたように感じたのは、たぶん俺の勘違いだったのだろう。
「……コナツ」
「こなつ?」
「人懐っこいから、コナツ。……安直かな?」
「――――」
一瞬だけ、女の子の表情は凍りついたように見えた。
瞬きの直後には、先ほどまでと同じ、満面の笑みがその小さな顔に広がっている。
コナツは喜びを分かち合うようにハルトラの首にぎゅうと抱きついた。
「ううん! あたし、こなつ! ひとなつっこいからこなつ! きにいったぁ!」
「そっか。良かった」
俺は改めて《分析眼》を使ってみた。
――――――――――――――――
??? コナツ
アクティブスキル:"魔力増幅"
習得魔法:《小回復》
――――――――――――――――
おお、仕事がはやい。さっそく名前が登録されてる。
でも「???」は消えないままだ。これはこのまま残るのか?
「……兄さま」
「うん」
「ユキノにも名前をください」
「……うん!?」
また妹が変なこと言い出した!
「だってこの子――コナツばっかりズルいです! ユキノだってできることならもう一度生まれ直して兄さまに名を与えられたい! 兄さまに名づけられたい! 兄さまに名づけ兄さまになってほしい!」
そんなことをワッとものすごい勢いで泣き叫んでユキノは顔を覆ってしまった。俺にはときどき妹がわからない。
でも放置していたら明日とかも引きずりそうだ。ここは何とかして説得してみよう。
「ユキノはユキノって名前だからユキノって感じで俺は良い名前だと思うよ」
俺は精一杯に褒めちぎった。
「おにーちゃんってふぉろーがへただね」
コナツの一言がぐさりと胸に刺さる。ひ、否定できない……。
「ハルトラも兄さまに名づけてもらってるのにぃ……ユキノばっかり……」
まだユキノは嘆いている。なんかコナツと会ってから一層不安定になっているような。
しかし数秒後にはパッと鋭く顔を上げた。あれ? もう復活した?
「兄さま、魔物の気配が近づいています」
凛と言い放つ。
それと同時に、前方から上がる土煙が視界に入る。山の方角から真っ直ぐに向かってきている。
俺は先を進んでいたハルトラの前に飛び出した。ユキノもそれに倣う。
腰の片手剣――の方ではなく、その横の一本の短刀を鞘から抜いた。
モルモイの武器屋で新しく購入したものだ。あまり良い品でないのは一目で分かっていたが、安い物なので文句は言えまい。
「おにーちゃん……」
コナツは不安そうだ。俺はちらりと後ろを見た。
「ハルトラ、おまえはコナツを守ってくれ」
「クルル……」
背後のハルトラが低く喉を鳴らしつつも、俺の命令通りに背後の岩の陰まで下がる。
そうこうしている内にイノシシ型のモンスターが接近してきた。
魔猪と呼ばれる、赤い目をした凶暴な魔物だ。猪突猛進で突進を得意とする。
数は五頭。魔猪退治のクエストを受注していたのでちょうど良い。
――さて、燕尾服の執事にもしてやられたことだし。
「久しぶりに魔物退治といこう」
俺の言葉に応じるように。
ユキノの構えた杖の先端、しゃらり、と鈴の音が涼やかに鳴った。




