28.イカサマ? いいえ、実力の内です
こうなるとしばらくユキノのウットリモードは続きそうだ。
俺は改めて男に向き直った。すると反射なのか、もの凄いガンを飛ばされる。
「ウェッヒヒヒ……後で泣いても知らねぇぞ……」
ウェヒヒて。個性的な笑い声である。
が、俺は何も勝ち目がない状況でチンピラに喧嘩を吹っ掛けたわけではない。
一連の会話で時間を稼いだのにはちゃんと理由がある。
《分析眼》で相手のステータスはちゃっかり解析済だ。
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グラン・ハーバス
クラス:拳闘士
ランク:E
アクティブスキル:"剣初級"、"拳初級"
習得魔法:《土属性強化》、《土壁》
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拳闘士といえば筋力自慢の屈強な男が集う役職だ。目の前の男はどちらかというと痩せ形だが、腕っ節にはそれなりの自信があるのだろう。
だからこそ、俺の申し出を容易く了承したのだろうが……まあ、たぶん問題ない。魔法のラインナップを見ても、搦め手を使うタイプじゃなさそうだ。
ついでにいうと、女の子のステータスはこんな感じ。
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???
アクティブスキル:"魔力増幅"
習得魔法:《小回復》
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名前が「???」になっているのは――その表記通り、名前を持たないということか。
そう思うと胸が痛くなる。この子は今まで名前もないまま、どんな環境で育てられてきたのだろう……。
「ンー、こほん……」
ユキノがわざとらしく咳払いしている。
何だ? と思った矢先、
「――さあさあ皆さま、どうぞお立ち寄りください。腕っ節自慢の二人の男、一人の少女を巡り、ただいま一世一代の勝負と参ります!
異国の伝統ある格技にて執り行われる一本勝負、ぜひお近くでご覧あれ!」
復活したユキノが何やら声を上げ始めた。
俺とチンピラのグランは同時にそちらに目をやる。
そもそもユキノという女の子は、百人と擦れ違ったら九十八人は振り返るであろうというレベルの絶世の美少女である。兄の贔屓目を抜きにしても。
普段はあんまり綺麗すぎて近寄りがたい印象があるが、そこらの町娘のように親しげに微笑んではその限りではない。声も特別大きいわけではないのに、よく通るから人を引き寄せる。
もちろん、本人が自分の魅力を余すことなく使いこなした結果だ。
「アァ? アレは何やってんだ?」
「さぁ……」
俺とグランと共にたくさんの人間に囲まれビックリしたのか、奴隷の少女が身を縮めている。
しかし宥めるようにハルトラが足元にやってくると、次はそちらに夢中になった。上手いぞハルトラ。
その後もユキノが呼び込むままに、見物人は面白いくらいにぞろぞろと増えていった。
遠巻きに見ていたおばさんたち。民家の窓もいくつか開き始める。
それにモルモイに住む人だけではない、ギルドの方からも騒ぎに気づいた人が出てきている。立ち寄っていた冒険者たちだろう、何人か顔見知りも混じっていた。
やがて、人だかりという言葉では収まらないくらいの人垣が出来上がり、俺たちは全方位から見物人に囲まれる形になった。
しかしユキノはまだまだ止まらない。
何か切手のような小さな紙片を、せがまれるまま千切っては投げている。あれは……?
「さてさて、どちらに賭けましょう? やはりここは地元の名士を応援いたしますか? え、私の好みですって? 私はそうですね、男の方はとにかく《攻撃特化》なのが頼もしいかと。しかし《速度特化》も勝負の分かれ目やも――ですが最後はもちろん愛、愛の強さが大事ですともっ!」
青空の下、舞い散る紙片に混じって黄金色の粒を撒き散らしながら語る美少女に感化されたのか、
「俺はグランに賭けるぜ。アイツは馬鹿だが腕っ節はとにかく強い! 馬鹿だがな!」
「あたしもグランちゃんに五千コール。あそこのお母さんとは仲良くさせてもらってるしねえ。早く嫁をもらってほしいってぼやいてたけど……」
そんな声が各所から上がる。あ、投票券を売りさばいてたのか……。
地元ということもあってか、俺の勝負相手――下馬評はグラン優勢のようだ。
こっちを見ながら本人もフフンッとかハハンッとか得意げに鼻を鳴らしている。鬱陶しい。
でもそういうことなら、俺も勝負を盛り上げてみようかな。
「お兄さんは右利き?」
おもむろに俺が問うと、グランは腕組みをしつつ顎をしゃくる。
「そうだ。お前は?」
「俺は両利きなんで、お好きなほうで」
ひらひらと手を顔の前でふざけて広げてみる。我ながら安い挑発である。
しかしグランは狙い通りにムカついてくれたらしい。ズンズン歩み寄ってくると、鼻先を近づけて威嚇してくる。
「……右だ。いいな?」
「どっちだって構いませんよ。でも、俺が勝ったら彼女を自由にしてくださいね」
「オレが勝てばお前とあっちの女をまとめて奴隷商に高値で売りつけるからな」
激しい火花の散らし合いに周りから歓声が上がる。ますます投票券の売れ行きは上々のようだ。
「そちらのお嬢様方もワインを一杯、さあグイっとどうぞ。【パーニャ】名産の上等なぶどうワインです。さぁ同じアホなら呑まなきゃ損々です! 昼間から寄ってたかって飲み、踊り、賭けまくろうではありませんか!」
見馴れた燕尾服のイケメンまでも、見物人の間をデカい樽を抱えて歩いていた。ビール売り子みたいになってる。
「あなたまで何やってんですかエンビさん」
「お久しぶりですシュウ様。商売の気配を感じたので、はるばるハルバンより駆けつけました」
くいっと眼鏡の縁を上げて爽やかに微笑まれる。もうこの人には何も言うまい。
呆れる俺の袖を、くいくいっと小さな手が引っ張ってきた。
「ん?」
「…………」
金髪の女の子は片手にハルトラを抱いて、俺とグランとを何度も見比べていた。
「俺の方が弱そうで、不安?」
控えめながら頷かれる。
俺は苦笑ついでに女の子の頭を軽く撫でた。
「大丈夫。必ず勝って君を自由にしてみせるから」
そして即席の会場が最高潮のボルテージまで高まったとき――俺とグランは、何も言わないまま、互いの右手をがっちり連結させていた。
円の中心で突っ立って向かい合う男二人。その間に、ユキノの細い手がスッと鋭く引かれる。
騒いでいた野次馬たちが一斉に静まった。誰かが緊張にゴクリと喉を鳴らす。手に汗を握って勝負の行方を見守っている。
「それでは指相撲一本勝負、参ります。レディ……」
基本的に指相撲というのは、平坦な長い勝負になりがちだ。
攻める。誘う。回避。それにフェイント。その繰り返しで技量のある方が勝つ。
では俺がこの男に勝つにはどうしたらいいか?
「……ゴー!」
決まっている。
「とりゃっ」
合図と同時、捉えた。
ほぼ同時である。周囲からどよめきが上がった。
グランはまだ何が起こったか分かっていない様子だ。その間に、申し訳ないが始めさせてもらう。
「いち、にー、さん、しー……」
「ふぬぬ! ぬお、おおお、ぐおおおお……!?!? ふぎぎぎ!!!」
抑えつけられた親指を持ち上げようとグランは力の限り暴れた。
が、何をされようと俺の親指はびくともしない。その間にもカウントは進んでいく。
「――勝負あり!」
それからきっかり、10秒カウントを経て。
というわけで、勝負は10.1秒でついたのだった。
+ + +
その後。
不正を疑ったり、単に力自慢だというムキムキマッチョの冒険者たちに挑まれるまま、俺は指相撲勝負を続けた。
「一勝負につき五千コールお支払いください。勝利した挑戦者には、何と二万コールをプレゼント!」
新たな商売に着手しているユキノの傍ら、何とか全試合に勝利。
人垣がくずれた頃には、だいぶ手が痛くなっていた。
「ちょっとずるい気もしたけど……」
「いえ、私こそ余計なことをしました。兄さまなら余裕で勝てましたね」
右手と左手を解していると、ユキノが近づいてきた。
コッソリ使っていた支援魔法のことを言っているらしい。俺は苦笑した。
「あまり持ち上げないでくれ。すごく助かったよ」
俺は試合で手に入れた金と、それから貯金とを合わせ、道の隅っこで体育座りしているグランに差し出した。
「この通り十五万コールは払う。これであの子を解放してやってくれ」
「……いらねぇ。オレは勝負に負けたからな」
そっぽを向かれてしまった。意外と潔い。
しかしまだ訊きたいことがある。
「あの子の胸には隷属印があった。やろうと思えば、命令して連れ戻せたんじゃないか?」
「…………」
「それに鎖とかもつけてないし……もしかするとあなたって……」
「…………に」
「え?」
「――――お嫁さん候補に、命令なんてできるかァッ!」
「…………んん?」
思いがけない言葉に呆気にとられる。
「お嫁、さん……?」
「そうだよ。オレはね、その子と、結婚するつもりなワケ!」
「年の差は?」
「恋愛に年の差は関係ねぇっ! オレはまだ二十九だしっ!」
でも限度がある気がする。ぱっと見でも二十近く離れてないか、この二人?
俺との問答に感情が溢れ出してしまったのか、わっと地に突っ伏してグランは泣き出してしまった。
「モルモイ中の女も、スプーの数少ない女たちにも、プロポーズしまくったが片っ端からフラれた。素行がムリとか拳闘士は暑苦しくてムリとかわけわかんねぇこと言われてよぉ!
最後の賭けに出ようと、奴隷商のところでその子を買い取ったんだ。これくらい小さければ男に従順なのかなぁと思って。へへっ」
「はぁ……」
ちょっと良い人かと思いきやただの狂人だった。一歩後ろに離れる。
「兄さま、この子の隷属印、消えかかっています」
あ、本当だ。
女の子の胸元の隷属印は、よく見るとかなり薄いものだった。以前の雇い主につけられたものなのかもしれない。
俺はオンオン泣いているグランにそっと話しかけてみた。
「つまり、その。あなたはこの子を奴隷としてコキ使うためじゃなくて、本当にお嫁さんにするために……?」
「そうだよ。さっきっからそう言ってんだろ! アホ豚汁!」
「アホ豚汁て」
どういう種類の悪口だ。
「豚はお前です。今すぐその暴言を撤回なさい」
「ヒイイ」
ユキノの目が据わっていた。グランが壁際に追い詰められている。
そんな男に近づく影があった。
金髪の女の子は、どこか期待に輝く目をするグランを見下ろし――ハッキリと言った。
「たんじゅんにこのみじゃない」
「ガーン……」
グランは仰向けに泡を噴いて倒れてしまった。気の弱い子だと思っていたが、案外そうでもなかったらしい。
俺は哀れな男の末路に手を合わせたが――振り返った少女に、突拍子なく抱きつかれた。
鮮やかな金糸が、視界をふわりと彩る。
「ありがとう、おにいちゃん!」
「おにッ」
「おねえちゃんも、ありがとう!」
「んなななな」
ユキノはいろいろ不可思議な反応をした。
俺が困惑していると、ぎゅーぎゅーと抱きついたまま女の子が顔を上げる。
「いまのはね、あたしがじぶんのあにをおにーちゃんよばわりしたのにおこったのと、あたしにおねーちゃんってよばれたのがちょっとうれしくて、ふくざつな「んなななな」になっちゃったんだとおもうよ」
「おお、君は分析力が高いね」
「えへへぇ。そう?」
俺は実際感心していた。バグったユキノをここまで見事に解析するとは。
「いいから離れなさい。兄さまが迷惑がっています」
「えー、そんなことないよ。だいたいのよのなかのおにーさんはこうされるとうれしいんでしょ?」
「恐ろしいことを笑顔で言い切るんじゃありませんっ」
しかもあのユキノが押されている。珍しいこともあるものだ。
そんな風にじゃれ合いつつも、ユキノがそっと目配せしてくる。
俺は軽く頷きを返した。
コアラのように抱きついてくるもふもふの両肩に手を置くと、不思議そうに大きな瞳が見上げてくる。
「俺たち、これからハルバンっていうところに向かうんだ」
「しってるよ。みずうみのあるおうとだよね?」
「そう。良かったらそこまで送っていくから――」
返事はお腹の音だった。
恥ずかしそうに真っ赤な顔で俯くのが可愛らしい。俺はとりあえずの方針を決めた。
思いがけず懐が潤ったことだし、まずはこの子に服と、それと美味しいごはんを食べさせてあげよう。




