23.イシジマの回想1
本日から第2章「兄妹の成長期編」に入ります。よろしくお願いいたします!
あれはちょうど、一週間前のことだった。
「何だ、今の? ……なあ、ちょっと二人で様子見てきてくれよ」
城の近くで見つけた廃屋を根城にしていた、その夜のことだ。
森の方角から突如として轟いた、獣が咆哮するような凄まじい声。
それを聞いたカワムラは、不審そうに眉を顰めながらそう言ってのけた。
「は? お前が見に行け」
イシジマはそもそも、誰かに指図されることが大嫌いだ。
彼は常日頃から指図する側の人間である。学校でつるんでいる相手も、彼と対等な人間は一人もいない。
「強力なスキルを持ってるイシさんならそこらの魔物なんて相手にならないだろうし。オレはナルミの様子を見ておくからさ。……な、頼むよ」
カワムラは申し訳なさそうな顔をして謝る仕草をした。
しかしイシジマにはカワムラの魂胆がありありと窺えた。
廃屋の埃っぽい床に転がされたナルミユキノを見遣る。
猿ぐつわを噛まされたユキノは気丈にもにらみ返すようにイシジマのことを見た。
いたいけな女子中学生が不良三人に囲まれてこの態度だ、さすがのイシジマも感心する。
イシジマにとっては、ユキノはシュウの妹ということ以外に有用なステータスを持たない少女だが……カワムラが夢中になる気持ちも、分からないでもない。
粘着な変態男相手にどこまでユキノが耐えられるか、見物かもしれない。
「いいぜ、行ってやるよ。行くぞハラ」
「サンキュ」
「ええ……? おれ、暗いのはちょっと……」
イシジマが立ち上がると、ハラは空気を読まず嫌そうな素振りをしている。
しかし背中を小突くつもりで蹴ってやると、ブツブツ文句を言いながらついてきた。
「いっつもウルセーんだよ、テメーは。オバケが出るわけでもねぇんだから」
耳クソを飛ばしながらイシジマが怒鳴る。背後のハラはまだ「でもぉ」だの何だの言っている。気持ち悪い。
先ほどの変な生き物の声が聞こえてきたのは森の方角だ。
この時間に暗い所にわざわざ足を向けるのはイシジマとて気乗りしなかったが、一応様子は確認する必要があるだろう。モンスターだか魔物だかに寝首を掻かれたら困る。
「ちょっと様子見て、すぐ戻りゃいいんだよ」
「……?」
「小屋の窓からでも、中のあいつらの様子覗こうぜ」
イシジマの言わんとしていることを理解したらしい。ハラも少し機嫌が良くなった。
――しかし問題はその後に起きた。
声を出したであろう獣の姿は、森の中を探してみても見つからなかった。
だが運の悪いというべきか、イノシシ型の魔物や、実体のないまさしくオバケのような生き物に襲われ、イシジマたちはすぐに迷ってしまった。
そう広い森ではなかった。そのはずだ。
ただ完全に舐めきっていて、道の一つも把握していなかったし、彷徨っている内に自分たちが通った道さえ分からなくなった。あれからどのくらい時間が経ったのかさえ。
混乱の最中、ハラが足を滑らせて斜面から崖下に墜ちた。
「うっ」
という、呻き声みたいな声を上げて、そのまま墜落したのだ。
下からバシャンッと大きな水の音がした。目を凝らしても崖下の様子はまったく見えない。
イシジマは致し方なくルートを探してハラのところまで下りていった。
ゴミみたいなスキルしか持ってないのだ、別にここで見捨てても良かったのだが、あんなのでも獣に投げるエサくらいにはなるだろう。
「ひい、ひい、うわ~~~」
ハラはパニックになり、湖の中でじゃばじゃば水を掻き分け藻掻いていた。
足が着いていたのでイシジマはとりあえず殴って黙らせた。
ハルバニア城の塔の頂から朝日が昇り始めていた。ふたりの立つ湖畔さえも眩い光が包んでいたのだ。
+ + +
結局、夜通し森の中を走り回っていたというのは屈辱的だったが、怪我の功名と言うべきかようやっと視界が確保できるようになった。
イシジマとハラは歩いて森を下っていた。一睡もしていないのもあって疲れがひどい。
さっさとひとっ風呂浴びて一眠りしたい。それでこんな訳のわからない世界とはオサラバしたかった。
「今思えば、あの獣の声って、もしかして……」
「何だよ。言えよ」
「タカのスキルだったんじゃないかな」
「ハア?」
ハラが脈絡なくそんなことを言ったので、イシジマは失笑した。
カワムラタカヒロ。スキル名は"魔物玩具"だったか。
自分よりレベルが高い魔物でも服従させられる、とか何とか言っていた気がする。興味がなくてろくに聞いてもいないが。
「アイツが? 自分のペットに遠吠えでもさせたって?」
「だって、その獣も見つからなかったし……」
一度は笑ったイシジマだったが、よくよく考えるとハラの言うことにも一理あるかもしれないと思う。
「……昨日の昼間、そういえばアイツ、一度抜けたよな。喉が渇いたから何か買ってくる、とか言って」
イシジマの言葉にハラが熱心に頷く。
飲み物を買いに行くにしてはやたらと長くかかったな、とは思ったのだ。
もしかしたらあのとき、喫茶店の店員が言っていた洞窟のダンジョンに行ったんだろうか?
何のために――決まっている。
魔物を仕入れに行ったのだ、カワムラは。
そしてユキノと二人きりになる口実を作るために、イシジマたちを欺いた!
「クソ……」
あの程度の男に出し抜かれた挙げ句、不様な一夜を送った。
木の枝に引っ掛かったり、魔物にやられたりして、全身には小さな傷が絶えないし、着ていた制服も所々が破れている。
ふつふつと湧きだした怒りはやがて限界に達した。後続のハラを置いて行く勢いで森を駆け抜けた。
それから三十分は掛かっただろうか?
廃屋の前まで戻ってきたイシジマの目の前に広がっていたのは、想像していなかった光景だった。
「何がどうなってんだよ」
大量の黒い血痕だ。
森でも、泥に塗れてはいたが血の跡が大量に見つかっていた。
同一人物のものかは不明だが、特に廃屋の近くには夥しい量の血が広がっていたのだ。
イシジマは念のため、小屋の中を確認したがそこはもぬけの殻だった。
再び外に戻ってくると、遅れてハラが辿り着いていた。
汗まみれの顔を拭い、ぜえぜえと肩で息をしている。
「これ……何……」
イシジマは舌打ちで答えた。知るわけがない。
とにかく、カワムラとユキノは姿を消している。確定しているのはそれくらいだ。
しかしそれ以上に気になる。
もしここで誰か一人、死んだとして――解せない点がある。
死体がないのだ。
「明らかに致死量だろ、コレ。なのに何で誰もいない? おかしいだろ」
血痕はあるのに、そこから歩いた形跡がない。
瀕死の重傷を負いながらも歩いて避難した人間がいたとしたら、やはり痕跡は残る。
もしくはそこで息絶えたなら、やはり死体が残っていなければおかしい。
――例えば、今回の件をものすごく楽観的に捉えるとしたら。
あの後、獣が森を下り、小屋にいる二人を襲った。
カワムラは抵抗したが致命傷を負う。ユキノがそれを回復魔法で救う。
二人は手と手を取り合ってそこから逃げ出したので、小屋は空っぽだし、血痕だけ残っている……。
「……アホらしい」
想像するのも困難だ。イシジマは剃り上げた頭を無造作に掻いた。
あの女がカワムラを命がけで救う? 有り得ない。脅されたって拒否するだろう。
「食べられた……とか?」
ぽつりとハラが言った。
何気ない思いつきだったらしい。
しばらくイシジマはその言葉の意味を計りかねたが、理解したとき、ハラの胸倉を掴み殴る振りをした。
それだけでびびったハラは「ひいい」と情けなく震え出す。
上背はあるくせにひょろひょろ弱っちい。アホのように惨めったらしい。
ハラは涙さえ浮かびながら馬鹿の一つ覚えのように謝った。
「ご、ごめん。ごめん。ごめんなさい」
「……チッ」
こんなヤツは殴る価値もないのだ。
イシジマはすぐに手を離した。するとハラは最初は怯えたように遠巻きにしていたが、五分も経つといつものようにヘラヘラしながらイシジマの後についてくる。
こいつはだらりと不格好に伸びた腰巾着みたいなものだ。
幼なじみで小さい頃からずっと悪さをしてきたイシジマとカワムラの中に、ほんの二年前入ってきたばかり。カワムラもハラなんかのことは小間使いくらいに思っているだろう。
カワムラならまだマシなのに、などと思ったのは生まれて初めてである。
いや、そもそもアイツが――アイツの所為だ、全ては。
イシジマは改めて、その黒く酸化した血を眺めた。
途切れた異様な血痕。不吉な失踪。
考え出すと、ゾッと全身の鳥肌が立った。
今さらのように、ハラの言ったことが正しかったような、イシジマはそんな気がしてならなかった。




