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この大空をポケットにつめて  作者: 村崎羯諦
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その後

「あきら?」


 天神大通りを歩いていたあきらは呼びかけに応じて、ゆっくりと振り返る。あきらを呼び止めたのは、同い年くらいの若い女性だった。彼女は長い黒髪を後ろで束ね、夏らしい空色のノースリーブワンピースを身にまとっていた。あきらは露骨に困惑気な表情を浮かべたが、すぐに、聞き覚えのある澄んだ、トーンの高い女性の声色で彼女の正体に気が付いた。


「もしかして、ひろみ!?」


 ひろみは嬉しそうにうなづく。興奮でひろみの頬はうっすらと紅潮し、今にも泣きださんばかりにその茶色い瞳はうるんでいた。その上に覆いかぶさる長いまつげは、昔と変わらず、空に向かって伸びているかのようにピンと張っていた。あきらはおよそ十年ぶりに再会した旧友の足先から頭のてっぺんまで改めて観察し、戸惑いと感嘆の混じったため息をつく。


「なんか………すごい綺麗になってる」

「でしょ?」


 ひろみは茶目っ気たっぷりにおどけてみせた。口元に手をあて、くすくすと小動物のように笑う。高層ビルの間から顔をのぞかせる太陽の日差しを反射し、彼女の左手薬指にはめられた指輪がきらりと瞬いた。


「そっか、結婚したんだ」


 ひろみは「うん」と幸せそうにうなづいた。ひまわりのように太陽の日差しをいっぱいに受けた笑顔のまま、ひろみは左手を顔の前に持ってきて、結婚指輪を見せびらかす。銀色の光沢が白く透き通った手の甲に映えた。あきらが「どんな人?」と尋ねると、少しだけ照れた様子でひろみははにかんだ。


「ちょっと頼りないけどさ、私のことを大切にしてくれる人」


 ひろみのあまりにも幸せそうな表情を見て、あきらはひろみがどこか遠い場所に行ってしまったかのような錯覚に陥った。その距離は、かつてひろみと野を駆け巡った故郷とこの福岡との距離よりも遠い。ワイヤーの線できりきりと締め上げられているかのように、胸が息苦しくなる。しかし、その痛みは決して不愉快なものではなかった。その痛みは少なくとも、かつてあきらとひろみが肌と肌で触れ合ったあの瞬間を、一瞬であれ思い起こさせるものだった。


「おめでとう」


 あきらは嘘偽りない言葉で祝福した。水の中に落とされた一滴の緑色のインクのように、胸の中の息苦しさが和らいでいく。それを追いかけるように、鮮やかな色彩をしたあの日の感覚が、一つの思い出としてあきらの胸の奥へと染み込んでいった。ひろみが「あきらは?」と尋ね、「かっらきし」とあきらが大げさに肩をすくめ、二人は笑い合う。しかし、その声は、今ここにいる二人の笑い声だった。先ほどまで胸を締め付けていた一本のワイヤーは、あの日の思い出をまとめる一本のリボンになった。ビルとビルの間から風が吹き込み、火照った二人の頬を優しくなでる。


 あきらとひろみは連絡先を交換し、それぞれ異なる方向へ向かって歩き出した。しかしほどなくして、自分を呼び止める声に反応し、あきらは後ろを振り返った。ひろみは軽く息を切らしながら、がさがざと自分が持っていた鞄の中を探り、中に入っていた琥珀色のパワーストーンを取り出した。ひろみはそれを、何が何だかわからないでいるあきらに無理やり握らせる。


「これさ、すっごい有名な恋愛成就のお守りなんだ。今の彼と出会ったのも、これを持ち歩くようになってからなんだよね。私にはもう必要ないから、あきらにあげるよ」


 まごつくあきらにひろみは「いいから、いいから」と押し通す。昔と変わらない、ひろみの妙にメルヘンチックな気性にあきらは思わず頬を緩めてしまう。「変わらないな」とあきらが小さくつぶやき、ひろみもそれに応えるように、微笑んだ。


「私も頑張らなくちゃ」


 あきらはお守りを手に持ったバックに入れながらそう言った。


「大丈夫。あきらだって、立派な彼氏を捕まえられるって」

「あのねぇ、私だってそれなりにモテるんですけど?」


 あきらとひろみは声をあげて笑った。行きかう人々が興味深げに二人の方を見ては、そのまま何も言わずに立ち去っていく。都会の空は二人の思い出が詰まったあの島ほど開けてはいないし、水晶のように澄んだ青をしているわけでもない。それでも、ひろみと再び別れたあきらがふと空を見上げた時、ちょうどポケット一つ分くらいのサイズだけ、あの夏の日の青空が見えたような気がした。

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