SS.7 矜持
「パパ、行ってきます。」
「ああ、気を付けて行ってくるんだよ。カイ、ソラ、ミウのこと頼むな。」
『クゥーン、クゥーン!』
昼食を終えた凌馬たちは、馬を休ませるためしばらく休憩することになった。
ミウは、カイとソラを連れて日課となっている散歩に出かけるところであった。
カイとソラが使役聖獣になってから一週間ほどが過ぎていた。
ロージアンの街を出てチェルシアやローレット、孤児院で特に仲の良かったフィリーアとも別れることになり、しばらく塞ぎ込んでしまったミウもふたりのお陰で随分と元気になっていた。
最初にミウがふたりを連れて散歩に行きたいと告げられたときは凌馬も少し心配もしていたが、ふたりの能力の高さとミウを大切に思っている気持ちは理解できたし、何よりミウの自主性を尊重することは凌馬にとって最優先事項でもあった。
もちろん、ミウに知られないよう万全の態勢も整えていた凌馬であった。
その日も何時ものように凌馬に見送られて出掛けるミウたち。
「今日はどこに行ってみようか、カイ、ソラ。」
「クゥーン、ワン!」
カイの背に乗ってふたりに相談していたミウは、ソラが丘の方向に吠えたのを見て「あっちに何かあるの? じゃあ行ってみようか。」ミウがそう言うと丘に向かってカイとソラは走り出した。
「うわぁ、すごくきれい・・・」
20分ほどかけて丘に上ってきたミウたちが目にしたのは、一面を絨毯が敷き詰められているように咲き誇っている花畑であった。
ミウはカイの背から降りると花畑の中へと走り出し、カイとソラはミウのあとに続くように駆け出した。
「ふたりともこっちこっち。」
ミウは花畑の中心に辿り着くと地面に寝転がりながら太陽の暖かな日射しと花の香りにご満悦の様子であった。
『キューンキューン。』
カイとソラもご主人様が喜んでいるのを見て嬉しくなり、ミウに甘えるように鳴きながら顔を擦り寄せていた。
「うふふ、ふたりともありがとうね。でも、パパにも見せてあげたかったな・・・、そうだ!」
ミウはそう言うと、幾つかの花を摘み取ってなにかを作り始める。
『クゥン?』
ふたりがミウに尋ねるように鳴くと、「えへへ、ちょっと待っててね。」そう答えて集中して作業をしていた。
そんなご主人様の邪魔をしないように静かに見守っていたカイとソラ。
しばらく平和な時間が流れていたミウたちであったが、カイとソラの耳がピクッと動いた瞬間にふたりの空気が変わっていた。
ソラに目配せをしたカイは、徐に立ち上がるとひとりその方向へと歩き始める。
「カイ?」
ミウもふたりの様子に気が付いたのか、ひとりで森の中に向かおうとするカイに呼び掛ける。
「クゥン。」
カイはミウに心配しないでというように鳴き、ソラはミウの隣に安心させるように寄り添っていた。
「うん、分かった。ソラとここで待ってるから早く帰ってきてね。」
ふたりはミウと出会ってから片時も離れずに一緒にいた。そんなカイが僅かとはいえミウのもとを離れようとしていたのだ。
そこにはカイにとって何か大切なことがあるのだと悟り、少し心配だが見送ることにしたミウ。
「ワン!」
カイは一刻も早く戻るために、森の中へと猛然と駆け出していった。
・
・
・
「アオォーーーン」
「ガルルル・・・」
森の中では、群れの生存を賭けた戦いが今まさに行われていた。
片やこの森を縄張りとし、種族的にも上位に位置しているフォレストタイガーの群れ。
もう一方は、脅威度は其ほど高くはないが数と連携力を武器に戦うワイルドウルフの群れ。
時として、魔物同士でこうした縄張り争いが行われることは珍しいことでは決してない。
ただし、実力的に上位にいるフォレストタイガー(Bランク)に挑むにしてはワイルドウルフ(Dランク)の数は余りにも少なく見えた。
通常であれば戦力的にフォレストタイガー一匹に対して、ワイルドウルフは三匹から四匹で掛かる必要があるだろう。
しかし、この場ではフォレストタイガー十匹に対して十七匹のワイルドウルフ。加えて明らかに士気の低いワイルドウルフの群れ。
これは明らかに異常な事態であった。
ワイルドウルフは決して頭の悪い魔物ではない。特に群れを率いるリーダーは相手との戦力差を把握し、適宜冷静な指示を下すことで生存競争を生き抜いてきたのだ。自然界において弱者故にそういった能力には長けていたのだった。
ならば何故ワイルドウルフの群れはこのような事態に陥っているのか。
それは一月以上前にまで遡る。
この群れを、というよりは以前居た縄張りとしていた森で魔物たちに猛威を振るっていた病が全ての発端であった。
その結果、ワイルドウルフの群れはその数を半分以上も失ってしまい、また病から逃れるために新しい縄張りに移るしかなかったのだ。
だが、その過程で病の仲間を切り捨て獲物も満足に獲ることが出来ない日々。
元々仲間意識の強いワイルドウルフが、その士気を落とすことになったとしても仕方のないことだった。
それでも戦うしかなかった。既に群れの維持は限界に来ていたのだ。
縄張りに生きるものとしてこれ以上の移動は彼等には耐えられないことであった。無謀と言えるこの戦いに勝つ以外の生き残るすべはなかった。
「ガアアァァァァ!!」
仲間の士気を高めるため孤軍奮闘の戦いを繰り広げるワイルドウルフのリーダー。
現状、フォレストタイガーのリーダーは側近の二匹を従えて指示だけをだし、残り七匹だけでワイルドウルフと戦っていた。
それでも戦況は五分と五分・・・いやワイルドウルフの方が旗色が悪かった。
もし、あの三匹が戦闘に参加してきたなら均衡は即座に瓦解することは確実だった。
ワイルドウルフのリーダーは焦っていた。あの三匹が参戦する前に相手の戦力を削いでおかなくては勝ち目がないのだから。
「グルアアアアーーー!」
ドン! バキッ!
だが、それが悪かった。功を焦ったワイルドウルフのリーダーは、横から若きフォレストタイガーの突進をまともに受けてしまい、木に激突したリーダーは身動きがとれずにいた。
『クゥン・・・』
ジリジリ───。
リーダーを失ってしまったワイルドウルフの群に、最早勝ち目はなかった。少しずつ後ずさるように下がると、群は敗走の構えを見せていた。
「グルルル・・・」
意識を失いそうになりながら、ワイルドウルフのリーダーは若きフォレストタイガーを見上げていた。
ここまでか、自分はこの群れを守り抜くことが出来なかったのだ。多くの仲間を犠牲にしてまで守ろうとした家族を、自分は守り通すことが出来なかったのだ。群のリーダーとして自身の不甲斐なさを思いながら、フォレストタイガーの若者を見てかつて自分に歯向かってきた彼を思い出していた。
もしこの場に彼が残って居たならば、このような状況にはなっていなかったのかもしれないと。彼は若くして自分に匹敵する力と頭脳を既に兼ね揃えていた。
時期リーダーには、彼のものがなるであろうことを確信させるほどの実力があの若者にはあったのだ。
しかし、そんな事を思っても今さらどうしようもない。彼は掟を破りこの群れを去ったのだ。リーダーの決定に歯向かうという最大の禁忌を犯して。
ザ!
フォレストタイガーの一撃が今まさにワイルドウルフのリーダーに止めを刺そうと前足を振り上げていた。
「アォーーーーーン!!」
ドガーーン!
何が起こったのか、その場にいた誰もが把握出来なかった。
彼等が目にしたのは、ワイルドウルフのリーダーに止めを刺そうとしていたフォレストタイガーがその場から吹き飛ばされた跡と、規格外の力を放出させながらワイルドウルフのリーダーを背にしてフォレストタイガーのリーダーを睨むように一匹の化け物がその場に立っていた姿だった。
「ガルルル!」
フォレストタイガーの群は直ぐにリーダーの元に集まると、彼の指示を仰ぐように見ていた。
しかし、彼等の戦意は急速に失われていた。何故なら、この化け物は余りにも隔絶された力を感じさせていた。正直直ぐにでもこの場を逃げ出したい思いに駈られていたからだ。
だが、フォレストタイガーのリーダーは激昂していたため冷静さを欠いていた。フォレストタイガーとは、リーダーのみが子孫を残すことを許された種族であり、我が子を殺したこの化け物を許すことが出来なかったためだ。この森で強者の立場として生きてきたが故に、彼にその判断ミスをさせてしまったのだった。
フォレストタイガーのリーダーは即座に指示を出すと、九匹の群は化け物を囲うように陣取っていた。
如何に力の差があろうともこっちは九匹の一斉攻撃。その内一匹でも相手の急所を捉えることが出来れば、どんな生物であろうとも殺すことはできなくても、致命傷は与えられるはず。
この森は自分達の縄張りだと思い知らせるためにも、ここで退くことは出来なかった。
ジリジリジリ───。
攻撃のタイミングを窺うフォレストタイガーとそれを悠然と待ち構える化け物。
『ガアアアアアア』
リーダーの咆哮とともに攻撃を仕掛けたフォレストタイガーであったが───。
ジャキン、ジャキン、ジャキン──────。
『グァァ・・・』
リーダーを除く八匹のフォレストタイガーは、地面から突如として生えてきた巨大な氷柱によって串刺しにされると一切の抵抗を許されずに絶命していた。
「グルル・・・」
間一髪で氷柱を避けることができたリーダーは、一瞬で群れが全滅した様子を目の当たりにして困惑とそして己の判断ミスを後悔することになる。
バシュッ! ブシューーー!
しかし、そんな時間も長くは続かなかった。その化け物の姿が消えた次の瞬間フォレストタイガーのリーダーの頭は空を飛ぶと、血飛沫を上げながら残された体は地面に倒れ伏していた。
僅か数秒で自分達を苦しめたフォレストタイガーは全滅させられていた。
ワイルドウルフの群には、この化け物に抗う術などあるはずもなかった。
化け物はその場で振り返るとワイルドウルフのリーダーと視線を合わせ、しばし沈黙がその空間を支配していた。
ところが、彼はワイルドウルフに攻撃してくることはなく、まるでその存在を無視するように翻ると森の外に向けて歩き出していく。
ワイルドウルフたちには状況が理解できなかった。この森を縄張りとするのが目的なら、邪魔な自分達も殺そうとするはずである。
だというのに、彼は自分達を見逃すとでもいうようにこの場を立ち去ろうとしていた。しかし、それならば何故彼はこの場に現れ戦いに介入してきたのか、ワイルドウルフたちには彼の行動の意味がわからなかったのだ。
もしかしたら、自分達のような下等な存在など相手にするまでもないと判断されたのかと、屈辱を感じつつも安堵したのも確かであった。
しかし、ワイルドウルフのリーダーは全く別のことで困惑していた。
そんなはずはない、そんなことはあり得ないと。彼は既に死んでいるはずだ。群の生物が単独で生き残ることなどあり得ない。
まして病に犯された仲間を抱えてともなると不可能などという言葉ですら生ぬるいだろう。
しかも、目の前の存在は力も容姿もあの若者とはまるで別物だった。
だが、リーダーは理屈ではなく本能がそうだと告げていた。
信じられないことだが、この者こそがかつてこの群れに在籍し自分に歯向かってきたあの若者であると。
それは、群のリーダーとして・・・そして彼と血の繋がりを持つ親としての直感だった。
ワイルドウルフは群れこそが家族であり、血の繋がりなど関係なく力こそが全てを支配する。
だがそれでも、血の繋がりの感情を全く持っていないのかといえばそういうわけでもない。いわば、種の存続のためにはどちらが重要かという優先度の問題に過ぎないのだ。
カイはかつてのリーダーにして、自分にとって父親と呼ぶべき存在を再び前にしてもなにも語ることはしなかった。
元より、掟に逆らい追放された彼はもう彼等とは同じ道を歩むことなど不可能なのだから。
それに、今の彼は全てをご主人様たちに捧げると誓いを立てている。何を置いてもあの小さなご主人様を守り抜くのだと。
カイは己の決断には一度たりとも後悔はしていない。あの時の判断が今の幸福をもたらしてくれたのだ。
それに、例えソラとともにあの時に死ぬ運命にあったのだとしても、彼はそれでも同じ決断を下しただろう。
だが、彼は後悔はしなくともケジメは付けなければならないと感じていた。それは誰に教えられたものではなく、魂に刻まれた想いであった。そして、それこそが彼を彼たらしめる矜持であった。
奇しくも、カイは生まれながらにして自分のご主人様である凌馬とよく似た思考を持っていた。
ソラが病のため群を追放されたのとは違い、自分は己の意志で掟を破って群れを出ていったのだ。
ワイルドウルフにとっては、決して許されない大罪であった。
それはエンシェントウルフになった今も、彼の心のどこかにしこりのように残っていた。
自分の決断が、群の・・・かつての家族の存続に更なる危機を招いてしまったことに対してのしこり。
だが、今回のことでそのケジメを付けることができた。
この縄張りを得ることができたワイルドウルフたちは、時間をかければ再び病におかされる前までの勢力を取り戻すことも可能だろう。勿論、自然界はそんなに生易しいものではないので絶対とはいえないが、それでもあの時にカイが残っていたならばあり得たかもしれない未来を彼らに用意はできた。
後のことは彼等次第。既に自分が関わる事ではなかった。
カイの姿がやがてリーダーの視界から消えようとした時。
「アオォォォォォォーーーーーーーーーーン!!」
リーダーはその背中に対して大きな、森中に響き渡るような遠吠えを上げていた。
その遠吠えに一瞬足を止めたカイであったが、ただ前だけを見据えて歩き出す。
そこには果たしてどんな想いが込められていたのか。それはふたりの間でしか分からない事なのだろう。
ただ彼は決して振り返ることなく、ワイルドウルフたちの前から姿を消していた。
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森から姿を現したカイは、花畑で待っているミウとソラの元へと歩いていた。
「ワン!」
「あっ、カイお帰りなさい。」
ソラの声でカイに気が付いたミウは、ほっとした様子でカイを出迎えた。
「もう用事はすんだの?」
「クゥーンクゥーン。」
ミウに撫でられたカイは、先程までの空気が嘘のように尻尾を振りながら大好きなご主人様に甘える姿を見せていた。
ソラはそんなふたりの様子を静かに見守る。ソラにも色々と思うところはあった。自分という存在が相方の未来を歪めてしまったのだと。今ここでこうしていられる幸運はあくまでも偶然に過ぎず、本来ならばあの時に彼も道連れにして果てていたはずだった。そして何より、彼に掟を破らせてしまった事実にソラは負い目を感じていた。
しかし、森から帰ってきたカイの吹っ切れた顔を見て、ソラも漸くその呪縛から解放されることになった。
だからもう過去を振り返ることは止めよう。自分達には守るべき新しい家族がいるのだから。
「はい、これはカイの分だよ。」
そう言ってカイの頭に花の冠を載せたミウ。それはソラの頭にあるものと色違いのものであった。
ミウは花畑の風景を花冠として持ち帰るためにカイとソラ、そして凌馬とムラサキの分まで用意していたのだった。
『クゥ~ン。』
カイとソラはミウに御礼するように顔を擦り寄せていた。
「うふふ、どういたしまして。それじゃあ、ふたりともそろそろパパのところに帰ろうか。」
『ワン!』
ミウがそう告げるとカイとソラは歩き出す。自分達が帰るべきその場所へ。