第九十三話
ウィリックの剣によって斬られた皇帝は、床へと倒れ伏した。
「な・・・何故だ・・・、何故剣を止めたぁー!」
ウィリックは剣を投げ捨てると、皇帝に駆け寄り叫んでいた。
「騒ぐな・・・バカ者が・・・。」
「父上!」
ウィリックは父親から流れ出る血を止めようと傷を押さえながら、必死にそう呼んでいた。
「ふんっ。お前を・・・殺せるわけがないだろうが。そんな事をしたら・・・シンディに怒られて・・・もう二度と会ってもらえなくなってしまう・・・。もっとも、ワシが落ちるのは地獄・・・天国にいるあの子に会えるわけもないか・・・。」
「もういい、もうしゃべるな!」
途切れ途切れに話す父親を止めようとするウィリック。
「あの泣き虫だった子どもが随分と立派になったものだ・・・。ワシも年を取るはずだ・・・。ワシの目は節穴だったということか・・・当然か、あの子が認めていたのだから・・・。」
やはりそうだったのかというように、凌馬は倒れた皇帝を見ていた。
そう、凌馬だけは気付いていた。あの時、ウィリックから外れたペンダントを皇帝が見たとき、一瞬だが彼の目に光が戻った事を。
それは、同じ子を持つ父親だからこそ気が付けた僅かな変化。
それと同時に彼の纏っていた闘気から殺意が薄れていき、純粋な闘うためだけの闘志へと変わっていたことを。
何故正気を取り戻したのにも関わらず、皇帝は止まらなかったのか。その理由も凌馬には分かっていた。
(『綸言汗の如し』か・・・。)
そう、絶対的な権力を持つものはその発言に絶大な力を持つ。言葉一つで相手の人生を狂わすことも、殺すことも容易に出来てしまうのだ。
そして、例えその言葉が誤りでありそれに気がついたとしても、皇帝本人でさえもそれを訂正することは出来ることではないのだ。
それほどに、責任を持つ者の言葉とは本来重いものなのだ。
人の上に立つ者は、その事を心に刻まなくてはならない。
昨今の指導者たちは言葉を軽んずる傾向にあるように思う。間違いや記憶違いだと訂正をすればそれですむのだと。
確かに過ちを認めることも大切なことであり、勇気のいることなのかもしれない。
だが、自分の立場を考えてその間違いにより周囲にどれだけの被害をもたらしたのかを考えたならば、自分の処遇は自分でけじめをつけなくてはならないと凌馬は考えていた。
果たしてどちらがマシなのだろう───。
間違いに気付いてもそれでも突き進むことは、端からみたら傍迷惑な馬鹿の所業だとも思う。
かといって簡単に誤りを訂正してことなかれに受け流す、責任も重みもない指導者たちが導く国。
凌馬自身、どちらがより国民にとって幸せなのかを問うつもりもない。
要はバランスとけじめの問題なのだ。
そして、もうひとつ。皇帝が剣を引かなかった理由は───。
「ウィリック・・・ワシの首を取れ。そして稀代の愚皇を討った英雄として・・・この国を纏めるんだ。シンディの願いを・・・この国の未来を・・・頼む。」
もうひとつの理由は、ウィリックにこの国を一つに纏めさせるための人身御供。
事ここに至っては、こうなった責任を問わなくてはならない。
そうでなければ、無責任に振り回され傷つけられた者たちも納得できるはずがなかった。
いくら背後に魔族という存在があったとしても、それでハイそうですかと認められるほど人間の感情は単純ではない。
「ふざけるな! 散々勝手をやって死んで終わりなんて、そんな身勝手が許されるものか! 姉さんだってそんな事は望んじゃいない。」
「聞けウィリック、・・・お前の優しさは確かに美徳だ。・・・シンディもそんなお前だからこそこの国を託そうとした・・・。だが、優しさと甘さは別物だ! ・・・その甘さはいつかお前を・・・そしてこの国を破滅に導くだろう・・・。今ここでその甘さは棄てよ・・・、目的のためには時には非情になるんだ───。」
皇帝は息子を成長させるため、甘さを棄てさせるために自らの命を懸けたのだ。
そして、それは凌馬の考えとも一致していた。
だからこそ、ウィリックに父親と戦わせるという試練を用意していたのだ。
そのくらいの覚悟がなければ、十五歳の少年に国を指導していくことなどとても出来ることではない。
凌馬には皇帝の気持ちが理解できた。
己の子どものためならば命を懸けることも厭わない。
母親の無償の愛は子どもに真っ直ぐに届くのに対して、父親の愛情は少し異なる。
父親に出来ることは子どもを物理的な身の危険から守り、成長できる環境を整えるその程度だけだ。
子どもにとって母親の愛情は、父親のそれよりも比重が重くなってしまうのは仕方のないこと。
それは、それぞれの役割が違うのだから、良い悪いの問題でもないのだ。
凌馬もミウの成長のためにこの命が必要だと言われたならば、喜んで捧げるだろう。
そこにはなんのためらいもなく、むしろ笑いながらミウの成長を願い死んでいける。
その程度の覚悟は父親になったときからとうに持っていた。
「嫌だ・・・、父上を助けることが甘さだというのなら、俺は甘いままで良い。父上の罪は俺も一緒に背負っていく。だから、こんなところで死ぬなんて許さないからな!」
「ふっ。強情なところは姉とそっくりだな・・・。だがそれで良い。だからこそあの子もお前をいつも気に掛けていたのだ・・・。それにどの道ワシはもう助からぬ・・・。」
皇帝の顔からだんだんと生気が失われていく。
「違う・・・、父上は分かってない。姉さんが最後まで心配していたのは父上、あなたのことだ。姉さんは最後まで父上のことを想っていたんだよ。」
「・・・あの子らしいな。ウィリック、アメリーナに・・・母さんにすまなかったと伝えてく・・・れ───。」
皇帝はそう言い残すと、力なく床へと腕を下ろしていた。
「嘘だ・・・、こんな、こんな終わりかたなんて・・・嘘だーーー!」
ウィリックが父親の体を抱き締めながら、認められない現実を叫んでいた。
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「二人とも何処に行ってたんだ?」
『秘密。ふふふっ。』
「あら何二人とも、お父さんとお母さんにも内緒なの?」
ウィリックとシンディが大切な約束をしたあの日。
「そんな・・・、シンディ、パパにも言えないのか? パパはシンディに隠し事なんかしたことないのに。」
「えー? でもウィリックと約束したんだもん。ねーウィリック?」
「うん。」
シンディの言葉にウィリックは頷き返していた。
「ずっ、ずるいぞウィリック。お前だけそんなシンディと仲良くなって。」
「あなた、子ども相手に大人気ないですよ。」
アメリーナの嗜めにも挫けない皇帝。
「シ、シンディ。パパはシンディの為にムーランス皇国を平和にするため一生懸命頑張ってるんだよ。それなのにこんな仕打ちあんまりだ。」
彼は泣き出さんばかりに情けない顔をしていた。
「それなら大丈夫。この国の平和はウィリックが叶えてくれるって約束したから。パパは無理しなくて良いよ。」
「なっ!」
シンディの発言に酷くショックを受ける。
「ウィリック、卑怯だぞ。勝手にそんな約束シンディとして。許さん、パパはそんな事許さん。こうなったらどっちがこの国を平和にするか勝負だ。」
「別に良いけど、どうせ僕が勝つし。」
「あらあら───。」
子ども二人の言い争いに、困った顔をするアメリーナであった。
「頑張ってねウィリック。」
「任せてお姉ちゃん。」
「そんな~。」
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それは在りし日の光景───。
「勝負するんじゃなかったのかよ? 勝負投げ出して勝手に自滅してあんた何やってんだよ。死ぬなよ・・・死ぬなぁー!」
それはウィリックの慟哭であった。