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毎日が平穏と呼べる日々が続いた。
相変わらず舞の症状は一向に改善することはない。
今日は休日。
特に計画も立てていないので、僕らは朝日を浴びながら、ぼんやりと過ごしていた。
コーヒーの表面を眺めていれば。
ジャカジャカジャカジャーン、ジャカジャカジャカジャーン!!
「!!」
けたたましい着信音がテーブルの上で鳴った。
ぼんやりしているときにこの着信音は心臓に悪い。
自身が設定していたのに、そう感じながら、スマホ画面を確認する。
電話の相手は姉貴だった。
一瞬電話に出るかどうか逡巡したが、一つ息をついてボタンを押した。
「……何?」
『あー、祐一? 今あんたんちの前。母さんと父さんもいるよ。ちなみにうちの旦那と娘もいる』
「は?」
あっけからんとした声が聞こえたかと思えば、状況を理解する間もなく、ドアが激しく叩かれた。
ドンドンドンドン! ドンドンドンドン!
「怖い怖い怖い怖い怖い! 取り立てじゃないんだからさ! インターホン鳴らしてよ! 壁についてるでしょ!」
思わず心の声が漏れた僕。
『は? そんなこと言う前にいいから早く開けなさいよ』
と容赦なく切り返してくる姉貴。
「敵の襲来!?」と怯える舞に「大丈夫、安心して。敵じゃないから」と安心させて僕は急いで玄関のドアを開けた。
「あのさ、来るんだったらちゃんと連絡――」
「おはよ! ささ、出かけるよ! 準備して」
「は? いきなり来て何? どこに行くの!?」
姉貴――祐子に代わり、祐子と手を繋いでいた娘の春香ちゃんが満面の笑みで答えた。
「みんなで遊びに行くのー!」
連れられてきたのは近所の公園だった。
僕らはなぜか芝生の上に敷かれたブルーシートの上に座っていた。
どうやら今日はこの公園の特設ステージで何とかレンジャーのショーがあるらしく、姉貴夫婦と両親は春香ちゃんにねだられて見にきたということらしい。
それにしても、かなりの人だかりだ。
ほとんどが幼稚園児から小学生低学年の子供連れだけど。
ショーがする、と聞きつけた人たちがこぞって見に来ているのだろう。
それほど人気のショーなのか。
「姉貴……」
「何よ」
「わざわざ僕ら夫婦を呼ばなくても……。姉貴の家族だけでくればよかったじゃん……」
ぼりぼりと頭を掻いていれば、祐子は「はあ?」と盛大に顔を歪めた。
「何言ってんのよ! たまには日の光を浴びなきゃダメでしょ、もやしっ子!」
「もやしっこじゃないし。だってこの前僕らは森林公園行ったし……」
否定すると、祐子の真似をするように春香ちゃんが「もやしっ子! もやしっ子!」と連発してくる。
「こらこらこら。春香ちゃん、おじさんはもやしっ子じゃないぞー? 変な言葉を覚えないようにしましょうねー?」
と言ってもだめだ。
その単語を気に入ったかのように「もやしっ子」を連発する。
「ほらほらはるちゃん、ショーが始まるみたいだよ? 前を見ましょうね?」
僕は姪っ子の注意を前に向けるように視線を促した。
僕の横にいた舞は、これから何が始まるのだろうかと、春香ちゃん以上にわくわくしていた。
けれど人が前に多く座っているのでよく見えていない様子。
すると祐子の旦那の高志さんが「あっち側に行った方が見やすかも」とステージに近い方へ春香ちゃんと舞を誘導してゆく。
父と母も一緒になってついて行った。
祐子と僕だけがその場に残される。
ああ、何となく彼らが僕らを誘った魂胆がわかったぞ。
小さくため息をついた直後。
予感が当たる。
「最近どうよ」
やっぱり。
「別に。何も」
僕は舞を視線で探す。
「ふーん……病気、あんまり進行してないの? 見た感じはあんまり変わってないように見えるけど」
「うーん……まあ、ね」
曖昧に返事をした。
舞は発症して約5年。
妄想が増えて来たし、日常的な生活行動がなんとなくできなくなってきている。
風呂に入れるにも服の脱ぎ方がわからないし、トイレに行くにも場所が分からなかったり。
食べた後の食器を台所ではなく、風呂場に持って行ったり。
――でも。
舞の姿を発見した。
だいぶ前の方に座って、ステージを食い入るように見ている。
何とかレンジャーが出てきてショーが始まった。
「そっか。……やっぱ大変?」
「まあ、その時々かな」
「そっか……あんまり無理するんじゃないわよ。こうやって気分転換とかした方がいいわよ」
「これを気分転換というのかが問題だよね。勝手に拉致られた感半端ないし」
「……あのさ」
「何?」
姉貴の深刻そうな表情に、僕は一瞬たじろいだ。
何を言われるんだろうか。
「言いにくいんだけどさ」
なんか嫌な予感がする。
「何……? 言いにくいんだったら言わなくていいよ」
「まあ、そういうわけにはいかないわよね……。だから」
ショーの音楽やナレーションの声が不意に聞こえなくなった。
「彼女と離婚も考えた方がいいんじゃない?」
「……」
またか。
そんなうんざりしたような表情を向ける。
「だってそうでしょ。あんたまだ若いんだし、いくらでもやり直せるわよ。だって結婚してしばらくしてから病気発症しちゃったから子どもはいないでしょ?」
「今はまだいいかもしれないよ。でもさ、これからどんどん病状が悪くなってさ、寝たきりになるかもしれないじゃない? その時、あんたやっていけんの? 介護できんの? まあ、確かに施設っていう選択肢もあるけど、あんたにとって彼女は重荷なんじゃないの? 大丈夫なの?」
分かっている。
姉貴が僕のことを心配してくれてることは。
姉貴だけじゃない。
父も母も僕のことを心配してくれているってことも。
分かってる。
だから彼らがその言葉を口にすることも、仕方ないと思う。
でも。
なんだかそれが悲しかった。
僕がまだまだ未熟だからというものもあるだろうし。
あまりにも僕たちを見ていて安心できないのだろう。
でも、僕だけじゃなく舞のことも考えてほしかった。
長い人生の中での自分の生き方の選択。
これからどう生きていくべきか。
多くの問題に直面するだろう。
何が正しいなのかなんてわからないし、そもそも生き方や考え方に正解なんてないと思う。
すべてはその人の主観で成り立っているから、その人その人の価値観や考え方で変わる。
僕は。
深く息を吸う。
「何度も言うけど、離婚は考えてないよ。今までなんとかやってこれているし、たぶん、これからも大丈夫だと思う」
「……そう」
「確かに色んな人には迷惑かけてるし、助けてもらってる。そこはすごく感謝してるんだ」
ショーが後半になって、出て来た敵とヒーローが戦っている。
二人の間に十分空白ができた後、僕はゆっくりと息を吐いた。
「舞と一緒にいて大変なこともあるけど、僕は舞と一緒にいたいんだ」
頭の中で浮かんでは消え。
浮かんでは消え。
言葉を紡ごうとするけれど、僕よりも姉貴の方が先に口を開く。
「じゃあ、最後まで一緒にいる覚悟はあんのね?」
――覚悟。
そんなに仰々しいものじゃないけれど。
僕は僕なりに彼女のそばにいる、という決心がある。
変化は確かにしてゆく。
でも、変わらないモノだってある。
それは、僕が彼女を想う気持ちだ。
何気ない毎日が、舞と過ごす日々が幸せなのだ。
いつ訪れるのかわからないお別れ。
それは何かの行動かもしれないし、彼女の記憶や言動かもしれない。
病気の進行による今までの生活かもしれない。
はたまた、彼女自身との別れかもしれない。
認知症の発症した人の寿命は、個人差や年齢、生活環境によって一概には言えないけれど約十年から十五年と聞く。
だから、病気の進行に伴い、彼女の笑顔が、声が、楽しそうに過ごす姿が見えなくなるのは確かに怖い。
いつ失うかわからないし、失ってからもっと大切にすればよかったと後悔するのでは遅い。
だからその恐怖には押しつぶされたくはないのだ。
「舞は明るくて、人一倍騒がしくて、認知症になっても何も変わってないんだ。たった一人の、大切な、僕の妻なんだよ」
僕は、彼女が僕の事を忘れてしまっても、僕が彼女の事を、全てを覚えているから。
確かに思い出がなくなってしまったことを寂しいと感じることはあるけれど。
でも、彼女がいる今が、大切な宝物だから。
今を大切にして生きていきたい。
明日の事なんてわからないし、数年先のことなんて尚更だ。
だから、時計が時間を刻むように。
僕は今、この瞬間をこの胸に刻み込みたい。
振り絞るように言った言葉を、姉貴は受け止めるようにため息をつく。僕の意見を彼女は彼女なりに頭の中で処理しているのかもしれない。
二人の間には沈黙が降りた。
でも、その沈黙は短かった。
もう予めそう言われるだろうと予想していたかのように。
「そ。何かあったら連絡しなさい。何か出来ることは協力するし、母さんも父さんもあんたは絶対に離婚しないってわかってるから……だってベタ惚れだもんね、舞ちゃんに!」
あまりにもあっさりと理解を示した姉貴にぽかんと呆けていれば、チョップが降ってきた。
「って!」
「阿保面見せるな」
「酷い……」
「酷くありませーん」
けらけらと笑う祐子に、僕はこんな暴力的な姉貴を嫁にもらってくださった高志さんは、なんてすばらしい人なのだろう、と尊敬した。
姉貴は舞の方へ視線を向ける。
僕ははっとした。
家族と舞を見つめるその視線の温かみは、まるであのゲームの光景みたいだと思ったからだ。
そう、アゼルドバイジャンが天へ帰って、雲の隙間から光が差し込んでいる場面だ。
細くとも確かにそこにある煌めき。
確かにそこにある、誰かを想う気持ち。
それを言葉で表すならば、愛情という名が、ふさわしいのかもしれない。
不意に涙がこぼれそうになるのを必死でこらえた。
どうしてこぼれそうになったのかはわからない。
「舞ちゃん可愛いもんね」
そう、呟く姉に、泣きそうになっていることを悟られたくなくて、僕は「そうだよ」とはにかんだ。
「照れてんじゃないわよ!」
祐子の鬼の鉄拳が腹にめり込み、僕はうめき声を上げた。
別に照れたわけじゃないのに……。
姉貴は酷い。
やっぱり暴力的だ。鬼だ、鬼。
それでも僕が何も言わなかったのは単に、姉貴が怖かったからじゃない。
舞との関係を今になってようやく一つの形として認めてもらえたことが、何よりもうれしかったからなのだ。
はあ、とため息が頭上に降ってきた。
「たとえ病気になっても、何もかも忘れてしまっても、舞ちゃんは舞ちゃんだもんね。二人とも幸せになりなよ」
また、じんわりと視界が霞んだ。
「うん、ありがとう」
頭をがしがし撫でられた。
その手で、姉貴は家族を守っている。
僕も、自分の手で、舞を守りたいと思った。
いつまでも。
彼女が笑顔でいられるように。
ショーが終わって姉貴家族と昼食を食べて自宅に帰った。
「見た!?」
「見たよ」
「目の前で聖剣を奪った魔物と闘ってた!」
「お、おう? そうだったっけ?」
「そうだよ! 勇者である私も一緒に参戦したんだよ! もちろん圧勝! 聖剣もらっちゃった!」
そう言ってもらったものを見せる舞。
それはくじ引きがあったのだが、見事五等に当選してもらった水鉄砲セットだった。
「そっか。それはよかった」
興奮状態で話す舞。
相当楽しかったらしい。
彼女を眺めていたら、不意に抱きしめたくなって。
そう思った時には、僕は彼女を抱きしめていた。
しがみつくように。
決して離さないように。
胸の底から湧き上がる恋しさと。
切なさと。
やるせなさがないまぜになって。
僕は動けなかった。
「どうしたの? イザベラ……怖かった? 弱いから?」
「……一言多い」
僕は深くため息をついた。
「ねえ、大丈夫?」
思いのほか優しい舞の声に、僕の胸に溜まっていたもの、我慢し続けたものがほろほろとこぼれてしまった。
「……本当は。本当は、ずっと怖いよ」
どうして病気になってしまったのだろう。
どうして彼女だったのだろう。
どうして治らない病気だったのだろう。
僕はいつまで君と一緒にいられるんだろう。
――ああ、神様。
彼女から、何も奪わないで。
僕から彼女を奪わないで。
そんな考えても仕方のないことを、何度も何度も、ずっと考えていた。
どうして、どうして、どうして、と。自問自答。
当然答えには行きつくはずもない。
真っ暗な森の中。
光を頼りに、見えない出口に向かって、ぐるぐる彷徨うような感覚。
それでも、前を向いて歩いてきていたはずだった。
僕は、彼女の前では気丈に振舞っていたかった。
何事もないように笑っていたかった。ずっとそうしてきた。
これからも、そうでありたいと思っていた。
でも、なぜかわからないけれど、今涙が止まらない。
悲しいわけじゃないのに。
すると舞も抱きしめ返してくれた。
「大丈夫。レベル99の私が全部倒してあげるから」
頼もしい一言を添えて。
頓珍漢なことを言われたせいか、急に涙が引っ込んだ。
なぜかわからないけれど、代わりに笑いが沸き起こる。
きっと舞の一言が効いたのだろう。
どうしてそんな言葉が効いたのかもよくわからないけれど。
「あはははは……」
僕はねじが外れた機械のように笑い出す。
何か、よくわからないけれどおかしかったのだ。
つられるようにして舞も笑い出した。
笑ってしまえばもやもやとしていたものが消え去って、すっきりした。
まるで、台風が過ぎ去った後の空の高い朝を向かえたような気持だ。
こんなにも清々しいのは久しぶりだ。
「頼むよ、勇者殿」
「任せなさいな!」
なんとも頼もしい声だった。
僕ら二人はただただ笑った。
こんなことで笑えることが、なんだか幸せだった。
僕はゲーム機の電源を入れた。
グリーン草原やイエロー平原を越えて、賑やかな街にやってきた。
国一の鍛冶屋が集まるこの街では、魔物を倒すことを生業としている人たちが多かった。
昼食をとるため、小さなレストランに入る。
そこで話を耳にした。
この街外れにある森の中に伝説の聖剣があると。
かつてはこの街で扱われていたけれど、魔物に奪われてしまったらしい。
腕に自信のある連中たちが聖剣を探しに行ったが、帰ってきた者はいなかった。
そこで、ハイゼルたちはその森へ聖剣を探しに行くことになった。
森は深かく、魔物が進むごとに行く手を阻んだ。
それでも薙ぎ払うだけで倒してしまう勇者。
恐るべし強さを見せつけるが、イザベラは『こんな弱い敵倒せて当然よ』と鼻で嗤う。
けれど彼女は自分が魔物に襲われないように、ハイゼルの守備範囲にちゃっかり入っていた。
森の奥深くにたどり着いたハイゼルたちは息をのんだ。
石で造られた祭壇のような台に、剣がつきたっていたのだ。
神々しい剣。
そこだけに光が差し込み、何もかも寄せ付けない威厳さを醸し出す。
しかもその剣からは何かを感じるのだ。
人のような体温か、それとも畏怖か。
ハイゼルたちが立ち尽くしていた矢先。
背後から大剣を肩に携えた大男がやってきた。
おそらく聖剣を奪い、ここで見張りをしているだろう魔物だ。
『来客か……』
ぶん、と振り回した大剣が地面に突き刺されば。地響きが起きて、ひび割れた。
『その剣を取り返しに来たってわけか?』
睨みを利かせながらこちらの様子をうかがう。
『この剣、僕にくれないか?』
『『は?』』
イザベラと、大男の声が被った。
『こういう場面では普通奪うのが筋ってもんじゃないの? 交渉でもらえるはずないでしょ!? あんた馬鹿なの!?』
イザベラが罵倒するのに加えて、大男は腹を抱えて笑い出した。
『面白れぇ!! その剣くれてやるよ!』
『本当か!?』
『ああ』
頷くも、大男は剣を構えた。
『俺の名はグリガゴン。剣は俺を倒してからだぜ!』
図体の大きなくせに動きは俊敏だった。けれどレベル99の敵ではない。
疾風のごとく駆け抜ければ、剣が太陽の光を浴びて煌めいた。
『ぐっ……!』
大きな体躯が揺れ、地面へと倒れた。
『あはははは……! 完敗だぜ……!』
横腹を抉るように斬られたグリガゴンは天を仰いだ。
息が上がっているが、なぜか笑っている。
これから消滅してしまうというのに。
『この剣がどうして聖剣だと言われるかわかるか、ボウズ』
『いえ』
グリガゴンは息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
『姫の加護とやらがあるからなんだぜ』
雄々しい歌を歌っているような、そんな滑らかな言葉の流れだった。
『……姫の、加護?』
『ああ、そうさ。……この剣で切った魔物の魂を、遠い遠い、天へ導くのさ』
『天へ導く……?』
グリガゴンは視線を天から動かさない。
『この剣で多くの仲間がやられた……。だから、仲間を切ってゆくこの剣を許せなかったのさ……。だから、俺は盗んでやったんだ。俺の仲間はまだ当時はいっぱいいたんだがな』
苦しそうに空気を吸う音がする。
『毎日宴会騒ぎさ。毎日が狩りだったさ』
『楽しかったなあ』そう呟く彼の瞳に映っているのは、天ではないだろう。
過去の思い出だ。
『でもなあ、俺の仲間はもうこの世にはいないんだ。その聖剣にやられ、人間にやられ。気づいたら俺だけになっちまってたよ』
グリガゴンは大きく息をつく。
『でも、俺が気づいたのは、それだけじゃなかったんだ』
彼の声が、震えた。肩が、震えていた。
『俺が守りたかったのは、こんなちっぽけな剣じゃねえんだよ。仲間だったんだよ。仲間を、俺は守りたかったんだよ……』
彼の心の中に雨が降っている。
しとしとと。
見えるはずはないけれど、ハイゼルにはそれが感じられた。
雄叫びのような、悲痛な叫びが、森を包む。
暫く響いた声は、やがて森の静寂に吸収されていくように、消えてゆく。
『でも、もういねえ仲間を想いながら、こんな剣を守る意味なんてねえんだ。こんな世界にも、こんな剣にももう用はねえ』
グリガゴンは最後の力を振り絞って剣を投げた。
ずがん、と重々しい音を立てて、祭壇が崩れる。
彼の中にあった剣を人間の手に渡らせないというのはもう、必要ない信念なのだ。
カラーン、とあっけなく剣が地面に転げた。
『……俺は、もう、仲間のいる天ってところに行ってみてえんだよ……! ああ、会いてえなあ……!』
涙を流しながら、けれど清々しく笑っている。
その表情が、澄んだ川のようにきれいだと思った。
『じゃあ、あの剣で、あなたを天へ送ります』
少しだけ逡巡したグリガゴンは『…………ああ、頼んだ』と目をつむる。
剣を手に取ったハイゼルは、魂も想いも、全てを天へ届けばいいと願いながら、一振りした。
斬られたところから、ほろほろと天へ帰ってゆく。
縛っていたものが解放されてゆく瞬間、というのはこういうことなのかもしれない、とハイゼルはぼんやりとそう思った。
魔物は人間の魂がこの世界に存在し縛られる形が魔物なのだろう。
ジェネポーロも、アゼルドバイジャンも、グリガゴンも。
倒してきた魔物も。
みんな人間の魂だった。
『ありがとな』
最後に、ふと笑った顔が、心の奥底に刻み付けられる。
とても印象的だったのだ。
ハイゼルは、この世界も、姫も、人間も、その魂である魔物も。
全部を救いたかった。
悲しい思いなんてもう、誰にもさせたくない。
誰も悪くはないのに。誰かが悲しむなんて、理不尽だ。
剣をぐっと握りしめる力を強める。
誰に伝えるわけではない。
想いをぶつけるわけでもない。
ただ、自分の心に刻み。
誓うだけ。
ハイゼルたちは聖剣を街に返しに行ったが、勇者が持つべき代物だと言われ、彼らは聖剣を手に入れることになった。
ハイゼルたちの目指すべき次の街は、姫の待つ街の手前だ。
彼等はそこで最終決戦に向けて準備をする。
僕は、そこまで話を進めて息をついた。
舞の旅は、一体どこまで進んでいるのだろうか?
僕は旅に付き合うと決めたが、いつか旅は終わってしまうのだ。
僕はこの旅が永遠に終わって欲しくないと思い始めていることに気が付いた。
彼女の愛する世界が、僕にとっても自分の世界の一部だと思えるからだ。
だから、僕は彼女とまだまだ旅を続けていきたいのだ。
でも、彼女の旅の最後は、いつが最後なのだろう。
どういう最後なのだろう。
旅が終わった時、彼女も何かから解放されるのだろうか?
それとも、彼女自身が救われるのだろうか?
一体、何がわかるのだろう。
彼女は、この世界を通じて、何を伝えようとしているのだろう。
僕には未だわからない。
ゲームをやり終えて、わかるのか。
それともわからないままなのだろうか。
僕は今もただ、世界観を共有するということしかできていない。
だから僕はまだ知らない。
彼女がいったいどこへ向かおうとしているのか。