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僕は今日も舞をデイサービスに迎えに行き、帰宅する。
アパートの駐車場に車を止めて、階段を上っているとき。
下の階の上田さんが玄関から顔をのぞかせた。
「お帰り」
人懐っこい笑みを浮かべた恰幅のいい六十歳ぐらいの女性だ。
彼女には本当にお世話になっている。
きかっけはまだ認知症と診断されていないころだ。
舞が何度も駐車場を間違って上田さんの駐車場に止めてしまったのである。
病院へ行くきっかけともなったのも、その出来事である。
上田さんに事情を説明したところ。
「そういうことなら仕方ないわねえ」
と清々しいぐらいの笑顔を見せて理解を示してくれた。
それから、何かしら食事をおすそ分けしてくれるようになったり。
たまに舞と買い物に出かけたりと何かと気にかけてくれるのだ。
「これ、肉じゃがを作ったから二人で食べてね」
「いつもありがとうございます」
二人してお礼を言ってタッパーを受け取る。
ごろごろと大きなジャガイモがおいしそうな色で煮詰められていて、いい香りがした。
肉じゃがの温度も温かく、人の優しさに触れて、なんだか涙が出そうだった。
本当に色んな人にお世話になっているんだ。
アパートの下の階の上田さんに。
デイサービスのスタッフの皆さんに。
主治医の先生に、職場の人たち。
脳裏に走馬灯のようにみんなの顔が映る。
僕たちはけっして一人ではない。
舞としっかり今を生きていこう。
「本当にありがとうございます」
「いやいや、困ったときはお互い様よ」
にっこり笑う上田さんにもう一度お礼を言って僕と舞は家に帰った。
もらった肉じゃがを皿に盛り、冷凍していたご飯を解凍する。
味噌汁をちゃちゃっと作って晩御飯が完成した。
「いただきます」
肉じゃがは、体を包むような深い太陽の味がした。
「ねえ、今日はどうだった?」
舞は一瞬何のことだ? と首を傾げたが、デイサービスのことを聞かれているのだと分かったのか、自慢げに話し始めた。
「魔法の練習をしたよ」
「魔法の練習……?」
「そう。みんな上手いの。隣にいたアンジェリカさんなんて、ボンボン! なんだから!」
両手を広げて、いかにすごいかを表現しようとする。
ボンってなんだ? 爆発か? ていうかアンジェリカさんって……外国人もいるの?
「うーん……でも、舞はレベル99なんでしょ? 魔法の練習なんてしなくてもいいんじゃないの?」
僕が尋ねると、舞はふふふ、とほくそ笑む。
「レベル99で初めて解放される究極魔法を体得するために、私は練習する必要があったの」
「お、おう……すごいね」
究極魔法ってなんだろう。
というか、料理とかしたのかな?
それとも絵を書いたりとか?
結局彼女は今日何をしたのだろうかと。
彼女の話を聞きながら僕はぼんやりと考えていた。
食事を終えて、僕は舞を風呂に入れる。
それから二人でテレビを見て、舞は先に寝た。
僕は少し時間ができたので、ゲームにいそしむことに。
次の町――チェルメーンに到着した一行は、道端で泣いている小さな女の子に出会う。
事情を聴くと、どうやら母親が山菜を取りに行ったっきり、帰ってこないらしい。
その少女は父親が魔物に殺されてしまい、もしかしたら母親も魔物に襲われている可能性があるかもしれないと泣いていた。
そのため、一行は彼女の母親を探すべく山へ向かうことになった。
『おーい!!』
名前を呼びながらハイゼルは上へ上へと進んでいく。
人が踏んでできたような山道は、まさに獣道。
『誰もいないわね……』
草をステッキでかき分けながら進むイザベラに、ハイゼルは思ったことを口にしていた。
『その魔法のステッキは、そういう風に使うんじゃないと思うよ』
『わかってるわよ! あんただって、剣は草刈りの道具じゃないのよ!?』
ハイゼルは手にしている剣に視線を落した。
それから目の前に存在する草たちを一瞥する。
『知ってる。でも草を切らなきゃ前へ進めない』
『わかってるわよ! もー!! なんなの、この草! 邪魔なの! 超邪魔!』
目を吊り上げて怒り出すイザベラは、ふと真顔になった。
何かに気が付いたように、にんまりと笑顔が広がる。
『……何その笑み。怖いんだけど』
『うるさいわね! いちいち! ちょっと退いてなさい』
どん、と背中を強引に押して、イザベラの目の前からハイゼルを退けた。
『見てなさい。この国きっての私の実力……!』
呪文を唱えたかと思えば、いきなりステッキから業火が奔った。
まるで怒り狂う赤い龍が暴れまわるかのよう。
龍がひとしきり暴れた後、目の前に現れた光景に唖然とした。
目の前にうっそうと生えていた草がなくなっているではないか。
『おー……魔法だけは凄いんだな』
『でしょ? って、魔法だけはってどういう意味よ!?』
『え? 魔法使いだから』
『は? 魔法使いが魔法だけ優れているなんて時代遅れよ! 私は他にも優れているところがあるんだからね!』
『例えば……?』
猜疑の眼差しで見られたイザベルは、胸を張ってどや顔で言い放つ。
『空が飛べるわ』
ハイゼルは小さくため息をついた。
『……それも魔法じゃないのか?』
『!』
コントのような会話が繰り広げられていく。
勇者たちの旅ではなく、まるで普通に町から町へ旅をしている人たちみたいだ。
大丈夫かこいつら……?
僕はそう思いながら、ハイゼルを動かしていれば、洞窟にたどり着いた。
『きっと、この中ね……』
『ああ、行こう』
洞窟の中は迷路のようで、何度も何度も行き止まりに捕まりながら、彼らはやっと最奥へたどり着いた。
そこには少女の母親やその他大勢の人たちが倒れていた。
『大丈夫ですか!?』
ハイゼルたちが駆け寄った直後、洞窟内に玲瓏な声が響いた。
振り返れば、入り口にほっそりとした長身の男が立っているではないか。
『おや、人間が自らここへ来るとは。物好きもいるものだ』
ゆっくりとハイゼルの方へ近づいてくる。
『私の名はアゼルドバイジャン。魔王様が世界を支配するために、この世界に存在を許された、魔物』
『この人たちを返してもらう!』
剣を向け、睨みつけるハイゼルにアゼルドバイジャンは首を振った。
『それは聞き届けられませんね』
『なぜだ』
『なぜ? あなた方はここで死ぬからですよ』
またもや戦闘が始まり、今度もハイゼルは一撃で倒した。
強すぎるだろ。レベル99……!
ハイゼルがあまりにも強すぎて、僕は笑いが込み上げてきた。
倒れ伏したアゼルドバイジャンは息も絶え絶えに、口を動かす。
イザベラがとどめの一撃をさそうとするが、それを止めたのはハイゼルだった。
『何をしているの!? 早く倒さないと』
『もう、彼には力なんて残ってないし、それに、何かを伝えようとしているだろ。……最後の言葉ぐらいは聞き届けてやろう』
そう諭せば、イザベラは『勝手にすれば』とそっぽを向いた。
しばらく呼吸を繰り返していたアゼルトバイジャンは、ようやく声を発する。
『やっと……解放されるのですね』
『……?』
彼は自分の事を語りだした。
魔物は人間の魂がこの世界に長くい続けたものが姿を変えるのだと。
人間の時の記憶が残っていたアゼルドバイジャンは、長く孤独を感じていた。
けれど、ある日山菜を取りに来た女性と出会い、恋に落ちる。
彼等は頻繁に会うようになった。お互いに心から愛し合っていた。
でも、魔物は魔物であって、人間ではない。
魔物は人間の魂を喰う。
意識せずとも。
つまり、知らず知らずの内にアゼルドバイジャンは彼女の魂を喰っていたのだ。
気が付いたとき、時すでに遅し。
彼女の魂をほとんど喰ってしまっており、彼女は永久的に眠ることになってしまった。
完全に喰ったわけではないので、死んだわけではない。
悲しみに暮れているとき、彼女を助けに来た人間も同じように魂を喰ってしまった。
もはや、そばにはいられない、と思ったアゼルドバイジャンは、どうすべきか悩んで考えた末、彼女との約束を思い出したのだった。
――いつまでも隣にいる。
だからアゼルドバイジャンはそれを守るために。
ずっと彼女とそして他の人間たちと共にこの洞窟にいたのだという。
『目覚めて、ずっと一人だった……』
ぽつり、ぽつりと言葉を繋ぐ彼は、魔物というよりもはや人間だった。
こんなにも繊細で、愛した人を想う心が、魔物ではなく人間を感じさせる。
『寂しかったから、彼女たちがそばにいてくれることがとても……とても嬉しかったのです』
つう、と涙がこぼれてゆく。
それが、彼の体の消滅と合わせて、天へ淡く消えてゆく。
『でも……私はもう、苦しむことはありません。寂しい想いもしなくていいいのです……』
最後に、アゼルドバイジャンは小さく微笑んだ。
何もかもを吐き出して。
魔物として生きる中で悔いも残らない選択をしたのだという表情だった。
『勇者たちよ……ありがとうございます』
――どうか、苦しんでいる他の魔物たちも人間たち同様に救ってやってください。
最後の言葉と共に、彼は天へ昇った。
アゼルドバイジャンの全てが消えてしまった後。
暗い洞窟にほのかな明かりが灯る。
まるで蛍が飛んでいるかのように。
幻想的な風景にハイゼルとイザベラはその場に立ち尽くした。
淡い光たちは倒れている人たちの体に吸い込まれるようにして収まった。
アゼルドバイジャンが喰った魂が解放されて、人々に戻ったのだろう。
目覚めた人々は長い長い眠りからようやく覚め、日常へ戻ってゆく。
ただ一人、涙を浮かべた女性がいた。
彼女がアゼルドバイジャンと恋に落ちた、山菜をとりに行って行方不明になっていた少女の母親だった。
もしかしたらアゼルドバイジャンは、魔物に殺された夫の魂からなった魔物だったのかもしれない。
でもそれは本人同士でなければわからないことであり、確かめるなどということはしなかった。
ハイゼルたちは山を下りる。
街では助かった人たちの喜々とした表情、家族や恋人との再会の抱擁が広がっていた。
きっとアゼルドバイジャンは天へ帰ったとしても、愛した人の事をずっと見守っているのだろう。
ハイゼルは光が差し込んでいる雲の隙間へ視線を向けた。
重々しい灰色の雲とは対照的な柔らかな光が、一筋。
この街を包むように差し込んでいた。
アゼルドバイジャンの章は美しくもあり、哀しくもある物語だった。
人間と魔物。
ゲーム上で描かれた恋愛だとしても、異種間で愛し合っていた彼らの愛は深いと思った。
僕は画面から顔をあげた。
目線の先では、舞がすやすやと眠っている。
僕らはそれほど深い愛で繋がっているのだろうか。
そうでありたいと、思う。
今までも。
そして、これからも。
何があっても、彼女のそばにいたいと思う。
でも、正直、未来なんて想像できない。
それでも、今を共に生きていくことは出来る。
そう、未来は、今の連続だと考えればいい。
だから、大丈夫だ。
ふと、僕はこのゲームに自分を重ねていたのに気が付く。
舞も、このゲームに重ねて今を生きているのだろうか?
人生を旅として。
僕というお供と共に。
でも、それだけではないような気がする。
なぜならば、彼女は姫を助けに行くと言っていたからだ。
もしかして彼女は、このゲームから何かを伝えようとしているのだろうか?
それはわからないけれど。
僕はもっと君の事と、君の世界を理解したい。
続ければきっと何かがわかるような気がして。
僕はもうしばらくゲームを続けた。