第2話
同日二話投稿
停電の日から、わたしたちの日常が少しずつ変わっていった。
「ご馳走さま」
朝食を食べ終えると、今日もティムは家の隣の倉庫に閉じこもった。隣といっても扉一枚で家と繋がっていて、そこにはわたしたちの生活の柱ともいえる電気制御装置が格納されている。広い倉庫の中を埋め尽くす大量の精密機械。わたしにはさわる勇気すら起きないそれをいじりながら、ティムはひたすら考え事をしているようだった。
「ティム、お昼はどうする?」
「……」
「ティムったら!」
「あ、ごめん」
薄暗い倉庫の無機質な床に座り込んで、ティムは巨大な制御装置を見上げている。何度か声をかけてやっと振り返った彼は疲れたような顔をしていた。
「ねえ、大丈夫?」
「うん。もう停電しないように、こまめに見ておかないとね」
「それにしたって、最近働きすぎよ」
「いつもはもっと働けって言うのに?」
からかわれて、ぐっと言葉に詰まる。今はそんなことが言いたいんじゃない。
「ティム、ちゃんと充電できてるのよね?」
機械人形の彼が活動を続けるには、電力供給が必要不可欠だ。停電が起きたときの、あの足元が崩れ落ちるような感覚が今でも忘れられない。電気はティムの生命線なのだ。今まで彼の人と変わらない生活ぶりを見てきたせいか、その認識がすっかり薄くなっていた。
「大丈夫だよ」
ティムがことりと小首を傾げた。扉の隙間から入る光が彼の顔に陰影を作り出し、その表情は笑っているようにも見えた。
「これが終わったら、地下に行くから」
オートマタの充電装置は家の地下にあるらしい。らしいというのは、彼が頑なに地下に入れてくれないからだ。充電してるところなんか見られたくない、シャーリーだったら恥ずかしいでしょ? と押し切られ、地下室の中は未だに見たことがなかった。
制御装置の油にまみれたまま、地下へ潜って充電する。わたしと食事を共にする以外の時間を、ティムは倉庫と地下の往復に費やしていた。
「お昼、ちゃんと食べるよ」
そしてまた制御装置に向き合う彼を残して、わたしは倉庫を後にした。
何日もそんな日が続いて、わたしはある日夢を見た。
夢なんか一度も見たことがなかったから、わたしは最初、それが現実だと思った。
電気の消えたわたしの部屋。寝ているわたしにすがりつくようにして、ティムがベッドの縁に顔を伏せていた。
夢だと気づいたのは、彼が泣いていたからだ。
顔を上げた彼の頬には、涙が幾筋も痕を残していた。わたしの胸に置かれた手から震えが伝わってくる。身体は鉛のように重くて、指一本動かすことができない。
「ごめんね、シャーリー……」
どうして謝るのか、なぜ泣いているのか、聞きたいことはたくさんあるのに身体が言うことを聞かない。小さな嗚咽を聞いているうちにわたしまで鼻がツンとして、けれどやっぱり身体は反応しない。どうすることもできない歯がゆさに押し潰されそうになって、そこでハッと思い出した。
これは夢よ、シャーリー、わかるでしょう?
感情のない機械人形が、涙を流すはずないじゃない────
食卓に並べたスープは、手つかずのまま冷え切ってしまった。わたしは立ちあがって食器を取り上げると、調理台の大鍋にスープを戻した。
ティムが地下から出てこなくなって、今日で何日が過ぎただろう。
『わかってると思うけど、絶対に入らないでね』
疲労を背負った彼が思いつめた表情で地下に降りていったとき、無理をしてでも止めるべきだったのだ。鍵までかけられて、地下で何が起きているのかわたしには何も分からない。停電の日からしきりに制御装置を気にかけていたティム。もしかしたら、装置になにかあったのではないか。装置自体が停電でおかしくなって、地下の充電装置にも影響が出て……考えだすと止まらなかった。ざわざわと寒気が襲ってきて、小さな声でティムを呼んだ。もちろん返事はない。
顔を上げると、壁にかけてある絵に目がいった。灰色の空と灰色の大地。まったく趣味の悪い絵だと思うけれど、彼に外してと言っても外してもらえなかった。普段なら見向きもしないその絵は、けれどこうしてじっと眺めていると、わたしにいろんなことを思い起こさせてくれる。例えばそう、今も続いているはずの戦争のこと。
わたしたちの国が勝ったのか負けたのか、そもそも今の戦況はどうなっているのか。家から一歩も外に出ないわたしには知る由もない。
……本当に?
なにか、大切なことを忘れている気がする。でも、ティムがいないとなにも分からない。
すがれるものが自分しかいないから、わたしは包帯が巻かれた方の腕をぎゅうと掴んだ。固い結び目のせいで解くことができなかった包帯は、もう何日も替えていない。よれよれの包帯が巻き付いた右足が疼いたような気がして、わたしはかくんとその場に座りこんだ。
「シャーリー」
不意に名前を呼ばれた。勢いよく振り返ると、そこにティムが立っていた。
「ティム!」
足の違和感も忘れて、わたしはティムに抱きついた。自分からこんなことをしたのは初めてだったけれど、不思議と抵抗感はなかった。
「もう、今まで何してたのよ! こんなに長くなるなら先に言ってちょうだい! 召使いのくせにわたしを待たせるなんて、あなたって人は本当に……。ねえティム。装置になにかあったの? どうしてこんなに時間がかかったの? 故障って直せるかしら。わたしに手伝えることならなんでも……」
ほっとして、言葉が堰を切って溢れ出した。けれど抱きしめた腕を解いて彼と目があった瞬間に、沈黙が訪れる。
ティムは力なく笑っていた。こけた頬にくしゃくしゃの金髪がかかり、ガラス玉のように綺麗だった瞳は痛々しく充血している。それでも確かに、ティムは笑っていた。
機械人形のティムが、笑っている────
「ティム……?」
「ありがとう、シャーリー。じゃあひとつだけ、頼みごとをしてもいいかな」
「なに?」
数日ぶりに聞いた「ありがとう」が私の中で染みわたる前に、続いた言葉に打ちのめされた。
「シャーリー、僕を殺してくれるかい?」
再び落ちた静寂の中で、わたしは日常にひびが入る音を聞いた。
「……殺すって、どういうこと?」
硬直から解けたわたしは振り絞るように声を発した。そんなわたしにティムはなおも笑いかける。
「停電があった日から、今日でどれくらい経ったかわかる?」
「28……いいえ、今日で29日目」
「そうだよ。明日でちょうど30日。まるまる一カ月。停電の日から稼働を始めた非常用電源が切れるのも、明日だ」
「非常用……電源?」
「あの日のあれはね、ただの停電じゃないんだよ。ここに電力を送っていた、首都中枢の制御システムがやられたんだと思う。誰も侵入できないように、防御システムの方は全部僕がプログラムしていたから、もう少し持つと思ってたんだけどね……」
「ティム、何を言ってるの」
「地下でずっと、代わりになるエネルギー物質を作れないか試してたんだ。でもだめだった。実験は失敗だった。僕はただ、一カ月の猶予を無駄にしただけだったんだ。ごめんね、シャーリー、本当にごめん」
「ティム……あっ」
膝から崩れ落ちたティムを受け止めそこねて、わたしと彼はそろって床に倒れ込んだ。わたしの胸に顔を埋めて肩を震わせる彼がとても小さく見えて、思わずその背中に腕を回した。
「だから、ね、僕を殺して。こんな馬鹿な僕を、どうか許して」
「いや、いやよティム。しっかりして。どうしてそんなことを言うの。それよりごはんにしましょうよ。おなかすいたでしょう? あなたがいつまで経っても出てこないから、わたしが代わりに作ったの。食べたら掃除と洗濯よ。ティム、あなたは召使いなんだから、もっとちゃんと……」
「シャーリー」
必死になって言い募るわたしを静かな声がさえぎった。もう何度目かもわからない謝罪の言葉を呟いて、ティムは顔を歪めて笑った。
「おままごとはもうおしまいだよ、シャーリー。僕は君の召使いなんかじゃない」
充血した目をごしごしと拭ったティムが、濡れた指先でわたしの頬を撫でた。手は首を辿って肩に降り、包帯が巻かれた左腕を取った。あんなに固かった結び目は、まるで彼が触っただけでそうなるようプログラムされているかのようなたやすさで、するりするりとほどけていく。そうして晒された自分の腕の全容に、わたしは息を飲んだ。
「思い出してごらん。僕の可愛い……機械人形」
皮膚がやぶれ、そこから剥き出しになった金属製の基板に、ティムは目を細めて唇を寄せた。
彼のそれはとても柔らかくて、そしてあたたかかった。