第7話 「冒険者の覚悟」
一通りの探索が終わった一行は再び外来受付の前に集合した。
渡瀬の予想通り、だいたいが浮かない顔をしていた。期待していたような金銀財宝が見つからなかったことに落胆しているのだろう。
ただ一人リナだけが目を爛々と輝かせて未だ興奮冷めやらぬといった様子だった。
リナとそれ以外のメンバーのテンションのギャップに、まるで子供を遊園地に連れて行った家族みたいだな、と渡瀬は場違いなことを考えた。
これ以上探索を継続しても成果が期待できるかと言えば望み薄であるし、なにより急な出立だったから長期の野営ができるだけの装備がない。
余裕がある内にさっさと組合に戻って続報を待とうという提案がなされ、リナを除く全員が賛成した。
外はもう日が落ちていたので出発は明日ということになり、その日は遺跡の中で夜を明かした。
ベッドなら山ほどあるのだから好きに使えばいいのにと渡瀬は思ったが、見張りを残した全員が持参していた寝袋を敷いて横になった。
渡瀬も一人でパーティーを離れるわけにもいかず、仕方なく外来待合室のソファーをくっつけて寝た。
目を閉じる間際、リナだけがそわそわと落ち着きなさそうにしていたのが気になった。
†
翌日の早朝、時計を見れば朝6時になろうかという時間に一同は出発した。
遺跡に入ってくるときに派手にぶち壊したガラス扉を慎重にまたいで、病院の外に出る。
病院の外はやはり昨日と変わらず深い森に覆われていた。
一晩寝てしまえばもしかしたら目が覚める頃には元の世界に戻っているのではという淡い期待は完膚なきまでに打ち砕かれた。
諦観に囚われた渡瀬の心中はむしろ穏やかであった。
今やこの病院はまるで深い森の中にたたずむドイツの城のようだと思う。城の名前が喉元まで出かかっているのになかなか出てこなくてもやもやする。ノイ……ノイシュなんちゃら城。
帰路はお決まりの陣形を組んで慎重に森の中を進んだ。
ガヤルドを先頭に、右翼をソニアが左をリナが、殿をレヴェ爺が務めるいつもの布陣に加え、中央に渡瀬が配置された。
渡瀬はみるからに文弱のもやし野郎である。
おまけに今は雪山でも登るのかといわんばかりのでかいリュックを背中に背負っており、もう何度もバランスを崩しては足下を這う木の根に躓いている。
先頭のガヤルドは歩くペースを落とし、しきりに後ろを気にしながら進んでいる。
遺跡を出てから30分ほどたった頃、数メートル先を歩いていたガヤルドが突然立ち止まった。
腕を横に伸ばして後ろのメンバーに静止を呼びかける。
他のメンバーは何事かと辺りを見渡した。
何かに気づいたらしいソニアが腰に下げた太刀に手を添える。
他のメンバーも警戒を強め、周囲をゆっくりと見渡しながらじりじりとフォーメーションの輪を縮める。
渡瀬だけが何も気づかず、きょろきょろと人の顔を伺っている。
「レヴェ爺、そっちは?」
ガヤルドが背中を向けたまま問いかけた。
「こっちもだめじゃな。囲まれておる」
レヴェ爺が暢気にも思える間延びしたトーンで答える。
「なにが起こってるんです?」
渡瀬はまだ呆けた面をしている。
「ハウンドウルフよ」
リナが顔を寄せて短く答えた。
木々の向こうに目をこらす。
日が昇って久しいこの時間でさえ薄暗い森の中、立ち並ぶ木の向こうにゆっくりと揺らめく二つの小さな光が見える。
それが動物の目だとすぐにわかった。
薄闇に溶ける濃灰色の毛並み。犬の姿からなんとなく想像していたオオカミのそれより遙かに大きな、バイクほどもある体躯。
吠えも唸りもせず、何の感情も読めない冷たい目がじっと自分を見つめている。
空手では到底かなうはずもない肉食獣が自分の命を狙っている。
生まれて初めて、自分が狩られる側に立つという恐怖。
ファンタジーの世界を甘く見ていたことを渡瀬は今更ながらに実感する。
何の覚悟もない現代人が剣と魔法の世界に降り立って一体何ができるというのだ。
ガヤルドの頬の傷を、ソニアの太刀を、レヴェ爺の仰々しい杖を見て、自分は何も思わなかったのか。
凍えるような命の恐怖に駆られた渡瀬は、もう一歩も動けなかった。
†
リナは、渡瀬が隣で恐怖に震えてへたり込むのを冷静に見ていた。
心身ともに弱った人間がこういう状況に陥ればこうなるのも無理はない。
私の失策だ、とリナは思う。もっと大きなパーティーが着くまでワタセを遺跡にとどめておくべきだった。
こうなったらここでハウンドウルフを撃退するほかない。
腰に下げている短刀を握りしめる。
幸いにもハウンドウルフは魔獣の中では弱く、また群れの仲間に犠牲が出るようなら無理をせずに引く賢さを併せ持っている。
†
狩りをする側にとって最も基本的な原理原則の一つに“弱い者から狙う”というものがある。
シャチが鯨を襲う時は子供から狙うように、複数の相手を同時に襲う際には最も足が遅く、最も力の弱い者を最初に狙うのは全く理に適っている。
ここに5人の人間がいる。
一人は六尺豊かな大男、
別の一人は太刀で武装し、
また一人は杖を持ってすでに詠唱を始めている。
一番背の低い一人は短刀を構えているが、
さて残りの一人はというと何も持たずにただただ恐怖に震えている。腰が抜けたようでまともに立ち上がることすらできていない。
ハウンドウルフの群れが誰を狙うかは一目瞭然だった。
†
最初の一匹は陣形の右翼後方から現れた。
ヒットアンドアウェイの要領でソニアとレヴェントンを襲い、反撃が来る前に引いて包囲を保ち続けた。
渡瀬から護衛を引きはがそうとしているのだと、パーティーの誰もが気づいた。
分かっていながらもハウンドウルフの連携に翻弄され、徐々に陣形は崩れていった。
予断を許さない状況が続き、レヴェ爺の集中力がわずかに途切れたその瞬間、ハウンドウルフは勝負に出た。
ソニアとレヴェ爺の間を3匹の獣が走り抜けて渡瀬に迫った。
ソニアとレヴェ爺は振り返って内2匹の足を止めたが、残りの1匹は既に渡瀬の眼前にいてその強靱な前足を勢いよく振るっていた。
渡瀬は短く悲鳴を上げ、両腕をあげて頭をかばおうとした。
その瞬間、隣に立っていたリナが渡瀬とハウンドウルフの間に体を割り込ませた。
渡瀬の頭を引き裂くはずだった一撃はリナの胸元を叩き、二人をまとめてはじき飛ばした。
ハウンドウルフは惜しくも仕留め損なった獲物を追撃しようと構えたが、飛び出す直前にレヴェ爺の放った火球を胴体に喰らって断末魔をあげる間もなく一瞬で燃え尽きた。
獣の群れは勝負の一手が失敗に終わったことを悟ると、意外なほどあっさりと包囲を解き、森の中に消えていった。