第5話 「かわいそうな男」
ガヤルドはリナの混乱が治まるのを待って、彼女が体験したことを一つずつ整理していった。
小部屋の中で白い服を着た男が寝ていたこと。
それをリナがつついて起こしてしまったこと。
その男は口の端からよだれを垂らし、目は虚ろで、まるでゾンビのような酷い顔をしていたこと。
リナは死体が蘇ったと勘違いして、慌てて逃げ出してしまったこと。
一通り話を聞いたガヤルドはこう考えた。
リナが小部屋の中で見たのは、おそらくこの遺跡を最初に発見したパーティーの一人だろう。
彼は遺跡を見つけた直後に仲間とはぐれ、大森林に取り残された。
害獣魔獣のはびこる大森林での単独行動に危機感を感じた彼は、一か八か遺跡の中で仲間たちや他の冒険者パーティーの救出を待つことにした。
組合で聞いた話の通りなら、彼が仲間とはぐれてからゆうに十日は経過している。
痩せた頬や目の隈も、危機的状況の中で眠れない夜を過ごして憔悴した結果なら何も不自然ではない。
本当にモンスターを見ていた可能性も考え、ガヤルドを前衛として警戒しながら先ほどの部屋に入った。
もしリビングデッドなら物理攻撃手段しか持たないこの二人では有効なダメージを与えられないが、足が遅いため包囲でもされない限りは十分に逃げられるはずだ。
部屋の中には確かに白い服を着た男がいた。
部屋の前に立つこちらに気づくこともなく、一心不乱に遺跡の装置をいじっている。
どうやらモンスターではなさそうだ、ガヤルドはほっと息をついた。
「おい」
ガヤルドが声をかけただけで、男は飛び上がらんばかりに驚いた。
待ちに待った救助の手が来た割には変な反応だと思ったが、疑問を頭の隅に追いやって男に問いかける。
「こんなところで一人でなにしてんだ」
「あ、えっと……俺、いや自分はここの病院の医者で……あの、今は当直中です」
思いもかけない答えが返ってきた。
医者といったのは聞き取れたが、ビョウイン? トウチョクチュー? なんだそれは。
「医者? どういうことだ。仲間はいないのか」
「……?」
続けて聞くが男は眉をひそめて首をひねっている。こっちがとんちんかんな質問をしたかのようでなんだか落ち着かない。
ガヤルドの背中から、リナがひょっこりと顔を出した。
答えあぐねている男の回答を待つことなく、今度はリナが質問した。
「あの、あなたのお名前は?」
「あ、ワタセです。ワタセコーゾー。ほら、これ」
名前としてはあまりに聞き慣れない響き。少なくともこの周辺諸国のいずれのものでもなかった。
男は白衣の胸の部分から小さなカードのようなものを取り、こちらに差し出した。
ガヤルドはぶっきらぼうにカードを受け取った。
そのカードには古代文字とその男の絵が書かれている。この文字が名前を表しているといいたいようだが、ガヤルドには複雑な図形にしか見えなかった。
リナが後ろから背伸びをしてカードをのぞき込んだが、やはり彼女にも書いてある意味はわからないようだった。
カードを男に返しながら、ガヤルドとリナの頭には一つの仮説が浮かんでいた。
できれば当たって欲しくない、嫌な予感。
気が進まないが、裏付ける質問をする。
「……お前は、どこに住んでいる」
「……あ~、病院の宿舎ですね。ここのすぐ隣りにあるんですよ。徒歩3分ぐらい」
男は何でもないことのように平然と答えた。二人は頭を抱えて座り込みたい思いだった。
「……この建造物の、すぐ、隣?」
「ええ、すぐです」
そう言って男はガヤルドたちの反対側の方角を指差した。
二人は指さされた方向を眺めながら、嫌な予感が当たったことを確信した。
「ガヤルド、これってやっぱり……」
「ああ……瘴気にやられたな」
瘴気とは、時折遺跡に現れて冒険者の障害となる魔力濃度の高い霧の通称である。
人の手が及びにくい遺跡やダンジョンでは、長い時を経て魔力の淀みができることがある。大気中の魔力が一定の濃度を超えると、空気に溶けきれなかった魔素が空中で微細な結晶を作り、霧のように見えることがある。
人間がうっかりその中に迷い込んで霧を吸い込むと、結晶化した魔素が肺から血中に取り込まれて魔力中毒を引き起こす。
魔法抵抗力にもよるが、過剰な魔力はまず最初に神経系に異常を来すことが多い。
その症状は嘔気嘔吐、頭痛、めまいといった軽いものから、重度になれば幻覚、記憶の混乱、意識障害を来たし、最悪の場合は死に至ることもあるとされている。
この謎の男は自分のことを、ここで働く医者で、この遺跡のすぐ隣に住んでいると言った。
この遺跡の周囲は魔獣蔓延る大森林のただ中であり日常的に住む場所などないし、こんな場所で医者として働くなど論外だ。
幻覚と記憶の混乱。
症状はまさに重度の魔力中毒そのもののように見えた。
リナは頭の中で仮説を補足した。
パーティーからはぐれた男は遺跡の中で安全な場所を探す内に高濃度の瘴気を浴びてしまい、この部屋で昏倒した。幸い瘴気は短時間で晴れたため命に関わることはなかったが、記憶の混乱という形で後遺症が残ってしまった。
男は無意識のうちに、遺跡の中の手近なものから失われた記憶を補完しようとした。
彼の発言はすべてこの補完された記憶によるものである。
リナは自分の説明に満足してうんうんと頷いた。
リナは少し思い込みの強いところがあった。
二人はどうしたものかと顔を見合わせた。
せっかく遺跡に一番乗りできた今、可能ならば探索を優先したかった。
しかし、この不憫な男は仲間とはぐれ、たった一人で遺跡に残されたのだ。
「……仲間はいないのよね」
「あとで爺さんたちにも聞いてみるが、まずいないだろうな。いたらこんな状態で放置してねえだろ」
「そう……、そうよね……」
リナはこの男を仲間の元へ送り届けてやることに決めた。
「とりあえずみんなと合流しましょう。……あなたも、付いてきて?」
ガヤルドは、もしここにこいつを放っておいても後から来た他のパーティーの誰かが拾っていくだろ、ぐらいに思っていたが、それではリナが納得しないこともまたわかっていた。
困っている人を見捨てられないのが、リナの長所でもあり短所でもある。
その甘さがいつか命取りになるかもしれないとわかっていても、ガヤルドに言えることは何もなかった。
自分自身、そうしてリナに助けられたうちの一人だからだ。