第34話 「最期の言葉」
ソフィアが聖女候補として聖都の中枢に招かれ、宿舎での生活を始めたのは9歳の夏だった。
渡瀬は知らないが、今ソフィアが過ごしているこの部屋は当代の聖女とその世話を任せられた一部の人間だけが入ることを許されている特別な場所である。
そこには次代の聖女となる聖女候補ですら入ることを許されず、彼女たちはもう一つ隣に建つ宿舎で共同生活を送っていた。
聖女は原則、聖女候補の中で最も年長の者から選ばれる。
当代の聖女は聖女候補たちの間で畏怖と尊敬の対象である。その生活の場所も聖女だけに許された聖域として、聖女候補たちの噂の種であった。
†
「聖女が特別な魔法の力を得ることについては、以前お話ししましたよね?」
ソファに座ったソフィアが渡瀬に確認する。その口調は穏やかだったが、顔つきには既に隠しきれない疲労と衰弱が現れてきていた。
渡瀬が頷くとソフィアは話を続けた。
「私の一つ前、第45代の聖女カナン・ラックブルーの魔法は“未来予知”でした。カナンさんは6ヶ月と少しで役目を終えましたが、その終わりの間近、次の聖女となることが決まっていた私に一つの予言を遺してくれました」
そう言うと、ソフィアは身体をぐるりと反らして自分の机の方を横目で見た。
「ここには歴代の聖女の遺品が数多く残されています。その中でも、その聖女が最も大切にしていたモノをあの机の引き出しに入れて、次代の聖女に引き継ぐという伝統がありました」
ソフィアは静かに語り続ける。その目の端に小さなきらめきが映る。
「私は聖女に任命されてすぐにこの引き出しを開けました。聖女の候補にとってこの部屋は憧れと好奇心の対象でしたし、それに私の後には聖女候補が誰も見つからなかったので、ここに残された遺品だけが人とのつながりを実感できるものだったんです」
そうだ。渡瀬は気付いた。
彼女が最後の聖女と言うことは、当然この子の前の聖女たちはみんなこの子を置いて死んでいったことになる。
姉妹のような関係にあった人みんなに先立たれた末の孤独。
それがこの少女の最も深いところにある傷の正体だと渡瀬は思う。
「第45代聖女がここに遺したものは小さなオルゴールでした。その中にあの人は私宛ての予言を遺言という形で残してくれていました。その言葉が私に生きる希望を与えてくれたことが、ここまで長生きできた秘訣だと思います」
ソフィアが事前に言っていたように、確かにその情報はこの子の余命を伸ばす役には立たなそうだった。
だが、渡瀬は純粋な好奇心からつい聞いてしまった。
「……その残してくれた言葉って?」
渡瀬は尋ねてから、余りにずうずうしい質問だったかもしれないと気付いた。
出会ってから一ヶ月もたっていない自分が、ソフィアと何年間もずっと一緒に居た人の遺言を興味本位で聞くなんて失礼にもほどがある。
しかし、ソフィアは渡瀬の予想に反して不機嫌になるようなそぶりは見せなかった。どちらかというと嬉しそうにも見える。
「すいません。これはまだ秘密です」
ソフィアは隠しきれない嬉しさを覗かせてそう言った。
†
ソフィアに眠気が訪れていることを察して、渡瀬は彼女をベッドに促した。
ソフィアも残念そうにしていたが、こればかりは抗えないことをわかっているようで渡瀬の言葉に素直に従った。
「じゃあ、また明日ね」
渡瀬が部屋の扉を開けながら、振り返って言った。
「はい。先生、ありがとうございました」
ソフィアはベッドに横になり首元まで布団をかぶって言った。
一粒の涙がソフィアの頬を横に伝っていた。
これが、渡瀬が聖女と交わした最後の会話となった。
†
渡瀬は部屋に戻ると、一人で悶々と考えながら夜が訪れるのを待った。
この国の成り立ちについて
魔獣除けの結界がこの世界に及ぼす影響について
聖女たちの生きる意味について
人類の進歩について
そのための犠牲について
今、自分は双方の事情を知る立場になった。
犠牲者の側からは当事者の心境を、
執政者の側からは犠牲を強いてあまりある大きな意義を、
全く無関係であった人間が、双方の立場の中心人物から話を聞けるなどそうあることではないだろうと思う。
両者の話を聞いてなお、自分の考えはこの街に来たときから何も変わってはいない。
そんなことが許されるのかという怒りはまだ消えてはいない。
だが――渡瀬は自問自答する。
もし自分に聖女を自由にする力があれば、自分はその力を振るって彼女たちを逃がすだろうか。
その結果、この国の人々に多大な犠牲が出ることを自分は受け入れられるのだろうか。
自分は神様ではない。
だがこのまま選択から逃げ続けることは、あの不憫な少女を見殺しにするのと同じことだと渡瀬は思う。
少なくともそれだけは避けたい。
どちらを選ぶにせよ、自分の意思ではっきり決めたいと思う。
だが果たして、実際にその力を得たとき、自分は、選ぶことが出来るのだろうか。
考えは何度も堂々巡りを繰り返し、渡瀬はいつしか眠りに就いていた。
大聖堂に備え付けられた大きな時計の針が深夜0時を指した。
そして、この国の命運を左右する運命の日が訪れた。
第3章 『踊れ、哀れな人形よ/Dance, Pathetic Marionette』 END




