第3話 「ヒロインの事情」
リナ・ロベールが冒険者に身をやつしてから、今日でちょうど1年になる。
冒険者とは、軍人や用心棒のように決まった雇い主を持たずに、少数の人間が集まったパーティーで行動して文字通り冒険する者たちのことを言う。
ひとことで冒険と言っても、その内容は多岐に渡る。
組合に行けば誰でも、護衛や害獣・魔獣の退治といった数多くの依頼が掲示板に所狭しと並べてあるのを見ることができだろう。
しかしそうした仕事は傭兵団や貴族が持つ私設兵でもできることであり、冒険者が小遣い稼ぎにそういった依頼をこなすことは同業者の間からは“おつかい”と揶揄されていた。
ではプライドの高い彼らが胸を張って行う仕事とは一体なにかといえば、依頼掲示板に載らない仕事、すなわち未知の遺跡やダンジョンの探索であった。
体を張った仕事に従事する人間の例に漏れず冒険者もまた危険度の高い場所の探索こそが尊敬を集める仕事とされ、未踏の地で類い稀な業績を残した冒険者たちの逸話は一般人の間でも羨望をもって語られている。
そしてリナは、若干17歳でありながら近年活躍めざましい冒険者パーティーのリーダーであった。
少数精鋭の人員のみで構成されたパーティーのリーダーが若い女である。
まずこれだけで人気を得るには十分である。
活躍した期間こそ短いものの、冒険者の中では既に頻繁に取り沙汰される存在になっていた。
聞けば誰もがうらやむ話であるが、それでも彼女にはまったく満足できるものではなかった。
リナとその仲間たちは今、聖国と言われる宗教国家の辺境にある冒険者組合に来ている。
組合の酒場で仲間たちがそれぞれ好き勝手に酒盛りをしている傍らで、彼女はひとり頭を抱えていた。
冒険者になって一年、元冒険者であった仲間を頼りにしていくつもの遺跡やダンジョンを走り抜けてきた。
他の冒険者からみれば、新参者が生き急いでいつか痛い目を見るぞとでも思われているのかもしれない。
なるほど確かに、かつての自分が見たら仰天するであろう無茶もこの一年で数え切れないぐらいにこなしてきたし、命の危機に晒されたのも一度や二度ではない。
しかしそれほどのリスクを負ってさえ、リナには莫大な金と人脈が必要だった。
この一年間で手にしてきた財宝や名声の数々が駆け出しの冒険者としては望外なものだというのもわかっているが、目指しているもののためにはまだまだ十分でないのも確かなのだ。
ちょうど一年前のあの日、すべてを失ったときに決意したこと、それが果たされない限り自分に悪夢を見ずに夜を越せる日は永遠に来ないのだと思う。
聖国に来たのも全てそのためである。
ここ聖国の国境周辺では長年の内乱もあり、未探索の地域が多く残されている。南の大森林や北の大雪山はその代表といえる。
まさに冒険者にとってのフロンティアといえる場所でった。
また同様に古代文明の遺産に多くの恩恵を受けている周辺諸国としても多大な期待を寄せる地域でもある。
その思惑は投資という形に変わり、組合を通して多種多様な遺跡探索奨励策となって多数の冒険者を呼び集めていた。
いざこの場に来てみるとわかる。組合併設の酒場を一目見渡してみるだけでも規模の大きさが余所の組合と段違いである。
目に入る冒険者パーティーもなかなかのもので、古参の冒険者として同業者の間で顔が広い仲間の一人は、他のパーティーの酒の席に潜り込んでは肩を組んで飲み比べをしている最中だ。
悩みがないっていいわね、とリナはこぼれる愚痴を隠そうともしないが、そういった気楽な仲間が広げる人脈が大いに役に立つことがあることもわかっているので止めようとは思わない。
†
リナのパーティーは現在4人である。
これはこのパーティーがなしてきた業績の数々を考えると信じられないほど少ない数である。
しかもリーダーのリナは冒険者歴やっと1年というひよっこもいいところで、つまりは残りのメンバーが極めて優秀ということになる。
一人ずつ紹介しよう。
まずは今まさに他のパーティーに混ざって飲み比べをしている大男。
彼はパーティーの中では最古参の冒険者であり、現場では彼が実質的なまとめ役としてその辣腕を振るっている。
物事を深く考えない性格で普段の様子を見ていると大丈夫かと不安にもなるが、戦いの際には常に前線でパーティーの盾となる頼れる兄貴分である。
名をガヤルドという。
うんうん悩んでいるリナの隣には、音を立てずに黙々と食事を取っている女性が座っている。
年は20も半ばほどと思われるが正確なところは本人も知らない。
紺色の服と短く切りそろえた黒髪のせいで個性豊かなこのパーティーでは一番目立たないが、その傍らに立てかけている太刀だけが異彩を放っている。
一見無愛想にも見えるが、その無表情をよくよく観察してみると先ほどからちらちらと心配そうにリナの様子をうかがっているのが見て取れる。
名をソニアという。
この女性の向かいには着古されたねずみ色のローブを羽織った老人が座っている。
エールが注がれたジョッキが半分も空いていないのに既にうとうとと船を漕いでいる様からはとても冒険者が務まるようには見えないが、こう見えて魔術師の腕では彼の右に出る者はこの大陸にも五指に余るほどしかいない。
齢は既に70を超えているはずだが、いざ外に出ると老齢を感じさせない健脚ぶりで周囲を驚かせている。
仲間たちからはレヴェ爺と呼ばれている。
年若く経験の浅いリナが1年に渡って冒険者として望外の成功を手にしてこられたのは、ひとえに彼らの力添えによるものであった。
†
リナパーティーの一行が聖国を訪ねたそもそものきっかけは、およそ10日前にさかのぼる。
当時、リナたちは聖国の隣国にあるダンジョンの踏破を成し遂げた直後だった。
この国の冒険者組合ではリナたちは既に有名人であり、酒場はその新たな偉業に沸きに沸いていた。
ダンジョン踏破による収穫は予想よりも多く、懐が温まり気が大きくなったリナは今夜の酒場の注文は全ておごると宣言して同業者たちの喝采を浴びていた。
ガヤルドはいつものように飲み比べを始めて挑戦者をばったばったとなぎ倒している。
酒場の喧噪が一通り過ぎ去り、ちびちびと酒を嗜んでいたリナに一人の男が話しかけてきた。
「今日はえらい羽振りがいいじゃないか。倹約家のリナらしくもねえ」
フードをかぶった小柄な男はそう言うと猫背を一層かがめてキヒヒといやらしく笑った。
いかにも小物らしい振る舞いだが、外見と中身がこうまで一致していると逆に信用できる気がしてくるとリナは思う。
「まぁ、たまにはこうやって散財しとかないと妬んでくるやつもいるからね。これも処世術よ」
「なるほど、飛ぶ鳥を落とす勢いのリナ様にも相応の苦労があるってこったな」
「……調子がいいわね。何か用があるんでしょ」
リナはぶっきらぼうに言うと男に席を促した。
この男は冒険者向けの情報屋であり、リナが冒険者を始めてからそれなりに長い付き合いになるが、未だに苦手意識が拭えない。
「いやな、とっておきの情報をついさっき仕入れたんでな。もし興味があるってんなら独占で教えてやってもいいんだが」
男はリナの向かいに回ると、テーブルに乗り出して耳元でこう囁いた。
「聖国で新しく遺跡が発見されたらしい」
再び席に着いた男はニヤニヤと笑いながらリナの様子をうかがっている。
見るからに胡散臭い。酒の席でリナの気が大きくなり、油断するのを見計らって話しかけてきたようでもある。
しかし今のところ次の探索のあてはないし、今までこの男の持ってきた情報に大きな誤りがなかったことも確かである。
「……分かったわ。また明日、ここでいいかしら」
明日幾ら吹っ掛けられるのかと考えると胃が痛くなる思いだった。
この翌日、情報屋の語った内容は以下の通りである。
聖国の辺境、大森林の奥地である冒険者パーティーが新たな遺跡を発見した。
木々の向こうに石造りの白く巨大な建造物を見たというのだ。
そのパーティーは早速その遺跡を探索しようとしたが、その前にハウンドウルフの群れに捕まって大きな被害を出してしまった。
結局遺跡を間近で見ることなく怪我をした仲間を抱えて手ぶらで敗走することになったが、不憫なのはこの後である。
普通ならすぐにパーティーを再編成して遺跡探索に臨むところなのだが、このパーティーは既に資金が底をついており、とても再挑戦などできる状態ではなかった。
怪我をした仲間の療養費もままならず、リーダーは悩みに悩んだ挙げ句、遺跡の場所の情報を売ることで急場をしのぐことにした。
情報屋の話を聞きながらリナは考えた。
話の筋は通っているし、今更その信憑性を疑っても意味はないが、どうしても一つ気になることがある。
「話が違うわ。全然独占じゃないじゃない。どれくらい広まってるのこの話」
痛いところを突かれた情報屋は思わず苦笑いを浮かべた。
「まぁ、確かに多少は知られちゃ居るだろうが、この可哀想なパーティーのリーダーが馬鹿じゃなきゃ、情報を流す相手は絞るはずだ。希少な情報ほど対価をつり上げられるからな」
遺跡の場所の情報についての価格交渉でリナはさんざん粘った挙句、当初の提示額の半額ほどで片をつけた。
情報屋の男は俯いて溜息をついている。
リナはせっかちな質である。
競争相手が居るかもしれないと知ればぐずぐずしている暇は一時もない。
二日酔いでへばっている仲間を説得して迅速に準備を進め、この日の内に宿を立った。