第13話 「迷子たちの顛末」
女の子の不安げな視線を感じ、渡瀬は苦笑いを浮かべながら顔を上げた。
「人が少なくなるまで、お兄さんとここで待っていようか」
それはどこにも行く当てのない渡瀬にとって最も現実的な案だったが、既に不安の限界に達していた女の子にとっては解決を先延ばしにされたも同然だった。
スカートの裾をぎゅっと握りしめ、俯いている女の子の顔をのぞき込むと、その大きな目には大粒の涙が溜まっていた。
女の子が息を吸い込む。
泣かれる、と反射的思った渡瀬が肩をこわばらせる。
しかし女の子は泣き声を上げるのではなく、ケホケホと乾いた咳を上げた。
最初、渡瀬は女の子が雑踏のために広場に立ち上る砂煙でも吸ってむせ込んだのだと思った。
前屈みになった女の子の背を優しくさすったが、そうしている内も女の子の空咳は止むことなく続き、ヒューヒューと高い音をさせて息苦しそうにし始めた。
なにか様子がおかしい、と気づいてからの渡瀬の行動は迅速だった。
素早く女の子の全身を見渡す。
聴診するまでもなく明らかなwheeze。
呼吸は速く、息を吸う度に鎖骨の周囲が大きく凹んでいる。
顔をのぞき込むとその唇からわずかに赤みが失われてきている気がした。
女の子の背中をさすりながら、耳元でゆっくりと問いかける。
「こういうことはよくあるの?」
女の子は弱々しく頷いた。
「お薬は持ってる?」
女の子は首を横に振った。
渡瀬は“喘息発作”だと確信した。発作強度はおそらく中発作から大発作。
迷子になったことのストレスがトリガーになったのだと思う。
ありふれた病気だが、重度の喘息は対処を誤ると命に関わることすらある。
女の子が常備薬を手元に持っていないのはちょっとばかりマズい、と渡瀬は顔をしかめた。
とっさに女の子を抱きかかえて休める場所を探した。
偶然空いていたベンチを見つけ、女の子を抱えたまま走る。
ゆっくりと腕を下ろして女の子を座らせた。
自分も横に座ろうと腰を下ろしかけて、背中のリュックサックがベンチの背もたれに引っかかった。
そういえばこんなもの背負ってたなと思い出し、乱暴に背中から下ろして地面に置いた。
こんな大変な時に何でこんな邪魔なものを、と渡瀬は八つ当たり気味にリュックを蹴飛ばそうとして、ようやく気づいた。
荷物の中身は病院から持ってきた医薬品の数々である。
特に渡瀬のリュックには救急外来に常備されていた、緊急性の高い病気への治療薬がこれでもかと詰め込まれている。
喘息発作の治療薬も当然一緒に詰め込まれているはずである。
「俺はバカか」
悪態をつきながら、リュックのチャックを全開にして中を漁る。
幸い、目的のものはすぐに見つかった。
サルタノールインヘラー。気管支拡張作用を持つ吸入薬と携帯用の吸入器である。
急いで箱を開け、吸入器に薬をセットした。
横に座っている女の子を振り返る。
ヒューヒューと息苦しそうに音を鳴らし、唇は紫色に変色してチアノーゼの状態を示している。
女の子の肩を叩き、吸入器を目の前に掲げた。
女の子の涙に滲んだ目が前を向いた。
「よく見てて」
目の前で吸入器の使い方を実践して見せた。
ボンベの底を強く押し、吸入口を口に近づけて大きく息を吸う。そのまま数秒息を止め、ゆっくり息を吐き出す。
「同じようにやってみて」
女の子がこくこくと小さく頷く。小さい手に吸入器を渡した。
女の子は震える手で吸入器を掲げると、ゆっくり口を近づけて息を吸った。
息を止める。
1,2,3秒待って静かに息を吐いた。
それから1分もしないうちに、女の子の呼吸はかなり落ち着いた。
渡瀬は女の子の背中から手を離すと、ベンチを立って女の子の前に回り込み、腰をかがめて尋ねた。
「もう大丈夫そう?」
「はい。……ありがとう、ございます」
女の子は丁寧に頭を下げた。
渡瀬は感心した。まだ緊張は取れていないが、見知らぬ大人に対して誰に言われるまでもなく礼を言えるのはたいしたものだと思う。
「そういえば」
渡瀬はふと立ち上がって周囲を見渡した。
広場に集まっていた人間は既に街の入り口の方へ歩き始めていた。
「いつの間にか偉い人の話も終わったみたいだね。今度こそお父さんたち探そっか」
渡瀬が手を差し出すと、女の子はベンチからぴょんと飛び降りてその手を握った。
「はいっ!」
手をつないだまま渡瀬の顔を見上げて、女の子はニッコリと太陽のような満面の笑みを見せた。
†
きょろきょろと周囲を見渡しながら、ずいぶんと人が少なくなった広場を歩く。
リナはともかく、ガヤルドはかなり遠くに居ても目立つ体格である。
渡瀬は自分のことに関してはそれほど心配していなかった。
目下一番の心配の種は渡瀬の右手に立って、つかんだ手を大きく振って嬉しそうに歩いている。
と、女の子が突然立ち止まった。
「あ! じいが! じいがいました!」
目を細めて前を見ると、確かにあたりをおろおろと見回しているお爺さんがいた。
向こうもすぐにこっちに気づいて、息を切らせて駆け寄ってきた。
「はぁ、はぁ、はぁ……。サリア様、ここにおられましたか……」
膝に手をついてぜぇぜぇと息をついている。
女の子はお爺さんの手を握って、渡瀬の目の前に連れてきた。
「あのね。この人が一緒に探してくれたの」
お爺さんは渡瀬の顔を見上げてハッと姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「これはこれは。お嬢様が大変お世話になりました。私、ドレイク家の侍医を務めますトラフトと申します」
「ああ、いえ。自分も同じように迷子でしたので。別に何をしたわけでも」
「いえいえ。主人に代わりまして重ね重ねお礼申し上げます。もしこの後お時間がありましたら是非お食事でも」
思わぬ事態に渡瀬は焦った。
迷子を連れてきただけでここまで恐縮されるとこっちも対応に困る。
「いえ、その、自分も連れを探している途中ですので――」
と断りかけていたそのとき、後ろから聞き慣れた声がした。
「あー! ワタセいた-!」
リナだった。
ソニア、ガヤルド、レヴェ爺も揃っている。
「どーこ行ってたのよもー。すごい探したんだからー」
ほっと安心した表情を浮かべて、リナが近づいてきた。
が、途中で見知らぬ人物が一緒に居ることに気づいた。
「――どうしたの?」
リナが渡瀬とお爺さんを交互に見比べる。
お爺さんはニッコリと笑顔を浮かべて言った。
「ちょうどお連れ様にもお会いできたようですので、どうでしょうか? よろしければ皆様ご一緒に」
渡瀬は困ったように、リナは疑問を浮かべたままお互いの顔を見合わせた。




