チュートリアル・乾血固心
もうやだ。心折れそう。折れるっていうか、もう鉛筆の削りカスくらいになる。
この【you die】とかもう見飽きたわ。ってか死んでねぇから俺! ここにいるから!僕は死にましぇん!めんたいこっ!
........落ち着け俺。こんなこと思ったって何も変わらない。
でも、あとちょっとだったんだよなぁ。腕があと五センチ長かったら仮面に届いてた。それに聞いて無いんだよ二つ目の銃なんて。初見殺しのレパートリーが豊富すぎるんだよ。もう初見じゃないけどさ。
そもそも銃を二丁持った相手に素手で立ち向かって仮面を取れなんて、ただでさえ難しいんだよ。現実でも、命五つじゃあ足りないだろ。それをさぁ、二秒行動が遅れる中であと少しまで追い詰めたんだ。俺すげぇよ。
でも、そんなすごさは意味が無い。
俺はその場に寝転んだ。現実では装置の中にあるクッション素材の上で寝ている筈なのに、ここは硬くて冷たい感触がする。この感触が、そして目の前に広がる黒い、暗い空間が、幻想である事を信じたい。
....あー。現実では今、何時かな。ここに俺は、何時間いただろうか。
そういえば風呂洗ってない。干しておいた洗濯はもう乾いた頃か。考えてみれば、やるべき事が現実にたくさんある。俺は今、何をしてんだ。
あの仮面野郎を倒そうという思いが朽ちていく事が分かった。それを拒む事が出来ない自分の事も、よく分かる。
いつの間にか【you die】の文字は消え、完全に黒い空間だけが残っていた。
目を閉じる。開ける。閉じる....。伸ばした手も、消えて、映って、また消えて....。そして、伸ばした手は消えたまま、見えなくなる。
はぁ。
『ピロリン♪』
その音が聞こえ、俺は再び目を開けた。
そうして映ったのはこんな内容だ。
【give it up ? [Yes]】
諦めますか? ...いえす。........
俺の顔を、浮かび上がる画面の中で光る文字が覗き込むように照らしている。あるいは諦める道を照らしているのだろうか。
いつの間にか吸ったまま止まっていた息を、ゆっくりと吐き出す。
このタイミングでこれが来たか。よく出来たチュートリアルだな。しかも選択肢は一つしかない。
目を閉じても、目の前の文字だけは消えないような気がする。
あーあ。この世界も諦めるかな。これ以上やったって、どうせ同じ思いしかしないかもしれない。
こっちの世界でも、どうしようも無く嫌われたような気分だ。
腕を伸ばし[Yes]の文字を指が触れようとした。
だが、腕は糸が切れたように崩れ、目元を覆った。
......久々に、心が血を流している。本当によく出来た世界だと憎む。
そして自身に問う。
また、ここでも「どうせ同じ思いしかしない」と諦めるのか。もし、あの現実で諦めてなかったらどうなっただろう。
何も変わらない気がする。
ではなぜ心が痛い? 恋か?まさかこれが恋か?絶対違うわ。なんか、うん。違っててほしい。
ずっと乾いていた筈の心が、血を流した。これはいっそ祝うべきか。受け入れるべきか。
そうだ。これでいい。まだ血を流せる。そして、この血が乾いたら、俺の心はもっと固くなれる。
世界から嫌われた。だが、どうせここは幻想だ。幾らでもそうなればいい。どれだけ嫌われようと、受け流せる。受け止められる。 もっと自由でいられる。やりたいようにできる。人様に迷惑をかける事など気にしないで在れる。
ここでは、もっと自分の在り方で。もっと自分のやり方で。
血は乾いて、決意と共に固まった。
もう一度だ。もう一度。それで決めよう。
立ち上がり、そして諦めろと告げるだけの浮いた画面を、物理的に蹴破った。
青白く光りながら飛び散る半透明の破片がとても綺麗だ。
そして、また、体は点滅するように光り始めた。
....また、ここに来た。
白い空間、そして、拍手をしている仮面野郎。
「素晴らしいぜ? 前回の健闘も、ここにまた諦めないで来た事も。来るのが遅くかったから、てっきり諦めたのかと思ったがな」
「ちょっと休憩してただけだ」
そう。あんなもの、ただの休憩だ。
「そうか。そりゃお疲れさん」
「ああ。それよりさ、これで勝ったら、そのお銃も仮面のついでにくれよ。どうせそれも、無限に弾が出るとかいう現実じみてない代物なんだろ?」
やっぱり銃とか欲しいんだよな。
「おぉ、よく分かったな。いいぜ? くれてやるよ。その代わり、俺の手から奪えたらな」
なるほど。仮面も銃も、こいつから奪えたものが貰えるのか。
「オーケー、ゲームマスター(管理者様)」
そう返事をすると、仮面野郎はクックックと喉を鳴らすような笑い声を出した。
「良い返事じゃないか」
そりゃどうも。
「じゃあ早速、奪い合おうぜ? と言っても、俺から奪えるものは無いけどな」
「あるじゃないか」
「いや無ェから」
喰い気味にそう答えた。
空間が灰色に切り替わる。
「....あるだろ」
意地張ってんのかな? そう一瞬思ったが、二秒後に集中する。
『START』
奴は両手に銃を構えている。
そして、俺は....
ただ真っ直ぐに、走り始めた。
奴の銃の引き金にかかる指を見ながらも、避ける事など考えずに走る。それだけだ。
なぜなら....
銃の発砲音が聞こえた瞬間、無意識に俺の身体は勝手に体制を低くした。
前回、最後に避けられた原因は、心のエネルギーなんてロマンのあるものではない。ただの脊髄反射だ。本当によく出来ていると思う。
脊髄反射は、名前の通り脊髄から身体に命令される。つまり、脳から身体への命令ではないのだ。
だから二秒遅れる事など無いし、無意識でも、奴の引き金にかかっている指が動いた瞬間に身体は動く。
低い体制になった俺を、二つ目の銃が狙って撃ったが、俺は地面に手をつけて一回転して避け、その勢いのまま、再び走る体制に戻る。
距離を詰める。
普通、距離を詰めれば銃口の向きも狙う所によって大きく変化するから避けやすくなる。だが、奴は右手の銃を下ろし、左手の銃を肩に乗せて言った。
「ならこれを避けてみろ」
そして、両腕をそれぞれの方向に勢い良く振った。俺は反射的に半身になる。俺の前髪の先と、膝に何かが掠った。同時に発砲音が二つ鳴った事にも気がつく。
銃を振りながら撃つなんてバカかアクション映画のやる事だろ。普通なら正確に狙えない。だが、だからこそ、どこを狙っているかが分からない。
「ほう」
あと少しで十分に距離は詰められるだろう。だが難しいのはここからだ。さらに二秒後を知る事に全力を尽くす。....よし、これで決める。
奴は振り下ろした左手の手首を回して発砲、直後振り上がっている右手を、前に突き出して発砲した。
左手は足元、右手は心臓部。至近距離での発泡。今度は脊髄反射では無く意識的に大股になり、前屈みになって右手から発泡された方を避ける。左手の方は無視できるものと予想したのだ。
幸い、無視した足の方は、深めに掠るだけで済んだ。
低い体制から直りながら懐に入り込み、手を仮面の方へと伸ばす。
奴は俺の伸ばした手の甲を、左手で持った銃で叩いて逸らそうとした。
だ が 、予 想 通 り だ
伸ばした手首を返し、銃身を止める。少し手首を返すタイミングが早かったのか、指先で受けてしまったが、誤差の範囲だ。問題無く銃身を掴み取る。
そのまま足をかけながら、奴の銃身を持った腕ごと引いて奴の体制を崩した。
だが崩れると同時に奴の右手に持った銃がこちらを向いたので、反射で後方へ跳んでしまった。
奴は体制を崩しかけた状態から一歩踏み込んで立ち直る。
「危なかったな。お前さんも、俺も」
少し距離を取ったまま仮面野郎は言った。
だが.......
........
「だが、銃は一個、奪ってやったぜ?」
この空間だと返答も二秒後遅れるから不便だな。
しかし、俺は銃身を握ったまま後方に跳んだので、奴の左手から銃を奪えたのは確かだ。
俺は奪った銃を見せつけるように右手で握る。
「面白..おっと!」
そして問答無用で発泡。うーむ、結構難しいな。あいつ、よくあんなバンバン撃てたよな。しかも片手で。
これ両手じゃないとしっかり狙えないわ。銃弾も本当に無限か分からんしなぁ。
「よし、その銃はやろう。ただ、撃つならしっかり撃った方がいいぜ?」
そうだな。
でも銃撃格闘とか憧れてたんだよな。でも上手く撃てない所は現実的だ。でもこれは現実ではとても出来ない。うん。良い。面白い。
状況は銃を奪った事以外何も変わらない。
だが、心は熱く固まっている。
「ちゃんとした撃ち方なんて知らねぇよ。だから、バカが銃を持つとどうなるか教えてやんよ」