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天知るや 陽の御影  作者: 日向あおい
8/13

8、立ち向かう決意

 

 日和にとって自分について考える行為は、水を満たした甕の中を覗き込むようなものだった。


 水鏡に映った自分こそ本当の自分に違いないのだが、それを見破られないように水甕の中に隠し、自分だけが自分を確認する。時折、自分が何者であるのか見失いそうになりながらも、水甕を砕き、自分をさらけ出すことができないのは、そうすることが途轍もなく恐ろしいからだ。その恐怖から逃れるために日和は他人を信じることができず、他人に心を寄せることもできなかった。


 こんな自分が誰かに好かれるなど信じがたく、日和は覇玖の想いに戸惑うばかりだ。


 だが、けして嫌悪感はなかった。むしろ心がムズムズとくすぐったいくらいで、水甕を打ち砕きたくなる。



(覇玖になら……)



 日和が自分を閉じ込めた水鏡を覗かせてあげてもいい。


 いや、見て貰いたい。だけど――。



「私って、何なのかしら? 考えてみれば、私って、何もかも須鞘に任せっきりよね」


「急にどうしたの?」


「このままで良いのかしらって思ったの」



 豊津原には続々と移住者がやってきている。それに紛れるようにして、女王の婿候補を名乗る他國の王子たちもやって来ていた。それは人々が豊津原を治める女王を認めているからであり、それは女王の後見人である武尊が女王に成人することを望んでいるからなのだろう。――そうだとしたら、このままで良いはずがなかった。



「副王って、王の補佐よね? でも、女王が何もしないから須鞘が代わって女王のすべき仕事を一手に引き受けているのよね? 民の病を診たり、田植えの指揮を執ったりするのも、本来なら女王のすべき仕事でしょ? それらを放棄して、女王は何のための女王かしら? 女王は何のために生まれてきたの? 生まれてきたことに意味はあるの?」


「日和……」



 須鞘は顔を顰め、諫めるように日和の名を呼んだ。いくら女王が己の責務を放棄していて、女王の素質を疑いたくなったからと言っても、女王の存在意義を問うなど言語道断だった。


 だが、日和は身振り手振りを加えながら更に言葉を続ける。



「だって、豊津原の女王は予言の女王なのでしょ? 予言の女王は天意を受けて王たちを統べる唯一無二の存在だと武尊は言っていたわ。それなのに、身を守るためとは言え、本当の自分を隠して民として生きているのよ。そんな生き方、女王のする生き方なの? そんな生き方をしている女王に意味はあるの? 女王の命は無事でも、女王の勤めをまったく果たしていないわ。それに、自分が自分であることを他人に名乗れずに生きるということは、自分で自分を殺して生きるようなものではないかしら。そんな生き方に意味はあるの?」


「……」


「時々、衣紗の言葉が脳裏に浮かぶのよ。衣紗と対面した時のことなんて、ろくに覚えていないんだけど、その時に衣紗が女王に向かって放った言葉は忘れられないわ」



 この世のものとは思えない美しい女が七歳の少女をその黒曜石の瞳に映したとたん、邪悪な神が憑りついたとしか思えぬ形相を浮かべ、血を吐くように罵声を上げたのだ。


 ――お前など生まれて来なければ良いものを!!


 ――お前が憎い。死んでしまえ!


 日和は今まさに罵声を浴びているかのように表情を歪め、ぐっと堪えるように瞼を閉ざした。存在意義を否定してくる衣紗の言葉が的を射ているように思えた。


 不意に、暖かい何かに手を包まれる。驚いて目を開くと、それは覇玖のがっしりと大きな手だった。


 覇玖が日和の拳を開かせると、握りしめていた二つの栗が、ころんころんと床に転がり落ちる。それを摘み上げて、覇玖は日和の口元に差し出した。



「まず食え。腹が満たされないから、ろくなことしか考えないんだ」


「ろくなこと!?」


「お前が言っていること、俺にはさっぱり意味が分かんねぇんだよ。とにかく食え」


「……」



 日和は覇玖を睨み付けながら、差し出された栗を口に含む。噛み砕くと、独特の甘みが口の中に広がった。


 こくんと咽を鳴らして日和は栗を呑み込むと、思わず頬を弛ませる。



「ほらな。好物を食うと幸せな気分になるだろ? 考え事ってもんは、そういう時にするもんだ」



 もうひとつ、と言って覇玖は日和の口に最後の栗を放り込んだ。日和はそれも咀嚼する。口いっぱいに広がった旨味が喉を落ちて腹を満たすと、頭の中を渦巻いていた苛立ちと焦燥感が鎮まっていくのを感じた。そわそわと落ち着かなかった体に、ずっしりとした重石を乗せられたような感覚だ。


 落ち着きを取り戻して日和は覇玖に向かって、うん、と素直に頷いた。



「……その通りかもしれないわね。ごめん、変なこと言って」


「ここ数日ずっと明け方から日暮れまでひたすら田植えだったからね。きっと疲れているんだよ」


「そうかも。……でも、変わらなきゃって思うのは疲れているからじゃないわ。ずっとこのままではいられないのよ」



 衣紗の刺客は年々数が増し、その手口も巧妙になってきている。巫女に扮して女王の館の中まで入り込んでいたのが、その証拠だ。いつか女王の喉元に衣紗の毒牙が届く日が来るかもしれなかった。



「日和はどう変わりたいんだ?」


「堂々と自分らしく生きたいわ」



 そのように生きることが自分にとってどんなにか難しいことであるのか、日和は十分によく知っていた。


 殺されるかもしれない。いや、間違いなく衣紗に見つかれば、すぐさま殺されてしまうに違いない。それでもいつか、と日和は思うのだ。


 ――それでもいつか私は、私らしく生きよう。私の人生を。覇玖に、みんなに、私という存在を知って貰いたいから。








 田植えが終わると、しとしとと雨が長く降り続く季節を迎えた。暗い雲に覆われた大地は昼間であっても薄暗く、じっとりと纏わりつく湿った大気が鬱陶しい。明日こそは、からりと晴れて欲しいものだと願い続けているうちに、水田の稲は雨をたっぷりと飲んで腰ほどの高さまで成長していた。


 やがて雲間から、鋭利な刃物で分厚い雲を切り分けるように日差しが差し込んでくる。長いこと狭く暗い住処に押し込められていた人々は、久しぶりの青空を眩しげに見上げて喜んだ。だが、誰もが知らなかったのである。その時に止んだ雨が、最後の雨となることを。


 豊津原を含む多くの國々は乾季に入った。来る日も来る日も青く澄んだ空が続き、地を這う人々がようやくそのことに気が付いた時には水田が干上がり始めている。泥地に大きなひび割れが入り、まるで網目のように水田のあちらこちらで広がっていた。


 豊津原の水田は、集落の西を寄り添うように流れる川から水を引いている。水田に水が足りないのは川に異常が起きたからである。さっそく川を確かめに行った者の話によると、思った通り、川の水位がかなり下がっていたようだ。



(普段は腰が浸かるほどの深さのある川が、足首も隠せないほどになっているだなんて。今年の夏は深刻な水不足になるわ。そうなると、やっぱり富彌國に送った水が痛かったわね)



 日和は堆黒の机の前に正座すると、一冊の書物を手に取り、机の上に広げた。それは、日和が豊津原の天候を観察し続けてきた記録だ。日和は自分の文字を目で追いながら、昨年の今頃、そして、一昨年の今頃の天気を確認した。どちらも晴れだ。それでいい。この時期は毎年、雨が降りにくい季節であるからだ。


 不思議なことに、多分に雨を降らす季節が過ぎると、今度は一滴の雫も生まない季節となる。そのことに気が付いた日和は雨季のうちに深く掘った大きな穴に雨水を貯めておくようにと民に命じていた。今年も例年通りに雨水を貯めておいたのだが、ここでひとつ予期せぬ事態が起きる。富彌國だ。


 八潮を失った富彌國は性懲りも無く八潮の代わりに彼の弟である王子を女王の婿候補として送りつけて来ていた。その王子が図々しく主張するには、富彌國の稲の育ちが悪いのは豊津原の女王が富彌國の雨を奪っているからだという。ひどい言いがかりだった。


 日和も須鞘も豊津原で暮らす皆が知っている。富彌國の田植えは豊津原よりも三日早く行われ、八潮を失うことになった嵐によって壊滅的な被害を蒙っていた。育ちが悪い以前の問題だった。



(だいたい雨を奪うって、いったいどうやって奪うのよ! 豊津原にだって雨は降っていないわよっ。あの王子だって豊津原で過ごしているんだから、ここしばらく豊津原に雨が降っていないことを知っているはずなのに、いったいなんなの!? 豊津原に文句があるんなら、だらだらと豊津原に滞在していないで自分の國に帰って欲しいんですけどっ!)



 日和は苛立ちを拳に込めて思いっきり机を打ち付ける。だんっ、と激しく音を響かせた机が武尊からの贈り物であったことを、ふと思い出すと、すぐに慌てて拳を打ち付けたところを手のひらで擦った。幸い、机に傷はついていない。ほっと息をついて、日和は机に頬杖を着いた。



(まあね、息子を失った富彌國王の気持ちも分かるけどね)



 おそらく富彌國の王子は、富彌國王の言葉を豊津原に伝えるために滞在し続けているのだろう。そして、富彌國王には、失ってしまった王子を悲しむだけ悲しんだ後に、その死を最大限に利用しようとする狡猾さが垣間見られる。


 富彌國王は、八潮が嵐で命を落としたのは豊津原に不備があったからだと言い、賠償として豊津原から富彌國に水を送るようにと要求してきていた。察するに、富彌國の集落も豊津原以上に干上がりそうなのだ。


 須鞘は四人の長老たちと話し合い、二百人分の水を富彌國に送った。だが、これはけして富彌國王の言い分を無条件に呑んだわけではなく、富彌國の鉄を水で買ってやったのだ。


 豊津原で王子を失った上に、苗を失い、水に飢えている富彌國を邪険に扱えば、富彌國は追い込まれ、豊津原の敵となる道を選ぶかもしれない。豊津原と地理的に近い富彌國が万が一、衣紗や耶羅國と同盟を結んでしまう危険を考え、尚且つ、富彌國王の言い分をそのまま呑めば豊津原の女王が侮られてしまうことを考えて須鞘は、武器を造るための鉄と交換することを条件に水を富彌國に送ったというわけだ。



(富彌國のことは、それでどうにかなったけれど、おかげで豊津原が水不足の危機なのよね)



 民が増えていることにも大きな影響を受けている。例年よりも水の消費が大きいのだ。


 日和は自らが記した記録の続きを目で追った。


 ――要は、雨さえ降ればいいのだ。


 そして、雨が降る日まで豊津原が持ちこたえることができればいい。日和は昨年の乾季の終わりを見つけると、さらに一昨年の乾季が終わった日付を確認する。そして、どべっと、あられもなく机に突っ伏した。 



「だ、駄目だわ。まだ、ひと月も先じゃないの!? 干からびる! 絶対に干からびる。みんな、からっからの、しなっしなになっちゃう!! いったい、どうしてくれるのよーっ!!」


「雨乞いでもしてみる?」


「は? 雨乞い?」



 不意に掛けられた声に驚き振り返れば、須鞘が入口の御簾を片手でめくり上げて、居室に入ってくるところだった。須鞘の後から覇玖も入ってくる。



「衣紗が祈雨きうを成功させたらしいよ」


「耶羅國と、その儀式に参列していた王たちの國だけに雨が降ったらしい。と言っても、一瞬だったみたいだけどな。それで衣紗は半月後にもう一度、祈雨を行うから、雨を望む者は華那の集落で共に祈れと言って、人を集めているみたいだ」



 二人は堆黒の机を挟んで日和の正面に膝を着くと、そのまま片膝を立てて座った。つと須鞘の視線が机の上に広げたままになっている天候録に落とされる。



「豊津原にも雨が欲しいよね」


「欲しいと言って得られるものなら良いんだけどね。残念ながら、豊津原の女王に祈雨の才なんてないわ。衣紗には本当に雨を降らせる力があるのかしら?」



 祈雨の才。――天に祈って雨を降らせる力のことだ。祈雨は、雨乞いと同義語である。



「実際に雨を降らせてみせたんだろ? なら、あるんじゃないのか?」 


「分からないわよ? 私と同じで天候録を付けているかもしれないじゃないの。そして、雨が降りそうな日を選んで、天に祈ってみせただけかも」


「ああ、なるほど。それなら、そうなんじゃないのか?」


「何そのどうでも良さそうな返事。簡単に言ってくれるわね」


「だってよ。俺にはよく分かんねぇよ。天候録をつけていようとなかろうと、雨さえ降れば凄いように見えるぞ」


「そう……。そっか。そうなのかも。たとえ衣紗が天候録に従って祈雨をしているのだとしても、民の目に映る衣紗の力に違いはないんだわ」


「何? どういう意味だ?」


「衣紗の本当の力は、祈雨の才そのものではなく、そのように見せる力かもしれないってことよ」



 意味が分からないと、さらに聞き返してくる覇玖を無視して日和は瞼を閉ざした。すると、かつて一度だけ対面したことのある衣紗の美しい姿が脳裏に浮かぶ。神々しく、まばゆい。気高い振る舞いは、彼女の存在が既に奇跡であるように感じられた。



「あの常人を越えた存在感って、なんなのかしら? たとえ衣紗に奇跡を起こせる力がなかったとしても、あの存在感は本物だと思うのよ。あの存在感……。けして敵わないと思わせる強大さ。まるで死の淵に立っているかのような、対面する者に与えられる恐怖心。それでいて、目を奪われざる得ない圧倒的な魅力。なんなのかしら……?」


「何だろう? 美貌?」


「え、美貌? すべての要因は美貌? それじゃあ、これって、美形は得ですねっていう話? そこに生きているだけで人々に凄いって思わせるとか、どんだけの美貌よ!」



 くわっ、と目を見開いて日和は覇玖を睨み付ける。よほど怖い顔をしていたのか、覇玖は両手を頭上に掲げ、へらりと笑って見せた。


 覇玖の弁護を須鞘が買って出る。



「でも、実際に衣紗はその美貌で耶羅國王の心を手に入れたんでしょ? 衣紗の力のひとつは、美しさであることは間違いないと思うな。――ああ、だからかなぁ。だから、衣紗は急いでいるんだ」


「急いでる? 衣紗が?」


「うん、そう思う。人も花も美しさは必ず衰えるものだよ。美貌を失う前に衣紗は、女王が二人いるという現状に決着を付けたいんだと思う。彼女が祈雨祭を利用して人を集めているのは、唯一無二の女王になるためだよ、きっと」


「つまり?」


「つまり、衣紗は人を集めて戦争を起こそうとしているわけだな」


「戦争……」



 衣紗と豊津原の女王。


 千隼と武尊。


 どちらが本物の女王で、どちらの王がこの極東の海に浮かんだ島の覇権を握るのか、白黒つける時が迫っていた。日和が待って欲しいと、その時の訪れを拒んでも、おそらく衣紗が許さないだろう。須鞘の言葉が正しいのならば、彼女には時間がないのだ。


 ――衣紗には時間がない。



(近頃の刺客の多さは、だからなのだろうか……)



 はっとして日和が顔を上げると、まったく同じ表情を浮かべた須鞘と目が合う。まるで銅鏡に映した自分自身の影のようだ。


 覇玖も同じ想いに至ったようで、にっと笑みを浮かべながら二人の気持ちを代弁してくれる。



「衣紗は恐ろしい。お前たちはずっとそう思って来たのかもしれない。だけど、衣紗にも恐れているものがあるんだってことを考えたことがあるか?」


「まったく無かったわ。だから今、考えるわ。衣紗が恐れているもの。――まずは時間ね」


「つまりは、老いだよ」


「そして、豊津原の女王だわ」


「豊津原の女王が十六歳の若い娘だからだ。衣紗は女王を殺してしまいたいほどに恐れているはずだよ」



 日和と須鞘はお互いの言葉に大きく頷いて、覇玖を振り返った。



「俺たちは九年前の衣紗しか知らない。あの時の衣紗はあまりにも強大で、恐怖の対象でしかなかった。だけど、今の衣紗はどうだ?」


「衣紗もこちらを恐れているのだと思ったら、衣紗に対する恐怖は半減したわね。半減っていうのは、言い過ぎかもしれないけれど。でもきっと、今の私が、今の衣紗を見ても、あの時ほどは恐れを抱かずに済む気がするわ」


「今の衣紗をもっとよく知りたいと思わないか?」


「知りたい。それに今なら衣紗を知ることができる気がするの。あの時の私は衣紗を知るには幼すぎたけれど、今の私にはそれだけの力がある」


「何より、衣紗が祈雨祭を行う今が絶好の機会だ。華那の集落に続々と集まって来る他國の民に紛れることができる。華那に行こう!」



 ――華那の集落に。


 覇玖の言葉は、日和と須鞘の胸にすとんと抵抗なく収まった。自分たち二人だけではけして思い浮かばなかったことだった。華那の集落に行く。あの恐ろしい衣紗がいる華那の集落に。


 机の上に広げた天候録。その上に置いた手で日和は拳を握った。くしゃりと書物の紙が寄れて皺をつくる。



「日和」



 呟くような、囁くような須鞘の声が響いて、日和の拳に須鞘の手が添えられた。 



「華那の地は、衣紗の支配下にある土地という印象しかないけれど、でも本当は豊津原の女王にとっても縁のある土地なんだ。女王が産まれた土地でもあり、女王の父王が治めていた國があった土地だよ」


「うん、そうね。私、華那の地を見てみたい。衣紗が華那の地をどんな風に治めているのか知りたい。衣紗を知りたいわ。――私、華那の集落に行きたい」



 変わりたいと願った。今の自分のままではいられないと。だから、これは自分を変えるために与えられた機会なのだ。



「半月後って言ったわよね?」


「正確には十日後だ。報せが僕のもとに届くまで数日掛かっているから」


「あと十日しかないのなら明日にも出発しないといけないわ。この目で衣紗の祈雨祭を見てやるのよ」


「僕も一緒に行くよ」


「駄目よ。須鞘は豊津原の副王でしょ!」



 豊津原から華那の集落まで往路七日は掛かる。水不足であるのに続々と民が増えていて、その上、他國の王子たちが滞在している豊津原の今の状況を考えれば、一日だって副王が集落を留守にするなど考えられないことだった。


 それに日和の留守の間、空っぽの女王の寝室を任せられる者は須鞘をおいて他にいない。不服な表情を浮かべながらも納得するしかない須鞘の隣で覇玖が、ぱちんと指先を鳴らした。



「なら、俺が一緒に行く」


「覇玖が?」


「九年前も須鞘は留守番で、俺が日和と一緒に華那の集落に行っただろ? また一緒に行ってやるよ」


「賛成。兄上が行ってくれるのなら僕は留守番でも我慢する。兄上なら日和のことを安心して任せられるものね」


「それなら、荷物をいっぱい持って貰うわよ?」


「荷物?」


「物売りを装って行くつもりよ。豊津原の穀物をたくさん運んで、華那で売りさばいてやるわ。せっかくだから儲けるつもり」


「うわぁ、逞しいなぁ」



 けらけら笑いながら覇玖は腰を上げる。旅の支度をしてくると言って女王の居室を出て行った。須鞘も護衛を選ぶのだと言って出て行く。追って、日和も売り物になりそうな穀物を捜しに穀物庫に向かった。


 不思議なことに、日和の胸はわくわくと躍っていた。新しい季節が訪れた時のように、何か楽しい出会いがあるような予感に包まれていた。この時は――。



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