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天知るや 陽の御影  作者: 日向あおい
6/13

6、告白

「とりあえず手始めに聞いておこう。いったい女王はどこにいるんだ?」



 特に興味はないんだが、ここは一番に聞いておくのが礼儀なんじゃないかって思ったわけだ――なんてことを言いながら覇玖は足の裏についた血に視線を落として思いっきり顔を顰めた。須鞘はもちろん、日和の足も血で汚れている。確かに不快だった。


 日和は衣装箱から苧布を取り出すと、覇玖と須鞘に差し出し、自分も足の裏をごしごしと擦るように拭う。三人とも口を閉ざせば、カタカタと館が揺れ動く音が響いた。館の外は、ごうごうと荒れ狂う嵐である。


 この嵐の中、豊津原において一番安全な場所は、木材を丁寧に組んで建てられた女王の館であることは疑いようになかった。その安全な場所に女王の姿がないとは、どういうことだろうか。



「なぁ、もしかしてって思うんだけどさ。豊津原の女王は館の奥に籠もり、その姿を集落の者にも見せないって聞いたけど、本当はこの集落にいないんじゃねぇ? いや、この集落というか、そもそも豊津原の女王なんて存在しないんじゃ……。だって、おかしいだろう? 同じ集落で暮らしているはず者たちでさえ、その姿を見たことがないとか。お前たちは、存在しない女王を存在しているかのように振る舞っているんじゃないのか?」



 日和も須鞘もしばし押し黙る。覇玖にしては、ものすごく頭を使って考えたようだ。そこは褒めるに値するところだが、日和も須鞘もそろって頭を左右に振った。



「それはないわ」


「女王は存在していますし、ちゃんと豊津原の集落で暮らしています」


「それならなんで今ここに――女王の寝室に女王がいないんだ?」


「それは……」


「怖いからよ!」


「怖い?」



 聞き返してきた覇玖に日和はしっかりと頷いた。



「女王は幼い頃から命を脅かされてきたの。食事に毒を盛られたり、刺客を送られたり、暗殺されそうになったことなんて数えきれないほどあるわ」


「そんなこと、いったい誰が……。まさか華那の」


「そう、衣紗よ。彼女以外にいないわ」



 きっぱりと言い放った言葉は、薄暗い女王の居室に大きく響いた。嵐の唸り声に紛れて響けば良いものを、衣紗の名は嵐さえ避けるのか、日和が彼女の名を口にした瞬間だけ嵐が静まったのだ。


 日和は、ぞっとする。自分の声が遠い華那の地にいる衣紗に聞こえてしまったのではないかと不安になった。


 そっと須鞘の左手が伸びてきて、日和が己の膝の上に置いた拳に被さってくる。ぎゅっと手を握られて、日和は深く息を吐いた。 



「覇玖兄上は、衣紗をご存じですよね?」


「それは念のために聞いているんだよな? そりゃあ知っているさ。当然だろ。直接会ったことはないけど、俺は親父殿に付いて華那の集落に行ったことがあるんだぞ」


「えっ、そうなのですか!? 初耳です」


「あれは九年前だ。親父殿が豊津原の女王を衣紗に対面させるのだとか言って、華那の集落に大軍を引き連れて出かけたんだ。その時に俺も女王の護衛として駆り出されたっていうわけだ」


「なるほど。あの時、兄上も華那に行っていらしたんですね」



 須鞘の声は普段通りの明るさを取り戻していた。だが、その右手には未だ鉄剣が握りしめられている。もはや覇玖への殺意は失せているのだろうが、剣に手が貼りついてしまったかのように、なかなか手放せないでいるのだ。


 日和は拳を開いて、須鞘の左手を握り返した。



「兄上の知っての通り、豊津原の女王は幼い頃に一度だけ衣紗と対面したことがあります。女王が七歳の頃のことでした。父王は、衣紗に女王を会わせることで、女王が確かに衣紗の異母妹であることを世に明らかにしようとしていたのです」



 当時すでに衣紗は予言の女王として華那の地に君臨しており、耶羅國王である千隼を後ろ盾に五つの國々を従えていたが、投馬國王である武尊は衣紗を否定し、けして女王として認めなかった。


 故に武尊は衣紗にとって最大の障害であり敵であるのだが、その武尊が衣紗に謁見を申し込むと、彼女は二つ返事で承諾する。まさか異母妹が生き延びていたとは思わない衣紗は、自分に従わない武尊が難癖をつけるために偽物を用意したのだと考え、その浅はかさを鼻で嗤ってやるつもりだったのだ。



「だけど、衣紗は幼い少女を前に衝撃を受けて言葉を失ってしまう。父王も千隼も、彼ら二人に従う多くの者たちが同席した場で、動揺を隠しきれない衣紗は正気を失ったのではないかと疑うような奇声を上げて叫んだのです」



 ――お前など生まれて来なければ良いものを!!



「衣紗は、自分の両親を殺し、自分を慈しんでくれた華那國の民を殺戮した千隼の手を取り、その妻となっています。普通の者なら、後悔や羞恥心、罪悪感を抱くものですが、衣紗にはそれらの感情がまったくありませんでした。たとえ万人に後ろ指を指されようと、自分は神々に愛され、選ばれた女王なのだという絶対の自信が彼女にはあったからです」



 ところが、衣紗の目の前に突如として現れた幼い少女は、かつて自分を愛しんでくれた父王にそっくりではないか。無いはずの感情が、両親が、華那國の民たちがまざまざと蘇り、衣紗を指差して詰った。


 後悔。羞恥心。罪悪感。


 衣紗は戦慄する。まるで自分を断罪するために少女が現れたかのように思えた。


 異母妹を赤く充血した眼で睨みつけ、衣紗は血を吐くように罵声を上げる。



 ――お前が憎い。お前など死んでしまえ。


 ――死ね! 生まれてきたことを後悔しながら、苦しみ、悶え、死ぬがいい!!



 それは、あからさまな憎悪と呪いの言葉だった。



「やがて異母妹が投馬の集落から豊津原に移り住み、女王を名乗ると、衣紗はこれを認めず、豊津原に刺客を送りつけるようになりました。ある時は腕の立つ暗殺者を、また、ある時は下女を買収し、女王の食事に毒を入れるように命じる。――豊津原の女王は、自衛のために身を隠す必要があったのです」



 須鞘の言葉を聞きながら日和は視線を己と須鞘の手に落とした。身を隠した女王の居場所を知っているのは日和と須鞘と、そして武尊だけ。豊津原にいない武尊を頼るわけにはいかず、いつだって日和と須鞘は二人だけで女王の秘密を守り続けて来た。


 それを今、覇玖に打ち明ける。



「女王が投馬の集落から豊津原に移り住んだのは、十二歳の頃よ。場所が変われば女王の顔を知っている者もいなくなるわ。投馬の集落にいた時も身分を隠して神殿の外の者と接することはあったのだけど、豊津原に移ると、その機に乗じて女王は完全に女王という地位や身分を隠し、民として暮らすことにしたの」


「つまり、女王は館の奥に籠っているのではなく、この集落で民として暮らしているというわけか」


「そうよ。民として豊津原で暮らしているの」


「それはいったい誰なんだ?」


「それは……」



 その時、ぱっと須鞘の手が日和から離れた。驚いて須鞘に振り返れば、須鞘は日和に向かって頭を左右に振る。



「兄上は単純なところがありますから知れば態度に出てしまいます。知らない方が良いでしょう」


「えー。なぜだよ。せっかく陰ながら女王を護衛してやろうかと思っていたのにさ」


「それが不自然なんですよ。王族に護衛されている民などいません」


「……そうか。なるほど」



 それにしても、と覇玖は眉間に皺を寄せる。



「親父殿の考えが分かんないんだけどさ。なんでそんなに豊津原の女王に肩入れしているんだ? そりゃあ、女王と須鞘は異父姉弟なわけだけど、女王は親父殿の娘じゃないだろ。それに親父殿ほどの力があるのなら自分で國々を従えて、自身が大王になった方が早いんじゃねぇーの?」


「ああ、ご存じないんですね。父王は僕の母親を、数多いる妻の中で一番に、そして特別に愛しておられるんですよ」


「……」


「……」


「……え?」


「はい?」


「理由、そんだけ?」


「はい。それだけですけど、何か?」



 さらりと言ってのけた須鞘に覇玖は絶句する。おそらく彼がよく知る父親像と、須鞘が語る妻を溺愛する夫の姿がまったく合致しなかったのだろう。よほど武尊は覇玖に対して厳しく、かつ、横暴な父親として接しているに違いない。



「兄上は、女王と僕の母親について覚えていますか?」


「たしか、お前が六歳の頃に亡くなったんだよな。明琉あかるという名の女性で、伊都國王の娘だったはずだ」


「そうです。女王と僕の母親は明琉です。――十六年前、華那國に耶羅國王が攻め入って来た時、乳飲み子だった女王を戦場から連れて逃げ出したのは、明琉なのです」



 十六年前、耶羅國の千隼が残虐の限りを尽くして華那國を滅ぼしたことは極めで有名な変事であった。投馬國でのうのうと育った覇玖だって知っている。だが、覇玖は眉を寄せ、ちょっと待て、と片手を上げて須鞘の話を止めた。



「明琉は伊都國の王女だったんだろう? なぜ華那の集落にいたんだ? そもそも明琉が伊都族の女なら、その明琉が産んだ女王が華那の集落にいたこともおかしい。伊都族の女が産んだ女王も伊都族のはずだから、伊都の集落で育つはずだ」



 覇玖の言う通りだった。この時代、女は生まれ育った集落を出ることなく一生を終える。他の集落や他國の男を夫に迎えても、夫の住まいに移り共に暮らすことは稀にしかないことであった。


 特に王族の婚姻は、夫が妻のもとに通うことで成り立つ。明琉が華那國王と婚姻を結んだとしても、明琉は伊都國から出ることはなく、華那國王が自分のもとに通ってくるのを待つ暮らしを送っていなければならなかった。そして更に言えば、子供は妻が属する一族の財産だ。明琉の娘は華那國ではなく、伊都國で育つべきだった。


 須鞘はわずかに視線を漂わせ身じろぐと、思い切ったように口を開いた。



「このことは絶対に父王の口から聞くことはないでしょうから、僕から言ってしまいますね。じつは、明琉は華那國王に嫁ぐ以前、父王と恋仲でした」


「はぁ? 華那國王に嫁ぐ前からって……。そんな前からかよっ!」



 大きく仰け反りながら驚く覇玖がこれまで知る由もなかった武尊の恋の物語は次の通りだ。


 武尊は明琉がまだ少女だった頃に伊都國を訪れ、彼女に求婚している。明琉も武尊の想いを寄せていたが、明琉の父王が二人の仲を許さなかった。


 当時の投馬國は興ったばかりの小国で、興ってから既に二百年以上の伊都國の王にとってみれば、武尊など取るに足らない若造にすぎず、娘婿として気に入らなかったのである。


 それ故に、伊都國王は二人を引き裂き、武尊の手が届かない土地に明琉を送ってしまおうと、華那國に嫁がせてしまったのだ。



「明琉はすぐに華那國王の娘を出産したのですが、華那の集落では『よそ者』と蔑まれて苦労をしたそうです。分かる気がします。明琉と同じ伊都族である僕も投馬の集落では『よそ者』でしたから」


「何を言っているんだ。俺がたっぷり遊んでやったじゃないか」


「そうですね。僕には覇玖兄上がいてくださった。異父姉の女王も。だけど、華那族の集落では、明琉だけが伊都族だったのです。孤独だったのだと思います。それ故に、父王のことを忘れられなかったのでしょう。戦争が起こると、迷わず父王のもとに逃げたのです」


「そんで、親父殿の方も明琉のことが忘れられていなかったとか言うんだろう?」



 須鞘は覇玖の言葉にニコニコしながら、こくりと深く頷いた。まったくもってその通りだと言うように。恥ずかしげもなく両親の仲の良さを自慢してくれる。


 そんな須鞘の父親である武尊は、千隼が華那國に攻め入ったとの知らせを受け、明琉を救い出したい一心で華那國に駆けつけた。そして、生まれたばかりの娘を抱えて死に物狂いで戦火を逃れてきた明琉と再会を果たすと、投馬の集落に連れ帰り、妻に迎えたのだった。



「あとは兄上もご存じの通りです。ようやく想いを果たし結ばれたというのに明琉はたった数年で亡くなってしまいます。ひどく悲しんだ父王が明琉の面差しを女王に見出し、女王を至極の宝のように大切にするその想い、理解できるような気がしませんか?」 


「そうだな。理解できるような気がする。俺ももし日和に娘が生まれたら、その娘を宝玉のように大切に大切に育てるだろうし。……んだか、あちこち体が痒い気もするぜ。うぉー、見ろよ、俺の腕を。鳥肌が立ってる! 信じられねぇ、あの親父殿にそんな青臭い時代があったんだな。想像すると、やべぇ。気持ち悪い。砂吐きそうっ」


「相当失礼ですね、兄上。口の中に腕を突っ込んで、お腹の中の砂を全部掻き出してあげましょうか?」


「いや、結構!」



 びしっと片手を顔の前に掲げて、須鞘の申し出を覇玖は丁重にお断りさせて頂く。


 さてと、と声を発しながら覇玖が腰を上げると、日和と須鞘が肩をびくりと震わせて覇玖を見上げた。その動きがまるでどちらかがどちらかの影のようで、覇玖はおかしさが込み上げてしまう。



「なんだ、お前たち。まるで双子みたいだな。だいたいの事情は分かったからさ、そろそろ部屋を片付けないか? 血生臭くて仕方がない。俺と須鞘で女王の寝室を片付けるから、日和は廊下に倒れている婆さんたちを頼むよ」


「はっ、そういえばオババは!?」


「八潮に突き飛ばされたらしく、気絶していたから、そのまま床に寝かせておいた」


「見てくる!」



 覇玖に言われて日和は瞬時に八潮の暴力を受けただろう老巫女たちのことを思い出すと、今まで忘れていたことが信じられないくらいに気が気ではなくなり、居室から飛び出した。


 長方形の部屋を駆け抜けると麻布を払いのける。すると、板張りの床に伏した老巫女たちの姿が日和の目に飛び込んできた。



「オババ、しっかりして!」



 干からびた古木のような小さな体を抱き起すと、老巫女はゆっくりと瞼を開いた。



「……日和や…。……大丈夫か…ぇ?」


「私は大丈夫よ」



 覇玖の言った通りオババも他の二人の巫女も無事のようだ。手当を済ませると、住まいに戻って休むよう命じて彼女たちを館から追い払った。いつの間にか、外の嵐も静まり始めている。右に左にと吹き荒れていた雨が真っ直ぐ地面に向かって降り注ぐようになっていた。


 老巫女たちが去ったのを確認してから日和は再び館の奥へと走る。すると、ちょうど覇玖が八潮の亡骸を肩に担いで寝室から出てくるところだった。



「それ、どうするの?」


「外に転がしてくるんだ。八潮は嵐だっていうのに外出したから死んだっていうことにする。運悪く飛んできた枝に首を切られたんだ」


「富彌國にもそのように伝える使者を送るから、日和もそのつもりで」



 続いて寝室から出てきた須鞘の言葉に日和は黙って頷く。不名誉な死を創り上げられる八潮を哀れに思う気持ちはあるが、許可なく館の奥に押し入ってきた八潮にも咎があった。


 亡骸を外に捨てに行った覇玖を見送ってから、日和は須鞘と共に寝室の掃除に取り掛かる。苧布を何度も何度も水で洗いながら床を拭き、壁を拭き、家具に飛び散った八潮の血を拭き取った。そして、気が付けば、朝を告げる鳥たちの囀りが館の外を賑わしている。


 嵐は疾うに過ぎ去っていた。



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