あなたがついていてくれるなら。
――――次の停車駅は、××駅、××駅、××駅の順で止まります。まもなく××学園前。
眠る前、酔った親父によく言われたことがある。
いいか! 男なら困ってる女の一人や二人助けてやるんだぞ!
いま俺は満員電車の中にいる。息をするのも苦しいくらいぎゅうぎゅうだ。
手を動かすのも難しい。けれど……動かさないとマズイ……。
なぁ、親父? 俺が困ったときはどうすればいいんだ?
このままだと捕まりそうなんだけど……。
親父が助けてくれるのか?
俺の前に同じ高校の制服を着た女子生徒がいる。その子の身体に俺の腕が触れていた。それなのに、密着するその子は瞳を潤ませて涙をためている。
……おいおい。泣くのだけは勘弁してくれ。たのむ!
目をつむったその子は俺の右腕に抱きつく。下を向いて、「ごめんなさい」や「すいません」と謝っていた。傍から見たら俺は痴漢として見られているかもしれない。だが、それは誤解だ。
さっきからこの子、自分から体を押しつけてきているのだ。
「んっ!」
ちょっ! マジで変な声出すなよ……。勘違いされたらどうするんだよ……。俺は悪くないのに、16歳で捕まっちまうのかな……?
「お願いです! このまま離れないで下さい! お願いします!」
涙をためた顔を上げ、小さな声で必死にうったえてくる。右腕をぎゅっと掴んで、何度も何度もお願いしますと言っていた。
え? ストーカーにでも追われてるのか?
周りを見渡したとたん、もたれ掛っていた方の扉が開いた。体勢もままならない状態で乗客の波に押される。左足だけが外に出て、俺にしがみついていたその子と右足は絡まっていた。バランスを崩した俺は、押されて突き飛ばされてきたその子と一緒に転んだ。
「いってぇー……」
「ねぇ、やだ、何あれ!」
「もしかしてチカン!?」
他校の生徒や会社に向かうサラリーマンの人たちがこっちを冷たい目で見て、つぶやいている。
「えっ?」
その子は俺の上に倒れ込んでいて、足が絡まったまま、スカートがめくれ上がっていた。おまけに涙を流している……。
「駅員さん! チカンがいます!」
「あそこです! 早く早く!」
ちょっっ……違う。
「誤解だぁー! 誤解なんだぁー!」
その子の手を握ってその場を走り抜けた。
「お願いします! トイレに行ってください! お願いします!」
言われた通り、俺は駅のトイレまで走る。階段を駆け下りて左に曲がったところにあったはずだ。
あった!
「あの、ごめんなさい。ちょっと来てください!」
その子に手を引きずられて、まさか――女子トイレに入ってしまうなんて想像もしていなかった。
運よく中には誰もいないみたいだった。朝だが、掃除用具の入った扉を開けて、清掃中の看板を取り出し、素早く入り口に立て掛けた。
……これでたぶん人は入ってこないだろう。
「あのさぁ……もうそろそろ手を離してくれるかな?」
「え、でも、その、無理です……」
「無理って…………。さすがに俺だって無理だよ? いい年の男子が公共の女子トイレにいるの見られたら捕まるし……」
「す、すいません! でも、その――!」
何か事情があるのはわかった。電車の中にいたときも、いまも、何かに怯えている様だった。それが人でないこともわかった。トイレに逃げ込んでからは落ち着いているからだ。いったい何に怯えているんだ?
「わたし……こうしょきょうふしょうなんです」
「はい? え、なに、電車に乗ってる高さすらも怖かったの?」
「あ、いえ、違います。えっと、広いところが怖いと書いて、広所恐怖症なんです。あ、正確に言うと広所孤独恐怖症です。前まではずっとお母さんとかお兄ちゃんとかに付き添ってもらって登校してたんですけど、お母さんは仕事が忙しくて、お兄ちゃんは遠くに就職していなくなちゃって……。隣に誰かがいっしょにいてくれたら大丈夫なんですけど、広いところに一人だと視界がぐらついちゃって。だから、一人の時は狭いところから徐々に広いところに出て、広さに慣れないと倒れちゃったりするんです……」
「じゃあさ、目をつぶって登校したら?」
「え!? それは無理ですよ、ぶつかっちゃうし……」
にしても、初めて聞いたぞ。なんだよ、広所孤独恐怖症って。よくいままで生きてこれたなぁー。
「……迷惑かけてごめんなさい。わたしこんな感じだから、いつもいじめられるんです。その度にお母さんとお兄ちゃんに迷惑かけて、今日なんか知らない人にまで迷惑かけて……。でも私もみんなといっしょに登校したら、普通に楽しく過ごせてると思うんです。放課後も一緒に帰って、喫茶店とかクレープ屋さんに寄ったり、買い物したり、恋愛話したり、そんな生活を送りたくて、今日は一人で来たんです……」
――いいか! 男なら困ってる女の一人や二人助けてやるんだぞ!
俺は彼女の手を握ってトイレを駆け出る。
「ちょっと、待ってください! 本当にいきなり広いところに出たらわたし……!」
彼女の足が止まった。目から大粒の涙が今にも零れ落ちそうだ。彼女の口から小さく嗚咽がこぼれはじめる。
「ぅ…………ふぇ…………ぅぅ…………」
握っていた彼女の手を放す。その瞬間、一気にたまっていた涙が零れた。
俺は彼女の視界を奪うように身体をきつく抱きしめた。
「えっ!!」
「こうしてれば平気なんだろ? ひとりが苦手なら俺がいてやるよ。俺が隣にいれば広いところも大丈夫だろ?」
「えっ、うん…………ありがとう」
親父。これでいいのか? 俺に出来ることをした。困っている女の子を助けたぜ。めっちゃくちゃ恥ずかしいけどさ……。
――――今週の日曜日。
「すごーい!」
「おい、あまり大きな声出すなよ」
「だって! 私こういう所来るの初めてなんだもん!」
「こんな広いところ来て本当に大丈夫なのかよ……」
「平気だよ! だって…………あなたがついていてくれるなら怖くないから」
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