冷遇される令嬢になると思ったら、愛情に包まれて健やかに成長できました
「新しいお母さまと半分だけ血のつながったお姉さま……なんか小さい頃読んだ絵本の話と似てる気がする。きっと私これから酷い目に遭うんだ」
男爵令嬢エメル(9歳)は小さな体で大きなため息をついた。
エメルの髪はフワフワの綿菓子のようなピンクブロンド。
顔は子猫のように愛らしい。
男爵家の一人娘として、それはそれは大切に育てられてきた。
だがそれもきっと今日までだ。
先月、母親である男爵夫人が亡くなった。
風邪をこじらせた結果の早すぎる死だった。
父親である男爵は妻の葬儀にこそ姿を見せたが、元々家に寄りつかない人だった。
幼いエメルの耳にも『外に愛人がいる』といった噂が聞こえていた。
エメルと父親との心の距離は遠い。
母亡き今、どんな扱いを受けるのか……。
不安な思いを抱えて、エメルはついに今日という日を迎えた。
新しい家族と引き合わされる日を。
※
「この子を私の目に触れさせないでちょうだい」
新しい母……男爵の後添えになった女の要望は簡潔だった。
横を向いて下された指示に使用人たちは頭を下げて従った。
「あなたが私の妹? ふーん。言っておくけど、一緒に遊んだりしないわよ。小さい子の面倒見るとか無理だもの。私はあなたの持ち物に触らないから、あなたも私の持ち物に触らないでよね」
半分血のつながった姉……男爵の隠し子は一応、エメルの顔を見て話しかけてきた。
その言葉は決して優しくも温かくもなかったが。
夫人の目に触れさせないように、ということでエメルは食事を自室で一人で取ることになった。
部屋も移動することになった。
「こちらです」
ぬいぐるみのクマを抱え、エメルはメイド長の後をついていった。
きっと埃だらけの薄暗くて寒い部屋なんだわ、と思いながら。
急な角度の狭い階段を上り、たどりついたその部屋は……。
「教会の鐘が見える!」
眺望最高の屋根裏部屋だった。
開け放った窓からは王都が一望できる。
小さなエメルは今までこんな景色を見たことがなかった。
どこまでも広がる青い空、茶色いスレートの屋根と白い壁の街並みがモザイクのように美しく、そよ風は花の香りを運んでくる。
手が届きそうなところに木の枝が伸びていて、そこに小鳥が二羽留まっていた。
可愛い、とエメルは思った。
「そこに鳥がいるわ!」
「スズメですね」
「お友達になれるかしら?」
「パンくずでもやれば寄ってきますよ」
必ず毎日パンくずを与えよう、とエメルは心に誓った。
パンくずと言えば……。
これからの食事に思い至って、エメルは暗い気持ちになった。
きっと水のような具の少ないスープと固いパンだけなんだわ。
その予想は当たった……半分だけだが。
「……美味しい!」
その日の夕食、屋根裏部屋に運ばれたスープは蓋つきの容器に入れられ、更に保温カバーをかけられていた。
一口飲んでエメルは目を見開いた。
具は少なく見えるが、ケチっているのではない、じっくり時間をかけて煮込んだ具材の栄養がこのスープに溶け込んでいるのだ。
滋養たっぷり、いわば黄金のスープ。
このスープだけでも満足できたエメルだったが、添えられたパンをちぎってまた驚いた。
「ソーセージが入ってる!」
健康に良い全粒粉のパンの中にソーセージが焼き込んであった。
質素に見せかけて、成長期に必要な栄養を取らせようという料理長の工夫が凝らされている。
エメルは夢中でパンとソーセージを咀嚼した。
今頃、男爵と後妻と隠し子と(エメルの脳内に『父親・義母・義姉』という言葉は浮かんでこなかった)三人で食卓を囲んでいることだろう。
そっちの方が賑やかで贅沢なのだろう。
少し寂しい気はしたが、エメルはそれ以上『そっち』のことは考えなかった。
パンとスープとソーセージを食べるのに両手も口も頭の中も忙しかったので。
夜、眠りに落ちる前、エメルは部屋の中を見渡した。
たった一本のロウソクで照らされた、飾り気のない屋根裏部屋。
屋根の傾斜で壁も斜めだし、家具も最低限、目を楽しませるものはぬいぐるみのクマくらいしかない。
屋根の上で時々音がするのは宵っ張りの小鳥なのか、他の動物なのか。
昨日までのエメルなら怖くて泣き出したかもしれない。
今、エメルは一人だけど、それほど怖いとは感じない。
どうして怖くないのか、ちょっと不思議に思ったが、それ以上思いを巡らせることはなかった。
まだ9歳なので、眠いので。
シーツはお日様の匂いがして気持ちよかった。
屋根裏部屋での初めての夜をエメルは夢も見ずに眠った。
※
お部屋とお食事は悪くなかったけど、きっと下働きをさせられるんだわ、とエメルは目が覚めてすぐに思った。
絵本では、掃除、洗濯、料理の下ごしらえ……とヒロインは休む暇もなく働かされていた。
そして継ぎはぎの古い服を着せられて、舞踏会にも連れて行ってもらえないのだ。
その予想は半分くらい当たった。
「エメルお嬢様にはご自分のお部屋をご自分でお掃除なさっていただきます。奥様がそのようにお望みですので」
メイド長はそう言ってエメルに新品の掃除道具一式を手渡した。
エメル専用の掃除道具。
ピカピカに新しいそれらはおままごとの道具のようでもあり、魔法使いの杖のようでもあった。
メイド長の指導に従って、屋根裏部屋にハタキをかけ、箒とちり取りでゴミを集め、バケツと雑巾で磨き上げる。
エメルは知らず知らずのうちに心が躍るのを感じた。
水の入ったバケツを屋根裏部屋まで運ぶのは大変だったが。
「エメルお嬢様、午前中はお洗濯のお手伝いをなさっていただきます」
「家庭教師とお勉強するのではないの? いつも午前中はお勉強の時間だったのに」
「奥様がそのようにお望みですので」
通いの洗濯メイド数人がシーツなどの大物を洗っている傍らで、エメルはハンカチなどの小物をせっせと洗った。
冷たい水で辛い思いをするのかと思ったが、洗濯室にはいつでもお湯が沸いていた。
たらいの水にほんの少しお湯を入れると、冷たさが和らいだ。
「お湯で洗うと汚れが落ちやすいんですけど、シルクはぬるま湯で優しく洗うものなんですよ」
「アイロンもそのまま当てていい物と、当て布を挟まなきゃいけない物がありますからね。本腰入れてやるなら何事も勉強ですよ」
こんな勉強なら算数や外国語よりずっといい。
どうせ家庭教師との勉強には戻れないんだから、本腰いれてやってみよう。
洗濯メイドたちが口々に教えてくる勉強をエメルは頑張って覚えた。
「エメルお嬢様、午後はこちらで料理人の手伝いをなさっていただきます」
「習い事をするのではないの? いつも午後はピアノやダンスを習っていたのに」
「奥様がそのようにお望みですので」
料理人たちが夕食の仕込みをする傍らで、エメルは芋の皮むきに励んだ。
ナイフで手を切るのではないかと怖かったが、渡されたのはピーラーという道具だった。
「芋の皮が上手にむけるようになったら、次は切り方を教えてあげますよ」
簡単なことから段階的に覚えていって、レベルアップするごとに楽しみが増していくのだそうだ。
レベルアップしたいエメルは頑張って料理を習った。
いちょう切り、短冊切り、みじん切り……。
いくつもの技を覚えた頃には手を切るのを恐れることもなくなっていた。
こうして数年の月日が流れた。
※
男爵は十二歳になる娘エメルを書斎に呼び出した。
仕事の手を止めず、書類から目を上げることもなく、伝達事項を機械的に告げる。
「学園入学に先立って、おまえをマクディル侯爵家に奉公に出すことにした。マクディル侯爵家にはおまえと同い年のご令嬢がいる。メイド見習いとしてお仕えして、学園でもお屋敷でも陰ひなたなくお世話するんだ。ご令嬢には決して逆らうな。どんな無体な命令にも従え。ご令嬢に気に入られるように振る舞うんだ。家に帰れると思うな。これから入学までは侯爵家に住み込みで働き、入学したら学園の寮に入るんだ。おまえがこの家に戻ることはない」
「はい、わかりました!」
思いがけず溌溂とした声が返ってきて、男爵は書類から目を上げた。
目の前でニコニコしている娘を見て、男爵は戸惑う。
この娘はこんなに明るく笑う子だっただろうか。
母親の死を悲しんでばかりで新しい家族に打ち解けようとしない、陰鬱な娘だと思っていたが。
食事も好き嫌いしてばかりで偏食だと聞いていたが、それにしてはふくふくと健康そうだ。
習い事も勉強も拒否して部屋に閉じこもっているごく潰しだと思っていたが……。
目の前にいる少女は太陽のように明るく、パリッとしたメイド服に包まれた小さな体には生きる喜びが満ち満ちているようだった。
「頑張ります! 侯爵家のお嬢様に気に入られるように全力でお仕えします! それじゃあ私物をまとめ終えたら、速攻でマクディル侯爵家に行きますね。一日でも早い方がいいので。ご挨拶はここで済ませることにしますね。今までお世話になりました。男爵様、奥様とお嬢様によろしくお伝えくださいませ。それでは他に御用が無ければ、これで」
「あ、ああ、じゃあ頑張れよ」
いささかマナーに欠ける元気さで、エメルは男爵の前を辞した。
バタンと音を立ててドアを閉め、パタパタと足音を立てて廊下を小走りに駆けていく。
エメルはまず洗濯室に駆け込んだ。
「聞いて聞いて! 私、マクディル侯爵家に奉公に上がることになった! 同い年のお嬢様にお仕えするんだって!」
「まあ大出世じゃないですか。良かったですね、エメルお嬢様、どうぞお元気で」
「うん、今までありがとうね! みんなも元気でね!」
続いてエメルは厨房に駆け込んだ。
「聞いて聞いて! 私、マクディル侯爵家に奉公に上がることになった! 学園に入学して、侯爵家のお嬢様のお世話をするんだって!」
「ほほう、なかなかいい話じゃないですか。勤め先として文句なしですよ」
「うん、ありがとう! 私、頑張るね!」
最後にエメルはメイド長を捕まえた。
「聞いて聞いて! 私、マクディル侯爵家に奉公に上がることになった!」
「お話は伺っております。エメルお嬢様、今までよく辛抱なさいましたね……」
感極まって言葉に詰まるメイド長。
エメルはそんなメイド長にギュッと抱き着いた。
「みんなのお陰だし、何よりもあなたのお陰よ。お母さまの代わりに私を育ててくれてありがとう。みんなが教えてくれたこと、私、忘れない。お掃除道具セットも持って行くわ」
「まあ、エメルお嬢様、お掃除道具なんて、あちらにはもっと良い物があるでしょうに」
「心がこもってるもの。お母さまがいなくなっても生きていけるようにって、願いを込めて贈ってくれたんでしょ?」
「お嬢様……」
「私はもうお嬢様じゃなくて、メイド見習いのエメルなの。みんなのお陰でそうなれたの。マクディル侯爵家はきっといい所だと思う。もうこの家には帰らないけど、元気でね」
「お嬢様は立派に成長なさいました……」
「まだまだこれからよ。みんなが教えてくれたことを忘れずに、本腰入れて働いて、手に職つけて、レベルアップしていくね。必ず一人前のメイドになるわ」
ついにメイド長の涙腺が崩壊した。
エメルも泣き笑いだ。
メイド仲間や執事たちも集まってきた。
たくさんのハンカチが涙と鼻水で濡れた。
明日の洗濯室は大変だろう。
母親を亡くしてしばらくの間、絵本の中のヒロインにわが身をなぞらえて悲観的な気持ちになっていたエメルが、こうして感情豊かで表情がコロコロ変わる明るい少女に成長できたのは大勢の使用人たちのお陰だ。
冷遇を恐れて縮こまっていた9歳の少女は、背こそ低いが肝の太い12歳のメイド見習いになった。
素晴らしく景色のいい屋根裏部屋とスズメたちに別れを告げて、数少ない大切な思い出の品々を小さな荷物にまとめて、エメルは巣立っていく。
明るい未来に向かって。
誤字報告をいただきました。作者的に誤字ではないと判断した部分は原文のままとし、訂正すべきと判断した部分のみ適用しました。ありがとうございました。




