2-1 デジャ・アンタンデュ
見たことがない情報を見たと錯覚する現象のことをフランス語に由来する言葉でDeja-vuという。聞いたことがない情報を聞いたことがあると錯覚する現象はDeja-entenduと呼ぶらしい。Deja-entenduは英語圏でもごく稀に使用される表現とのことだ。いずれにせよ、僕はその現象を頻繁に体験する。今回のインタビューについても、6月の10日ごろから、「もうインタビューを受けていたのではないか」と、実際には受けていないにも関わらず思うようになっていた。
自分がよく出会うデジャ・ヴュやデジャ・アンダンデュには妙な共通点がある。それは、実際に知り得ないはずの情報が混ざっていることと、感じたとしても近い未来(数日単位)であり、自分の身の回りの出来事に限るということだ。予知能力とは違う。未来に起こる出来事が明確に見えているわけではないし、そもそも自分が干渉できないような経験にデジャ・ヴュやデジャ・アンダンデュを抱いたことはないからだ。
それは控えているインタビューにも同じような感覚がある。経験したことがないはずのインタビューを「思い出」そうとすると、なぜか自分が経験したことないほど長い髪(とは言っても,肩にかからない程度だが)を結んでいる光景が目に浮かぶ。雨のせいで乱れてしまったのだろうとか推測するが、実際なぜそうしているのかは自分でもわからない。ただそれをしたという記憶があるだけだ。
今までの不思議な記憶に想いを馳せる。AVIS-CHRONOSのオフィスの中の構造も「思い出」せる。実際はただの妄想や、聞き齧った知識を自分の記憶と混同しているだけかもしれない。ただ、実際には単なる妄想だとしても、このような自信が一体どこからきているのだろうと思う。
いつも通りの大学から家への帰り道。自分はスマートフォンをポケットにさしてイヤホンでランダムに流れてくる音楽を聴いていた。やけに陽気なメロディーだ。おそらくスペイン語なのだが、何を言っているのかはわからない。
自分はこのような何を言っているのかわからない曲を聴くのが好きだ。世界には80億人近くもの人がいる。その中には自分と同じような感情の人もどこかにいるのだろうと思えてくる。次に流れてきた音楽はおそらく韓国語だ。韓国語についても사랑해(サランへ)が「愛している」ということしか知らない。もちろん歌が何を言っているかはわからないが、メロディから感じる心の揺れ動きや心象は多くの国で共通しているように感じる。和訳の歌詞を見ても、コード進行やメロディにマイナーコードが多いものは胸の痛みを歌った歌詞であることが多い。
海を越えても音楽に対する印象は同じなのだろう。自分はそんなことを考えながら、目的の駅に到着した。
自分は武蔵小杉駅で降りた。雨がいつ降ってもおかしくないような空模様であるが、今後の降水確率は20%ほどのようだ。しかし、通学中に雨が降っていたため右手には傘を持っている。自分は傘を右肘にかけて改札を通過した。




