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盤上の街スーパウロ  作者: TAMI


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第49話 沈黙の指し手

決定打になりそうな「筋」を、ようやく掴みかけていた。

それは、将棋で言えば“詰みの入り口”みたいな線だった。


マッセの店を起点に動く金の流れ。

下っ端の運び屋たちが使う格安アパートの名義。

夜ごと人が出入りする倉庫の監視カメラ。


そのいくつかが、一本の線で繋がりはじめていた。


「ここ……ログ、残ってるな」


古い事務室の片隅。

誰も使いたがらない、熱を持ったパソコンの前に、ルアンは座り込んでいた。

事務員に借りた椅子は、体重をかけるたびにギシギシと鳴る。


防犯カメラの記録。出入金の履歴。

マッセ系の店で使われたクレジット端末の使用ログ。


バラバラだった数字と時間が、少しずつ一枚の盤に収まっていく感覚があった。


(深夜だけ現れるこの影……“飛び駒”だな)


深夜にだけ現れる同じ輪郭。

別のカメラでも、別の日付でも、必ずその影が通過する。


そこからさらに遡れば――

ある幹部の名義口座に、細かく分けられた金が流れ込んでいるはずだった。


「……行ける」


指先が、マウスを握る手に力を込める。

汗で少し滑るのも構わず、ログの保存先を別フォルダに移す。

バックアップ用に外付けディスクも繋いだ。

二重、三重に「逃げ道」を用意しておく。


(ここまで読めていれば、詰み筋は見える)


そう思えたのは、久しぶりだった。


翌日、同じ部屋に入った瞬間、空気の重さが違うと分かった。


パソコンは電源が落とされている。

昨日と同じように椅子に腰掛け、電源を入れた。


立ち上がった画面には、見慣れたログイン画面。

パスワードを打ち込む。

デスクトップが開く。


……何も、ない。


保存しておいたはずのフォルダも、バックアップ用のアイコンも、跡形もなく消えていた。


「……は?」


一度目は見落としかと思った。

二度、三度と検索しても、結果は変わらない。


外付けディスクを探す。

机の引き出し。キャビネット。段ボールの中。


どこにもない。


「バックアップもない? そんなわけ――」


言いかけたところで、背後から声が落ちてきた。


「ないと言ってるだろう」


振り向くと、上司が扉のところに立っていた。

ネクタイを緩め、手には吸いかけのタバコ。


「システム担当にも聞いた。昨夜、お前が使った以外のログは残っていないそうだ」


「そんな……昨日、自分で――」


「ルアン」


呼び捨ての声が、低くなる。


「お前は仕事の繊細さが足りん」


淡々とした口調だった。


「証拠を扱うときはな、その存在そのものを他人に悟らせないくらいでなければいけない。

 消されたってことは、どこかで“動き”を読まれたってことだ」


そう言って、上司は一枚の紙を机の端に滑らせた。

昨夜、ルアンがまとめた“捜査メモ”のコピーだ。


その紙の上に、灰皿の煙が落ちる。


「お前の熱意は買う。だが――この街ではそれだけじゃ、ただの危なっかしい駒だ」


火のついたタバコが、灰皿の縁に押し付けられる。

じゅ、と小さな音を立てて消えた。


(また、盤ごと手を叩き落としたか)


喉の奥まで込み上げてくる悔しさを、奥歯で噛み砕く。

拳に力を込めれば、制服の生地の下で古い針痕がじんわりと熱を持った。


外に出ると、まだ朝だというのに、署の廊下は煙草と古い紙のにおいでむせ返りそうだった。


「ご苦労さん。ログは“異常なし”で処理しておいたからよ」


すれ違いざま、誰かがそう囁いて笑う。

笑い声が、さっきの灰皿の煙と同じように、低く廊下に溜まっていく。


(潰された筋は……刺さっていた筋だ)


だからこそ、潰された。

だからこそ、今は一歩引くしかない――そう言い聞かせた。


その夜、勤務を終えてロッカールームに戻る。

蛍光灯の白い光が、金属の扉を冷たく照らしていた。


自分の番号のロッカーを開ける。

制服の替えと、安物のコロン。

その手前に、見慣れない封筒がひとつ入っていた。


差出人の名前は書かれていない。

署内で使う公文書用の封筒でもない。

表には、ただ短く「ルアン」とだけ走り書きされていた。


破るつもりで掴んだ封筒なのに、指先は慎重に封を切っていた。


中から出てきたのは、薄い紙が数枚と、小さなメモリスティック。


紙には、見覚えのある数字が並んでいる。

カメラのアクセスログ。

ネットバンキングの接続時間。

マッセ系の店から特定の口座へ、細く流れ続ける送金の履歴。


昨日、自分が掴みかけていた「筋」が、

より整理され、より深いところまで追いかけられた形で並んでいた。


別の紙には、幹部の名前と、その名義口座が並んでいた。

裏書きには、短い文字。


『ここから先は、お前の仕事だ』


(……)


声にならない呼び方が、喉の奥で揺れた。


筆跡は知らない。

だが、このまとめ方は、あの男の読み方そのものだった。


影から盤を読んでいる誰か。

自分に「表の盤に立て」と言った男。


(あんた……盤の外から読んでるのかよ)


ロッカーの扉を閉めると、狭い空間の中で、金属音がかすかに響いた。

胸の奥で、何かが同時に鳴った気がする。


固くなっていた指が、ふっと緩んだ。


表の警官としての自分の一手と、

影から伸ばされた静かな一手が、

盤の上で一瞬だけ重なったような感覚があった。


(この局面は――あなたの将棋じゃない)


ルアンは、封筒とメモリスティックを制服の内ポケットにしまい込む。


(ここから先は、俺の将棋だ)


影から置かれた一手を、どう使うか。

どこまで運ぶか。

どこで切るか。


それを決めるのは、盤の上に立っている自分だ。


ロッカールームを出ると、夜の署内は静かだった。

遠くで鳴る電話の音と、コピー機の低い唸りだけが聞こえる。


(表と影、どっちの読みが正しいかじゃない)


階段を上がる足音が、コツコツと響く。


(この街を守るために、どんな読み方を選ぶかだ)


胸ポケットの中で、メモリスティックが小さく重みを主張していた。

それは、沈黙したまま置かれた一手。


その一手をどう指すのか――

盤を動かすのは、もう自分だ。


ルアンは、誰にも聞かれないように、ほんの少しだけ笑ってみせた。

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