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盤上の街スーパウロ  作者: TAMI


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第43話 壊し屋の背中は読みの外

その瞬間――コーヘイの身体が、椅子を弾き飛ばして立ち上がった。

銃口がタツヤの胸元を捉えた、その刹那だった。

ホールの喧騒も、影たちの気配も、全部まとめてコーヘイの視界の端に落ちる。


残っていたのは、ひとつだけ。


(盤だけは……ひっくり返させねぇ)


気づけば足が出ていた。

頭で決めるより先に、身体が前に出ていた。


「タツヤ!」


椅子が弾け飛ぶ音と同時に、視界一面がコーヘイの背中で塞がれる。

本能的に一手先、二手先までは読んでいたはずの場面で、タツヤは息を呑むことすら忘れた。

背中が視界を覆った理由を、頭が追いつけていない。

乾いた破裂音が、コーヘイの身体越しにタツヤの鼓膜を叩いた。


若い男の腕が跳ね、火花と硝煙が短く散る。

一発目が肩を割り、二発目が胸を貫く。

次の瞬間、鮮血がコーヘイの胸元から弾け飛んだ。

衝撃で身体が前に押し出され、足もとがよろける。

それでも、後ろには倒れなかった。

崩れそうになる体重を、前へとねじ込む。

背中で、タツヤを押し返すように。


(もう一歩……)


三発目が脇腹を撃ち抜いたところで、足から力が抜けた。

支えを失った身体が、ようやく前のめりに崩れ落ちる。

跳ね上がった銃口から漏れた弾丸が一発、タツヤの脇腹をかすめるようにえぐった。


「っ……!」


焼けた鉄をねじ込まれたような熱が、腹から背中へ突き抜ける。

肺の奥の空気が、勝手に押し出された。

視界の端が、じわりと暗くなる。

遠くで誰かが悲鳴を上げているような気がしたが、

音が、水の中のように遠い。


銃声が止んだのは、弾が切れたからだった。

空になったスライドが、乾いた音を立てて後ろで止まる。


一拍遅れて、ホールのあちこちから悲鳴と怒号が弾けた。

椅子が倒れ、グラスが割れる。

黒服の一人が我に返り、若い男に飛びかかって床に押さえつける。


議員はテーブルの下に潜り込み、

警察幹部は腰のあたりに伸ばした手を、ただ震わせたまま戻す。

誰も、盤のそばの二人には近づかなかった。


タツヤは崩れ落ちるコーヘイの身体を、反射的に抱きとめた。

脇腹からこぼれる自分の血と、コーヘイの胸の血とが、

シャツの裾でじわじわ混ざっていく。


「……コーヘイ」


声に出した自分の呼びかけが、少し遅れて耳に届く。

胸元で、コーヘイの喉がかすかに震えた。


「……タツヤ」


さっきまで水の底みたいに冷えていた目が、ゆっくりとこちらを向く。

その奥の冷たさが、少しずつ溶けていく。


「お前に……負けて……悔しいって、ちゃんと……思ったの……久しぶりだ」


途切れ途切れの声に、かすかな笑いが滲む。


「なのに……楽しかったんだよ……将棋ってやつは……ほんと、ムカつくくらい……な」


タツヤは血に濡れた手で、かろうじて盤のほうへ目をやった。


倒れた駒。

横たわる王。

盤の端には、捨てられた桂が一枚だけ残っている。


「……お前も、影に生きてきたんだな」


コーヘイが、掠れた声で言う。


「そして……俺もだ」


視線が、一瞬だけ桂をかすめて、またタツヤに戻る。


「なぁ……タツヤ」


その呼びかけは、さっきよりもさらに小さい。


「地獄で……リベンジさせろ……」


それは脅しでも虚勢でもない、ただの願いだった。

血にまみれた手で、まだ盤の先を望む男の言葉だった。


タツヤは、短く、はっきりとうなずく。


「あぁ。何回でも受けて立つさ」


その答えを聞いた瞬間、コーヘイの目がわずかに笑った。

冷え切っていた瞳から、最後の一瞬だけ鋭さが抜ける。

街を呪い続けてきた男の目が、ほんの数秒だけ、人の温度を取り戻した。


「……逃げんなよ……地獄でも……」


口元がわずかに歪む。


「盤ぐらいは……用意しと……い……ける」


それが、コーヘイ・ジエゴの最後の言葉だった。


次の呼吸は来なかった。

胸の上下が静かに止まり、

腕の中の身体から、ゆっくりと力が抜けていく。

タツヤの腕の中で、コーヘイはただの「重さ」になり、

血で濡れたまぶたが、すっと下りた。


ホールの中には、銃声の名残と、鉄の匂いだけが漂っている。

誰も拍手しない。誰も勝者を讃えない。


勝負は、盤上では終わった。


だが、闇は盤の外で、まだ形を決めかねている。


遠くで、タイヤを軋ませる音がした。

サイレンの声が、かすかに近づいてくる。


ホールの外では、まだ怒鳴り声が飛び交っている。

一局では到底ふさぎきれない、街のざわめきだった。


タツヤは脇腹の熱と、腕の中の重みを同時に感じながら、


(……まだ、盤は残ってる)


そう噛みしめた。


壊れなかった盤。

そこに、次の一手を指しに来る誰かの気配が、

確かに街の向こう側で、膨らみはじめていた。

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