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盤上の街スーパウロ  作者: TAMI


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第38話 闇と影の決戦

駒音が、いつもより硬く響いていた。


先手・コーヘイ。

後手・タツヤ。


最初の数手は、誰が見ても教科書どおりの出だしだった。

端の歩が一度だけ進み、角の道が軽く開く。

静かな立ち上がり――だが、静かなのは音だけだ。


コーヘイの駒は、最初から「殴る前提」で並び始めていた。

真ん中へ道を作り、銀を前へ出し、あと数歩で胸ぐらを掴みにいける形を整えていく。


タツヤは逆だった。

玉を三一に寄せ、銀と金を前に並べ、矢倉の骨格を組み上げる。

攻めの形は作らない。ただ、城を厚くすることだけを考える。


かつてマルアが「公式戦」と称して使っていた将棋ホールは、今夜だけ別の顔をしていた。

拍手も歓声もなく、酒と煙草と、押し殺した息の匂いだけが漂う。

ここが“闇の対局”だと、全員が承知していた。


この街の人間は、タツヤの将棋を知っている。

攻めない。受けて、受けて、相手の力が痩せた瞬間だけ刺す。

それで七年、裏の均衡を保ってきた男。


その“受けの将棋”を、一番よく知っているのは、ほかならぬコーヘイだった。


七年のあいだ、タツヤの盤面は徹底的に洗われた。

公開対局の棋譜。イベントでの並べ筋。噂話に混じる「逆転勝ちの形」。奇策は無い。

「受けて勝つときのパターン」を、コーヘイは全部一度は並べている。


(ガチガチに固めて、相手に空振りさせて、最後だけ刺す。

 それが“英雄様”の勝ち方ってわけか)


なら、その城ごと正面からぶっ壊せばいい。


コーヘイは、盤の真ん中に拳を叩き込むように、中央の歩をぶつけた。

受け止められた瞬間、その上から銀が一歩踏み出す。

分厚い肩を押し出して、盤のど真ん中を占領する一手。


「……来たな」


タツヤは、銀の目前にそっと一枚、歩を置く。

正面衝突を避け、ほんの一マスずらして受ける手。

ひとつでも位置を間違えれば、玉の額に銀が刺さる。

その“ひとマス”だけは、完璧に塞いでいた。


だが、コーヘイは止まらない。

さらにもう一歩、真ん中を押し広げる。

中央の板が割れ、奥にいた飛車や角の視線が、じわじわとタツヤの玉へ集まっていく。


観客席の空気が、目に見えない温度を帯びる。

議員は前のめりになり、警察幹部は腕を組み直し、企業の男は指先でライターを弄ぶ。

影の連中は、一手ごとに目つきを鋭くしていく。


タツヤは、穴を空けないように受け続けた。

金で城の壁を厚くし、桂で玉の逃げ道を確保し、角で裏から支える。

玉の周りだけは、さらに重ね塗りするように固めていく。


一見、ただ守っているだけに見える。

だが、その矢倉の形には見覚えがあった。


かつてアキヤマが好んだ、あの矢倉に似ている。

徹底的に固め、相手に殴らせ、その上で線を引く将棋。

闇と必要悪の、盤上の影。


タツヤは、自分の矢倉の内側だけは汚さないと決めている。

どれだけ外側がえぐられても、玉のいる場所だけは渡さない。


コーヘイは、その匂いも知っていた。

マルアの外側で、腐った秩序を何度も見てきた目だ。


(綺麗事の受けじゃねぇ。

 ギリギリまで泥を飲んだ“必要悪”の城――だからこそ、ぶっ壊し甲斐がある)


コーヘイは、玉頭の上に“踏み台”を並べていく。

横から抉る駒、真上から被せる駒、その間を抜けて跳ね込む桂馬。

三方向から同時に殴りかかるための、攻めの連結だ。


壊すことに迷いはない。

読み切った先に、相手が生きている保証など、コーヘイには必要ない。

勝てばいい。支配すればいい。

そのあと盤の外で何人消えようが、知ったことではない。


タツヤは、その拳の軌道一本一本に、受けの線を重ねる。

正面から殴り返す一手を、あえて指さない。

薄い反撃を一本通すより、太い守りを一本残すほうを選び続ける。


空中を跳ねた桂が、銀と飛車と一直線に並び、玉頭の一点を睨んだ。

盤上の駒が、そこだけ濃い黒い矢印になったように見える。


空気が、一段張り詰める。

誰かが小さく息を呑み、別の誰かが喉を鳴らした。

ここにいる全員が分かる。“山”が来た、と。


(ここを間違えたら、全部持っていかれる)


タツヤは盤から目を離さず、指先だけを止める。

七年分の“受けの感覚”が、ここに集まっていた。


コーヘイが口角を上げる。


「攻めてこねぇのかよ、英雄」


声は低く、盤の向こうから刺さってくる。


タツヤは目だけでコーヘイを見返した。


「攻めなくていい将棋もある。

 俺は、受けて読み切る」


「その七年分の読み、ここで全部折りに来てんだよ」


観客席の誰かが呟く。

「コーヘイの将棋、完全に“壊す側”の形だな……」

別の声が返す。

「でも、まだタツヤの玉は死んでねぇ」


タツヤは、玉から離れない。

城の壁をさらに一枚足し、逃げ道を一本だけ残す。

「ここだけは通さない」という線を、駒で塗り込めていく。


攻め駒は、コーヘイのほうが前に出ている。

働いている駒の数も、攻めの厚みも、明らかに先手が上だ。


押しているのは、コーヘイ。


だが、タツヤの玉はまだ崩れていない。

細い、一本だけだが、確かな出口が残っている。


アキヤマの残した“影の矢倉”と、

タツヤが選んだ“線を越えさせない守り”。

そこへ、コーヘイの“壊すための読み”がぶつかっている。


裏の王を決める将棋は、いまのところ――

攻めのコーヘイが一歩前に出ており、

受けのタツヤは、ぎりぎりのところで踏みとどまっていた。

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