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盤上の街スーパウロ  作者: TAMI


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第32話 将棋は人を殺さない

コーヘイ・ジエゴは苛立っていた。

机に投げ出された収支表を、靴の先で乱暴に蹴る。


仕掛けは空振り。

街はさして揺れず、組織の資金だけがじわじわ減っていく。


「回り道はいらねえ。直接やれ。タツヤを殺せ」


短く、乾いた命令だった。

細かい作戦も、念押しの脅し文句もいらないという言い方だった。


その夜、四人が出た。


 


将棋協会近くの立体駐車場、三層。

昼間は買い物客であふれるフロアも、夜になると別の顔になる。


湿ったコンクリ。むき出しの配管。

蛍光灯はところどころ切れかけていて、白いはずの光がどこか青く濁って見えた。


足音は四つ。

靴底が同じリズムでコンクリートを叩く。

どこか軍隊じみた統一感があるが、その実、呼吸は少しずつずれていた。


タツヤは、あらかじめ決めていた位置に立っていた。

灯の真下へ半歩。

影が背に長く伸びない、死角を作らない場所。


(数は四。間合いは五メートル。

 刃、素手、銃……一人はたぶん撃つ側だな)


耳で足音の重さを測りながら、

視界の端で肩と腰の揺れを拾う。


左の刃――肩が先に動く。

ギラリと光る金属よりも、その一瞬早い「予備動作」の方がよく見えた。


手首を払って、刃の軌道を外へ送り出す。

手の甲を掴んだまま壁へ滑らせ、

肘でみぞおちの空気を抜くように一撃。


鈍い息が、肺の奥から漏れた。

膝から崩れる音が、コンクリートの上で湿った。


右の拳――こちらは力任せだ。

肩・腰・足がばらばらに動いている。

だからこそ予備動作が長く、読みやすい。


拳が伸び切る前に懐へ一歩。

胸骨へ短い掌底を叩き込み、

上がった顎を肘でなぞるように打ち抜く。


静かに沈む。

倒れるというより、座り込むように力が抜けた。


背後の影――一拍速い靴音。

焦っている。呼吸が浅い。


振り向くかわりに、

近くの車のドアを強く引き、盾にするように開く。

ぶつかった勢いで相手の足が止まり、

その隙に足払いでバランスを刈る。


倒れ際の腕を極め、

握っていた刃をコンクリートに落とさせる。

腰の結束バンドで手首を留めた。


そこまでで、ほとんど時間は流れていなかった。

駐車場の外の世界では、

おそらく時計の針が一つ進んだかどうか、という程度だ。


最後の一人は、距離を取った。


指が、迷いなく腰のあたりに触れる。

布越しに硬い感触を確かめ、

喉の奥で息を押し殺しているのが遠目にも分かる。


汗が耳の下を伝う。

呼吸が浅い。

撃つ前の癖だ。


閃光。

銃口が右へ切れる。

蛍光灯の白と、マズルフラッシュの橙が一瞬だけ混ざった。


タツヤの身体は、その動きと呼吸の乱れを、

反射に近い速度で読み取っていた。


左へ半歩、滑る。

弾丸がさっきまで頭のあった位置を割いていく。


次の一発は低い。

焦りが足に出たのか、銃口がわずかに下を向く。

床すれすれをかすめる軌道を、

前への一歩で“跨ぐ”ように抜ける。


三発目は上ずった。

反動に振られた腕の角度を見て、

足元の影だけがふわりと外れる。


薬莢がコンクリートを跳ねるたび、

タツヤの位置が半足分だけずれていく。

そのズレはごく小さいが、

狙いはすぐ荒れた。


照準は形を保てず、

手首の角度と肘の高さがバラバラになる。

最後は空打ちの乾いた音だけが残った。


男は膝から崩れ、銃を手放す。

冷えた鉄が床を滑り、他の薬莢とぶつかって止まった。


 


静寂が戻る。

蛍光灯のジジジという音だけが、いつも通りに鳴っている。


タツヤは呼吸をひとつだけ整えると、

四人を順番に起こして壁際へ座らせた。


水のペットボトルを、一本ずつ置く。

喉を鳴らして飲む者、

手だけで握りしめて飲もうとしない者――反応はさまざまだった。


視線をひとりずつ受け取り、

タツヤは短く告げる。


「二択だ」


声は低く、しかしはっきりしていた。


「俺の“影”で動け。

 殺しなし、薬なし、裏切りは切る。

 従うなら、明日の置き場と口止め料を出す」


一人が唾を飲み込む。

もう一人が落ちた銃を一瞬だけ見た。


「……もう一つは?」


震え混じりの声が返ってくる。


「豚箱だ。今この場で通報する。

 映像、音声、拳銃。全部揃ってる。

 下に巡回がいる」


ちょうどそのときだ。

駐車場の外側で、サイレンが近くをかすめた。

ほんの短い時間、赤い光が壁に揺れる。


喉仏が、四つ同時に上下する。


最初の男は、真っ先に目を伏せた。


「……家族がいる。

 影でやる。誰にもバレないなら、それでいい」


二人目も、時間差でうなずく。


「……怖かった。

 マッセも、あんたも。

 でも、まだ終わりたくねえ」


三人目は、逆に立ち上がった。

膝が震えているが、それでも逃げるほうを選ばなかった。


「もう面倒はごめんだ。

 ……罪は払う。中に入る。

 ここで終わる方が、まだマシだ」


四人目――弾切れの男は肩で息をし、

床に落ちた銃から目を離せずにいた。

やがて、ゆっくりと顔を上げる。


「……影に入る。

 もう撃たない。

 ああいうのは、もうたくさんだ」


タツヤは頷き、封筒と連絡札を二人に渡す。

そこには、明日から動くべき場所と簡単なルールだけが書かれている。


もう一人――自ら送致を選んだ男には、非常階段の方向を顎で示した。


「ここから下りろ。

 踊り場に警官がいる。名前を出して、全部話せ」


最後に、タツヤは耳につけた無線へと指を伸ばす。


「ひとり送致、影は三名登録。

 搬送は穏便に」


短い沈黙のあと、落ち着いた声が返る。


「了解、玉将」


昼のうちに打ってあった手が、静かに機能していた。


 


駒としての金は、昼のうちに打たれていた。


裏通りの入り口に人を立たせ、

工事中の札を下げた。

それだけで、夜の通行は半分に減る。


抜け道になりそうな路地には廃材を積み、

“通れるけれど、通りたくはない”道に変えておいた。


情報が抜けそうな路地は、すべて塞いだ。

騒ぎが起きそうな若者の溜まり場には、

別の金が昼間のうちに顔を出している。


「今夜は別の店で飲め。

 こっちは警察がうろつくらしい」


それだけ伝えれば、駒は勝手に動く。

火種が火種のまま、静かに消えていく。


タツヤの届かない場所で起きるはずだった暴動は、

始まる前に終わった。


夜は静かだった。

あまりにも、静かだった。


 


駐車場の縁で、タツヤは夜気を吸う。

コンクリートの匂いと、遠くの屋台の油の匂いが混ざって鼻に届く。


誰も死んでいない。

血も流れていない。

救急車も、霊柩車も呼ばれない夜。


だからこそ、今夜の暴れは止まった。

コーヘイの懐だけが、少しだけ薄くなる。


(……こういう止め方もある)


自分の周りだけで固めていた守りが、

手持ちの駒を打つみたいに街じゅうへ伸びていく。


端を受け止める香。

斜めの筋を押さえる角。

要所には金。

見えない利きが重なって、暴れの芽を潰していく。


タツヤは、さっきまで弾丸が飛んでいた空間を一度だけ見渡した。


ここはただの駐車場だ。

明日の昼には、誰かが買い物袋を提げて車を停める。

今夜のことなど、何も知らないまま。


(それでいい。

 それが一番いい)


去り際に、タツヤは短く落とす。


「将棋は人を殺さない。俺も同じだ」

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