第31話 届かない光
昼。将棋協会。
長机の盤面に、子どもたちの息が集まっていた。
タツヤは会長として立ち、駒箱を開ける前に一言だけ置く。
「受けは、逃げじゃない。崩れない形で受け切れば、それが一番速い“反撃”になる」
歩を一枚差し出し、金を寄せ、利きを重ねて見せる。
焦った子が飛車を振ると、タツヤは首を横に振る。
「急ぐな。相手の狙いを一つずつ外す。ほら、ここで中合い。ここで手番ずらし。
――攻めないで、止める、って手がある」
保護者の笑い声。外はまだ明るい。
(昼は盤の上で受け切る。夜は街で――だ)
夜の街は、火と硝煙でざらついていた。
マッセは店を壊し、薬を撒く。見せしめだ。
支配じゃない。占領――それが奴らのやり方。
だが、その半歩先で“受け”が先に置かれていた。
港北の輸送車は、燃える前に箱が空。鍵は別に回してある――要の駒を先に外す手。
暴動は、刻に合わせてパトカーが横に止まり、通路を塞ぐ――中合いの一手。
地下の取引所は、踏み込み前に送電を落として暗転――手番をずらして、撃たせない。
「……また先回りか。俺たち以外にマルアの亡霊がいるのか?」
マッセの幹部が吐き捨てる。
それは正確に、タツヤの“影”が動いた跡だった。
地図の前で、タツヤは短く告げる。
「B7は空だ。C2の抜けを閉じろ。病院裏は三分後、地下は九十秒」
返る声も短い。
「了解。影で動く」
やっていることは綺麗じゃない。
嘘も使う。金も使う。時には痛みも。
偽の連絡で足を止め、餌で動線を折る。
けれど、殺しはしない。薬は流さない。そこは盤外に置く。
(正義は遅い。届かない場所がある。
だから影を使う。目的は同じ――守ることだ)
タツヤは自分を“玉”と考える。影の玉。
逃げるためじゃない。真ん中で全部を受ける核だ。
影はその周りに組む守り。見えず、速く、静かに利きを延ばす。
ある日会長室の扉が一度、控えめに叩かれた。
入ってきたのはルアン。真っ直ぐな目をしている。
「先生……もう、正義じゃないの?」
無線がかすかに鳴る。外はまだざわつく。
タツヤは窓の外を見た。ネオンが滲み、影が交じる。
「正義で守れる場所は、限られてる」
言葉を選んで、ゆっくり置く。
「届かないところがある。そこを埋めるのが、今の俺だ。
やり方は変わった。でも、守る相手は変わってない」
ルアンは唇を噛む。
「……悪い手も、使うの?」
「使う。だが一線は越えない。」
タツヤは机の地図に指を置いた。
「読む。動かす。止める。
俺の読みが導くのは、“勝ち”じゃない。“未来”だ」
沈黙。遠くでサイレンが細く伸びる。
ルアンは視線を落とし、取っ手に手をかける。
振り返って、短く問う。
「……その“未来”、本当にみんなのため?」
問いだけが残り、扉が閉まる。
無線が二度鳴り、影の連絡が走る。
街の灯がひとつ消えるたび、別の場所で小さく灯る。
見えない守りが組まれ、解かれ、また組まれる。
それは闇ではない。
昼は盤の上で、夜は街の底で――同じ“受け”が働いている。
光を支える筋として、静かに街へ根を張っていく。




