第26話 継がれた技
夜はまだ、終わっていなかった。
マッセの暴動が始まったのは、日付が変わる少し前だった。
火ではなく、人で燃やす。
輸送車、倉庫、下水路。
“戦争”ではなく“侵食”。
タツヤは協会の灯を落とし、無線で連絡を飛ばしていた。
信頼できる警察、医師、ボランティア。
救援と避難を同時に動かす。
「北の保育所、全員避難。……よし、次は小学校区。医療班を先に回せ」
「救急車は東のバイパスへ。病院の非常電源は別棟に切替」
「信号は手動、横断は一列。ガスは止め、水は別ラインで確保」
読める筋から受けを厚くする。
救急搬入口は一時閉鎖、迂回に誘導。
学校の非常口は先に解錠、倒れかけの看板は撤去。
危ない通りは人だけ先に動かす。
無線が返す声は、次第に同じ言葉で埋まっていった。
「避難完了」
「けが人なし」
「火は伸びず」
「犯人確保」
タツヤが線を引いた区画では、死者は出なかった。
彼が“届く”と決めた範囲は、最後まで守り切れた。
ただ、地図の南区だけが、空白のままだった。
倉庫街。マッセの根。
そこに、“彼”がいた。
(……ソンダイ。お前、また理の外へ出たな)
止められなかった。
守りを選べば仲間を失う。攻めを選べば街を壊す。
その夜、タツヤは“選ばなかった”。選ばずに、守り切った。
(ここまでは守った。……その先は、まだだ)
夜明けの青。
静まりかけた頃、協会の屋根で羽音がした。
小さな影。ポンバだった。
翼に煤、脚環には乾いた赤。
黒いチップが挟まっている。
血の跡が乾いて、こびりついていた。
タツヤは無言で受け取った。
差し込んだ瞬間、データが走る。
マッセの内部資金、麻薬の流れ、襲撃の予定表。
――そして最後の記録:倉庫街。
(全部、お前ひとりで……)
画面の光が、タツヤを照らす。
ソンダイの命が情報に変わって届いた。
タツヤは目を閉じた。
声も出さず、ただ立ち尽くす。
守った街の灯りが、遠くに見える。
その明かりの外側で、ひとつの命が燃え尽きた。
机の上の将棋盤に、桂馬が一つ。
昨夜、動かさなかったままの駒。
指で触れると、木の温度が冷たい。
形の端に、灰色のシミがある。
「……ソンダイ」
声は掠れた。
駒を持ち上げ、中央に置く。――7六桂。
命の跡をなぞるように。
涙がひとつ、駒の角を伝って落ちた。
音はなかった。
それが“届かなかった一手”の証だった。
タツヤは顔を上げる。
夜明けが街を洗っていく。
光は弱く、冷たい。
それでも、確かに届いていた。
「……技の命、受け取った」
ポンバが窓の外で鳴き、羽を広げる。
タツヤはもう動かない。
守るために、影へ踏み出す準備をしていた。
盤の影が、朝日を受けて、ゆっくりと長く伸びていった。




