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盤上の街スーパウロ  作者: TAMI


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20/25

第20話 無秩序の増殖

午後のスーパウロ将棋協会。

タツヤとルアンが盤を挟んでいた。盤面は中盤、均衡。駒音だけが静かに落ちる。


壁にかかったテレビが、ちょうどニュース特集を流していた。画面には、炎上する車。路地で殴り合う影。泣き叫ぶ声。サイレン。


「暴行・放火・強奪が短時間で連続して発生。犯行グループ“マッセ”が関与していると見られています。警察は『対応が追いつかない』と――」


そこまで聞いて、ルアンが手を止めた。持っていた銀が、盤上で宙に浮いたまま固まる。


「先生……また、増えてますよね。」


タツヤは盤から視線を上げない。

「前より、って意味なら違う。」


ルアンが目を瞬かせる。

「違うんですか?」


「表に出てきただけだ。もともと、こういう奴らは隠れていた。」


それは慰めではなかった。事実の確認だった。

ルアンは唇を噛む。銀を置けずにいる。


「……怖いです。でも、将棋だけはやめたくないんです。」


タツヤはそこで顔を上げた。ようやくルアンを見る。

「続けていい。指している間は、まだ大丈夫だ。」


ルアンは小さく息を吐いた。わずかに肩の力が抜ける。


協会の扉が開いた。


「ほう。余裕の稽古会、ってわけか。」


いつもの調子で入ってきたのはソンダイだった。書類の束を片手に、コンビニのコーヒーをもう片方の手で揺らしている。


「こんにちは。」ルアンが会釈する。


「おう。この人の守り、崩せた?」

「まだです。」

「でしょうね。」


ソンダイが笑うと、タツヤが淡々と口を開いた。

「ルアン。今日はここまでだ。帰り道は大通りを使え。」


それだけで、ルアンは察したようにうなずいた。

「はい。また来ます。」


ルアンが扉の向こうに消える。

残った空間に、少しだけ重さが落ちる。

ソンダイはコーヒーを机に置き、書類の束をタツヤの前に滑らせた。


「マッセの話だ。」


タツヤのまぶたが、わずかに下がる。

それは「聞く」という合図だった。


ソンダイは紙を一枚抜き、指先で弾く。

「頭目の名前がはっきりした。コーヘイ・ジエゴ。元はマルア側の人間。」


タツヤの視線がそこに止まる。

「聞いた名じゃない。」


「表に出てこなかったからな。いわゆる、後ろの人間。力仕事もやるし、始末もやる。汚れ役専門。」


淡々とした言い回しだったが、その“汚れ役”という言葉には、普通じゃない匂いが混じっていた。


「マルアが崩れたあと、行き場のない連中を拾って回って、今のマッセにしたのがそいつだ。」

ソンダイは指で机を軽く叩く。「コーヘイの言い分はこうだ。『街は管理されすぎた。だから壊す』。」


「管理、か。」タツヤが小さく繰り返す。


「マルアは支配だろ。マッセは破壊そのもの。目的が違う。タチが悪いのはそこ。」


タツヤは黙ったまま、資料の写真を見る。

暗い細い路地。笑っている男。だがその目だけが笑っていない。


ソンダイが続ける。

「公安は一時は機能してた。マルアの崩壊後、しばらくは。だが今はもう押さえきれてない。警察は下っ端がビビって動けなくて、上は金で黙らされてる。」


「上も下も、別の理由で止まってるってことか。」


「そういうこと。間に挟まれた市民だけが殴られてる。」


協会の中は静かだった。テレビは音を消されている。

タツヤはしばらく何も言わない。黙ったまま指先で一枚の駒をいじった。


「……ここまで大きくなるとは、読めなかったか?」


そう問うソンダイの声は、ふざけていない。


タツヤはゆっくり首を横に振った。

「違う。大きくなるのはわかってた。問題は、速さだ。」


ソンダイが眉を上げる。

タツヤはそのまま続けた。


「マルアは街を握って動いてた。だから動きに“段”があった。こっちも備えやすかった。止め方があった。

 でもマッセは、持ってる手を全部同時に打ってくる。順番がない。だから防御の形が整う前に割られる。」


「順番がない、ね。悪い言い方すると“脳みそ使ってない”ってやつだな。」


「脳みそを捨てたほうが速い、って知ってるやつが上にいるってことだ。」


ソンダイはふっと笑い、けどその笑いはすぐ溶けた。

「……嫌な時代だな。」


タツヤは窓の外を見る。日が落ちかけていた。街の色が朱から青に変わっていく時間帯。


「街が壊れるときは音を立てない。静かに形だけ変わる。気づいたときには、別物になってる。」


「それ、記者の言葉か?」


「今は会長の言葉だ。」


短いやり取りだったが、そこにはもう、笑いは戻らない。


その夜。

協会から少し離れた場所。

街灯の下にバイクが停まった。黒いヘルメットが三つ。タツヤの顔写真が地面に投げられる。


「こいつがマルアを潰したんだろ。だから今、俺たちはこうなってんだろ。」

「だったら次は、こいつの番だ。」


吐き捨てる声は幼い興奮と歪んだ正義感でできていた。

本気で信じている声だった。


――協会ごと燃やす。


その言葉だけが、夜気の中に残った。


同じころ。

タツヤは協会の明かりを落とし、カーテンの隙間から通りを見ていた。視線が、闇の奥のさらに奥をなぞるみたいに動く。


「……動きが早い。」


呟きは小さかった。誰にも聞こえない。


右手の中には、いつも持ち歩いている駒。

それは“玉”。

タツヤはしばらくそれを指の中で転がし、握り直した。

表情は静かだった。ただ、目だけが冷たい。


(来るなら、迎える。

 俺の届く範囲は、全部守る。)


街は、ゆっくりと音を失っていく。

静かなまま、別の形になろうとしていた。

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