第18話 再会
夜のスーパウロ。
湿った風が吹き抜け、街灯の光が路地に滲んでいた。
タツヤは手をポケットに突っ込み、無言のまま歩く。
――向かう先は旧市街の外れ。
今夜、会うべき相手がいる。
「……あの男が動くってことは、何か起きてるな。」
呟いた直後、背後に二つの足音。
間隔、呼吸、足の着き方。
(若い。刃物は一本。左腰。素人だな。)
「おい兄ちゃん、止まれよ。」
「いいもん持ってんだろ?」
タツヤは歩みを止めず、口元だけで笑う。
「またか、今月で五回目だぞ。」
風が鳴る。
踏み込み、前の男の腕を払う。
手首をねじり、体ごと叩きつける。
もう一人が横から殴りかかる。
タツヤは一歩下がり、懐から木の駒を弾いた。
小さな桂馬が回転し、相手の額を正確に撃つ。
「……桂馬は、斜めに跳ぶもんだ。」
二人が崩れ落ちる。
タツヤは駒を拾い上げ、溜息をひとつ。
「読めないなら、絡むな。」
こうした絡みは慣れっこだった。
マルアが消えても、街にはまだノイズが残る。
「……で、三人目。」
路地の奥、衣擦れの音。
(背後六メートル。靴の音が軽い――)
タツヤの肩がわずかに動く。
風向きを読むように、呼吸を整える。
――来る。あと三秒。
「……なるほど。」
低く呟いた、その瞬間だった。
バチィッ!!
青白い閃光が、夜を裂いた。
火花の匂い、焦げた空気。
背後の男が短い悲鳴を上げて崩れ落ちる。
タツヤは振り向く。
そこに、黒いフードの男が立っていた。
片手には、火花を散らすスタンガン。
「……遅かったな。」
タツヤの声は低く落ち着いていた。
男は軽く肩をすくめて、にやりと笑う。
「お前が早すぎんだよ。相変わらず化け物だな。」
その声に、タツヤの目が細くなる。
懐かしい響きだった。
「よお、街の英雄さんよ。」
「その呼び方やめろ。」
「じゃ、“玉将”で。」
「もっとやめろ。」
男はフードを下ろす。
皮肉げな笑み、鋭い目。
だがどこか人懐っこさが残る顔。
「せめて護身用ぐらい持てよ。読みで全部どうにかなると思ってんのか?」
「読めば十分だ。」
「……ほんと、治ってねぇな。」
軽口。だが空気は確かに緊張を帯びていた。
「久しぶりだな。」
「……ああ。」
タツヤの声が一瞬だけ柔らかくなる。
「ソンダイ。」
夜の静寂に、名前が落ちた。
彼はかつての記者仲間にして、
今はスーパウロ随一の探偵兼情報屋。
“読み”で街を歩くタツヤに対し、
“技”で裏を抜ける盤外の男だった。
「で、こいつらは?」
「“マッセ”の下っ端だ。最近、旧市街で動きが多い。」
「……やっぱりな。」
「お前、ほんと読むの好きだな。」
タツヤは静かに言う。
「街がざらついてる。静かな夜ほど、嵐の足音が聞こえる。」
ソンダイは苦笑し、ポケットからタバコを取り出す。
「詩人かよ。相変わらずクサいな。」
「お前が軽すぎるだけだ。」
「はは、そりゃそうか。」
二人の笑いが、夜の風に混ざった。
その刹那、遠くでパトカーのサイレンが鳴る。
ネオンが二人の影を路地に伸ばした。
「盤上も街も、読み損ねたら詰む。」
タツヤが言うと、ソンダイはニヤリと笑った。
「じゃあさ、“お前の読みの外側”は、俺が守ってやるよ。とりあえず一局どうだ?」
タツヤは目を細めて、ただ小さく頷く。
そして、夜の奥で――
またひとつ、“次の駒”が動き始めた。




