9. Heavy mental
<これまでのあらすじ>
中規模商社の営業職、更科巧31歳は、夜の山道をドライブ中こっそり乗り込んでいた女の子を成り行きで街まで送ることになった。
女の子の名は有本藍子、地方銀行に勤める25歳。身に覚えのない周囲からの冷たい視線に耐えながら日々なんとか暮らしていたところ、行内で噂のエリート王子様(江口総一郎)に熱烈なアプローチを受けるようになる。
なぜか江口と食事をする事になった藍子だが、帰りがけ、山奥に連れてこられ恐怖を感じてしまい逃げ出したところ、偶々たくみの車を見つけ潜り込むことにした。
どうにか街まで送ってもらった藍子だが、家に帰る気にもなれず駅前のネットカフェで一夜を過ごす。
翌日、これからどうしようかと思案していると、昨日の車の男性の事を思い出して一か八かでその人に頼ってみる事を決意する。
藍子を匿うことを決めた更科巧だったが、これからどうしたものか困惑し、同僚の新道と先輩の美咲に
相談することにした結果、どういうわけか藍子は美咲さんに引き取られることになった。
藍子が美咲さん宅へ向かうのを見送っていたたくみは、ある人物から呼び出しを食らい……
9. Heavy mental (想い)
“ 純喫茶da capo ”
見た目の印象は風格のある、有り体に言えば古めかしい佇まいの店構え。その店の前で、就職面接の時すら温く思えるほどの緊張感に圧し潰されそうな俺がいる。
「申し訳ありませんが明日の午後二時、扇戸駅前の“da capo ”というお店でお会いできませんでしょうか? 藍子には内密で」
お願いの体で、拒否の余地を許さない雰囲気の問いに
「はい……」
と答えるしかなかった俺は、翌日の13時50分現在、店の前でただひたすら気持ちを落ち着かせようと必死だった。
考えてみれば俺に落ち度や過失は一切無い(よね?)わけで、感謝されこそすれ、お叱りを受ける事は無いはずと思っているが、一方で大事な嫁入り前の娘様と数日暮らしたという事実が世間的心情としてどの程度の罪に当たるのか予想がつかない事もあって、
――(訴えられたりするんじゃないだろうな……)
とビビりまくっているわけだ。
少しでも早めに入店して心象を落とさないようにと、自分の小心さ加減に辟易しつつ、店の扉を開ける。
店内を見渡すと、サラリーマン風の男性が一人と奥に(40……いや30台か?)と見えるふんわりとした雰囲気の女性が座っている。
――(まさかな……)
そう考えていると、その女性が俺に気付き、すくっと立ってお辞儀をしてくる。
――(え? ウソでしょ)
半信半疑で近寄り、尋ねてみる。
「あの…… 有本さんの……」
「この度は娘がご迷惑とご面倒をおかけしまして大変申し訳ございませんでした。藍子の母の有本梗子と申します」
深々と頭を下げる。
「…… あ、更科巧と申します……」
――(ヒャー! わっかいなー)
第一印象はそれに尽きた。
目元は確かにアリアに似ているが、全体的な雰囲気はむしろアリアより幼く感じるくらいだ。ただ声は昨日の電話のそれで、お母さんなんだと感じ入る。
席についてコーヒーを頼み、間もなく運ばれてくると
「本日は本当に手前勝手な呼び出しに応じて下さり申し訳ございません。娘の恩人にご無礼の極みで恐縮ですが、娘を案じての事と何卒お許しください。そして改めまして娘が大変お世話になりました、ありがとうございます」
「い、いえとんでもありません…… こちらこそご家族の心配をもっと優先すべきでした、気が回らずすみません」
「……」
じっとこちらを見てくる。
「? ……」
「なるほど、すみれが特に慌てていなかったので大丈夫とは思っておりましたが」
にっこり微笑むと、更にふうわりとした雰囲気になる。
「すみれには人を見る目といいますか、人となりを感じ取る力に長けているところがあって、あの子が大丈夫と言うからにはそうなのだろうと思っておりましたが、さすがに一週間も経ちますと不安になってくるもので…… 。不躾ながらお話を聞かせて頂こうと思った次第です、お忙しいところ本当にすみません」
「いえ、当然の事だと思います……」
――(すみれちゃんの家族内の信頼度凄いなー。 確かに少し話しただけで全て見透かされてる感あったもんなぁ……)
しかしお母さんが登場という事は
――(家族には話したという事か……)
「ちなみにすみれから更科さんの事は聞いておりませんし、今日お会いする事もすみれは知りません」
――(?)
「…… というと……」
「実は先週のあの日、すみれが藍子と電話で話しているのをたまたま聞いて(口調と内容から藍子とだと分かったんですけど)、すみれの携帯にあった履歴から連絡をさせて頂きました」
「すみれさんの携帯から…… ですか」
「昨日すみれがリビングに携帯を置いたままでしたので、それで」
――(え…… ロックとかかけてないんだ……)
「あの子の考えるパスなんてたかが知れてますしね。それに私が通話した履歴だけは削除してますから本人は気付いてないと思います」
――(おいおい! あの子の家族ってどうなってんだよ? エリート諜報員一族なのか?なんか怖いんだけど!)
「誤解のないように申し上げておきますが、娘の携帯電話を勝手に見るような事は今までも今後もありません、ただ今回だけは事態が事態だけにほとんど魔が差したような有様でして、お恥ずかしい話ですが……」
「いえ…… 無理のない事かと……」
自分の子供とはいえプライベートや家族以外との関係等々、本人が秘匿を望むなら尊重すべきだろうが、子供が突然消息を絶ったとなれば、親御さんの心中は察して余りある。
「藍子には内密で」と言ったのは、ある程度の覚悟をもって帰宅を拒んだアリアの心情を慮ってのことだろう。
「暗証番号は藍子の誕生日でした」
一層優しい眼差しで言うのを見て、なんだか俺まで温かい気持ちになってしまう。
「…… 皆さん藍子さんの事が大切…… 好きなんですね」
梗子の照れくさそうな表情にアリアの面影が見えて、お母さんなんだなと改めて思う。
「小さい頃からこと人間関係については要領の悪い子でしてね。何かとうまくいかないといいますか……要らぬものを背負ってしまう質といいますか……」
「ああ…… そういう感じですよね……」
やはり以前からの、というか性質的なものだったかとちょっと納得がいった。
「あの子もすみれの要領良さの1%でも持ってれば違ったんでしょうけど……」
――(すみれちゃんのMAXポイントって……)
「今の職場に入ってからもだんだんと元気がなくなってくる気配はありましたし、最近は特にと感じておりましたので、気にはしていました。ただ本人は家族に心配させまいとしているようでしたし、それに……」
「それに? ……」
「ご飯だけはいつもしっかり食べるものですから……」
――(でしょうねーーっ!)
「ですので今回ここまでの事になってしまって、私としてももっと早くになんとかしてあげられたんじゃないかと今更ながら……」
――(ああ、お母さん、自分の責任だと思っちゃってるな…… 皆優しいんだなぁ)
「あの、藍子さん本人もどうしたらいいのか今はまだ分からないようですが、本人なりになんとかしようと一生懸命考えているようです」
「……」
「実は昨日から僕の会社の信頼のおける先輩、あ、女性なんですが、そちらのお宅で藍子さんをお預かりするという事になりまして、加えてその先輩からは『うちの会社でバイトでも』という話をしています」
「そちらで……」
「……僕が言うのも烏滸がましいんですが、しばらくは今までと違う環境に身を置いてみるというのも、気持ちを切り替えて前に進むきっかけになるんじゃないかと」
「それは……」
明らかに逡巡の色がうかがえる(心配だよな……)
「すみません、差し出がましいことを言ってしまって……」
「いえ、こんな勝手をしてご迷惑をおかけした見ず知らずの娘の為に、これほど皆様からご配慮いただけて…… 本当になんと感謝していいのか……」
顔を覆う
「い、いえ皆勝手にやっている事ですから…… それに皆もう藍子さんの友達のようなものですし……」
実際そんな気になっているのは事実だ。
少し間を置いた後、梗子が椅子を後ろに下げて深々と頭を下げる。
「厚かましいお願いで大変申し訳ありませんが、今しばらく藍子をお願いできますでしょうか。今はあの子にとってもそれが…… どうか……」
よほど思い詰めていた事だろう。そして今この気持ちさえも身を切るような。
「いえそんな! こちらはもうそのつもりでしたので、ホントに……」
俺の方が恐縮してしまう。
梗子が傍らのバッグに手をやりながら
「重ねて失礼をお許しください。こちらは少ないのですが、お使いになられた費用と、取り急ぎの気持ちです。どうかお納めください。正式なものはまた改めまして」
すっと白い封筒が差し出される。
「⁉ いえ! これは受け取れません! お金も大して使っていませんし、本当に……」
正直、これを受け取ってしまったら今までアリアへしてきた事が全て薄っぺらいものになってしまいそうな気がしてとにかくそれが嫌だった。
「いえ、これは今私達にできるたった一つの形です。後生ですのでこれだけはお納めください」
絶対に引かないと分かる表情。 頑なな言葉は電話の時と同じだと感じた。
威圧ではなく意思…… いやアリアへの愛情だ。
「…… 、では一先ずお預かりします…… ですが娘さんを、見ず知らずの人間に預ける判断をされただけで、十分な(できる)形だと思います」
梗子が姿勢を戻してたくみの顔を正面で見据えながら
「…… 本当にあの子は良い縁に出会えたわ」
安堵と優しさの入り混じった笑顔で微笑んだ。
「少々行動は愚か過ぎでしたが」
「あー…… 少しそれは僕も…… あ、すみません」
梗子が思わず笑う。その顔もまたアリアそっくりに。
「重ね重ね申し訳ありませんが、これを藍子にお渡し頂けますか」
女性ものの小さなバッグをテーブルに置く。
「あの子の財布と携帯電話が入っています」
「…… はい、必ず」
「そして、『先ずは今の勤め先の事をきっちりとさせてから行く道を考えなさい』とお伝え願えますでしょうか」
何を考え、何をやるにせよ、今の状況を整理してでなければ進めないのは道理だ。環境にしても、気持ちにしても。
「はい、必ず伝えます」
お母さんや家族の想いも一緒に。
つづく




