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7. Take me home

<これまでのあらすじ>

 中規模商社の営業職、更科巧(さらしなたくみ)31歳は、夜の山道をドライブ中こっそり乗り込んでいた女の子を成り行きで街まで送ることになった。

 女の子の名は有本藍子(ありもとあいこ)、地方銀行に勤める25歳。身に覚えのない周囲からの冷たい視線に耐えながら日々なんとか暮らしていたところ、行内で噂のエリート王子様(江口総一郎)に熱烈なアプローチを受けるようになる。

 なぜか江口と食事をする事になった藍子だが、帰りがけ、山奥に連れてこられ恐怖を感じてしまい逃げ出したところ、偶々たくみの車を見つけ潜り込むことにした。

 どうにか街まで送ってもらった藍子だが、家に帰る気にもなれず駅前のネットカフェで一夜を過ごす。

 翌日、これからどうしようかと思案していると、昨日の車の男性の事を思い出して一か八かでその人に頼ってみる事を決意する。

 

 目の前に突然現れたくだんの女の子に、たくみは……



 

          7. Take me home (たくみ宅)



 コンビニ近くの喫茶店もどきでお茶を飲んでいる。

夜はカラオケスナックを営業している店が、昼の間だけ喫茶店まがいの事をやっている程度のところだ。

テーブルやソファ、装飾なんかは完全に夜の店のそれで、およそ普通の喫茶店とはかけ離れている。

 ここら辺で「軽くお茶でも」となったらこんなところしかなかったので入っただけで、もちろん今まで利用した事はない。


 そして場違いという意味では、なかなか強力な場違いがたくみの目の前に座っている。

昨日の女の子だ。



 コンビニで再会した時は、驚きのあまり叫びそうになり、

――(本当に取り憑かれたのか俺? ……)

と本気で考えていた。

「お、お話がありまして!」

そう言われ、狼狽うろたえながらも

「…… じゃ、じゃあとりあえずお茶でも……」

ということで今に至っている。


 お礼と返金かとも思ったが、そもそもあのコンビニにこの子が居た事も謎だし、話があるとはどういうことか、全く予想も想像もつかない。

『この先こんながあったら……』なんて変な後悔を思い浮かべていた最中だったのもあって、つい

――(話くらいなら聞いてあげようかな……)

なんて思ってしまった事を、もう既に後悔し始めている。

――(んーさて…… 、何が飛び出すのか……)


 とりあえず向こう(女の子)からの出方を待っていると

「あの、これ……」

と言って、千円札を三枚と小銭、あとレシートっぽいものをテーブルの上に出して俺の方へ押しやってくる。

「この他に電話と電車代とバス代で九百七十円ほど使ってしまいました、本当にありがとうございました」

――(ああ…… 使途明細の報告なんだ。律儀な子だなぁ)


「ああ、別にそれはもう……」

と言いかけたところで、ふと違和感が浮かぶ。

――(…… ん? 出直してきて返金なら普通全額だよな? まぁ返してもらおうなんて思ってなかったからそれはどうでもいいんだけど…… そういえば服も昨日と同じような…… ⁉)


 レシートの一つにネットカフェの物がある。

――(昨日はあの辺りのネカフェに泊まったのか…… 、すると状況は昨日のまま? )

更に話が見えなくなってくる。

――(残りの金を俺に返して一体どうするつもり……)

そこまで考えて最悪な展開を思い浮かべてしまった。


『もう〇のうと思いまして……』

――(……………… おいおいおいおい待て待て待て!)


 まさかとは思う。思いたい。

しかし改めて彼女を見ると、昨晩の暗がりよりずっと周りの明るい今の方がより陰鬱に見えた。

目の下にもクマのような影が見て取れる。

――(きっと眠れてはいないんだろうな……)


 嫌な予感がどんどん現実味を帯びてきて、喉の奥が急激にチリチリとした渇きを訴えてきた。

――(待て…… ちょっと落ち着こう)

 コーヒーに手を伸ばし、軽く口に含んだところで……

「あのっ! しばらくご自宅に置いてはもらえませんでしょうか!」

「ゴッッブ‼」

想定外過ぎる言葉に全身が驚いている。

――(ぐあっ‼ 変なところにコーヒー入った‼ イタイイタイ鼻が!)


「料理はその…… あんまりできないんですけど、掃除やお洗濯なら出来ますから! しばらくの間だけどうかなにとぞ……」

彼女がテーブルに頭を打ちつけんばかりにひれ伏してきた。

 奥で新聞を読んでいた店のマスターが

『兄ちゃん何してんの?』

みたいな顔でこっちを見ているので、とにかくこの状況を収拾しなければと焦りつつ

「待て! 待って! うん! まず落ち着こう!」

犬や馬をなだめる様な感じの事を言ってみる。一番落ち着きたいのは俺だった。

「色々分からない事だらけだけど、とりあえずなぜそういう…… その、俺のところへって事になったのかってあたりを……」


 細かい経緯いきさつも聞きたいところだが、とにかく(なんで俺のとこ?)の理由が問題だ。

「…… あ、すみません! いきなりこんな事言われても困りますよね」

――(困るというか、それ以前の話が……)

「うーんと…… 困るというか、何より状況が飲み込めなくて……」

「あ……」


 どうにか自分の暴走ぶりに気が付けたらしい(よな?)ので一歩前進と思いたい。

「…… あの、私どこにも行くあてが無くて……」

――(んー…… まぁそうなんでしょうけど俺が聞きたいのはもっとこう……)

「昨日あれからネットカフェ? ってところに居たんですけどこの先行くところもなく…… 本当に厚かましいとは思ったんですけど、貴方様しか頼るところが思いつかなくて……」

――(貴方様ときたかぁ……)


「あの時『これ以上の面倒はごめんだ』と言われたことは本当にその通りで、絶対にこれ以上は御恩に仇で返すだけだと思ったんですけど、他に縋れるものがもう私には……」

「……」

知りたい内容の答えは全然得られなかったが、彼女の差し迫った状況と覚悟みたいなものはなんとなく伝わってきたような気がする。

――(それと……)

 テーブルの上に置かれたレシートのもう一つはコンビニのレシートで、品目に“チャーおにぎり”とあるだけだ。

――(昨日からおにぎりしか食べてないのか……)

 そう思うと、(なんとかしてあげなければならんのじゃないのか?)と変な庇護心が頭の中を席捲してきた。

――(少なくともお腹を空かせた子を見放せるほど鬼畜じゃないわ)


 さっきから店のマスターが

『なにこれ? 痴話ゲンカかと思ったら詐欺とかのやつか?』

みたいなたぶんになっているので、これは早々にこの場を去った方が良さそうだと判断した。

「うーん…… じゃあとりあえず場所を変えようか……」

一先ずこの店からの脱出を決めた。


――(それにしても“チャーおにぎり ”ってなんだ?)

もちろん問題はそこじゃないけれども。


 彼女を車に(今度はちゃんと助手席に)乗せて、ファミレスにでも連れていくかと市内に向けて走り始めたが、俯きかげんでいっそう目のクマが濃くなる彼女を見ていたら

――(まずは休ませた方が良さそうだな……)

と思い直した。

――(しょうがないか……)

と俺のアパートに連れていくことを決め、車をそちらへ向かって走らせる。

――(ホテルってわけにもなぁ……)

あれこれ考えるのが面倒くさくなってきたというのが正直なところではあるが。



「汚なくて悪いけど、とりあえず上がって」

「…… あの、失礼します……」


 これ以上ないと思えるほどの遠慮と、おそらくはそれを上回る恐怖の表情。

――(そりゃビビるか、自分から願い出た事とはいえ知らない男の部屋だしな)

 おずおずと靴を脱いで入り口に立ちすくむ彼女に

「何か食べるものを作るから、テレビでも見て待っててくれる?」

とテレビの前の座卓(布団を外したコタツだけど)を勧める。

「…… 失礼します」

またそう言って恐る恐る部屋へと足を踏み入れる。

 居間の入り口付近に正座で腰を下ろすと静かにうなだれて下を向いてしまった。

――(ま、しょうがないよな……)


 その内落ち着くだろうと食事になりそうな物の準備に取り掛かる。

――(そういえば俺も何も食べてなかったからいい加減腹が減ったな)

 そう思うと今度は俄然しっかりしたものが食べたくなってきた。

――(豚バラとキャベツがあるからホイコーローでも作るかな、米も炊くか……)

少々時間がかかりそうなので

「ちょっと時間がかかるかもしれないから良かったらシャワーでも……」

と彼女の方を見ると横になって倒れている。

「⁉ え! ちょっ…… おい!」

――(返事がない…… ⁉)

慌てて駆け寄ってみると静かに寝息を立てている。

――(…… なんだ、ただの屍か……)

準備ができるまでそのままにしておくことにした。

 

 米を研いで炊飯器をセットする。

――(早炊きにしようと思ってたけど眠てるし普通炊きでいいか、その方が美味しいしな)

「さてさて」おかずの準備にとりかかることにした。


 俺のホイコーローは焼き肉用の厚切りの豚バラを使う。薄切りでは濃い味付けに負けて今ひとつ満足感が足りないからだ。本場中国では皮付きのを使うらしいがスーパーに売ってないので仕方がない。レシピを見ると下ごしらえも面倒そうだし、この辺りが妥当だろうと思っている。

 長ネギやピーマンも入れたいが、今は無いのでとりあえず玉ねぎでまかなっとく。キャベツと肉と味付けだけで十分家庭のホイコーローになる。はずだ。

 肉とキャベツ・玉ねぎ、香味のショウガとニンニクを切ったところで、ご飯の炊きあがりにあわせて仕上げようとすると今から作るには早すぎると思い、買ってきたビールを開けて飲み始める。

――(それにしても、どうするかなぁ……)


 面倒くさくなって部屋に上げてはみたものの、ここに置いてあげるかどうかはまだ決め切れてはいない。

 彼女としては部屋に招き入れられた時点で「受け入れられたもの」と考えているのかもしれないが、こればかりは簡単に決められるものではない。

――(…… ま、今日のところはここに泊めて、明日話し合って決めるか……)

 成り行きとはいえ若い女の子が自宅にいるという事実に、男として色々思うところはある。

しかし“ 弱り切っている年下の女の子 ”という事もあるが、如何いかがわしい気持ちが全く湧いてこない自分に「俺、結構紳士じゃない?」なんてちょっと誇らしく思ったりしている。

ただそれと同時に呆れてもいる。

――(実のところは厄介ごとを避けたいだけだろうけどな……)

 改めて自分の薄情さ加減を再認識していた。


 ご飯があと十分ほどで炊けそうなので料理の仕上げに取り掛かる。


 多めの油に火を通したら、ショウガとニンニクを入れて香りを立たせてから肉を入れ、粗方火が通ったところで調味料と玉ねぎ、キャベツを入れる。キャベツはフライパン一杯に入れても火が通るとそれなりのカサになるのでしみったれずに大量に入れる。

――(ホイコーローのキャベツ大好き!)

 最後に控えめの水溶き片栗粉を回し入れて、全体にとろみがついたら完成っと……。


「あの……」

「わぁ⁉」

振り向くと彼女が立っている。

「何かお手伝いを……」

――(起きたのか? いつの間に……)


「…… じゃあ悪いけど茶碗がその棚にあるから、ご飯をよそってくれるかな?」

「はい!」

ちょっと休んだからなのか、任されたのが嬉しいのか、顔色が少し明るくなった気がする。

 即席の味噌汁と、冷たい麦茶を添えていつもと違うこの部屋での夕飯となった。


「すみません…… いただきます」

お辞儀をしてから静かに彼女が食べ始めたのを見て俺も食べ始める。


「ちょっと味が濃かったかな、ついいつもの感じで作っちゃったから」

「いえ…… すごく…… 美味しい…… です…… 本当に……」

途中言葉が途切れるのは口一杯頬張っているからだ。

――(やっぱりお腹空いてたんだな……)


 そう思うと可哀想というよりなんだか微笑ましくなってしまって、作った甲斐があったなと嬉しくなってきた。

「ご飯も多めに炊いたから遠慮なくお替りしなよ?」

「あの…… では失礼して」

と自分でご飯をよそいに行き、また

「いただきます」

と言って食べ始める。

――(よっぽどだったんだな、まぁどんな時でも食べれるのは良い事だ)


 彼女がどんな経緯であんな行為に出て、どんな理由で俺のところに来たのかは未だに分からないが、少なくともこの子が悪かったわけではない気がする。自分の力ではどうすることもできない事態の結果だったのだろう。

――(しばらく置いてあげてもいいかな、里親が決まるまでの保護猫と思えば……)

 

 こんな人でなしな俺でも、何かこの子の力になってあげられるなら出来るとこまではやってあげたいと思っていた。


「あ…… あの……」

「ん? どうかした?」

「…… もう一杯ご飯…… いいでしょうか……」


――(うん! この子もう大丈夫なんじゃないかな)

そんな気もした。




 夕飯を食べ終わってお茶を入れ、一息ついたところで肝心な事に気が付いた。

「えーと、俺の名前は更科巧さらしなたくみというんだけど……」

「…… あ⁉ すみません、私は有本藍子ありもとあいこと言います、申し遅れてしまってごめんなさい」

 またぺこぺこと頭を下げる。その度に髪がフワフワと舞って長毛種のワンコを連想させる。(失礼な例えだけど)

「んと、じゃあ有本さん? 先ずはこうなった経緯とかを聞かせてもらえるかな?」

「あ、はい……」

 


 彼女が語ったのは、あの日上司に食事に誘われて、その後車で送ってもらっている最中にいつの間にか山の中に連れられて来てしまって、身の危険を感じたので逃げてきた事。騒動になっているだろうけど、色々嫌になって自宅にも帰れず途方に暮れていた、といった感じだった。

――(確かに状況的には同情するに十分だけど、あの山でか……)


「うーん、自宅はご実家なのかな? さすがに何か連絡は……」

「一応昨日、妹の方に無事である事は伝えました……」

彼女が自分への言い訳のように答える。

――(…… 多分詳しいところまでは言ってないだろうなこれは……)

「で…… その…… 更科さん、私は……」

おそらく ” 果たして自分はここに置いてもらえるのかどうか ” を知りたいのだろう。


「あー…… 、その、更科って言いにくいだろ? たくみでいいよ、周りはそう呼ぶから」

「…… あ、あの……」

「いつまでもって訳にはいかないけど、しばらくの間なら…… まぁ……」

――(「しばらく」ってどれくらいだろうな? 二、三日? 一週間くらい? うーん…… ま、後で考えるか、この子の状況次第だ)

「‼ あの! ありがとうございます! 更科さん!」

 土下座でひれ伏している彼女に慌てて

「いやいや、大した事できないから期待しないでね。あと周りの住人の目もあるから親戚関係って事にしておいた方が良いと思うんだ。オレの事は“ たくみ ”で呼ぶようにしてくれる?」

「はい…… 分かりました、たくみさん…じゃあ私も藍子で!」

「⁉ い…… や、なんというかその……」

――(女の子の下の名呼びは中々来るものがあるな、色々と……)

と考えていると、

「あの、友達からはアリアと呼ばれてますのでそちらでも」

と言ってくれる。


――(アリモト アイコでアリアか)

「じゃあ、アリアちゃんで」

「敬称も不要です」

――(…… この子結構グイグイくるな)

「じゃあ…… アリ…… ア?」

「はい、では私もたくみお兄……」

――(⁉ )

「いやっ‼ そ、それはダメだ‼」


――(それだけは本当にダメなヤツだ!)

「? …… はっ⁉ そうですよね、馴れ馴れし過ぎました、ごめんなさい。ではたくみさんのままでいきます、よろしくお願いします」

またペコリと頭を下げる。

「いや、そういう事じゃないんだけど…… うん、まあよろしく」

――(ふぅ、危ないところだったぜ……)

『何が?』って話だが、それは何もかもが崩壊する気がした。



――(あ)

そういえば肝心な事はまだある。(他にもてんこ盛りだけど)

「そういえばなぜあのコンビニにいたの?」

「あ…… 、と…… これ……」


 パンツのポケットから皺を伸ばしたコンビニのレシートらしき物を二枚、俺の前に差し出してきた。

「車の中にいる時に偶然拾っていまして……」

「……… ああ、後ろにいた時に……」

近所だし、車でも良く立ち寄るコンビニなのでレシートの一枚二枚はフロアに落ちていたかもしれない。

「二枚とも同じコンビニでしたので、頻繁に立ち寄られるんだろうと……」

確かにそうだが今日あそこに行ったのは偶然だ、ビールが冷蔵庫にあれば行きはしなかったはず。


「どちらも土曜日の日付でしたので今日も立ち寄る可能性は高いかと」

「……」

会社へは自転車だし、車で行くとすると休日の可能性は高いが……。

――(レシートには店舗名と住所もあるか、購入日時も……)

「それに……」

彼女が申し訳なさそうに続ける。

「?」

「本当に失礼なんですが、買い物の品目からおそらく独身の方なのかなって……」

「あー……」


 確かに買うのはビールと一人分のつまみくらいだ、妻帯者や同棲中の相手がいればこの量は不自然だろう…… けど。

――(うーん、本当の名前は江戸川かな?)

「もしお会いできれば、という程度のつもりだったんですが……」

「…… 何時からあそこ(コンビニ)に居たの?」

「お昼前くらいにはお店にたどり着いたんですけど……」

――(3時間以上はあそこにいたのか……)


 これは賭けだったのだろう、負ける可能性の方がはるかに大きい部類の。

でもそこに俺が現れたのなら彼女の中では絶望の中の僅かな光に見えたのかもしれない 。

『もうこれしかない』と。

――(これはもう助けるしかないじゃん、俺の負けだわ)


「なるほど、大体分かったけど先ずはもう一度家族の方に連絡を入れた方がいい」

「⁉ ……」

ビクリとアリアが体を強張らせるのが分かった。

「家に戻るかどうかはキミが決めれば良いけど、今の居場所と連絡手段は伝えてご家族を安心させるべきだ。なんなら俺が友達だという事にすればいい。君がここに居たいならそれが前提条件だ」

「……」

――(迷うよな、そこへ戻るのを拒んで選んだ決死の選択だもんな……)


 しかし最後の拠り所になるだろう家族との線だけは、断ち切ってはいけないと思った。

「これで掛ければいい、ご家族からもこれに連絡をしてくれれば取り次ぐから」

と俺のスマホを差し出す。

 スマホを受け取り暫く考えた後、ゆっくりと指を伸ばす。

――(そういえば昨日妹さんに連絡したみたいだけどさすがに相手は携帯だよな? 自分のスマホは無かったから公衆電話からだろうけど、番号とか良く覚えてたもんだな? 俺なんか自分の番号さえ危ういのに……)


 少し躊躇った後、アリアが番号を淀みなく打ち込む。

「…… あの…… すみれ? …… ⁉」

――(妹さんに掛けたか…… ん?)

アリアがスマホを耳から離してしかめっ面をしている。

――(ああ、怒鳴られたな)

「え…… あ…… うん…… ごめん…………… ごめんって……」

「だからその…… 色々あって…… うん…… そうだけど……」


 なんとなくだが会話の内容が分かってしまう。

――(そりゃあちらでも騒動になってるだろうし、心配しただろうなぁ)

「え? 今? …… どこって……」

チラッとアリアが俺を見てくる。

「あの…… お友達の家で…… その…… 更科さんっていう…… すみれは知らないと思うけど…… いや! その…… だからそれは! …… ちょ……」

アリアが困り切った表情で俺を見てくるので

――(どうしたの?)

と俺も表情で問うと、スマホの通話口を抑えて

「あの…… 妹が代わってくれと……」

「⁉ 」

――(そうきたかー……)


 一瞬女性の声音で出てみようかとも考えたが、大怪我をするだけだと思い留まった。

――(ここは健全な男友達の(てい)をどこまで貫けるか……)

 アリアからスマホを受け取る。アリアは『申し訳ございませんんんっ‼』みたいにまた土下座体勢だ。

――(もういい! もういいから!)手振りでそれを制しながら電話に出る。


「あの…… お電話換わりました、藍子さんの友達の更科と言います」

「…………」

――(驚いたろうな、まさか男が出てくるとは思ってもなかっただろうし)

「…… あ、すみません、藍子の妹のすみれと言います。姉がご迷惑をおかけしてごめんなさい」

「いえそんな……」

――(結構しっかりした子だなぁ大学生くらいかな?)


「ところで更科さんはお姉ちゃんと会って間もない、というか昨日とか今日初めて会ったって感じですよね?」

「⁉⁉ 」


――(え⁉ なぜ? …… というか断言したぞこの子‼)

「え…… っとあの……」

「あ、大丈夫です、一方的にお姉ちゃんに巻き込まれたんだろうなという事は想像がつきますので」

――(く、、どうやって、どこまで理解してるんだ? …… 分からんがここはもう下手に小細工しない方が……)

「あの…… 成り行きというかなんというか……」

「でしょうねぇ、妹として本当に心苦しい限りです」

――(本当に妹なのか? ……)


「ひとつだけ質問ですが、なぜ姉を保護しようと?」

――(…… ダメだ、なぜか全部把握されてる気がする……)

「えーと…… なんというかその……」

「……」

「んー…… 色々…… 色々としんどそうに見えたんで……」

「……」

――(怪しんでるよな…… そりゃそうだ、知らない男が姉を部屋に泊めるとか……)

「あ! あの決して下心とかではなくてですね……」

「え⁉ 下心無いんですか? お姉ちゃん結構可愛いと思うんですけど」

「はあああ⁈」

――(えー! そこなのー⁈)


「ハハ、ごめんなさい冗談です、なるほど分かりました。すみません、ご迷惑おかけしますがしばらく姉をよろしくお願いします」

「え? あ、はい……」

――(え? 分かっちゃうの? 見ず知らずの男の俺に投げちゃうの? マジで?)

「じゃあ姉に、こっちはなんとかしてみるからって伝えておいてもらえますか。連絡はこの番号で良いんですよね? では失礼します(プツ)……」

「……」

通話の切れたスマホを呆然と見つめる俺にアリアが

「あの…… 妹は何と……」

「…… ああ、『こっちは何とかするから姉をよろしく』だってさ」

「……」

「……」

お互いただ呆然とする。

――(姉といい、妹といい、どうなってんだ? この姉妹……)




 あの後アリアには

「とにかくシャワーでも浴びて今日は寝な」

と言って、もごもご言ってくるのを黙らせつつ休ませた。

とりあえず俺のジャージを寝巻代わりに着てもらって、隣の部屋のベッドで寝てくれと言ったが

「本当に畳だけで大丈夫ですから」

というので居間に、以前お袋がアパートに来た時に買ったマットレスと毛布を用意して、そこで納得させる。

――(襖があって本当に良かったー……)

 何がどう転ぶか分からないものだと不思議な感じがしていた。


 次の日は昨日炊いたご飯とベーコンエッグで朝食を摂り、少し離れたドラッグストアで当面の生活用品を買い込むことにした。

「これで必要そうな物を買っておいで」

と一万円ほど渡そうとしたが、また俯いて

「ごめんなさい……」

と言う。

――(これは遠慮して揃えられないな)

そう思って半分は一緒に回り歯ブラシや着替え、化粧品やシャンプーをかごに押し込んでいった。

「後は任せるから」

とアリアに新しいかごを渡す。

――(女の子なら俺には分からん必需品が色々あるだろうしな)

一応送り出してはみたが、結局かごは空のままで戻ってきて、

「本当に大丈夫ですので……」

と言うだけだった。

――(…… ま、必要になったらその時買えばいいか)俯く彼女を見て無理強いを止めた。


 会計を済ませて、車に乗りこみ店の駐車場を出る。

「お昼外で食べようか?」

と聞いてみたが

「いえ、私は特には…… お家に居ますのでたくみさんはお食事に行かれて下さい……」

と返してくる。

――(あまり人目に付きたくないのかな? てか遠慮してるのか……)

なんとなくわかるような気もするので

「じゃ家でパスタでも作って食べるか」

とアパートに戻った。


 さて作ろうかと思っていたところ、アリアがおずおずと言ってくる。

「あの、パスタくらいなら私が……」

――(あー、気を遣ってるんだな、「何か役に立たないと」って。いいんだけどな、好きでやってるだけだし……)

だがそれで気が休まるなら任せてみるかという気持ちになった。

「じゃあお願いしようかな、麵はこれで、あと玉ねぎはここに、ベーコンとひき肉は冷凍庫にあるから、あとニンニクとか唐がらしとか他の調味料類は……」

と説明し始めたところで、アリアの絶望的な顔が目に入る。

「…… えっと、、、どうかした?」

「あの…… レトルトのソースとかでは……」

悲壮とはこういう顔なのかと思い知らされるほどの顔色をしている。

――(あー…… そうかー……)

意味に気が付いて、そして(まぁ普通そうだよな)と反省する。

 俺も大抵はレトルトで済ませてしまうが、今は買い置きが無くて、「材料ならあるし作っちまおう」といつもの感覚でいた。でもそれは一般的では無いのだなと、改めて理解し、また新鮮な気分になっていたりした。

「あー……ごめん、今切らしちゃってて……あ、じゃあ麺を茹でるのやってもらっていいかな?」

「……は、はい!」

『それでしたら!』って感じで元気に答えるので、こっちまで嬉しくなってくる。ただ

――(実際、麺を茹でるのが一番肝心なとこなんだけどね……)

と密かに思いながら、表情には出さないでおいた。


 ペペロンチーノにしたが、麺は思いの他うまく出来ていた。途中で「塩はもっと入れた方が良いかなー……」とか「そろそろ麺を上げてもいいかも……」とは言ったけど。


 お昼を食べ終えた後、洗濯機の使い方やサブスクチャンネルの見方なんかを一通り説明した後、食材を買っておこうと俺だけで出かけることにした。

「ちょっと出かけてくるから留守番をお願いできるかな?」

「はい! お掃除とかしときます!」

と元気に答える。どこか掃除できるところがあったか自分では思い浮かばないが

「じゃあ掃除機でも簡単にかけておいてくれると助かるよ」

とお茶を濁して出かけた。

「はい! 任せて下さい」

――(何かやっていた方が気も紛れるよな)


 

 他人と、しかも女の子との生活なんて経験が無いので、何をどう準備すればいいのか皆目見当がつかないが、とにかく食事の用意だけは必須だろうと考えた。

――(明日から仕事だし、朝と晩は俺が作るとして、昼の食事を準備しておかないとな)

少し離れたところにあるスーパーに向かう。

 

 ドラッグストアの帰りがけでも良かったが、アリアがまた気にしそうだと思って一人で来てみたものの、好き嫌いくらい聞いておけば良かったと今更思う。

――(ご飯は炊いとけば良いし、おかずになりそうな物を…… いや、すぐに食べられるパンとかレトルトか? いや、お湯だけで済むカップ麺とかか?)

随分インスタント主体の構成だが、あの子が途方に暮れてしまって食べないよりは、はるかにいいだろう。

――(完全になめ切っててスマンが)


 アリア用の食材と夕食用の物を買い込んで一杯になった買い物かごを見ながら思う。

――(女の子の為にスーパーで食材を買うとか今まであったけ?)

以前付き合っていた彼女とは基本的に外の店で食べていたし、ついぞ俺のアパートで手料理を振る舞うなんてことはないままに消滅した。

――(知り合って二日目の子に、自宅で料理を出すことになるとはなぁ……)

なんだか変な気持ちになりながら会計を済ます。

 一人分の買い物とはまるで違う金額に少し驚くが

――(むしろ楽しい感じがするのは何なんだろう?)

と、これまた不思議な感覚でいた。


 アパートに帰って自宅の玄関を開けると

「お帰りなさい」

とアリアが出迎えてくれた。

「あ、ああ…… ただいま……」

――(…… 何これ⁉ まるで新婚さんじゃん! ってアホか俺!)

昨日から(良いも悪いも)初体験ばかりで思考がバグってくる。

「えっーと、じゃあちょっと早めだけど晩ご飯の支度でもしようかな」

この動揺を悟られてはならぬと、取って付けたような話をする。

「じゃあ私お米洗ってご飯炊きますね」

「う、うんお願いします……」

――(色々大丈夫かな俺……)


 買い物の荷物を置きながら部屋を見渡すと、前より明るくなった気がする。

物の配置が特に変わったわけではないのに、何だか一皮むけたような気がするのはなぜだろう?

――(掃除機を掛けてくれただけなんだよな?……)

それが物理的な変化なのか、はたまた精神的影響なのか、はっきりと分からないのがなんともムズムズするような変な感じだった。



――(さて今晩は……)

豆腐と長ネギが目に入って

――(冷凍のひき肉もあったな…… 麻婆豆腐か?)

しかし昨日はホイコーローだったのを思い出す。

――(連続でこってり中華はなぁ……)

 精神的に疲弊している時に重いもの続きもどうかと、一応アリアに聞いてみる。

「中華続きなんだけど麻婆豆腐とかって……」

「大好きです!」

「…… りょ」

――(そうだろうね、ご飯に合いそうだもんな)

メニューは決まった。




 次の日(月曜日)は仕事なので、朝出掛けに

「じゃあ仕事に行くけど……大丈夫かな?」

と聞いてみると

「はい、お洗濯とお掃除はやっておきますから!……といってもボタン押すだけですけど……」

申し訳なさそうな顔をする。

「いや……助かるよ……あ、俺の下着とかは別に……」

――(しまった、昨日のうちに除けとくんだった……)

「大丈夫です! お任せください」

「そ… そう…… じゃあよろしく……」

「はい、いってらっしゃい」

「⁉ 」

――(まるで新婚さ…… (以下略 )

「では行って参ります……」

ドアを閉めようとしてから振り返ってもう一度アリアに

「俺が出たら鍵閉めて、あと誰が来ても出なくていいから。俺は帰ってきたら自分の鍵で開けて入るから」

と念を押す。(子供か!)

「はい、分かりました。どうぞお気を付けて」

「! ! ! ! !」

――(なんだこの感覚! キッショイな俺!)

少し頭がおかしくなってきているのを自覚しながらドアを閉め、

――(それにしても色んな事があり過ぎて現実味が無いなぁ……)

そんな事を考えながら会社に向かった。



 会社ではいつもの業務をいつも通りにこなしているつもりだったが、どうしても自宅のアリアの事が気になって、ついつい上の空になってしまう。

――(これからどうなるのかな……)

そう考えてしまうが、こればっかりは俺の力でどうこうなるとは思えない。

彼女自身が決めるべき事だとも思うので、しばらくは様子を見ていくしかないだろう。そう結論付けては、また考えて、といった思考がずっと頭の中で堂々巡りを繰り返す。

――(はぁ…… どうするかなぁ……)

こんなに悩む事なんて久しぶりだ。つい先日知り合ったばかりの他人の、しかも女の子の事でなんて。


 アリアには、俺が会社にいる間退屈しないようにと

「本棚の本とか雑誌とか、漫画とかどれでも見ていいから。テレビも登録してあるサブスクのチャンネルならどれでも見といて」

と言ってあったが、夜帰宅してみると、本もテレビも見た様子はない。それに朝よりはいくらか暗い表情をしている気がする。

――(一人だと色々考えちゃうんだろうな…… そりゃそうか……)

少し可哀想になる。それでも俺が帰宅すると

「お帰りなさい」

と無理に作った笑顔で出迎えて来るので

――(俺になんとかできればな……)

とよりいっそう考えてしまう。

 救いなのはご飯だけはしっかり食べてくれる事だ。

それはもうホントに気持ち良いくらいに。



 水曜日は少し早くに仕事が明けるので、スーパーで食材を買って帰宅するとアリアが例のごとく出迎えてくれて、部屋の奥には畳まれた洗濯物がある。

――(朝とは違う部屋の光景……)

先週までの生活ではあり得ない事だ。

 一人で感慨に耽っていると、アリアがまた申し訳なさそうに言う。(もういいのにな)

「あの…… すみません、お米が無くなってしまいまして……」

「あ……」

 俺は日頃あまりご飯を食べない。おかずを作るのも、ビールのつまみとしてだから今まで米の消費を気にすることが無かった。が、ここ数日の消費量は……。

――(しまった、真っ先に準備すべきは米だった!)

自分の迂闊さを恨む。だがそうと分かったなら連絡をしてくれれば

――(…… あ、そうか連絡手段が無いのか、ウチは固定電話もないし…… パソコンから…… ってそう言えばパスワードも伝えてなかったな、しまったー)

本当に俺は気の利かないヤツだと気が滅入るようだ。

「えーとじゃあ今から買いに……」

車のカギを持ってでかけようとすると、アリアが声をかけてくる。

「あ! いえ、たくみさんが良ければ私は無くても大丈夫ですので」

――(確かに俺はそれほど困らないが……)

「それに……」

――(それに?)

「少し…… いえかなり私食べ過ぎだったなと思いまして……」

「いや、それは全然問題ないんだけど」

「あの、厚かましいというのが一番なんですがその…… 身体的にもといいますか……」

――(あー、太っちゃいそうとかか、一応そういう自覚もあるんだな、意外ー)

「ですので本当に大丈夫ですから」

「んー、キミが良いならいいけど」

――(まぁパンもあるしいいか、食べ終わったら買いに行こう)


 昨日と一昨日はさっぱり系(水炊きと焼き魚)だったから

――(今日はコッテリ系にしてあげるかな)

勝手に設定したアリアの嗜好に則り、彼女が喜びそうなメニューを考える。

――(鶏モモがあるから単純に唐揚げでもいいけど、もう一歩踏み込んでも……)


「ねえ」

「はい?」

「鶏のから揚げ……」

アリアの顔がパアァ!っとほころぶ。

――(ふむ……)

「…… か、チキン南蛮なら……」

『⁉ パパパパアァ‼』

効果はバツグンだ!

「うん、分かった」

決まった。



「お手伝いします」

と言うのでお願いすることにした。

「じゃあ…… ゆで卵を作ってくれるかな?」

「ゆで卵? 付け合わせですか?」

「え? …… タルタルソース用だけど?」

「タルタル…… えッ⁉ もしかしてそこからですか? ……」

――(ああ、『コイツ正気か?』みたいな顔してるわ)

「意外とそれほど手間でもないんだよ、見てれば分かるよ」

「はあ……」

――(信じてないやつだなコレ)


 鍋に水を入れて火にかけ、沸騰したら卵を入れて9~10分。タルタル用なら固茹で気味くらいが好きなので、これくらいだろう。

 鶏は適当な大きさに切って塩コショウを軽く振った後、小麦粉をまぶしておく。甘酢ダレは醤油と砂糖とみりん・酢、後擦り下ろしたショウガを加えて混ぜておく。

 タルタル用に玉ねぎ、それとアクセントとして新ショウガの甘酢漬け(チキン南蛮にはこれが合うような気がする)をそれぞれみじん切りにする。

卵が茹で上がったら流水で冷まして殻を剝き、こっちは粗目のみじん切りにする。

――(ゴツゴツした形が残ってる方が手作り感あって好きなんだよな)

卵、玉ねぎ、新ショウガにマヨネーズ、酢、砂糖、塩を加えてかき混ぜ、最後に粗挽きの黒コショウをこれでもかと入れれば


「ほら簡単、タルタルソースの出来上がり。な?」

アリアを見ると、なんだか少しキレ気味(?)で言い返してきた。

「な? じゃないですよ、全然簡単じゃないじゃないですか!」

――(お、結構慣れてきた? いや、理不尽さに憤慨してるだけか)

「そうか? そんなには……」

「調味料とかも適当に入れてますけど分量とかないんですか?」

「え? そんなの味見ながら調整すれば……」

「たくみさん途中一回も味見してないですよね!」

アリアが更に『納得できん』みたいな顔をしている。

いつもの事なのでなんとなく味は想像がついてしまうだけなのだが。

「多分大丈夫だよ、ホレ」

混ぜていたヘラの先のソースをアリアに向けると、疑念の表情で少し指ですくい口に運ぶ

「⁉ 」

俯いてしまった。

「え? どうした? 不味かった?」

――(嫌いな味だったかな?)

「…… これだけでご飯が食べれそうです……」

「そ、そうか」

そいつは良かった。


 揚げた鶏に甘酢をかけ、その上にタルタルソースをたっぷりと乗せ、小葱の小口切りを散らす。パセリのみじん切りがおしゃれだが、色見と薬味効果を考えたらこれが最強だと思っている。あとは付け合わせにトマトとブロッコリー(解凍)を添えれば完成。

出来上がって今更ながら

――(しかしチキン南蛮にご飯無しって、コメ好きには軽い拷問だよな?)

と思ったが、もうできちゃったんだからしょうがない。

――(恨むなら自分を恨めよアリア)

俺もかなり悪いけど。(すまんな)


 卓に並べ「いただきます」と食べ始める。

ビールかなと思ったが、この後米を買いに行こうと思っていたので今日はやめておく。

一口鶏を齧ってみて改めて思う。

――(あーこれは俺でもコメが食いたくなるわ)

アリアを見ると、箸で食べかけの鶏を掴んだまま、なぜかまた俯いている。

「? どうした? やっぱり不味かった?」

と聞くと、フルフルと頭を振って

「すごく…… 美味しいです……」

と、何かに耐えているような苦悶の言葉が出てきた。

――(あー…… あ、)

「そういえば冷凍してあるご飯があったと思うけど食べる?」

「⁉ …………」アリアが更に苦悶の様子。

――(おー戦ってる戦ってる、面白いなこの子)

アリアが俯いたまま極まったように言う。

「……くっ‼ ……〇ろせ‼」

「どこの女騎士だよ。いいからレンチンして来な、冷凍庫の奥の方に入ってるから」

スクッと立ち上がると、それはもう清々しい顔で台所に向かった。

――(うーん段々分かってきたぞこの子の扱い方)


 食後アリアが洗い物(『これだけは!』と俺には手を出させない)を済ませたところで

「お米買いに行くけど一緒に行く?」

気分転換にでもなればと思い、一応誘ってみる。

「あ、お邪魔でなければ……」

きっとついてこないだろうと思っていたので意外な返事に

――(やっぱりずっと部屋の中じゃ気も滅入るよな)

そう思ってまた少し可哀そうになった。


 スーパーでお米をカートに乗せて

「あと他に食べたい物とか必要なものある?」

と、後ろを少し離れてついてくるアリアに聞いてみるが

「いえ何も、大丈夫です……」

と断ってくるだけだった。

 店を出て、このまま真っ直ぐ帰れば十分足らずで着いてしまうが

――(ちょっと軽く流すか)

気晴らしにでもなればと思い、ウィンカーを上げて交差点を曲がる。


 アリアが銀行に勤めている事は聞いたが、どんな環境だったのか迄は聞いていない。

 『上司に誘われて、ついていったら襲われそうになった』という話だけなら「クソエロ上司全く許せんな!」となるが、どうもそう簡単な話でもないらしいと考えている。


 話によれば、その上司とは年も近く(アリアは今25で、その上司は29との事)、いたってスマートな、どちらかと言えばイケメン紳士な感じの印象だ。アリアも

『あの時は私が一方的に怖くなってしまって逃げ出したような形で……』

と言っていたので、その男性からの明確な攻撃要素(いきなり抱きついてきたりとか)は無かったのだろう。

 だがあの山の中で逃げ出して、一晩ネカフェで過ごしたあげく、もう自宅にも職場にも戻りたくないと、素性も知らない男を頼ってきた事実とそこに至る決意。

 本当に漠然とした勝手な推測だが、その上司との一件は、それまでに溜まった色々な(おり)が一気に爆ぜたきっかけに過ぎないのではないかと感じている。


「職場ではその…… 仲の良い人とかいたのかな?」

周りとの関係が気になっていた。窓の外を見ていたアリアがふっと前を向いて、視線を落としがちにしゃべりだす。

「一人…… 同期の子がいて、その子とは仲が良い方だとは思うんですけど……」

――(なるほど……)

 気の許せる人間はその一人しかいないという事だ。その一人にさえ友達であったのか自信を持てないでいる。その他の人間なら推して知るべしだ。


「…… 入行して間もない頃はそうでもなかったんですが、日増しになぜだか疎まれるようになって、気が付くと……」

 (なぜか?)気になって聞いてみる。

「自分ではその理由に心当たりがない…… と」

「…… よく分かりません……」

――(見た感じ明るくまじめで、良い子そうだしなぁ……)

「最初の頃は私も張り切っていて、自分の業務以外のところでも私なりに気が付いたところはやってみてたんですけど…… 余計な事はしなくていいと言われてしまって……」

――(……)


 ここ数日一緒に過ごしただけだが、この子の本質的賢さと、処理能力の非凡さは十二分に思い知らされていた。コンビニのレシートから俺に辿り着いた件もそうだが、随所でその片鱗に覚えがある。

特に数字に関係する事柄に特化しているように思う。

『これ割合とグラフ変ですよね? ⅭとⅮの意見の人はそれぞれ28%と31%だからもっとⅮの色が大きくないと。そもそも“その他 ”が一番多いグラフって意味あるのかしら?』

たまたま流れていたテレビの報道系番組をチラッと見て、アリアが言った事だ。

 視聴者アンケートの結果とその割合を円グラフで出していたが、各票数が端の方に小さく出ているだけで、グラフに割合を示す具体的数字(%)は出てない。設問別で色分けされた扇の大きさが、確かにⅭの方がⅮより大きく見える気がする。

意図的なものか、単なる間違いかは分からないが、アリアの洞察力と計算処理能力が、ある意味常軌を逸している気がして少し恐ろしく感じたほどだ。

――(こんな調子で新人の子が他のところにまで口を挟んできたと思ったら古参達は……)


「しみったれた連中だな」

ついそう口に出してしまった。

「いえ…… きっと私が……」

自分が悪いからだと、今まで飲み込んできたんだろう。

「それからは必要以上はせずに、なるべく目立たないようにしていたんですが……」

「全員…… というか男からも女からも?」

そこも気になる。

「…… 男性の方もいたような気はするんですが、ほとんどは同性の方が……」

「ああ……」

そう聞いてある程度の想像がついてしまった。

 この子は本当に色んなところに気が付いて、テキパキと処理をする。自分では片付いていると思っていた部屋の雰囲気が変わったのはそのせいだ。男は意外と女性のそういうところを良く見ているし、あざとさを感じさせずに(実際そんな気もなかっただろうが)行っている姿に好意を抱く男も多かっただろう。

 そしてその分同性からの嫉妬や妬みの熱量は、決して小さくはなかったであろうところの……。


「…… なぁ…… それでキミはこれからどうしたい?」

「…………」

思わず言葉にしてしまって、その意味の凶悪さに俺自身が打ちのめされた。

――(しまった‼ 今じゃない。今はまだ無理だ。分かっていたのに……)


「ごめん! そんなの今から考えればいいしな‼ ナシナシ今の!」

取り繕おうとしたが無理そうだ。

「…… 良し! ちょっと走るか! 走りに行こう!」

なんだか俺がモヤモヤして、思いっきり車を走らせたい気分になった。


 先週とは別の山に入って車を走らせているが、路面はやはり少し粗い。

アリアを隣に乗せているのでもちろん無茶なスピードは出していない。ただ経験の少ないだろう彼女は少し顔を引きつらせているような気もする。

 アリアをビビらせたい訳ではないが、どんよりした気分と雰囲気を異質な状況でかき消してしまいたくなった。というかほとんど俺の個人的なストレス発散だ。

――(どこまでも身勝手なヤツだな俺は……)



はじめのうちは

「ワッ! …… キャ‼ ……」

と驚いていた彼女だが、しばらくすると

「ひゃー、ジェットコースターみたいですね!」

と随分慣れてきた、というより声が弾んできた気がする。

――(感じていたけど結構度胸が据わってるよなこの子)


 路面が荒れていて度々衝撃が来るので会話も一苦労だ。

「そ『ガコッ』それにしてもずーっとそれ『ゴッ……』ガチャガチャ動かしてるんですね?」

シフトレバーの事らしい。

「ああ、マニュアルだからね」

「… あー、オートマと『ガッコ』かマニュアルとかってこれなんですか?」

――(これ? そーか今時見ないもんな)

「う…… ん、まぁそう」

――(構造の説明まではは面倒そうだ……)

「へー? はじ『ガッコッ』初めて見ましたー」

――(そーかーそうだよなー、こんな車見るのも乗るのも初めてだよなー)


 なんだかもっと、そう、色々とすっ飛ばしたくなってきた。

「あー、悪いけどしゃべってると舌噛むよ」

「え⁉ 『ガッ!』キャッ! ……ドラゴン⁉ ドラゴンの背中に乗る時のやつですよねそれ!」

ひときわ大きい衝撃があってアリアが叫ぶ。

「ギャッ‼」

――(まーこれでドライブデートなんかあり得んわ、会話すらできないってなぁ)



 本当にドラゴンがいるなら、この子をどこか平和で穏やかに過ごせるところに連れていってあげて欲しいと心の底から思ってしまう。


――(…… やっぱりそうだよな、俺だけじゃ無理そうだ……)




                              つづく



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