3. Wanna be the air
<これまでのあらすじ>
中規模商社の営業職、更科巧31歳は、夜の山道をドライブ中こっそり乗り込んでいた女の子を成り行きで街まで送ることになった。
女の子の名は有本藍子、地方銀行に勤める25歳。身に覚えのない周囲からの冷たい視線に耐えながら日々なんとか暮らしていたところ、行内で噂のエリート王子様(江口総一郎)に熱烈なアプローチを受けるようになる。
のらりくらりと誘いを避けていた藍子だったが、とうとう抜き差しならない状況に……
3. Wanna be the air(罠に出遭う)
「いやーあんなところで藍子さんに会えるとはツイてるなぁ日頃の行いかなーハハハ」
運転席で江口が上機嫌にはしゃいでいる。
――(ツイてるも何も同じ職場だっつーの、憑いてるのは私の方だわ)
心の中で藍子は散々な悪態をつく。
通路で藍子を目にとめた江口が駆け寄ってきて声をかけてきた。
「急いでるね? どうしたの?」
いつもと違うパターンの問いかけに、用意していた「困ります」はあまりにトンチンカンなので藍子はつい思い付きで
「…… 本屋に寄りたいのでバスに乗り遅れないようにと……」
とかなんとか言い訳を絞り出してみたところ
「ちょうど良かった、僕も寄ろうと思ってたんだよ、車があるから一緒に行こう」
ときたもんだ。
「で、ではあの……、すみません」
――(……としか言えないよね、だって平民だもの)
もはや藍子は平伏して付き従うしかなかった。
「車を回してくるからお客様用の駐車場にいてくれるかな」と江口は言い、しばらくするとたいそう立派な車が藍子の目の前で止まった。
――(え? で? 乗り込んでいいの? 触っていいの?)
藍子がキョドっていると、運転席の江口が颯爽と降りてきて、なんともスマートに助手席のドアを開け、くいッと口角を上げてきた。
――(へ? 乗れってか? ご令嬢でもお姫様でもないですよ私)
初めての光景と経験に少し立ち眩みを起こした感覚があったが、視界の端に目を三角にしてこちらを見ている職場の子猫ちゃんズが見えたので藍子は慌てて車に乗り込んだ。
江口はそっと静かにドアを閉めると、また颯爽と右側に回り込んでスルリと運転席に滑り込む。
――(なんだか踊りだしそうね、ミュージカルかな?)
藍子の気分とは裏腹に、あからさまに浮かれているのが見て取れる。
――(それにしてもあんなにそっと閉じただけじゃ閉まりきらないんじゃないの?)
そう思っているとギュッとドアがひとりでに閉まって藍子は驚く。
――(まぁ⁉ ドアの中に力持ちの妖精さんがいるのかしら?)
自棄半分で、藍子もちょっとお姫様気分に乗っかってみた。
異質な状況に少し落ち着いてくると、さっきの女子達の顔が蘇って、来週からの更なる試練と憂鬱が藍子の脳裏に押し寄せてくる。
――(はぁ……全く底が見えない……)
本屋に着くと藍子は「ではすみません、ちょっと探してきます」と江口へ単独行動の故についてやんわりと釘を刺し、奥の文庫本コーナーに向かう。
こんなところで王子(江口)と一緒にいるのを誰かに見られたら、また何を言われるか分かったものではない。無駄な足掻き、焼け石に水とは理解しているが、
――(今できる最大限の努力はするべきだ、そう心意気だ!)
と藍子は気持ちを奮い立たせた。
――(もうそれしかないもんなぁ……)
口から出まかせの言い訳だったので、特に目的の本があるわけではないのだが、ブラブラと平積みの新刊を眺めていると好きな作家の名前が目に入って「あ、新しいの出たんだ」と藍子は思わず手に取っていた。
ついこの前読み終わったばかりなのでこのタイミングで新刊(文庫本だけど)が出てくれているのは嬉しい。
話の内容自体も面白くて好きなのだが、要所々々に出てくる料理や食事の描写が見事で、読んでいるだけでその光景が匂いと共に浮かんでくる。
前作で出てきたシカ肉のジビエ料理など、思い出しただけでお腹が空いてきて、一度どんなものか食べてみたいと藍子も本気で思ったくらいだ。
「あ、この人の新刊出てたんだね?この作家さんの書く料理シーンがほんとに美味しそうなんだよねぇ、この前のだとシカ肉のやつとか」
「⁉ そうなんですよ! 熟成シカ肉をローストした後に燻煙で軽く燻ってバジルソースを……」
――(…… って王子なぜここに?)
振り返って江口に気が付いた藍子が思いっ切り変な顔になる。
「いやー僕もあれ読んでシカ肉食べてみたくなっちゃってさ。そうだ、近くにジビエ料理を出すレストランがあるんだよね、これからどうかな?」
「……」
――(待って…… この罠はいつから張られていたの?)
得も知れぬ寒気が藍子の全身を貫く。
――(今日職場を出る時から? ロッカー室に向かうあたりで??)
今日ここ(本屋)に来ることも突発的な流れであるし、藍子がこの作家の本を好きだなんて知る由もないだろうにあまりに出来すぎていてる展開に心底気味が悪くなってきた。
――(え、なんか怖いんですけど……)
「先々週かな? お誘いしようとして藍子さんのところに行ったら生憎不在だったんだけど、デスクの上にこの作家さんの本が置いてあったのを見かけてね。僕も買って読んでみたんだ。本当に面白いよねこの人の話、今までの全部読んじゃったよ」
――(…… あー、そーかー置いてたかー、うん置いてたな本。もう謎が解けちゃった)
――(自爆だったのが分かってちょっとすっきり…… しませんけども!)
「是非食べてみたいんだけど、一人でレストランに入るのもさすがに恥ずかしいし、何より一人で食事は寂しくてね、あ、無理にとは言わないけどその……ジビエに興味ある同志として一緒に行ってくれると凄くありがたいんだけどな。あ、当然僕が持つから」
――(ぐぬ……)
確かに自分は家に帰ればいつも家族と夕食を食べているから感じなかったが、会話のない一人の食事は寂しいし味気ないものなんだろうとつい藍子も絆されかけてしまった。
とはいえここで同情を盾に食事を迫ってくるあたりが…… とも思う。
――(その機転を生かす狡猾さがなんとも……)
しかしそこで藍子もふと思いつく。
――(待って? でもこれは良い機会かもじゃない?)
一度でも食事をすればとりあえず江口の顔を立てる事が出来るだろうし、きっとその中でこの茶番の真意が明らかにされるのではと考えた。
ビジネスの話なら「あっしには何のことやらさっぱりで、へへへ」とでも言っておけば金輪際誘われないだろうし、宗教勧誘か、はたまた「交際を」と来たらはっきりと
『ごめんなさい、お断りします』(って言えば解決じゃない!)
思いがけずの好機到来に、ついつい藍子の顔が緩みそうになる。
――(虎穴に入らずんばシカ肉を得ずだ!)
なんだか勇気が湧いてきた。このピンチをチャンスに変えて見せる!と決意を固める。
決してシカ肉を食べたいわけではない。
――(断じてそうではない!)
「あの…… それでは割り勘という事でしたらご一緒させて頂きます」
――(だが交渉はイーブンの立場でだ!)
江口が一瞬不思議そうな顔をした後、笑い出した。
「…… ハハハハ、女性からそんな事言われたの初めてでびっくりした、いやごめんね。“Dèesse ”っていう小さなお店なんだけど車で15分くらいのところだから」
パァっと顔を輝かせた王子の背中越しに大量のお花が見える。プリンスエフェクトが少々過剰ではないかと思いながら
――(で何、デエス? 何デースかそれ? 良く分からないけど良かろう、そこが我々の最後の決戦の場となろう)
などと思いつつ藍子は心を決めた。
――(待ってろシカ!)
つづく




