20. She saw a seesaw
<これまでのあらすじ>
中規模商社の営業職、更科巧さらしなたくみ31歳は、夜の山道をドライブ中こっそり乗り込んでいた女の子を成り行きで街まで送ることになった。
女の子の名は有本藍子ありもとあいこ、地方銀行に勤める25歳。身に覚えのない周囲からの冷たい視線に耐えながら日々なんとか暮らしていたところ、行内で噂のエリート王子様(江口総一郎)に熱烈なアプローチを受けるようになる。
なぜか江口と食事をする事になった藍子だが帰宅途中、江口に襲われると勘違いから逃げ出し、その先で偶々たくみの車を見つけ潜り込むことにした。
たくみに街まで送ってもらった藍子は家に帰る気にもなれず、たくみに縋ることを決意する。
藍子との思わぬ再開をしたたくみは、しょうがなく申し出を受け入れ藍子を匿うことにしたが、解決策が思い浮かばず同僚の新道と先輩にあたる美咲に相談することにした。
藍子を交えた新道達との飲み会の成り行きで、藍子は美咲に引き取られることになり、たくみ達の会社(八笠商事)へ勤める事となった。
順調に見えた日々に、突然関連会社との共倒れ(倒産)の危機が訪れる。
自分なりの出来る事をと、取引先の新規開拓を模索するたくみは以前付き合いのあった知人(元高荻の営業中西)から思わぬ開拓先の伝手を得る。
たくみの提案にアリアは手応えを感じ手詰まりだった計画書の完成を急ぐが、一人で抱え込むアリアは長谷部から窘たしなめられ自身のエゴを悟り、改めて周囲からの優しい協力を受け入れる。
いよいよ計画書の報告(八笠→大間銀行)となったが、そこに現れた人物に・・・
20. She saw a seesaw(真相)
なるべく平静を保とうとしていた藍子も、突然の頭取の登場に、本当に倒れてしまうのではないかと思うほどの驚き、というより恐怖を感じていた。
それほど彼(頭取)が部屋に入ってきた時の圧力は、この場の全てを一瞬で制して尚余る威力だったし、それ以上に藍子にとっては最も恐れていた事態と言える。
――(やっぱり王子の……)
想像はしていたが、一番そうであってほしくなかった展開だった。
しかし、今日の裁決(判決?)はこの人の言で全て決まるのだと誰もがそう確信したところに
「あ、今日私はただのガヤなんで」
と後ろに引っ込んでしまって、全員が唖然としている状況。
藍子も頭取の意図がどこにあるのか益々分からなくなって、つい彼のその後の所作をまじまじと目で追ってしまっていた。
――(何が目的なのかしら……)
興味なさげに資料をめくっていた頭取が不意に顔を上げ、藍子を見てきた。
藍子は必然目が合ってしまって、不躾に視線を向けていた事を悟られてしまった焦りで思わず不自然に下を向く。
――(しまった! 失礼過ぎだわ…… これから報告なのに……)
「そこの君、名前は?」
突然の呼び掛けに藍子の体が強張る
――(え、え? 私よね? 怒られるのかな……)
藍子はただビクつくのと同時に(あれ? なんだろうこの既視感……)と変な感覚に陥りながら
「あ、…… 有本です」
と恐る恐る答える。
頭取が、「ふん……」とも「ふむ……」とも取れるよな音を鼻から漏らすと、しばらく藍子を見た後に座の主要メンバー達へ
「ちょっとすまんがこの有本君と二人だけで話がしたいのだが構わんかな?」
と声を掛けた。
名刺交換をしていた美咲が
「…… はい。では有本さん、隣の会議室が空いているはずだからそちらへご案内して」
と藍子を平然と差し出す。
――(美咲さーん‼ これ職員室で、いや体育館裏でボコられるやつですよー!)
藍子は悲壮な表情で訴えてみたが、当の美咲は
『行ってこい生贄ガール!』みたいな顔をしているので助ける気は毛頭ないらしいと悟った。
――(親指立ててそうだわ……)と藍子は諦めて
「……ではこちらへ……」
部屋のドアを開け、隣の会議室へと案内する。
「うん、ありがとう。横田君、私には構わず進めておいてくれ」
「はい、承知致しました」
頭取が、その場の長であろう人物に声を掛けて藍子と一緒に部屋を後にした。
部屋に入ると頭取は窓の外を眺めながら
「へー、ここからだと赤城山があんな形で見えるんだね? 不思議な感じだ」
と子供っぽい事を言ってきたので、藍子は(不敬ですみません…と思いつつ)雰囲気的に怒られるわけでは無さそうだと一安心する。
窓の外を見ていた頭取が、そのまま突然話を切り出した。
「君は薄々、孫の総一郎の絡みで私がここに来たのかと思っているのかもしれないが、総一郎から君の事は聞いていないし、この件についてはアイツも一切知らない」
「え? ……」
いきなり想定していた事を完全にひっくり返されて、藍子は戸惑ってしまう。
大馬銀行本店と聞いた時は(きっと王子絡みの)と思ったのは確かだし、今日そのご本人の登場で藍子はすっかり確信に至ったところだった。
――(それ以外に紐付けられるものが見当たらない……)
しかしそうではないと言う。それにさっきわざわざ名前を聞いてきた割に、藍子の事は知っている体での話方。
――(何なの一体……)
藍子は益々訳が分からなくなってきた。
分からな過ぎて、逆に
――(じゃあ何だっていうのよ!)
という気になってきてしまった。想定外の理不尽に、気持ちが思わず湧いてしまった。
――(こうなったら煮るなり焼くなり、好きにすればいいわ‼)と。
たぶん本当はもっと慎重に構えるべきたが、張り詰めた緊張の中で、藍子は何か大事なものがぶっ壊れてしまった感じがした。
――(ここまで来たらもう、“どうとでもしてください ”だ!)
そして、この今までにない自分自身の感情に驚いてもいた。
驚きと覚悟を決めていた時、更に予想外な言葉が出てきて藍子は完全に言葉を失う。
「あのレストランの絵の仕掛けに気が付いたそうだね?」
――(……)
「……………⁉」
一瞬何の話をしているのか分からなくて固まってしまったが、
――(レストランと絵って……)
藍子はあの時(江口との食事)の出来事を無理やり思い返された。
――(なぜ知っているの? ……)
江口(王子)からは何も聞いていないと頭取は言っていたはずだ。
ただひたすらに困惑してたじろぐ藍子に江口(幸三)が話を続ける。
「いやちょっと話が唐突過ぎたな、申し訳ない。順を追って話そう」
そういうと藍子に向き直って、その顔を正面に据えた。
「その話を聞いたのは柳からだ、というか柳から連絡が入った、だな」
「柳さんって…… レストランオーナーの……」
そう藍子は言ってはみたが、更に分からなくなる。
――(連絡? あの件でわざわざ頭取に連絡するってどういう…… はっ⁉ やっぱり実は闇の組織で、頭取が影の支配者だったり……)
また正気でない想像が藍子の脳裏に浮かぶが、訳の分からなさが常軌を外しにくる。
――(まだ生贄の線も消えていないのかも……)
藍子のバカげた不安を他所に、幸三が後を続ける。
「私が柳に頼んでおいたんだ、あの絵に気付く者がいたら教えてくれと」
――(……??)
一向に話が見えてこないが、ここは大人しく話を聞いておくのが良さそうだと藍子は静かにその先を待つことにした。
「柳とはあいつが料理店の店主として駆け出しだった頃からの付き合いでね、私も行員としては下っ端だったからもうかれこれ40年以上になるのかな……」
――(ああ、単なる店とお客って間柄じゃないんだ……)
そう思いながらも、これは長くなりそうかもと感じてしまい
――(頭取、お座りになられた方がよろしいのではないでしょうか?……)
などと藍子は失礼な事を考えてしまっていた。
「スマンスマン、ここから話し出すと長くなるな、掻い摘んで話そう」
――(あ、顔に出てたかしら? いけないいけない)
なんだかこちらの思考が全て読まれているようでもあり、藍子の背筋が今更にゾクリとする。
「私があの絵の秘密に気が付いたのは都内の柳の店に置いてある時なんだが、私のオフィスの応接室にもあの絵、そっちは完全な模写作品がかかっていてね、普段から目にしていたから偶然違和感に気が付いた、それだけの事だったんだ」
幸三が当時を思い返すような顔になる。
「美術品に特別な鑑定眼があったわけではなかったし、本当に偶然が重なっただけだ」
「……」
「だが柳に由来を聞いていたら…… ふと、ある悪戯を思いついた」
「イタズラ?」
幸三がニヤリと、また(可愛いくらいの)子供っぽい顔をしている。
「同じような状況をお膳立てしたら、誰でも気が付くものなのか? と」
悪戯っ子が、自分の企てた作戦を披露するような顔になった。
「そこで息子夫婦の家に完全版の模写を送ってリビングに飾らせた。都内の柳の店ヘはたまに家族で行くから、その内誰かが気付くのじゃないかと思ってね」
楽しそうに仕掛けを語った後、少し間を置いてまた窓の外を眺めながら、独り言のように話を続けた。
「息子(総一郎の父親)はうちの銀行の支店長をやっているが、私に似ずおっとりとした性格で、仕事や人に対してシビアに割り切る事が不得手だ。恐らく今以上の地位は望めないだろうと思っている」
「まぁ本人もそれで満足しているようだしな」
少し寂しそうな、残念そうな余韻が語尾に混じっていた。
――(……)
「だが孫の総一郎には違うものを感じていた」
――(王子? ……)
なんとなく、幸三と王子には似たものを藍子は感じていた。雰囲気というか空気感というか、漠然としたものだが……。
さっき幸三に「君、名前は?」と聞かれた時の既視感は、初めて王子に話かけられた時の光景が頭に浮かんだからだと藍子は思い至った。
「冷徹というわけではないが、物事の本質をしっかり見極める資質を持っているように感じたし、実際学業でも仕事ぶりでも、いつも期待以上の成果を上げてくる」
――(やっぱりサラブレッドの王子様なんだなぁ…… ん? 乗ってる方? どっちでもいいか)
「だがそんな総一郎でもあの絵には気が付けないでいたので、やはり私のは偶然だったのだと思った。もしくは、いつも粗探しみたいな生き方をしている人間にしか気が付けない類のものなのだろう、とね」
――(うう……粗探ししかできなくてすみません……)
こんな場面でまた自分の矮小さが恥ずかしくなって、藍子は惨めな気持ちになる。
「だが一方で、日常の小さな変化に気が付かないようで経済の、世の中の動向や機微に気付けるものだろうかとも思えてきた」
――(……)
「そこで総一郎があの町の支店に勤めるのを聞いて、柳にあの店に絵を置いてもらうよう頼んだんだよ。正直これは私の未練みたいなもので、総一郎があの絵に気付こうと気付くまいとどちらでもいいと思っていた、特にそれでやつへの評価が変わるものではない、所詮悪戯だ」
窓の外というより、もっと遠くを見ているような雰囲気が幸三の背中に感じられた。
「そう思って私自身もすっかり忘れていたところに柳から連絡があった。絵に気が付いた者がいると」
――(あ……)
藍子の胸がドクリと沸き立つ。
「私は総一郎の事だと思って心ならずも嬉しくなってしまったが、聞いてみると総一郎ではなく女性、しかもまだ若いお嬢さんだという」
――(…… あーなんかすみません…… )
話が見えてきて藍子は申し訳なさに心が萎んでいく。
――(お爺ちゃんが孫にサプライズを仕込んでたら、見知らぬ小娘が引っかかっちゃって……)
どうして自分はこうも要らぬ事をやってしまうのか。業であるなら恨めしい限りだ。
あの時の光景を思い浮かべている中で、藍子はふとある事に気が付いた。
――(そういえばあの時……)
王子が頭取の名前を聞いて一瞬寂しそうにしていたのは、これが自分への試金石だったと悟ってしまったからだろうと。
「少し残念に思ったところで、柳がその女性は総一郎の連れだと聞かされた。総一郎め、自分で見抜くことはできなかったが、人を見る目はあるじゃないかと思ってしまってね、ハハ、まったく爺バカな話だが……」
サッと幸三が振り向いてきて、藍子は思わず怯んでしまう。
「だがそこで私はそのお相手の女性に大変興味を持った」
――(…… ん?あれ?)
「なんのお膳立ても無く見抜くとは、よほど美術や絵画に明るい人間、あるいはそういった職種の人間か? だが柳の話では総一郎と同じ銀行に勤めているようだという事と、この絵は以前に(おそらく一度)見かけた程度だったようだと聞いた時、益々興味が湧いてしまった」
――(…… なんだか雲行きが怪しくなってきてない?)
藍子は既に逃げ腰の態勢をとる。
「事後になってしまって申し訳ないが、君の事は少々調べさせてもらった。まぁ将来孫の配偶者になるかもしれんのだからそれくらいは爺心として許してほしいところだが」
ーー(はぁ⁉ いやいやいやいや!)
「いえ! 配偶者なんてとんでもあり得ません! 江口さんには……」
なんか色々混ざってるし、考えれば頭取も江口さんなわけだっりと、もう滅茶苦茶だと藍子は暴走寸前だった。
だが先ずは、自分(藍子)がしでかした騒ぎを謝罪しなければと思っていたところで
「そしてその中で総一郎との騒動の事も知った」
「あの……」
先に切り出されて言葉が続かない。
「柳にもあの時はまだ正式な交際中という風では無かったと聞くし、終始君が困惑していたような様子だったと聞いて、きっと先走り過ぎた総一郎の不手際の結果なのだろうと察しがついた」
幸三が改めて藍子の顔を真っ直ぐに見て、深々と頭を下げる。
「我が孫が大変ご迷惑をおかけしました。誠に申し訳ありませんでした」
「 ⁉ 」
思いがけず先に謝られてしまい、どうしていいのか藍子にも分からなくなった。
だがそれよりも何よりも、その行動(謝罪)に驚いてしまった。
身内の事とはいえ、大銀行の頭取がこんな小娘に深々と頭を下げ、真摯に謝罪する姿はまさに
”上に立つ人間の覚悟、気概、信念・理念”みたいなものを体現しているようで、藍子は逆に畏敬の念に打ちのめされてしまった。
――(これが最上位に立つ人の……)
藍子の全身が、それこそ頭からつま先に至るまで、立っていられなくなるほど震えてくる。
「いえ、そんな! お顔を上げてください、畏れ多いです! それに…… あの件は私の過剰反応も原因ですからそこまでおっしゃって頂いては私の方こそ申し訳なく……」
本当に申し訳なくて藍子は床に這いつくばってしまいそうだった。
「…… そう言って頂けると恐縮だが…… 本当にすまなかったね」
幸三の顔が、孫想いの普通のお爺ちゃんの顔になって言った。
「…… まあ大まかな話はこんなところだ。さっきも言ったが、総一郎から君の事を聞いたわけではないし、私が君について調べていることも総一郎は知らない」
王子からの口利きでなかったことにある意味ホッとし、改めて彼の誠実さを藍子は感じた。そして自分の早とちりで迷惑をかけてしまって、本当に申し訳なかったと……。
「今日私がここへ来たのは謝罪もあるが、単に君に会ってみたいと思ったからだ」
――(私に会う? それだけで? ……)
「君の今いる会社が融資の当てを探していると聞いたので、手を回してこちらの会社と公にやり取りできる状況を作った上で、乗り込んで来たわけだ」
ーー(???)
自分(藍子)に会いたいだけなら『ちょっと顔見せに来いや』だけで済むはずだ。
それなのにこんな大がかりな話にして、わざわざこの会社まで来た理由がまだ分からない。回りくどさのスケールが計り知れなくて、藍子にはむしろ恐怖しか感じられない。
「君がこの会社でどういったところまでの業務をやっているのかまでは分からなかったから、こちら側から来てみたわけだが……」
「……?」
「君をあの部屋で見た時は驚いた。不審に思われてもいかんから、一応初見のように名前を聞いてみたんだ」
――(なるほど、それで……)
藍子は幸三の投げ掛けを思い出した。
「いや、まさかこの案件の担当だとは思ってもみなかった」
幸三が愉快そうに藍子を見る。そして
「だとするとこの件の発端に係わっているのかな?」
またゾクリと藍子の背筋が凍るような感覚。
「あの計画書は君が作成したのかね?」
「⁉ そんな! とんでもありません! 私のいる部署はもちろん、営業や資材管理課、それこそ会社の皆で手掛けたものです。私なんてそれをただ資料にしただけで、本当に何も…… 力になれてなんて……」
――(本当に皆の力だ、私のできたことなんてどこまであったか……)
藍子は心の底からそう思う。
「…… うむ、予め断っておくが、孫の件で負い目があるとはいえ、私が君にビジネスの話で便宜を図るつもりはない」
「! もちろん承知しております」
藍子も最初はそういった事も頭に浮かんだが、先程の謝罪を受けて改めてこの方は公私をきっちりと隔てる人だと確信していた。
「親戚や縁者の中にも差し迫って頭を下げに来る者がいるが、利が無いと思えば誰だろうと断ってきた、実際それで会社を潰した親戚もいる。だがそんな話を受けていたら私は今ここにいなかっただろう」
――(そうだろう……)
藍子はその話と幸三の人物像を照らし合わせて尤もな事だと理解する。
巨大な組織を束ねる長だからこそ、むしろ身内には厳しくなくては周りに示しがつかない。それに不利益をかぶって苦労するのは己が認めた真面目に働く部下達だ。
――(この人ならきっとそれをまず許さない。許せない)
幸三は藍子がしっかりと悟っているのを見て取り、話を続ける。
「だから貸付側の視点として忖度なしに計画書を見たが…… あれは良くできている」
「……え?」
藍子は突然計画書の話になった事に驚き、そしてその内容の評価となって困惑してしまう。
――(さっきパラパラ捲ってただけですよね? さも興味もなさそうに……)
名刺交換も終わってなかったくらいの間のはず。
「特に東南アジアのあの新しい販路は良いところに目を付けたと思う。あそこはこれから伸びると私も踏んでいる」
「あ……」
――(たくみさんが抑えてくれたところだ! 頭取に感心されてるよたくみさん!)
なぜだか藍子は自分の事のように胸の奥から嬉しさが込上げる。そして
――(それにしても内容までしっかり把握してるって、どうなってるのかしら頭の中……)
嬉しい反面、幸三の底の知れなさが本当に恐ろしくなってきてしまった。
「…… あの騒動だけでなく、元の銀行内での事も聞いている。君の上司だった高橋君や佐々木君にも」
「課長と係長にも……」
二人の顔と声が藍子の頭に浮かぶ。
「入社当初から気が利いて、業務も与えられた以上にそつ無くこなすと一部で評判だったそうだ。しかしある時から担当業務だけはきっちり処理するものの、後はなるべく目立たぬよう、そう、意識的にそうしているようだったと聞いた時に『ああそうか』と思い至った」
幸三が一呼吸おいて言う。
「どこの世界にでもよくある事だ」
「……」
続く言葉が愛子には怖くてならない。
「『ああ、この子は味方を作ることができなかったか』と、『縁を紡げなかったのか』と」
「…………っ!」
思わず出そうになる嗚咽を藍子は両手で必死に抑え込む。
元の職場での日常を思い出して、藍子は今更ながらに涙が込み上げてくる。
自分から周りを向くことを尻込みして、そして勝手に諦めて、己が不遇を恨むばかりだった自分が、幼過ぎて無知過ぎて、そしてどうしようもなく情けなくて。
「だが今はそうではないのだろう?」
「……」
「あの計画書は一人二人の力だけで出来るものではない。それこそ大勢の知識と経験と労力、そしてその全ての協力が必要だ」
「はい」
「周りの人達に頼り頼られ、形を成したのだろう?」
「……は……い……」
「君があれを仕上げる事が出来たのは、縁を繋げられた事の大事な証だ、今後きっと君の最大の力になる。大切にすることだ」
「は……いぃ……」
最後はこらえていた涙の止めようがなくなってしまって、藍子の目から涙がボロボロと零れ落ちていく。止まらない。止めらない。
ここで働くようになって、泣くことばかりだ。
――(前の職場のあの状況でも、泣いた事なんて無かったのに……)
改めて藍子は思う。
「おおっと‼ これはいかん! 女の子を泣かせてしまった、ああこれを……」
本気でオロオロとしながら、幸三が懐からハンカチを出して藍子に差し出しす。
「えぐ…… えぐ……」
藍子はそれをありがたく受け取って、涙を拭いながら
――(私、今ならあなたの配偶者になりたいです)
と思う気持ちと、
――(あとどうせならバスタオルが欲しいかも)
とまた失礼なことを思いつつ、情けなさなのか悔しさなのか、嬉しさなのかありがたさなのか
良く分からないが、今のこの気持ちに任せてただ泣いた。
藍子が落ち着くのをまってくれた後、幸三が藍子の肩に優しく手を乗せる。
「さて、とはいえ私の一存では決められない。いざ戦場へ復帰せねばな」
――(そうだ)
融資承認が得られるかは隣の会議室で進んでいる説明会で決まる。
――(しっかりしなくちゃ!)
藍子はぐっ!と上を向いて答える。
「はい!」
子供のような返事でまた少し恥ずかくなったが、もう俯くことはしなかった。
つづく




