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15. They sing

<これまでのあらすじ>


 中規模商社の営業職、更科巧さらしなたくみ31歳は、夜の山道をドライブ中こっそり乗り込んでいた女の子を成り行きで街まで送ることになった。

 女の子の名は有本藍子ありもとあいこ、地方銀行に勤める25歳。身に覚えのない周囲からの冷たい視線に耐えながら日々なんとか暮らしていたところ、行内で噂のエリート王子様(江口総一郎)に熱烈なアプローチを受けるようになる。

 なぜか江口と食事をする事になった藍子だが帰宅途中、江口に襲われると勘違いから逃げ出し、その先で偶々たくみの車を見つけ潜り込むことにした。

 たくみに街まで送ってもらった藍子は家に帰る気にもなれず、たくみに縋ることを決意する。

 藍子との思わぬ再開をしたたくみは、しょうがなく申し出を受け入れ藍子を匿うことにしたが、事情を理解するにつれ、これは自分の手には余ると感じて同僚の新道や先輩の美咲に相談することにした。

 藍子を交えた飲み会の成り行きで、藍子は美咲に引き取られることになる。

 藍子はたくみや美咲達の導きで、たくみ達の会社(八笠商事)へ勤める事となり、順調な生活をスタートさせた。

 そんな平穏に突然、関連会社との共倒れの危機が訪れる。

 様々な人の想いを受けてたくみも自分なりの出来る事を模索し始める。


 一方、最初に会社の危機を察知した張本人として筋違いな自責の念に駆られていた藍子は、たくにみ

励まされ……



 

            15. They sing(前進)



――(よし! なんとか皆さんの役に立たないと!)

 藍子は改めて気持ちを奮い立たせた。


 大馬銀行の件は気になるが、確かに今考えても仕方の無い事だ。今自分にできるのは、「やるべき事をやるだけ」だと定まって、藍子はすっかり気持ちが楽になった。

――(思い切ってたくみさんに話してみて良かった)

 きっと迷惑だろうと思っていたが、たくみの顔を見たらつい言葉をかけていた自分に驚いた。しかしちゃんと話を聞いてくれて「俺も頑張るから」と言ってくれたのが心強くあり、本当に頼もしく、

そして……(なんだこの感じ?? ……)


 とにかく奥底のモヤモヤがすっかり消えて、晴れ渡ってしまっていた。


 事業計画作成の手伝いをお願いされた時は正直「え? 無理」と思った藍子だが、長谷部や美咲達が教えてくれる新たな知識やアドバイス、そして一緒に考えていく作業はどれもが新鮮で、最近では楽しいとさえ思えてきていた。


 前の銀行では融資関係の業務には(たずさ)わっていなかったので、ほとんど全てが新しい事だったと言っていい。財務的な自社分析から始まって、各費用の割り付けや運用比率の算段、具体的目標と見通し・数値計画・etc,etc……。

 ただ(さいわ)いというか、藍子の場合、あらゆる場面で出てくる数字のオンパレードに全く拒絶感が無い。むしろ数字を通して全体の関りや流れが見えてくるような気さえする。

――(数字は明瞭だから好き)

足すのも引くのもきっちりと答えが出て、それ以上でも以下でもない。

――(曖昧なものは…… 苦手だ……)

世の中そっちの方が圧倒的大多数なのは分かっている。そして大切なことも。


「アリアーお昼いこー!」

隣の席の木梨が昼食に誘ってくれた。


 藍子がこの会社に勤めるようになって四ヶ月近くになろうとしていたが、藍子に対する周囲の雰囲気は至って柔らかいものだった。それだけでもありがたい限りだったが、特に木梨は同性で同い年ということもあってか、最初から藍子にゼロ距離で接してくる。

「あ、はい」

「もう…… まだ余所よそしいなー、なんとかならんもんかね?」

「ええと…は、うん…… 気を付ける……」

 立場上派遣社員であり、()つ新参で他会社の人間という意識が強くてなかなかフランクな会話が難しいと藍子は感じてしまうが、それでせっかく気を許してくれようとしている相手に不快な思いをさせるのもどうなのかと反省もする。


「まあよし、じゃあ今日はあの定食屋に行こう、チートデーだし」

――(チートデーって有能だなぁ)

藍子はそんな事を思いながら、木梨と一緒に近くの定食屋に向かった。



 木梨は日替わりランチメニューAのから揚げで、藍子はBの焼き魚を注文した。

愛子もから揚げにしたかったが、同じのにするのが恥ずかしかったし、なんとなく(はばか)られてしまった。

「でもホント、アリアって凄いよね、会計書とかバンバン処理しちゃうし。私なんて(いま)だに何が何だかだもん」

「そんな事ないよ、私なんて全然……」

――(本当に全然だ、ちょっと数字の扱いに慣れているだけ。それだけ……)

「えー、私この間もチーフに怒られちゃってさー、今月だけで二回目よ」

――(長谷部さん細かいもんなー)

 美咲のように頻繁(ひんぱん)に冗談を言うタイプではないが、仕事にも自分にも厳しい姿勢に藍子はどこか美咲と似ているような気がした。その分人にも厳しいわけだったが。


「アリアって営業の更科さんと付き合ってるの?」

 から揚げを丸ごと一つ口に放り込みながら木梨が言う。

――(ああ、やっぱり私もから揚げにしとけば………… は?)

「……はあ???」

想定外からの切込みで、藍子は間抜けな顔と返事をしてしまった。

――(なぜたくみさんの話が? ……付き合って……? 付き合ってる??)


「な、なんでかな?」

「え? だってよく二人で話してるじゃん、アリアも嬉しそうな顔してさ」

――(…… え? 私そんな顔してたくみさんと話してたの?)

寝耳に大洪水だ。

「いやいや、た…… 更科さんはこの会社に入る時お世話になっただけで、付き合うとかそんな間柄では……」

「えー? そうなの? ふーん」

追及されなさそうで安心したが、藍子の頭の中は大混乱継続中、且つ加速中だ。


「更科さんてさ、最近やたらあちこちで見かけるのよね。前は『たまに新道さんといる人』くらいだったんだけど、なんだか急にバタバタ駆け回ってて、他の課の子も『うちのところにも何か話しに来てたよ』とか言っててさ」

 藍子の頭にその光景が浮かぶ。

――(たくみさんも頑張ってるんだ……)

 自分の為で無い事は分かっているが、「俺も頑張るから」と言ってくれた時の顔を藍子は思い出して、なぜか心がギュッとなる。

「なんか一生懸命な男の人ってカッコイイよね。何だか私も意識しちゃって、ついつい目で追っちゃうんだよねー」

――(え……)

 木梨の言葉のどこに引っかかったのか自分でもよく分からないが、今まで感じた事のないような焦燥感が湧き上がってきて、藍子は居ても立ってもいられない気分になった。

――(たくみさんが…… カッコイイ? ……)


 前の職場で、周りの女の子が王子の事を「カッコイイ! 素敵!」と言っているのを藍子も散々聞いてきた。でもその時とは全く違うこの感覚の正体が分からない。

「そう…… なのかな……」

――(なぜ疑問形? ……何なの私)


 木梨がそんな藍子を見て「ふふん」と微笑んだかと思うと

「まぁ私は断然新道さんの方が良いけどね、ちょっとチャラいけど、ハハ」

と言って最後のから揚げをまた丸ごと口に運んだ。

「え…… っと、そう…… ね、イヤ、ハハ……」

なぜかホッとしている自分に藍子は気が付く。

――(ホント何なの)

 正体不明のモヤツキに戸惑いつつも、藍子は木梨の幸せそうな顔を見ながら

――(…… たくみさんのチキン南蛮また食べたいなぁ……)

と思っていたりもした。




 大馬銀行への融資依頼報告は年末の十二月二十七日、仕事納めの日と決まった。

 銀行側からは特に期日指定は無かったが、高荻(たかおぎ)製作所の倒産が年末に確定となって、早めに融資の当てをはっきりさせておきたいという、こちらの会社の都合に銀行側が了承した形だ。

 当然それまでに計画書を完成させなければならないが、上層部の承認作業を考えると実質あと一ヶ月ちょっとで仕上げる必要がある。

 計画の最大の肝はやはり新規取引先の見通し。営業部もどうにかいくつかの契約をもぎ取ってはいた(今までにない奇跡的快挙らしい)が、藍子にはどうもあともう一歩、いや三歩ぐらい足りない気がしていた。

 このままでは肝心なところがボヤっとした、意気込みだけの計画になってしまいそうで、それでは先方を納得させるのは難しいだろうというのが美咲や長谷部、そして藍子の見立てだった。

――(私にもっとできる事ってもっとないのかな……)

ぼんやりとカレンダーを見ていて、藍子はもうすぐ母梗子(きょうこ)の誕生日だと気が付いた。


 結局あれから実家へは顔を出せてはいないし、電話すら掛けてもいない。

 妹のすみれとはメールでやりとりはしていて、自分の近況は伝わっているはずだが、こんなにも両親と話さないでいるのは藍子にとって初めての事だった。

 一度だけ母梗子から『ちゃんと食べているの?』とメールがあり『はい』とだけ返すと、『お正月には一度帰って来なさい』と返ってきてそれきり。

――(たぶん母の譲歩も年末までという事ね……)

藍子は自分自身の猶予も瀬戸際である事を感じてた。



 藍子は、他に手はないかとあれこれ調べたり考えたりしたものの、これと言った物も浮かばないまま夕方を迎えていた。

 すっかり煮詰まってしまったので、気分を変えようと藍子が自販機にお茶を買いに行くと通路の向こうからたくみが速足でやってくるのが見える。

「たくみさん!」

藍子はなぜだか嬉しくなってつい声をかけてしまった。

「アリア、ちょうどそっちに行こうと思ってたんだ。東南アジアの方の新しい販路を検討中なんで少し状況を説明しとこうかと……」

二人は休憩室で話をすることになった。


「…… という内容で、まだ扱いの規模は小さいんだけど、これから大きな市場になり得る期待値は十分だし、卸先の当てもいくつかあるんだ。現地でサポートしてくれるのは昔お世話になった方で十分信頼できる。なんとか外取(海外取引)部とも話はつきそうなんだけど…… どうだろう?」

 東南アジアのその地域は藍子も気になっていたところだった。

 

 計画の作成に向けてあらゆる業界内の情報や、物流・株価動向なんかも調べていた中で、まだうち(鷹荻)が手を付けてない地域であり面白そうではあった。しかし取引実績の無いところ、ましてや海外となるとリスクが大き過ぎるし、自分の興味だけで提案するのも無理があると藍子は諦めていた。


――((つな)いでくれた…… たくみさんが)


()いです! スゴくいいと思います!」

「あ、ああ…… そう?」

「ええ! 私それを入れて計画を練り直します、きっとうまくいきます」

「え、うん……」

「じゃ私早速資料の組み上げ見直してきます、あ、概要や関連情報を私にメールで送っといてください!」

 藍子は言い終わる前に部屋を出て事務所に駆け出していた。うしろでたくみが何か言っている気がする。

――(またたくみさんに救われた、頑張らなきゃ!)

藍子は足取りも心も驚くほど軽くなって、飛び立ってしまいそうになるのを感じていた。




 調べる事、知りたい情報はたくさんある。そこから考えたい事、組み立てたいストーリー、そしてそこからの部署間の調整、人員、費用の算段……。

 たくみからの話を受けて数日、リミットも近づいてきて気ばかり焦るがなかなか思うようには作業が捗らずにいて、藍子は自分の無力さに気が滅入ってくる。

――(今日も残業でどうにか……)


 金曜日以外は残業が可能だ。しかしこの会社では月、年の残業上限がしっかり管理されていて、サービスなんてしようものなら長谷部からの強烈な叱責が来る。コンプライアンス的な話もあるのだろうが、いたってホワイトな職場だと藍子は思う。

 美咲は管理職側なので残業制限が緩く(無制限ではないらしいが)夜遅くまで居残る事もあって、藍子は基本的にバスで帰るようにしている。

「今日は早く上がれそうだから一緒に車で帰ろう」

美咲から藍子へメールがあったが、「私の方が残業になりそうです、すみません」と藍子は返した。


「アリア、そろそろ上がろうよ」

木梨が藍子に声を掛ける。

「あ…… ごめん、今日残業しようと思って……」

 藍子がそう言うと、いつもなら「そう、分かった。じゃお先―」と返す木梨が、今日は心配そうな面持ちで藍子を見る。

「…… ねえ、あんまり顔色良くないよ? 手伝えることあったら言ってよ?」

「うん…… でも、大丈夫だか……」

と藍子が言いかけたところで後ろから怒気の強い声がした。

「いい加減にしなさい‼」

「 ‼ ……」

突然の大きな声に藍子が振り返ると、長谷部が藍子を()ね付けている。

――(あ…… まただ……)


藍子の脳裏に、銀行で先輩に怒鳴られた時の事が蘇る。


 新しい場所で、周りの人達が優しい環境に甘えてしまって、自分勝手をやった結果、また不興を買ってしまったと藍子は己の学ばなさを悔やむ。全くもって自業自得だと。

――(結局私はどこに居ても同じ……)

目の前が急に暗くなって何も見えなくなりそうな感覚に藍子は気が遠のくのを感じる。


「有本さん! あなたいつまで自分一人だと思ってるの!」


「………… え?」

一瞬何を叱られているのか分からなくて藍子は混乱してしまう。


「なぜもっと私たちを頼ってくれないの?」

藍子が顔を上げると、少し優しい表情の長谷部が藍子を見ている。

「私たちはそんなに頼りない? 信用がおけない?」

――(⁉)

「そんな事ありません! そんな事……」

――(そんな事は絶対にない、言えば助けてくれるのは十分承知している。それでも……)


「あなたが皆に遠慮しているのは分かってる。迷惑を掛けると思ってるんでしょ?」

「……」

「でもね、ここは会社なの。あなたの問題は会社の、同じ部署の私たちの問題なのよ」

「あの…… 私……」

 藍子にも少なからずその認識はあった。けれどこれは自分の思い付きで始めた、自分が納得したいが為の仕事だと思うと、忙しい周りの人達を巻き込む事がわがままに思えた。


「あなたがここの色々な問題をどうにかしてくれたように、私たちもあなたの問題をどううにかしてあげたいと思っているのよ」

長谷部が真っ直ぐ藍子を見据えている。

「チーフ、怖すぎです」

木梨が長谷部に一言入れた後、藍子を自分の方に向かせて言い聞かせる。

「私じゃ大した力になれないけど調べ物とか、簡単な計算くらいならできるからさ、何でも言ってよ、逆に手間かもだけど、ハハハ」


「私もいるわよー」

後ろから声がする。部署ナンバー2の、斎藤女史だ。

「え、じゃあ俺も! いつ言おうかと思ってたんだよなー」

愛子にいつも冗談を言ってくる安田が奥の席から手を挙げた。

つられるように、更に何人かが藍子の方にやってきて輪のようになった。


「あの…… あの……」

喉の奥が熱くなって、目の前がぼやけてくる。藍子にはもう誰が誰なのか分からない。



『いつでも手伝うから言ってね』

 入行したての頃、何度か先輩が言ってくれた言葉が突然藍子の頭に浮かぶ。自分を叱責(しっせき)した先輩その人だ。

――(あの時の先輩の気持ち……)


 何度も気が付けるチャンスはあったはずなのに、気が付けなかった子供の自分が悔しくて藍子の目の前が更にぼやけてくる。

「私もアリアみたいにできないかと思ったのもあって、一緒にやらせてほしかったけど、アリアだけの方が早いし、迷惑かなーってなかなか言えなくってさ、ホントごめんね」

木梨の言葉に藍子ははっきりと思い当たった。


 藍子自身が周りの人達に感じていた感情、そしてつい最近たくみの料理の手際に思ってしまった藍子自身の引け目。

 自信と勇気の無ない私(藍子)と違ってちゃんと前を向いて話してくれた木梨の姿に、高橋に進言してくれた陽子の姿が重なる。


「フウッ!…… フッ!……」

 色々なものが()み上げ、(あふ)れてきて、藍子はもう顔を上げられなくなる。



「はいはい!、ちょっとー! 手が空きそうな人は手伝ってー 、もう日が無いから総力戦よ!」


 言葉が出なくなって顔を覆う藍子の頭にポンと手を置いて、長谷部が部屋の全員に声をかけた。



                   つづく


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