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14. Go! Rays

<これまでのあらすじ>


 中規模商社の営業職、更科巧さらしなたくみ31歳は、夜の山道をドライブ中こっそり乗り込んでいた女の子を成り行きで街まで送ることになった。

 女の子の名は有本藍子ありもとあいこ、地方銀行に勤める25歳。身に覚えのない周囲からの冷たい視線に耐えながら日々なんとか暮らしていたところ、行内で噂のエリート王子様(江口総一郎)に熱烈なアプローチを受けるようになる。

 なぜか江口と食事をする事になった藍子だが帰宅途中、江口に襲われると勘違いから逃げ出し、その先で偶々たくみの車を見つけ潜り込むことにした。

 たくみに街まで送ってもらった藍子は家に帰る気にもなれず、たくみに縋ることを決意する。

 藍子との思わぬ再開をしたたくみは、しょうがなく申し出を受け入れ藍子を匿うことにしたが、事情を理解するにつれ、これは自分の手には余ると感じて同僚の新道や先輩の美咲に相談することにした。

 藍子を交えた飲み会の成り行きで、藍子は美咲に引き取られることになる。

 藍子はたくみや美咲達の導きで、たくみ達の会社(八笠商事)へ勤める事となり、順調な生活をスタートさせた。

 そんな平穏に、関連会社との共倒れの危機が訪れる。


 会社が存亡を賭け(?)て打開に走る中、たくみはまたしても思わぬ人物と対面して……



          14. Go! Rays(号令)

 


 (たくみ)を含む営業全体への臨時招集と通達があったのは、あの(美咲さんから)話の翌週の事だった。

 色々言っていたが、要約すると


『この不況で会社存亡の危機だ、命運は君たちの新規取引先の開拓にかかっている。具体的には高荻たかおぎ製作所分の取引、いやそれ以上が必須だ、頑張れ! 以上』

『あと、通常業務はもちろんそのままだからよろしく』

という事らしい。(よろしくってなんだ)


 鷹荻の倒産うんぬんについては触れていないが、具体例があまりに具体的過ぎて、

「え? 高荻ヤバいの?」とかえって全員の危機感を煽ったようだった。

 しばらくすると業界で高荻製作所の倒産の噂が日に日に真実味を帯びてきて、高荻が大手取引先だった我が社の社員は全員「本当に危機じゃんか!」と改めて何とかしなければという雰囲気になっていた。


 美咲さんからはその後、相談役が白状した(犯人じゃないのに……)と聞いた。

 昔から持ちつ持たれつの間柄で頼みを受けていたが、もうそろそろどうにもならなそうとは思っていたようだ。いつ皆に切り出したものかと相談役なりに悩んでいたそうで、突いたら平謝りで全てを白状し、高萩の社長に詳しい状況を聞くと約束したらしい。

――(相談受ける方じゃないんかよ? 相談役!)

高荻に聞いてみたところ倒産は確定、早ければ年内にもという事で、いよいよ我が社にとっても本格的なカウントダウンが始まってしまった。

 

 俺の場合、業務役割は資材調達なので、基本的に卸先のニーズが前提となる。

 一般的な商社では、取引先単位での担当が仕入れも卸もやるものらしいが、ウチの場合は工業系の専門商社色が強く、各分野を専門的に担当する体制になっている。通常なら具体的な卸先が決まるか、仮にでも想定されない以上動きようが無いのが実情だ。

 しかしこの状況は、そんなカテゴリズムは全く意味が無い。


 思えば入社当時は自分なりに顧客ニーズをイメージして『より安く、より高品質な物を見つけ出そう』と、いわばマーケティング的な分野まで目指して張り切っていた覚えがあるが、いつしか定型業務だけをこなしていれば、少なくとも日々の生活には困らないという事に気が付いてしまった。

 出世して偉くなるんだという(こころざし)も特になかったから、モチベーションもすっかり失せてしまっていたように思う。

 そんな俺が今更「新規取引先開拓へ!」となると、どこからがんばればいいのか困惑してしまっているというのが実際のところだった。

――(さて、俺は何か役に立てそうか?)

自分で既に疑問形だ。


 そうやって俺がモゴモゴと過ごしている中、美咲さんからその話を聞いたのはスクランブル発令から少ししてからだった。

 財務会計課でも融資先を手当たり次第探しているとは聞いていたが、先日大手銀行側から融資の申し出があったと言う。

 なんでも財務課に直接電話があって、

「融資の当てをお探しと耳にしまして、先ずは事業計画をご提示頂き、当行で納得がいくようでしたらご要望の額を準備します」

という事らしい。


「公庫でも厳しいのに銀行なんて話にもならないですよね? 普通」

そんな事もあるのかと思い、美咲さんに聞いてみた。

「それがさ、言ってきたの大馬銀行横橋店なんだよね」

「……」


 その銀行の名前に気持ちが一気にザワつく。

アリアが務めていた銀行、そしてその本店だ。

「どう思う?」

美咲さんが俺の顔を見ながら聞いてくる。

「…… どうって……」


 アリアに恋慕(れんぼ)していた男性(江口という名らしい)は銀行頭取の縁者だと聞いた。彼がその頭取に口をきいて裏から手を回した可能性が頭に浮かんだが、アリアがこの会社で働いている事もだし、ウチの会社の窮状(きゅうじょう)をどこで知ったのか?

そもそも縁者からの頼みというだけで大手の銀行が動けるものなのか?謎だらけだが

――(いずれにしてもアリア絡みっぽい線は(ぬぐ)えないか……)


「とりあえず他の融資の当ては手詰まりだから、この申し出に乗らない理由は無いわ、事業計画の作成を全力で進めるけど、新規取引先の確保は前提だから営業部は今まで以上に気合いを入れてね」

「…… はい、分かりました」

 真意が全く読み解けなくてスッキリしないが、今は出来ることをやるしかない。

何が出来るのかは、自分でも(いま)だによく分かっていないけれど。


 自分のデスクに戻り、過去に取り交わした名刺データを検索する。

 闇雲(やみくも)に歩き回っても埒が明かないので、差し当たり以前の繋がりから探ってみようと考えた。まぁ(いた)ってありきたりな手段だ。


 最近ではめっきり初顔合わせの機会が減ったが、入社したての頃はほぼ毎日名刺交換をしていたような気がする。

――(自分では感じてなかったけど、これほどの人達と関わっていたんだな……)

 さすがに全員の顔は思い出せないが、会社名と名前を見て

――(ああ、やたら体格の良い体育会系の人だったなぁ)

と思い出したりして、当初の目的そっちのけで懐かしさを刺激するだけの作業になりつつあった。



 機械的にカードを送っていると、胸ポケットのスマホが振動する。

――(誰だ? 登録のない番号……)

「はい、更科です」

「あ、私、大馬銀行の江口と申します」

――(大馬銀行…… 江口…… あ!)

アリアの言っていたイケエリ(イケメンエリート)上司様だ。


「は、はい、あの……」

「突然申し訳ありません、財務部の美咲主任よりご紹介いただきまして連絡をさせて頂いた次第です」

「ああ…… は…… い?」

なんだか話が見えない。

「お忙しいところ大変申し訳ありませんが、折り入ってお話しをさせて頂きたいと思いまして」

「えっとー…… 、はい?」

増々分からない。

――(アリアと関わってから、やたら初見の呼び出しがかかるなぁ……)


 だが、いつしかすっかり肝が据わってしまっている自分に気が付く。

――(なんだかもう慣れてきたわ)

もはや諦めかもしれなかったが。





「改めまして、大馬銀行、江口です」

眉目秀麗(びもくしゅうれい)な男子が名刺を差し出してくる。

八笠(やかさ)商事、更科です」

その名刺を受け取りつつ、俺も自分の名刺を差し出す。

 会社近くの喫茶店で午後会う約束を取り交わし、今そのイケエリ君(失礼だけど印象そのままなんだものなぁ)と対峙しているところだ。


「僕の事は有本さんからは……」

「え、ええまぁ…… さらりとですけど……」

イケエリ君が少し目に(まよ)いめいた感じを(にじ)ませて、(わび)びるように話し始める。

「彼女をあんな目に合わせておいて、今更のこのこ出てこれる立場で無いのは重々承知しているんですが、その……」

「あー…… 、あの山での事ですよね? あそこって確か有名な告白スポットだったと思うんですけど、あそこに向かわれた目的はやっぱりソレですよね?」

彼の心中を察して、先ずはアリアの話から感じた事を投げてみた。


 イケエリ君がパァ!っと顔を輝かせて、

「そうなんですよ更科さん! 本当にその為にだけで、決して如何(いかが)わしい気持ちなんてこれっぽっちも……」

――(だよなー……)

「でしょうーねー、話を聞いた時、私もそうじゃないかなとは思ったんですけど」

思ってはいたが、女の子の心理的恐怖は俺の感覚では測れまいと()えてアリアには言わなかった。

「でもアリ…… 本さん(危ねー)は恐らく、あそこがそういうスポットだって知らなかったっぽいですね」

「⁉ …… ハァーーッ、やはりそうでしたか……」

がっくりと項垂うなだれる彼は一気に老け込んだように見えた。

――(ウーム、それでもイケメンだが?)

なぜだかちょっと心がモヤる。



「彼女とは部署が違うもので、直接話す機会は無かったんですが、ある日休憩室前にあるコーヒーサーバーのところで初めて見かけて…… いや、初めて意識したというのが正しいですね」

運ばれたコーヒーを見つめながら、江口君が語り始める。


「誰かがコーヒーをフロアにこぼしたままにしていたようで、それを見た彼女が周りに誰もいない事を確認したかと思うと(僕は遠目に見てたんですけど)トイレからトイレットペーパーを持ってきて急いで拭いて、ささっとそこを去るんです。誰からも悟られぬ様、それこそ隠れるように……」


――(…… ああ、光景が目に浮かぶな、その時のアリアの心理も……)

「なんだかその一瞬でこう、その… 心をギュッと掴まれたといいますか……」

――(その気持ちは分かる、男として)


「…… まぁ、モップで良かったんじゃないかなとは思いましたけど……」

――(すごく分かるー)


「でも今回の件は結果的に彼女を不安にさせてしまった僕の責任ですし、軽率だったと反省しています……」

 引いてしまうほどの低姿勢としょげっぷりに、正直驚いてしまった。

――(ああ…… 本当に誠実なんだな彼は、そしてアリアの事を真剣に……)



「名刺にもありますが、六月から飯田支店へ転勤となりまして」

――(そうだ、名刺を受け取った時に気になったが、確かアリアの勤めていた銀行は狭間支店だったはずだ。すると……)

「あの、それって……」

「あっ、あの件とは関係なく、転勤は前から決まっていた話だったんです。ただ、その転勤の事もあって、少々強引にアプローチしてしまったのも結果的に彼女を困らせてしまったなと……」

「そうなんですか……」


 職場が変われば会う機会はほぼなくなるだろう。今まで全く面識が無いとすれば(なお)の事。

――(それは(あせ)っただろうな……)


 誰も悪くないのに、結果としてお互いが痛手を負ってしまった形だ。

――(なんとも……)

やりきれない気持ちになる。


「ウチの銀行本店から融資の話があったと思いますが」

「え? ……」

突然話が方向転換し、戸惑ってしまった。

「今日お話ししたかったのはその件についてです」

「ああ…… はい」

確かに目下(もっか)の腑に落ちない点で、事情が知れるならありがたいが、まさか直々に来られるとは思わなかった。


「大馬の頭取、僕の祖父なんですが、どうやら彼の仕業(しわざ)のようです」

「…… ()()?」


 予想はしていたが、『ようだ』とはどういう意味なのか。

「お断りしておきますが、祖父に僕の方から有本君の話はしていません。そもそも彼女が今どこにいて、どういう状況なのかも恥ずかしながら知らなかったものですから、もちろん融資の口利きなんて事はあり得ません」

――(なるほど……)

しかしいっそう話が見えてこなくなった。


「本店の店長とは昔から知り合いで、その店長から『頭取には口止めされているが』と前おいて、内密に教えてくれた事で初めて知りました」

「…… えーとすみません、お話が……」

「ああ、すみません、混乱させてしまって。どうもその…… 祖父は有本君の事をどこかで知って、彼女自身に興味があるようなんです」

「有本さんに?……」

「僕も正直なところ祖父の真意までは分からないのですが…… すみません」

益々分からなくなってきたが、恐らく孫絡みの特別な便宜(べんぎ)という事ではなさそうだ。


「もちろん、この件で有本君に不利益が生じる事になれば断固祖父へ抗議するつもりですが、彼は利のない事に手を掛けることはしません。そして納得のいく成果に対しては相応に(むく)いる人ですので、少なくとも悪い結果にはならないと思っています」

確かにこちらとしても、もしダメなら銀行からの融資が無いだけで、それは手詰まりの今の状況と変わらないだけの事だ。


「えー…… なんとなくお話しは分かりましたが、その……」

頭取が黒幕だという事は分かったが、相変わらず釈然(しゃくぜん)としない。

「頭取はどこで有本さんの事を?」

そこが気になる。きっとそこに原因と理由があるはずだ。

「思い当たるところはあるのですが、確証はありません。あと(いささ)か込み入った内容で……。ただ、僕絡みである事は確かです。有本君の個人的事情や情報とは関係ありませんのでその(あた)りはご信用頂ければと」

――(アリアの過去や素行といったものからでは無いという事か……)


 彼(江口君)との(つな)がりからというのが最も自然だし納得がいくが、そこから頭取との繋がりまでの線が見当もつかない。

ただ彼本人も真意までは掴みかねているという事は、ここで論じても(らち)が明かないという事だろう。


「分かりました、確かに少々困惑していたところもありましたので、少し事情が知れて良かったです。わざわざありがとうございました」

 全てではないが、そう悪い話ではなさそうだと分かっただけでもありがたい。今進めているこちらのベクトルに間違いはないと確信が持てただけでも。


「こちらこそお忙しいところ失礼しました。逆に混乱させてしまうようなお話で恐縮です。ただどうしても僕の知り得るところをお伝えしておかなければと思いまして……」

そこまで言った彼が、一呼吸置いてから

「それにしても……」

急に柔らかい(いや、生温かいか?)雰囲気になって、俺を見ている。

一通(ひととお)り目的を果たした事で気持ちが楽になったのか(それとも別の?…)。

「? ……」(何?)


「つい気持ちが先走って、融資といえば財務課だろうという理由だけでお電話したのですが、主任の美咲さんという方が今有本君と一緒に暮らしていると知って驚きました。そして『そういう話なら最初に保護したのは更科という男ですのでそちらへ』と言われて更に驚きました」

――(そんな(ふう)に言ったのか美咲さん!)


 想っている女の子が見ず知らずの男と一緒だったと聞いたら、さぞや穏やかではなかっただろう。

「あ、あの本当にその成り行きで…… あと! そういった事も全くですね……」

――(どういった事だよ!)

「ハハ、いえ、正直聞いた時は少し不安でしたが、更科さんとお会いして、そういった心配は無用だったと思ってますよ」

「はは……」(ヘタレっぽいってことだよな、実際そうだけどもさ)


 少し真面目な、というか(いぶか)し気といった表情になって彼が聞いてきた。

不躾(ぶしつけ)ですけど、よく受け入れられましたね。状況だけ見れば厄介(やっかい)さしかないですし、僕だったら、というか普通はもっとこう……」

 言わんとしている事は良く分かる。

電話で妹のすみれちゃんに問われた時も思ったが、どうしてあの時アリアを受け入れたのかと今でも自分が不思議でならない。同情の気持ちはもちろんだが、それだけではない何かがあった気がして、その後も時折考えてはいた。


「彼女と話してみた時に…… なんとなくなんですけど『助かり方』が分からない子なんじゃないかなぁって思ったんですよね」


 発端のあの日、アパートで寝入り際に思い返した別れ際のアリアの表情。

そして次の日再会して、確信したある種の予感。

「山盛りの荷物の置き場所が分からなくて、動けなくなってしまったみたいな……」


 場所どころか、降ろし方すら知らない顔をしていたように思う。

あの日の一過性の話ではなくて、もっと根深い、もっとあの子の本質的な問題なのだろうという予感。


「今でも…… 自分でも分かりませんが、この子は一旦休まないとダメな気がしてしまったんですよね。そう思ったらもう放り出す事ができなくなってというか……」

実際そうしてみたというだけの話だった。


「今考えると良識ある社会人としてはあり得ない、というか反社会的部類ですが……」

 江口君が真面目な面持ちで俺に向き直ると、何かに吹っ切れたように言った。

「なるほど、有本君はこちらの方々…… いえ更科さんと繋がるべくして繋がったんですね。そして彼女なりの居場所を見つけた。(おさ)まるべきところを」

 なんとも切ない感じの表情、そしてどこか残念そうな陰りのある眼差(まなざ)し。

「そんな、それほどの事は…… 。実際私には何もできなかったので……」

 本当に何もできなかった、ただの羽休めの枝木にさえなれたかどうか。

――(でも、少しでもそう思っていてくれるならまだ……)


「いえ、きっとそうです。そして正直それが僕でなかったのが悔しい限りですが」

彼が自嘲(じちょう)気味に笑いながら言う。

「でもそれなら貴方(江口)こそ有本さんに直接……」

そこまでの気持ちなら、絶対に伝えるべきだと思った。同じくあの子を気にかける者としても、何より男としても。

「最初はそのつもりでお電話をしてみたんですが、今はそうしなくて良かったと思っています。今会えば言い訳しか出てこないでしょうし」

 既に心得ているといった表情が、俺よりもずっと大人に見えた。

――(あの子の事を想えばこそ身を引くのか…… 本当に良い男だな)


「更科さん、有本君の事、よろしくお願いします。まぁ僕が言えた義理ではありませんが、ハハハ」

(さび)しそうな、そして少し悔しそうな笑い顔だ。

「あ、はい、仕事とかはできる限り力になるつもりです…… ので」

彼が、一瞬変な顔をして

「…… お願いします。僕ができなかった分も」

今度はスッキリした笑顔を見せた。

――(イヤなんとも爽やかだなぁ。アリア、こりゃレコードクラスの魚だぞ、後悔しないだろうな? もうなんか俺がホレそうなんだけど、マジで)


「が、がんばります」



「では失礼します」

通りを歩きだす彼を見送りながら

――(また名刺が増えちゃったな)

と胸ポケットを撫でた。




 会社に戻ると美咲さんから「どうだった?」とメールが入っていたので早速事のあらましを伝えに行った。


「ふーん、なるほどね、良い男じゃない。私が話聞いとけば良かったかな?」

どこまで本気か分からないが、かなり真面目に後悔しているような口ぶりだった。


「でも相変わらずその頭取の思惑は見えずって感じね。ま、やるだけやって、お金が借りられれば儲けものってとこか。良し! やってやんよ!」

――(こういうギャンブル的な展開、燃えるよなーこの人)

「で、アリアにはどこまで話しましょうね?」

自分でも考えあぐねて、美咲さんに投げかけてみる。

「うーん……、事業計画の作成協力をお願いするのに大馬銀行の融資申し出の件は伝えてあるんだけど、その彼の事については今はまだ言わない方が良いと思うわ。また考えちゃいそうだし」


 アリアに計画の作成協力まで任せてるのかと驚くが、戦力としては申し分ないのだろう。

――(というか主力か(すで)に……)

「なにか…… 反応はありましたか?」

「訝しそうだったけど、「他の融資依頼先でもどの道必要だから」とは言っといたわ。どこまで飲み込んだかは分からないけどね」

――(それはそうだろうな、何かあるとは思うだろう……)

「今回の鷹荻たかおぎの件、会社としては事前に把握できただけでも相当ありがたいというか、社の進退に係わるレベルだし表彰物ぐらいなんだけど、当の本人は見つけた自分の責任みたいに思ってる節があってね。そっちの方が心配なのよね……」

「ああ……」


 そうやって自分が関わった事象を全て、自分の責任に捉まえてしまうように生きてきたのだろうと、彼女の辿った道行みちゆきが目に浮かび、悲しくなる。そして あの子の自虐(じぎゃく)的に過ぎる思考プロセスを、どうにかしてあげられたらと改めて強く思う。

「私も気を付けるけど、たくみ君も気にかけてあげてね、アリアちゃんの事」

「それはもちろん‼」


 思いの外強く言ってしまって自分でも驚いたが、美咲さんもそれ以上に驚いたような表情になっている。

そしてなぜだか嬉しそうに

「じゃあ頼むわ!」

と俺の肩のあたりを思いっ切りグーパンしてきた。

「イッッ‼」

腰の入ったいいヤツだった。

――(骨まで逝ってないか? これ労災認定おりるんだろうな?)

肩をさすりながら真剣に思った。



 財務課から戻ろうとしたところで通りしな、二課の様子を覗くとアリアが真剣な面持ちでパソコンに向かっているのが見えた。

――(少し髪が伸びたかな?)

となんだか気にするところがオッサンじみてるというか、頑張っている女の子に対して(俺はなんて俗っぽい感想しか抱けないんだろう……)とまた情けなく思ってしまう。


 すると不意にアリアと目があって、アリアが俺の方へやってくるのが見えた。

――(ヤバッ、キモいのが悟られたか?)

「たくみさん、ちょっとお話ししたい事があります」

「お、おう……」

勢いに飲まれてそう答えるのがやっとだった。



 休憩室(古くなった打合せ室に長机を置いてあるだけだが)の隅で缶コーヒーを飲みながら話を始めた。

「美咲さんに、銀行から融資の申し出があったと聞きまして、大馬銀行からと……」

「……ああ、俺も聞いた」

――(まぁそれだよな……)


「普通この手の融資で銀行が貸し出す可能性はほぼありません、企業側も承知で話すら持ち出さないのが実情です。それが銀行側からなんて……」

「……だよねぇ」

元々銀行側の人間だ。その辺りの事情は俺達以上に分かり切っている。だからこそどういう事なのか意図不明なのは気持ちが悪すぎるのだろう。

どう考えても自分絡み、あの件の発端となった彼(江口君)の関与に行き着く。

――(どうするかな……)

 ここで頭取の話を出しても余計混乱するだけだろう。当の頭取本人の思惑も分からないのであれば尚の事だ。

「まぁあちらがどういうつもりなのかは今考えても答えは出ないと思うんだ。それに無条件で貸し出すってわけじゃなくて、あくまでも返済が見込める確実な収益計画を作成立証しないといけないわけだから、これはかなり厳しい条件だと思う」

「そう……ですね……」

 今考えても埒が明かないのはアリア本人もわかっているはずだ。でも頭の中のモヤモヤ、気持ちの悪さを抑え込む方法が分からないといった様子が伝わってくる。

――(そう簡単に割り切れれば苦労しないか…………しかし……)

と、ふと思う。

――(この子……随分変わったんじゃないか?)


 以前のアリアなら誰にも話さず一人で思い悩んでいただろう。そしてゆっくりと答えの出ない暗闇に飲まれていったはずだ。こうして誰かに話をしただけでも、大きな変化という気がする。

――(なら俺はどうする? ……)

 江口君にも美咲さんにも頼まれた事だが、それがなくとも俺自身がそうすべきだと思っている。そうしたいと。


 アリアに、そして自分にも言い聞かせるように気力を込めて言う。

「元々期待していなかった話だし、ダメでもどうせ元のまま、うまくいけばこの窮状(きゅうじょう)をひっくり返せるかもしれない。ここは相手の思惑がどうであれ、チャンスと捉えてやってみるしかないんじゃないかな? どの道事業計画は必要だし、むしろその道筋こそこの会社の生き残る希望だ」

「希望……」

勢いで言ってみたが、逆にプレッシャーになっては元も子もないとちょっと怯む。

「……ごめん、希望は言い過ぎかもしれないけど、そのなんだ……光? いや違うか、んー……」

「……プッ! 何なんですかそれ、アハハハ」

「あー……すまん」

――(とっさにうまい事とか言えんなぁ)

 頭を()きながら自身の(げん)辟易(へきえき)するが、アリアの笑い顔が嬉しくて、なんだか誇らしくもあった。


「でも……私が少しでも力になれるのは、今はそれしかないですもんね。あの、私頑張ってみます」

 本当は自分の為にであって欲しいが、今は「誰かの為で」でいい。それで進めるなら。

「うん……もちろん俺達営業も気合いを入れて頑張るから」

なんともありきたりな事しか言えないが、心は感じた事のない高ぶりに満ちている。


「あ、でも君はあんまり頑張り過ぎないようにな。くれぐれも……」

「はい! 大丈夫です!」

――(うーん心配しかないんですけど……)

やる気満々な顔が、これほど人を不安にさせるのを初めて見た気がする。




 俺はそれからしばらく、

『今はとにかく、仕入れでも卸先でも新たに取引ができそうな可能性を!』

と、昔の伝手や噂、社内の人間やネットの情報に至るまで、思いつく限り当たってみた。

 本来の業務の傍らなので、それほど時間を割くわけにはいかないが、それでもなんとか時間の都合をつけて直接話しをしに行ったりもした。


「たくみー、この間お前が聞いてきた件なー、先方が話なら聞いても良いって言ってるけどどうする?」

斉木さんが外回りから帰ってきて行先表示を裏返しながら言う。

――(あ、一応気にかけてくれてたんだ……)

「ありがとうございます! 是非お願いします。都合は先方(せんぽう)(かた)に合わせますんで」

「……分かった、連絡しとくわー」

二ッと笑ってひっくり返した行先のラベルをまた“外 ”にすると、部屋を出ていった。

(? ……何してんの?)

斉木さんの背中を見ながら不思議に思っていると

「更科さん、今エストさんのとこと納期の話で揉めてて……ちょっと相談に乗ってもらえませんか」

と後輩の子が席にやってきた。

――(エストって俺が前担当してた取引先か)

「わかった、三十分後でいいかな? これ片づけたらお前のとこに行くよ」

「はい、すみません」

「おーい更科―、ちょっと来てくれー」

――(なんだよ、今度は係長かよ……)

最近やたら声がかかる。

――(時間が欲しいのにどんどん忙しくなるのは何かの呪いか?)

「はーい、今行きまーす」


 いくつかまとまりそうな話は拾えたが、どれも小口の取引で、鷹萩の穴埋めには到底及ばない。

―― (そうそううまくはいかないよな)

意外にも(と言っては失礼だが)斉木さんが二件ほど契約を確定させていて、あの新道さえ何件か新たな卸先を見つけたらしく、交渉中と聞く。

――(みんなも頑張ってるな、俺ももっと……)

 成果の上がらない現状に、気ばかりが焦る。

――(明日は斉木さん伝手のメーカーさんと打合せか……)


 そういえば、何とかなりそうな案件の全ては、直接相手と対面で商談をしたものだったことに気が付いて、ある人の言葉を思い出す。

『メールなんぞは論外だが、電話やビデオ通話より、やはり対面で直接相手と話すことが大切だ。なんというか……温度が伝わらない。取引の話なら尚の事だ』

 去年高荻を辞めた中西さんの言葉。

 知り合って最初の酒の席で聞かされて

「そういうもんですかねぇ……」

と当時は今ひとつピンときていなかった記憶があるが、今なら「確かに」と思える。


 世界的パンデミックの影響で、人と会う事が良しとされない状況は、通信システムによるコミュニケーションを一般的常識にした。しかし一方で、直接対話することによる“空気感の共有 ”といったところの重要性は、より増したような気がする。

――(中西さん元気でやってるかな……)



「おお! 更科君か? 嬉しいな、元気でやってるかい?」

「ええ、お陰様で……相変わらずです」

「ハハハ、何よりだよ。どうしたの? 俺に連絡くれるなんて」

「あの……急に中西さんの声を聞きたくなって……」

――(元カノかよ)

「それと実は……」


『現地でようやく落ち着いてきた』と中西さんからもらった連絡先に電話をかけてみたのは、声を聞きたくなったこともあるが、一応古巣の状況を伝えておいた方がいいかと思い立ってのことだ。

 高荻の状況、そしてウチの会社の動き、ついでに俺の近況なんかを掻い摘んで話した。

「……そうか、前の同僚からも聞いていたが、やはりそうなるか……」

「……」(心境は複雑だよな)

「実は俺が辞めたのもほぼリストラみたいなもんだ、正式に肩を叩かれたわけじゃないが、雰囲気的にな……」

――(そういう事か……)

 

 高荻の状況を知った今、なんとなくは思っていたが、あの時の寂しげな顔はそういうわけだったのかと納得がいった。

「更科君達にも高荻の状況について話しておくべきだったが、まだあの時点では盛り返す目もあるし、余計な事は言わないでおこうと思ったんだ。いや、すまなかったね」

「いえ、中西さんが謝る必要は……」

あるはずがない、実際あの時点ではどうなるか誰にも分からないわけなのだから。


「しかし…… うん、新規の取引先開拓をしてるんだろう? だったらこっちの仕入れ先を紹介しようか?」

「え?」

意外な言葉に驚く。

「ここでは今政府が工業経済特区に指定して、生産業を強力に後押ししてるんだ。今はまだどこも規模は小さいが、皆精力的で勢いがある。俺なら こっちにも日本にも、いくつか卸先の当てもあるしどうだ?」

 思ってもいない……というか願ってもない話だ。ただ、海外メーカーととなると、ウチでは別の部署(海外取引部)の管轄になる。現地に代理店があるところなら俺の部署でもいくつか扱ってはいるが、全く初めからとなると……。

――(……いや、やれることはやるんだろ! 俺!)


「はい! それは願っても無い事です。是非お話をさせてください……でも」

「なに、こっちも日本側商社の後ろ盾が欲しかったところだ。こちらこそビジネスとして話をさせて欲しい。ちょうど来週日本に一時帰国するから詳細はその時会って話そう」

「はい、よろしくお願いします。まずは面と向かって話さないと、ですよね」

「ハハハハ、そういう事だ!」




                      つづく




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