13. They jump!
<これまでのあらすじ>
中規模商社の営業職、更科巧さらしなたくみ31歳は、夜の山道をドライブ中こっそり乗り込んでいた女の子を成り行きで街まで送ることになった。
女の子の名は有本藍子、地方銀行に勤める25歳。身に覚えのない周囲からの冷たい視線に耐えながら日々なんとか暮らしていたところ、行内で噂のエリート王子様(江口総一郎)に熱烈なアプローチを受けるようになる。
なぜか江口と食事をする事になった藍子だが帰宅途中、江口に襲われると勘違いから逃げ出し、その先で偶々たくみの車を見つけ潜り込むことにした。
たくみに街まで送ってもらった藍子は家に帰る気にもなれず、たくみに縋ることを決意する。
藍子との思わぬ再開をしたたくみは、しょうがなく申し出を受け入れ藍子を匿うことにしたが、事情を理解するにつれ、これは自分の手には余ると感じて同僚の新道や先輩の美咲に相談することにした。
藍子を交えた飲み会の成り行きで、藍子は美咲に引き取られることになる。
藍子はたくみや美咲達の導きで、たくみ達の会社(八笠商事)へ勤める事となり、順調な生活をスタートさせた。
そんな平穏に会社の存続の危機が……
13. They jump! (ヤツらのせいじゃん!)
美咲さんに連行されて、俺と新道が小さな会議室に入ると、不安げな表情のアリアと、腕組みをして眉間に皺を寄せている長谷部さんが座っていた。
――(ぐっ! やっぱりこの子が絡んでたか…… 。でも一体…… ?)
「えー…… 順を追って話すとね、今長谷部のところで“ でんさい ”と手形の一元管理システムを作ってもらってるんだけど――」
美咲さんが話を切り出す。
“ でんさい ”
電子記録債権。
昔からの手形決済に変わる電子取引債権で、資金管理の明瞭化や印紙手数料、事務工数の削減に繋がるとして、政府が強力に推進しているシステム(らしい)だ。
まもなく手形決済は廃止され、でんさいに統一されるとの話は前から出ているが、今でも昔ながらの手形決済を希望する取引先はいて、今は新旧の決済方法が混在している状況らしい。
そして今この状況に至る話の経緯を美咲さんが語り始めた。
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「ちょっと美咲、話があるんだけど」
長谷部が藍子を連れて主任席へやってきた。美咲が何かを察して仕事の手を止めた。
「…… そっちの部屋空いてるからそこでいい?」
会議室に入ると長谷部がノートパソコンを開いて
「これ、鷹荻製作所のところ見てくれる?」
今期の決済取引記録を開く。しばらく眺めた美咲が違和に気付く。
「…… ジャンプ? ……」
”手形ジャンプ”
約束手形の支払い契約期限を再度組直して、支払いを先に延ばすことだ。
「…… 最近聞かないけど、全く無いわけでも……」
「私もそう思ったんだけど……」
長谷部がちらりと横の藍子を見る。おずおずと藍子が話し出す。
「あの、この取引先だけ決済日の修正履歴が別の方のⅠⅮで残ってたんで、気になって調べてみたら……」
アリアの後を引き取り、長谷部が言う。
「一昨年と去年で一回づつ、今年に入ってからは既に二回」
「…… それ……」
ジャンプの理由はいろいろ考えられるが、一般的には支払資金の用立てが困難になった場合だ。
確かにその会社の取引先の事情や、決算管理のタイミングで行われる事も考えられなくはない、だが立て続けにとなると話は変わってくる。
「まぁ今のところ未払いは無いし、この程度ならって思ったんだけど……」
長谷部がまた藍子の方を見ながら言う。藍子がまたまたおずおずと
「一応と思って鷹荻製作所関連についてちょっと調べてみたんですけど、三年前あたりに取引先の自動車メーカーが新規システムの大規模なグローバル展開プロジェクトの発表があったんですけど、それに鷹荻が大きく関わっていたようで、一時期株価も跳ね上がってた形跡があるんです……」
美咲と長谷部は静かに聞いている。
「それが一昨年からのパンデミックによる景気への影響で、プロジェクト自体が宙に浮いてしまったようで、大幅な設備投資も進めていた鷹荻としては利の出ない状況でかなり苦しいのではないかと……」
開発から販売までの足が短い小型商品などと違い、自動車となると多岐に渡る関連メーカーも交えた開発や試験確認、法規適合や地域戦略等々、ありとあらゆる開発タスクを必要とする為どうしても販売までに時間がかかってしまう。そして下請けのメーカーは実際に販売が開始されなければ見通しの実利を得られない。
「それに加えてこの不景気で部品コストも叩かれてか……」
美咲が藍子の話から直ぐに抜き差しならなそうな状況を察する。
「まだ確定ではないけれど、じきに不渡り…… 場合によってはそのまま倒産の可能性もあり得るわね」
長谷部が考え得る懸念を言葉にする。美咲がそれを受けて
「…… でもなんで今まで発覚しなかったの? 管理は一課の方よね?」
「横溝君(一課のチーフ)に聞いたら専務に直接頼まれたんだって。担当も通してないし、四半期の決算では辻褄が合ってる、鷹荻の状況も知らないから特に誰も問題視してなかったみたい……」
鷹荻はこの会社(八笠商事)が設立当時からの得意先で、今でも扱いのかなりの割合を占めている。
当時から社長同士(今はどちらも相談役)は懇意にしていると聞くので、恐らく現相談役に鷹荻側から話があって、専務経由で一課に、といったところだろう。横溝にしても「収支的に問題なければ」程度に考えていたのかもしれない。
美咲がギリギリと奥歯を鳴らしながら
「グクククッ…… あのクソジジイ共……」
となったらしい。
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「て感じで、一元化処理の件進めてたらこんな話が出てきたんだけどね……」
美咲さんが溜息交じりに長谷部さんの方を見る。
「ねぇシステム化の話っていつから本格的に始めたんだっけ?」
長谷部さんが溜息と共に眉間を抑えつつ
「先週からよ、一週間足らずで見つけてくれちゃったわよ、この子が。私もうチーフでやっていく自信が……」
アリアがおどおどしているが、俺の気持ちとしては
――(大丈夫です、長谷部さん、全部この子が悪いと思います)
ホント同情しかない。
「あの、それで俺たちが呼ばれたのは?」
新道が美咲さんに聞く。
――(そうだ、なんで俺たちが呼ばれるんだ?)
「あなた達、鷹荻製作所のところの取引もいくつか担当してるわよね?」
「ええ、まぁ……」
確かに俺は資材調達の関係で、新道は卸先として関わってはいるが、数ある品目の内のごく一部だし、もっと深い付き合いの担当なら他にもいるはずだ。
「まだ確定じゃないし、公にできないから、とりあえず暇そうなアンタ達にちょっと聞いてみようかと思ってね」
――(暇ってなんだ、これでもいろいろ…… まぁすぐついてきましたけど……)
悔しいので、一応それらしいことを聞いてみる。
「…… そうすると裏取りというか、あの会社の運転状況調査とか……」
「どうやって調べるかなぁ…… オレそういうの苦手なんすよねー……」
新道が真っ先に弱音を吐く。
「あ、それはもうアリアちゃんが調べてくれてるから良いんだけど」
「…… え?」
「…… え?」
気持ち悪いがまた新道とシンクロしてしまった。
長谷部さんは腕組みで相変わらず眉間を揉んでいる。アリアは目を泳がせている。
――(あ、これ『私なんかやっちゃいました?』って顔のやつだ。リアルで見たの初めてだー、スゲー、カンドー)
「直接会社の方とかにも出向いてるんでしょ? なんか変わった感じとかあった?」
美咲さんは現場での実態的なところを知りたいらしい。
「変わった感じですか…… グロス価格をもう少し勉強(値引き)してくれないかとかはありましたけど、お互いギリギリなのは知ってるはずなんで、いつものお約束のやり取りみたいな…… 。でも考えると取引量を小分けにしてくれだとかは去年あたりから言われてたかな……」
俺の言葉を聞きながら、新道が訝しげな顔で言う。
「そういえばたくみ、営業の中西さん去年辞めたよな?」
「 ああ……」
鷹荻の営業中西係長。
俺が入社当時からお世話になった方で、よく怒られたりしたが、取引のイロハをウチの会社の先輩方以上に教えてくれた人だ。
若い頃から営業畑でやってこられ、周りからの人望も篤く、これからも第一線でバリバリ活躍されるのだろうと思っていたら、何の前触れもなく「今度会社を辞める事になってね」と言われ驚いたのを覚えている。
個人的に送別会と称して(新道も一緒に)最後に飲んだが、
『更科君は俺みたいに狭い分野で満足するんじゃなくて、もっといろんなものに触れてみた方が良いな、まだ若いんだし色々な可能性にチャレンジしてみるべきだ』
と言ってくれたのを思い出す。
――(今後は確かインドネシアで、現地商社のバイヤーだかコンサルみたいな事をするとか言ってたかな……)
『どこに行っても俺にやれるのは営業だけだ』
と、自嘲交じりに言いながら、どこか寂しそうだった顔が印象に残っている。
――(…… あれ? そういえば)
「そうだ、去年あたりから色々あちらの担当さんが入れ替わってたな」
ふと思い出した。すると新道も
「あ、そうそう、ウチの先輩もぼやいてたわ、担当代わったらなんかやたら納期や品質に文句言っては費用を値切ろうとしてくるって」
と付け加えてくる。
「なんか仕事場の雰囲気もギスギスした感じが…… あ、日頃見かけない重役さんとかもやたら見かけるようになったような……」
思い返せば色々と出てくる。
「はい、もう確定ね。現場にまで影響来てるんじゃ秒読みだわこれ」
美咲さんが確信を得た顔をしている。長谷部さんも思案顔で
「さて、これからどう動くかね。まだ確実にそうなると決まってない以上、あからさまな動きも難しいでしょうし……」
と美咲さんを見ながら言う。
「まぁ、それでうちまで潰れるような事は無いでしょうけど、影響は小さくないわね…… 。はぁ…… あの男のとこ行くか―、行きたくないけど!」
榎本部長のことだ、美咲さんの元旦那。
「くっ! …… 75点か……」
コブシを握って新道が変な事を言い出す。
――(? 75点? なんだそりゃ?)
アリアを見ると、なぜか赤くなって下を向いた。
――(???)
<部長室>
「…… というような事がありましてー……」
「…… ハァ…… もういいよまなみ、今は俺たちだけだ」
「そう? じゃあ失礼して。もういい加減名前呼びは止めろって言ってんじゃない、いつまで自分の女気分なのよ」
「はあ? お前はいいのかよ⁉」
「私は前からこんなじゃない、何を今更」
「…… そうだよな、うんそれはいいや……」
榎本の方が諦めた。
榎本の部屋(といっても簡単なパーテーションで仕切られた程度だが)で美咲が榎本に経緯説明をしている。
「話は分かった。まぁうちもそれで潰れるほど体力が無いわけじゃないが、パンデミック影響で不況の煽りはあるし、財政影響はかなり厳しいだろうな。本社の援助も期待薄だろうし…… で、財務部としての見解は?」
「不況影響分の見通しで予定融資枠の確保はしてたけど、この事態に回せる余力は無いわね。鷹荻製作所分の取引先がすぐに確保できれば問題ないけど時間がかかるとすると、収益の確実な低下で経営費の削減は免れないわ」
「まっ先に削られそうなのは固定費、人件費か…… それは避けたいな、沈む未来しかない……」
榎本の言葉を受けて美咲が言う。
「率直なところ、当面の運用としてはざっと五億くらい、いえ三億でもあると助かるけど公庫でもそこまでは無理だし、ローンじゃ金利でお話にならない。と言って銀行なんか審査以前に門前払いね」
「…… だろうなぁ…… で、美咲君個人の見解は?」
「融資先はできるだけ当たってみるわ、あと新規の取引先の開拓を強力に進めたい。その為にもバックアップが欲しいわね、対外的根回しと、あと内部的な承諾と抑え込み」
榎本が訝しそうな顔で聞く。
「…… 勝算は?」
「8:2(ハチニ)ってとこかな、2がウチだけど。あ、9:1(キュウイチ)か?」
「新規開拓って…… 今でも一杯一杯だろ。これからがんばったくらいで達成出来るならウチはとっくにもっと大きくなってるぞ」
美咲がニヤリと企み顔になる。
「私はね、これはチャンスだと思ってるの」
「……」
「こういう危機こそ大きく転換できるんじゃないかと思ってる。人も会社も」
「…… ダメだったら?」
「とりあえず私と貴方が率先してリストラじゃない?」
「この前娘が生まれたばっかりなんだけどな俺……」
「沙織ちゃんもうすぐ一歳だっけ? 頑張りなさいよ可愛い娘と奥さんの為にも」
そう言いながらもどこか自信ありげな美咲の顔に、榎本は観念しつつ
「ハァ…… 役員には俺から説明しとく、あと相談役には事情をつめとくわ……」
「よろしくー」
――(かなわん……)榎本は心の中で思う。
「…… あ、それとその有本君だっけ? その子さ……」
「何よ? あげないわよ?」
「う…… そうですよねぇ……」
榎本は言葉とは裏腹に思わず微笑んだ。
つづく