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1. Overcrowd


   Overcrowd (お化けロード)


―― (エエェ……)

 走り始めて暫くして、なんとなく違和感はあったが、気のせいだろうと思っていた。

いや、思い込もうとしていた、たぶん。



 北関東某県の山間を縫う県道。

週末の仕事終わり。なんとなく車で走ろうと思ったのは休みを前にした解放感、それと四月半ばを過ぎて、夜の肌寒さも緩んだ季節的な高揚感がそうさせたような気がする。


 住んでいるアパートから職場までは自転車で二十分ほどの距離なので、車はほとんど使わない。何だったら無くても良いくらいだが、公共交通機関がそれほど充実していない場所、あと運転が好きな事もあって、一応車を持っている。

 とはいえ、友達付き合いが多いわけでも彼女がいるわけでもないので使うのは月に何度かの買い物か、もしくは今日みたいな思い付きのドライブくらいだ。


 車はといえば三十年ほど前の古いシビックで、今時のSUVやハイブリッド車とは全く縁のないカテゴリー。おまけにMT仕様マニュアルミッションときた日には、今や完全にオタク趣味の領域だし、恋人を乗せて走るなんて考えただけで犯罪だ。

 

 目的地もルートも特に考えず、空いている道を漠然と北へ向かって走っていると、気が付けばいつもの国道を走っている。

 山へ向かう県道入り口のコンビニで、缶コーヒーを買い、

――(まぁ結局いつものルートとルーティーンだなー)

とぼんやり思っていた。

 たまには「まだ走ったことのない道を」とも思うが、このあたりの道はほぼ通ったことがあるし無理に脇道に入ろうものなら途中から舗装が無くなっていたり、最悪行き止まりもあり得る。以前にはいつの間にか山間の民家に行き着くような事もあって、自ずと見知ったいつものルートを走ることが定番になってしまった。


 特に有名な観光地でも名所でもないので、紅葉やスキーシーズンなら見かける車もあるが、この時期の、しかも夜間となると皆無といっていい。

 それなら週末は走り屋連中がもっといてもいいように思うが、道路の補修や整備が行き届いておらず、いたるところ穴だらけの道。結果、連中すら寄り付かないという、まさに寂れた険(県)道というやつだ。


 で、そんな山道を俺が走る理由はといえば、単純に『空いていて静か』だからだ。

外灯もなく、車のライトだけが暗闇と文明とを隔てる唯一の拠り所の中、つづら折りの上りをガタガタと走っていると徐々に日常が薄らいできて、ちょっとしたトリップ感にゾクゾクしてくる。

 しかしゾクゾクも過ぎると少々……正直怖いので、車ではいつもラジオを流している。

オーディオが今はもう見ないカセットテープ対応のもので、システムの交換も面倒臭くて専ら音源はラジオのみという自業自得な環境。しかしそれでも人声が恋しくて、音だけは流しておきたいというアウトロー気取りのヘタレヤロー、それが俺だ。(ドン!)


――(こんな時に、助手席に彼女でもいれば楽しいのかな?)

なんて考えてみたりもするが、こんな時間、場所を、こんな車で連れ回すなど、もはやサイコパスかホラーだし、それこそ本当に捕まる。それと正直なところ、恋愛に関してはいつも

――(色々面倒そうだしな)

という結論に辿り着いてしまい、積極的な行動とは無縁の日常だ。


 地方の私立大学を卒業後、地元隣県の中規模資本の会社に就職して今年で九年目の三一歳。働き始めて間もない頃、合コンが馴れ初めの彼女(だったと思う)はいたが、1年も経たずに自然消滅してしまった。

 彼女(だったよな?)にしてみれば、もっと同じ時間や同じ場所、同じ経験を共有したかったんだろうと今なら容易に想像がつく。しかし当時は仕事や新しい生活に慣れることに精一杯で、それ以外に回せる余力もなくて、気付けば疎遠になっていた。

 今でも恋愛の何たるかなんてさっぱりだが、少なくとも余力でするようなモノではないだろうという気はしている。本当に彼女には悪いことをしてしまったと、当時を思い出しては申し訳なく思う。

――(うーん、彼女だったかすら怪しい気がしてきたけど……)

 

 登り道が少し下りに転じるあたりのカーブ脇に、ちょっとした駐車スペースがあるので車を止めてエンジンを切った。

 谷側のガードレールの向こうは大きく開けていて、遠くの町の明かりが望める。

大都市部のきらびやかな明かりではなくて、慎ましやかというか、こういう風景を対価的に表現するなら【小学生のお小遣い程度の夜景】という感じだろうか。

 この先をしばらく行くと、山の反対側が見渡せる場所があって、そこなら比較的大きめの市街が望めて色合い的に雰囲気も良く、このあたりではちょっとした隠れ有名(?)スポットになっているらしい。

 しかしそこまで行くと反対側の市まで抜ける一本道で、帰りの時間を考えるとかなり遠回りになってしまい、結局この辺りで折り返すのがいつもの事となっていた。


 雲が切れて月明りがぼんやり辺りを照らすと、まだまだ冬枯れの草木が神妙に息を潜めているのが窺える。

 すっかり温くなった缶コーヒーを持って車の外に出てみたが、思わず身構えてしまうほどの肌寒さで、見込みの甘さを痛感してしまった。

――(山の上ならそりゃそうだわな)

しかし冬とは違った身の引き締まるような感覚と、これから春がやってくるという期待の入り混じったワクワク感が

――(でもやっぱり来て良かったな)

と思わせてくれる。


 缶コーヒーがもう少し温かければカイロ代わりにもなったし、美味しかったろうとも思うが、物理現象を嘆いても仕方ないので飲み始めた。

 喉を通ると触れている感覚以上の冷たさに、思わず身震いしてしまう。

 さほど吹いていない夜風まで冷めていくようで、こりゃ車の中で飲んだ方が良かろうかと思い始めたところで今度は生理現象が襲ってきた。


 我慢しながらの運転も楽しくないだろうし、麓のコンビニまでは持ちそうにない。早めに処理した方がよさそうだと考えたが、この開けた場所で用を足すのは誰が見ていなくとも倫理感的に、というか何より気持ち的に無理だ。

 どこか道から死角になっているところは無いかと辺りを見回すと、ガードレールの端から下に降りられそうな場所があるのが目に入った。

 この薄暗がりで先の見えない斜面に降りるのはヤバそうだよなと近づいてみると、踏み慣らされて土が露出した地面が見える。

――(オオ! 偉大なる先人達よ)

心の中で手を合わせながらゆっくりと足を踏み入れ、手早く用を足すことにした。

――(山の神様ごめんなさい)


 いざ事を始めて見ると、思いの他臨界状態だったようで、自分でも

――(え? いつ止まんのコレ?)

というくらい行為の先が見えない。

 永遠かとも思えるほどの時間の中、排出量に比例して満たされる安心と充足感に、得も言われぬ幸せな気持ちになってきた。

「静かだなぁ……」


『ガッ……』

――(⁉ )

車の方から音がして、背筋が一瞬で凍り付く。


――(え、え⁉ 何??)

辺りの暗さが突然、別世界に切り替わった感覚。

――(なんだ? 何かいるのか??)


 他の車が近づいた気配は無いし、夜更けの山の中を人がやってきたとも思えない。いくら好きでも、この場所までジョギングやウォーキングはあり得ない。

――(……じゃあ動物か?)

猿や鹿を思い浮かべるが、この時間にうろつくものかどうかが分からない。

――(でも、それならその方がまだ……)

あまり考えたくなくて、最後まで候補に入れなかった最悪のパターンは熊だ。


 どうにか仕舞うものを仕舞って体勢を低くし、ガードレールの下からそーっと車の方を覗き見てみる。

 目も慣れてきて、ぼんやりとながら車のシルエットは分かるが、周囲に動物の気配は無いように見えた。車と地面の隙間越しに、向こう側にも少なくとも大きな何かが動いている様子は無いようだ。

だが確証はない。

――(こんな時の正しい対処ってなんだ? 大きな音を出す? いや下手に刺激して襲い掛かってくる場合もあるのか? ……)

 テレビで、熊の目撃例や事件が多発と注意喚起のニュースがあったのを思い出す。運悪くかち合った時の対処法とかも言っていた気がするが、『関係ないや』とチャンネルを変えたあの時の自分をぶん殴りたい。

『だって関係ないと思ったんだもんその時は』

――(だもんじゃねーよ、どうすんだこれ⁉)

 しばらく車の方を凝視するが、事態が動く気配は無い。

――(何か武器になるものは……)

周りを見渡すが、都合よく棒切れなんかは落ちていない。

 マンガなら良い感じの真っ直ぐな木の棒が落ちていたりするかもしれないが

――(今まで生きてきた中でも見たことないのに、今ある理屈があるかい!)

 動物か人か、どちらが良いのかはわからないが、緊張と寒さでいつの間にか恐怖より苛立ちの方が勝ってきて、とりあえず音(声)を出してみようというところまで気持ちの踏ん切りがついた。


「あ、あの!……」

上ずっていて、しかも驚くほど小さな声に、自分が発したのか分からないほどだった。

――(ザ・ファーストテイクって凄い事だったんだなぁ……)変な感心をする。


「誰かいます……か……」

夜の闇に声が溶けていくような、何とも言えない不気味さ。現実と夢の境界も消えていくようで、軽い眩暈まで感じられてきた。

 特に車の周囲から生命反応的レスポンスもないが、逆に今にも飛び出そうとこちらを窺っているような気もしてくる。気にし始めると挫けそうなので、意を決して車に近づいてみる事にした。


 ガードレール下から駐車エリアのアスファルトに登ると、わざとらしい大き目の足音を立てながら車の方へ歩いていく。今俺の中の精一杯の威嚇行動だが、果たして効果はあるのかどうか……。

――(少なくとも俺には効いてるぞコンチクショウ!)

 車の前側を大きく迂回して反対側を覗いてみると何もいないので、一先ずの安心を確保した後、後方側を見てみる。更にそのまま反対側の側面まで回り込んでみたところで

――(ずっと車を間に、俺の反対に回り込ん出るとかないよ……なっと‼)

フェイントよろしく後ろに勢いよく回り込んでみたところで自分のマヌケっぷりを客観的に恥じるくらいの余裕が出てきた。

――(これで本当に何かと鉢合わせしたらお互い目ン玉が飛び出すやつだこれ)

さっきの物音が気のせいだったなら、それに越したことはない。とにかく全てを冗談にしてしまいたかった。

 一応窓から車内の様子を見てみるが、特に変わった感じもないようだった。

――(よし、とっとと帰ろう!)

決して怖いわけじゃないけど。断じて。


 基本的にちょっと離れるくらいなら車には鍵を掛けていない。今時の車のようにスマートキーなんて機能は無いので開け閉めが煩わしいこともあるが、何より鍵を車内に閉じ込めるリスクが一番大きな理由だ。何度か痛い目にあったので、今ではよほど長く離れる時以外は掛けなくなった。

 どうせ持っていかれて困るような物は置いていないし、わざわざこんな古い車を盗もうなんてヤツもいないだろう。そもそも盗もうと思ったらこのレベルの鍵など無力に等しい。

 手早く車に乗り込みドアを閉めるといつもの静けさと空間。そしてわずかに残っている車内の温かさに、外界から隔離された安心感が一気に込上げてきた。

 とうに冷静になっていたと思ったが、まだかなり緊張していたみたいだ。

我ながら小心っぷりに呆れつつキーをひねるといつものようにエンジンがかかってくれたので更に気持ちが楽になる。というかこの普通が愛おしくさえ思えた。

――(くー可愛いなコイツ()

律儀に全力で迎えにやってくるワンコみたいだ。(犬飼ったことないけど)

 車を発進させ、駐車スペースから道路に戻ると、見慣れた下りの左カーブに向かって徐々にギアと車速を上げていく。

――(やっぱり気のせいだったんだな)

遠くでした音を勘違いしたのかもしれないし、朽ちた枝が落ちてきただけかもしれない。認めたくないが暗さと静けさでつい大げさにビビってしまっただけだ。

 自分をやや強引に納得させつつ坂道を下り続けていたが、まだ何か、完全にいつもの気分になりきれない感じがする。

――(……)


 エンジンの音や車体の振動、タイヤ越しに伝わる路面の感じも特に異常は無い。ラジオは相変わらずノイズ交じりで金曜この時間の放送を流している。

――(……なんだ?)

何かが違う気がするような、しないような……。

 すっきりしない気持ち悪さが改めて不安を大きくしていくようで、心ならずもアクセルを踏む足に力が入ってしまっていた。


 普段なら山の下り道は慎重に運転する方だし、ここの荒れた路面では尚更いつも以上に注意しながら走るべきと分かっている。分かってはいるが、それでもとにかく早く麓まで下りて文明の明かりを見たいと気持ちが焦る。

なにかモヤモヤとしたどす黒いモノが、胸の奥から這い出してくるようだった。

――(⁉ 俺の中に眠りし漆黒の邪竜(ちから)が……)

思考をバカにして平静を保とうと考えてみたが、結構テンパっていたようで、急激に下りながら切れ込んでいくヘアピンカーブにオーバースピードで突入していた。

 回れはするが、カーブ内側に小さな陥没箇所があって、タイヤがかかればかなりの衝撃がありそうだ。

そうじゃなくてもサスペンションはヘタリきっていて新品並みの性能は見込めないし、今から走行ラインを修正するのは却って危険と判断した。フロントタイヤは免れるとして、リアは……

――(神様お願い!)


 車の鼻先がぐるんと左に切れ込んで、フロントタイヤが陥没部分をかすめた時(あ、これダメなヤツだ)と諦めた。どうにも俺にはここ一番の運がない。


『ゴッ!』

後方に嫌な(本当に嫌な)突き上げがくる。

と同時に後ろの座席から思いもよらない声(声?)


「ふぐっ‼」


「フグ⁉」

――(ふぐ? 河豚?? ……⁉ 待て待てマテマテマテ⁉ 今確かに声がしたよな? 後ろの座席……)

ルームミラーで後ろを確認するが暗くてあまりよく見えない。そうしている間に次のカーブが近づいてきている。前方に視線を戻してカーブの方を見据えるが、意識は後席に集中していてとても運転どころではない。

――(今のはなんだ? サスかシートがきしんで変な音がした? いやはっきりと人の声だった、なぜ? なに? は? はあ??)

 体にしみ込んだ反射だけでなんとかカーブを抜けたが、今のこの状況が想定外過ぎて思考が完全に途絶えてしまった。混乱しきりの俺に更なる追撃。

「あの……」

「⁉」


――( ⁉⁉ しゃべったーっ‼ つーか居たーっ‼)

全身の毛穴が開くのが分かる。『パカッ!』って音がしたかもしれない。


 少し長めの直線になったので改めてルームミラーで後ろを見ると月明りでうっすらリアシートが確認できたがやはり人の姿は無い。

――(いや待て、いないはいないでもっと嫌だわ!)

もちろん居ても困るが、声はすれども姿は無いってそれ一番アカンやつだ。

こちらの動揺を悟ってか、声の主が続けた。

「すみません」

こもっているが女性、しかも若い感じの声だ。おどろおどろしい声色よりはいくらかマシだが、嬉しくもなんともない。

――(おい何に対してだ? 驚かせてか? 迷い出ちゃってとかか⁉)

事態は全く解消に向かっていかない。むしろ混乱が増すばかりだ。

 後部座席の足元あたりがもぞもぞしてる気配がある。助手席のシートがかすかに揺れてそのあと明らかに後ろのシートに人がいる気配に変わった。

――(エエェ……)


 車を止める気はさらさら無かった。止まれば何が起こるのか考えたくなかったし、とにかくこの異常な状況が堪らなく恐ろしい。

 ビビりまくりの俺に、再び後席の人物(人だよね?)が話を続けてきた。

「あのすみません……勝手に乗り込んでしまってごめんなさい」

今度ははっきりと聞こえる。やはり若い女性の声だ。さっきまではシートの足元に丸まって入り込んでいたようで、やたらこもった感じの声だったのはそのせいだろう。

――(……あ、そういう事か……)

 恐怖も大きいが、さっきからなんとなく感じていた違和感は助手席のシートが少し前に出ていたからだと心得がいった。

 めったに他人が乗らなくてシートの位置なんてずっと変わっていないから、ちょっと位置がずれただけで視界の雰囲気が違ったのだろう。

後は、この本当にごく微かに漂うフローラルの香りも俺の車には不自然だ。あるはずがないと思っていると感覚が鈍るというか、無意識にフィルターをかけてしまうのかもしれない。

――(なんだろう、香水というより……柔軟剤?)


「勝手に乗り込んで厚かましいお願いなんですけど、できたら最寄りの駅とかまで乗せて頂くわけには……」

聞きようによってはホラー感が増しているとも言えなくもない。しかし後半は消え入りそうなか細い声になっていて、なんだか怖いというより可哀想な気がしてきた。

「え? あ……はい」

――(はいってなんだよ、タクシーか俺!)

思わず了承してしまったが、なんとも間の抜けた返事で自分でもびっくりした。


 なかなか心臓をえぐる展開だったが、少なくとも魑魅魍魎の類では無いことが分かっただけで、ちょっと心に余裕が出てきた。もう少しで民家が増えてくるあたりだし、ここまでくればもうこっちのもんだ。

――(よ、よーし……、さぁいつでもかかってきな子猫ちゃん)

いかにも小心物の三下のセリフ。

そういえば行きしな、『彼女でも乗ってれば……』なんて考えていたが

――(こういう事じゃないんだよなぁ……)

神様の過剰というか勘違いサプライズを恨めしく思ってしまう。

山の神様の天罰かもしれないが。


 民家が増えてきて田舎ながらも文明感が出てきたあたりになると、ようやく現実世界(ちゃんとあって良かったー)に戻ってこれたような気分になってきた。

 街灯の明かりで時折後席の様子も照らされるので、気付かれない様にちらちらとルームミラー越しに覗いてみる。


有名なタクシーの怪談では長い髪と白っぽい服っていうのが定番だが、さて髪は……

――(……短いね)

俯いていて顔はよくわからないが、ふんわりとまとまった今時のショートだ。服は……

――(……水色かな?)

フード付きの春物のアウターって感じの、そう、実に春らしいと言いますか……

――(うん、とっても健康的!)

今時の霊界のファッション事情は知らないが、これで幽霊は無理がある。


 そもそも怪談では街中で客として乗ってきて、ひと気のない山奥に向かわせられるはずだが、山奥で乗り込んできてひと気の多いところに連れてけって言うのだから何もかもが逆張り過ぎだ。

 見た目の印象的には家出中の高校生。しかし声と話し方の感じは成人、というか勤め人な気がする。


 そろそろ広い幹線道に入る丁字路に差し掛かるあたりで、ある事に気が付いたので思いきって声を掛けてみた。

「あのう……」

「…………」

――(……あれ? 聞こえなかったかな?)

「あの」

今度は大きめにはっきりと問いかけてみた。

「……へっ? ……あ、はい、はい!」

「⁉ ……」

――(オイ! まさか寝てたんじゃないのか?)

返答が明らかなそれだ。

――(嘘だろ? 寝てたのか? この状況で? 俺がこんなにビビり散らかしてたのに?)

あまりの拍子抜け加減に少し頭がクラッとする。

――(この子結構肝が据わってんだな……)

本当はどこかのお姫様だったりするのか?なんて漫画みたいな妄想が浮かんだりする。漫画なら、姫様の乗ってる馬車が魔物に襲われててそれを俺が……

――(って、姫様の方から俺の馬車に乗り込んできちゃってるもんなぁ……)


「近くの駅っていうとこの先を左に行ったところにあるんだけど、単線ローカルでこの時間だと電車もタクシーもないと思うんだよね。右の国道に入ってJRの駅に向かう? 小一時間ほどかかるけど」

 本来ならローカル線の駅で降ろして「じゃ」で終わりなのだが、なんとなく情が湧いてしまったような気がする。

一気に気持ちが緩んだこの状況で、このまま放り出すのは後々後悔しそうな気もしてついお節介めいた事を聞いてしまった。

「あっ……と、でもそれでは更にご迷惑になってしまいますし、それに……あっ……」

 彼女が話している間に曲がり角が来たので、躊躇わずに右に曲がって走り始めた。


 最寄りの駅の場所に拘りはないのだろう。公共交通機関がある場所が目的であるならより大きな駅の方がいい。俺に面倒をかけてしまっている状況を本当に申し訳なく、心苦しく思っているのが伝わって、むしろできる限りは助けてあげたいと思ってしまった。

――(こうなったら乗りかかった船、いやいやこの車俺のだっちゅーの)

「……すみません、ありがとうございます……」

――(いいよー、乗りかかった俺の車だ)心の中だけで返事をする。

「あの……それと実は……」

――(?)

「はい?」

「……実は私、スマホもお財布も無くてですね……」


――(……なるほど、転生者側だったかぁ……)

いろいろ気が抜けてしまった。





 自分のアパートに戻ったのは午前二時を回ったところだった。

あの後一時間ほどかけてJRの駅に着いてから、「すみません、後はどうにかしますから」と言う彼女にお金(八千円)を渡して車を降りてもらった。

一万円くらい渡せば切りよく格好良かったかもしれないが、悲しいかな手持ちがそれしかなかったのでどうしようもない。

「これ、少ないけど」

なんて言っちゃったが、本当に少なくて今思い出しても恥ずかしくなる。

――(それにしても車に乗せて目的の場所まで運んで、最後に運転手がお金を渡すって逆張りも極まれりだよな、気持ち良いくらいに)


 道中の車の中ではどちらも終始無言で、互いの顔を合わす事もなかった。

無理を言っていると認識している彼女から事情を話さないということは、きっと込み入った内容なのだろうし、俺としてもそこまで首を突っ込むつもりは端からなかった。

 そもそも俺は人付き合いが得意な方でも情に篤いわけでもない。むしろ人との関わりはできる事なら避けたい方の人間だし、他人の事を考えたり思い悩むのがはっきりいって煩わしいと考えている本質的に薄情な野郎だ。

――(そりゃ彼女どころか友達だってできないわ、望んでないんだもの)


 後席の彼女は話そうかどうしようかと葛藤があるようには感じられた。

しかし俺が特に気にしていない、というかむしろ聞くつもりが無い様子を察して、沈黙を選んだように思う。


駅のロータリーから少し離れたところで車を停めると、彼女が降りれるように助手席のシートを倒して前にスライドさせた。

 別れ際も俺は車の中で前を向いたままお金を後ろ手に差し出して、終始「あなたにはこれ以上関わりませんよ」という雰囲気に徹した。

 彼女は頑なにお金を受け取るのを拒んでいたが、こちらももう引っ込める気はないので半ば強引に押し付ける。

「必ずお返ししますから連絡先を……」

と言ってきたが、連絡先を伝えるのも、後日のやりとりも面倒そうだと思って

「すみませんがこのまま関わらない方がありがたいです」

とつい返してしまった。彼女はぐっと言葉を詰まらせて、その後絞り出すように

「すみません……」

とだけつぶやき、全てを飲み込んだようにドアを開けた。

正直あまりに冷た過ぎやしないかと吐いた言葉を後悔したが、もう後の祭りだった。


 彼女が車を降りる一瞬、はたと目が合って初めて彼女の顔をはっきりと確認できた。

少し疲れたような、それでいてしっかり、というか気の強そうな顔立ちが印象的で、わずかに残る幼さがショートの髪と相まって(あれ? かわいいぞ)なんて不謹慎にも思ってしまった。(ホントに下劣で最低な31のオッサンめ)


 走り始めてバックミラーに目を向けると、彼女がこちらに向かってお辞儀をしている姿が映っている。

ずいぶん遠ざかって、もう彼女かどうかすら分からないほど姿は小さくなったがそれでもまだお辞儀をしたままな気がする。

――(きっとしてるんだろうな……良い子なんだなぁ……)

そう思うと尚更最後の(自分の)言葉の凶悪さに、後悔が募るばかりだった。



――(結局後味の悪い顛末だったな……)

と思ったが、(最低野郎は何をやってもな)と諦めて、風呂にも入らず早々にベッドに潜り込んだ。

 いつもの布団の温もりを感じると、なんだか今晩の出来事が全て夢だったような気がしてきた。

たまたま車で出かけたら、いつの間にか知らない女の子が自分の車に乗りこんでいて、成り行きでその子を駅まで送っていったなんて

――(いくら何でも普通ありえんだろ?選りによって俺のとこになんて……)

あたりで意識は途絶えた。こんな落ち方は久しぶりだったと思う。



 目が覚めて時計を見ると十一時を少し過ぎたくらい。なんだかんだ8時間以上は寝ていた勘定だが、まだ眠れそうな気がする。想像以上に昨日の出来事で疲れているのかもしれない。

 カーテンの外はやけに明るくて、天気はすこぶる良さそうなのが分かると、寝ているのがなんだかもったいなくなって起きることにした。

といって出掛ける気にもなれず、とりあえず溜まった洗濯物を洗濯機に放り込んでスタートボタンを押してからシャワーを浴びる。


 築十8年のアパートは外観も中身もすっかり色あせた古臭さが滲んでいるが、2DK駐車場込みで5万5千円は入居当時としても破格だったと思う。

 比較的古い区画で周辺の道も狭く、公共交通機関へのアクセスも良くないとなれば相応なのも分かるが、それでも自転車さえあれば二十分程度で市内に行けるならお得と言っていいと思っている。

 ただ2DKとは言っても中途半端な広さのフローリング(五畳半?)と襖で仕切ってあるだけの、これまた中途半端な四畳半(たぶん団地用の畳?)の和室があるだけだ。

(フローリングに襖ってどうなんだよ)

と最初は思ったものだ。

 いざ入居して思い切って襖を取り払ってみると、割と広々とした見た目になったので「お、いいじゃん」なんて思ったのも束の間、冷暖房の効率が悪くてすぐに襖を設置し直したりした。(広いのも考え物だな、十分狭いけど)

 最初から二部屋を希望したわけではなかったが、家賃の安さと、少ないよりは何かと便利だろうくらいの考えでここに決めた覚えがある。実際暮らしてみると趣味らしい趣味のない独り身のくせに両部屋とも今は見事に何かで埋まっていて、(これで一部屋だったらどうなっていたんだ?)と自分でもそら恐ろしくなる。

 掃除や整頓は苦にならないのでごちゃごちゃと汚い感じにはなっていないはずだが、果たして第三者的感覚ではどうなんだろう?とは偶に思う。

――(まぁ第三者(彼女とか?)が来訪する機会も多分ないけどさ)

 

 平日撮り溜めたTV番組やサブスクのドラマを見ていたら、猛烈に腹が減っていることに今更気付いた。そういえば昨日の昼飯以降、何も食べていなかったし、その事に今まで気が付いてなかった自分に驚愕する有様だ。

 結構昨日の出来事は精神的にキていたのかもしれないと、改めて昨日あの時の非日常的異常さを再認識してしまう。

 食材はまだあるし何か作ろうかとも思ったが、空腹も一周まわるとガッツリと行きたい気分も萎えてしまって、気分的には酒でも飲みたい感じがしてきた。

――(冷蔵庫には……そういえばビールが切れてたな)

無いとなると俄然飲みたくなるから不思議だ。


 自転車で近くのコンビニに買いに行くかと簡単な身支度をしてアパートを出ようとしたが、なんだかだるいし車で行くかと思い直して昨日着ていた上着から車のキーを取り出し車に向かう。

 車なら総菜も豊富なスーパーにでもと考えたが、現金を下ろしておかないとと思い出して、結局いつものコンビニへ行くことにした。

 会社帰りも専らこのコンビニを利用するのが日常となっていて、店員もここ何年かはほぼ同じ顔ぶれ。向こうも俺の事は知っているだろうと思うが、特に世間話を振ってきたりしないところも俺としてはありがたい限りで重宝している。

――(まぁこんなおっさんに話しかけても時給が上がるわけで無し)

用が済んだらとっとと帰れやって話だろう。


 コンビニ内のATMで現金を下ろし、雑誌やその他飲食には目もくれず(危険だから)後方のビール飲料コーナーに向かう。

 いつもの銘柄を五本ほどカゴに入れ、レジに向かうと珍しくレジ待ちの客がいたのでその後ろに並んだ。

 何の気なしに周りを見渡すと、レジ横のホット飲料コーナーに昨日飲んだ缶コーヒーがあるのを見つけてまたあの出来事が頭をよぎる。

――(本当にあれは現実に起きたことなのか?)


 今でも疑いたくなるが、あの山道の駐車場での恐怖感や緊張感。駅までの道のりと、後ろの座席で息を潜める謎の女性の生々しい存在感は、今でも容易に思い返せる。

この先当面忘れることはできないだろう。

そしてまた改めて思う。

――(あの時の対応は適切だったのか?)


 高校生の家出であれば多少強引でも警察に任せるのが妥当だと思うが、あの子は明らかに社会人だったろうと、最後に見たあの時の表情から今は確信している。

 ではお金を渡してあそこに置いてきたことが正解か?といえば全くもって自信が無い。

――(それ以外にもっとできることは無かったか?)

――(無理にでも話を聞きだして何か解決策を、とは言わないまでも最善策みたいな手段を

一緒に考えられなかったか? ……)

 そう考えて、そもそも話を聞くことも関りを持つことも自分が選ばなかったのだから今更心配するのは筋違いだし、何よりおこがましいとその考えを振り払う。

ただ……


――(もしこの先同じような状況があったとしたら、もう少し何とかしてみようと考えてもいいかもしれない)

そう思っていた。

正直もうあってほしくないが。(いやマジで)

 

 会計を済ませ出口に向かう途中でつい、またあの缶コーヒーに目が行ってしまうので、よっぽど後悔してるんだなと自分でも情けなくなってくる。

自動ドアが開くとスーッと肌寒い風が吹き込んできて、一気に体温が下がっていくのを感じた。


最後に俯いて

『すみません……』

とだけ呟いた彼女の、車を出た瞬間の不安と寂しさが想像できて、改めてあの光景が浮かび上がる。それでもずっとお辞儀をし続けていたあの……

「あの!」

――(そうそうこんな感じの……は?)


「……うわっ‼ え? ……えぇ⁉」

「あの、すみません……」

「…………」

目の前に昨日の女の子が立っている。


――(ええ……続編早過ぎじゃね? ……)



                                         つづく




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