5.
今日も届く赤い薔薇。今日のはピンク味の強い赤い色だった。
手に取り眺めた。
よくこの薔薇が手に入ったものだ。
そう、感心してしまう。
育てるのが難しく、手に入れるのも難しい薔薇の一種だ。
一度、レティシアに贈った事があるからこそわかる。
一度贈ったから・・・。
そう思い返した時、とある事に気づいた。
日記帳を慌てて手に取り読み返す。
あれは二年前の記録。
それ以前の・・・。
そうか・・・。そうなんだ。
涙が溢れた。
とどまることの知らない涙。
なぜ、もっと早く気が付かなかったのか・・・。
次の日から学園を休み、レティシアのいる彼女の領地へと向かった。
父には知らせず、アレックスだけをつけて馬を走らせる。
一刻も早く確認をしたくて、直接逢いたくて強行し、1週間かかる道を4日で、駆けぬけた。
彼女の屋敷に行くと、案の定、門前払いにあう。
それでも、叫び続けた。
一度でいい。
レティシアに逢いたかった。
確かめたかったのだ。
だから、門にしがみ付いて、面会をもとめた。
それが功をなしたのか、応接室に通されると、彼女の父親がやってきた。
白髪が増えている。
以前見た時より、幾分頬がこけていた。
「レティシアに会わせてください」
「殿下、レティシアのことはお忘れください。レティシアをそっとしておいてください」
「一度でいいのです。レティシアの真意を知りたい」
「殿下・・・」
「せめて・・・、レティシアに謝りたい」
「・・・殿下」
頭を下げた。
どうしてもレティシアに逢いたい。
彼は僕を悲しそうに見やった。
暫く無言になる。
「・・・わかりました。ですが、気を落とさないでください・・・」
やっとの許可に嬉しくなる。
だが、どういう意味だろうか。
兎も角、レティシアに逢えるならそれでいい。
彼女の屋敷の庭に案内された。
薔薇で埋め尽くされた美しい庭。
薔薇の香りで溢れかえっていた。
レティシアはそこにいた。
久しぶりに見る姿。
メイドとはしゃいでいる。
あんな笑顔を見るのは久しぶりだった。
元気そうでホッとした。
「レティ・・・」
レティシアがこちらに気づいた。
メイドたちが険しい視線を送ってくる。
レティシアはゆっくりと近づいてくると、僕の前で綺麗なカーテシーをした。
「お父様のお客様ですね。ようこそいらっしゃいました。私はレティシアといいます」
彼女はにこりと笑い挨拶してきた。
目を細め、美しいほどの笑顔。
息が詰まった。
「レティ?・・・僕だよ?」
声が震えた。
なんで他人のような挨拶をしてきたんだい?
僕がわからないのか?
彼女は不思議そうに首を傾げた。
幼い子供のようだ。
「初めて、お会いしますよね?」
どういうことだ?
理解できないでいた。
「レティシア」
背後から声がする。振り向くと公爵が立っていた。
「レティ、少し雲が出てきたようだから部屋に入りなさい」
「・・・わかりましたわ。お父様。どうぞ、ごゆっくりなさって行ってください」
レティシアはメイドと去って行った。
「顔色が悪いですね。温かな物をご用意します」
公爵の眼差しが憐れむような色を湛えていた。
だから、会う事を渋ったのか・・・。
案内された部屋のソファーに深く腰を下ろした。
これが後遺症なのか?
信じたくなかったが、意を決して聞く。
「・・・記憶がないのか?」
「はい。全てではなく・・・あの事故の前後の事と・・・・・・」
公爵は言い淀む。それが余計に不安にさせる。
「なんだ?正直に言ってくれ」
「殿下の事を忘れております」
「っ・・・!!」
あの事故の事と、僕の事を忘れてる?
侍女が紅茶を出してくれる。
ゆらりとたつ湯気が目に入れる。そうでもなしいと涙がでそうになった。
「僕の全てを、か?」
「はい。殿下のことだけを忘れているようです。医者からは頭を打ち付けた事がきっかけだろうと。あと、ストレスも一因ではないかと・・・」
「思い出すことは、ないのか?」
「わかりません。・・・医者は希望を持つなと言っています」
紅茶の湯気がはかなく消える。
重い空気が漂う。
「薔薇は届いておりますか?」
後ろにいた若い侍女が僕に話しかけてきた。見ればレティシアがよく連れていた侍女だ。
「リサ!!」
「旦那様。申し訳ありません。罰は受けます。ですので、言わせてください!」
彼女は真っ赤な顔をして、涙を溜めていた。真剣な眼差しを僕に向けてくる。
「お嬢様は、貴方様から頂いた薔薇を返しております。その一本ずつお返しするたびに、貴方様の事を・・・、お嬢様はなかった事にされているのです。気持ちの整理をしていっています。
だからお嬢様をもう、苦しめないでくださいっ!」
やはり、あの薔薇たちは、僕がレティシアに贈った薔薇だった。
婚約をしてから、6年。
そのうち4年の間、「あなたを愛しています」という意味を込めて赤い薔薇を、お茶会や、イベント毎に贈ってきたのだ。
毎回、違う薔薇にしてきた。
同じ種類の薔薇では味気ないと思い、沢山ある赤い薔薇の中から、一つづつ選んで贈ってきた。
そんなことさえ僕は忘れていたとは・・・。
気づきもしなかった、己の不甲斐なさ。
レティシアは一輪ずつ僕に返すことで、気持ちの整理をつけていたのか・・・?
それほどまでに苦しんでいたのか・・・。
忘れられていく側の気持ちを今になって知るとは・・・。
胸が締め付けられるように痛かった。
レティシアもこんな気持ちだったのだろうか・・・。
いや、もっと苦しかったに違いない。
申し訳なくて、涙が流れた。
今更なのはわかっている。
だが・・・。
レティシア・・・。