022.白川流・秘伝の柔軟術
物産展祭り、本番当日。
集合は朝6時。
眠いし、だるい。こんな時間に学校が開いているのか、そもそもこんなコンディションで本番が務まるのか……。
半ば夢遊病者のような足取りで、まだ薄暗い校舎へと向かった。
いつもとは違う守衛室側の入り口。
守衛さんが威勢よく笑顔で
「おはよう!頑張ってね!」
と声をかけてくれた。
「おはようございます!頑張ります!」
慌てて頭を下げ、上履きに履き替えて音楽室へ急ぐ。
あんなに朝早くから見守ってくれている人がいるんだなと、防犯の大変さを感じると同時に、おかげで少し目が覚めた。
音楽室では、すでに他の部員たちが準備を始めていた。
急いで楽器や楽譜、チューナーを揃えて席に着く。
だが、朝一番の唇はうまく振動してくれない。
プスプスと気の抜けた音が虚しく響く。
「おい」
後ろから声をかけてきたのは、白川先輩だった。
「いきなり楽器吹くな。柔軟やったか?」
「いえ……」
「コンクールを経験して分かってると思ったけど、まだまだだな。
いきなりマウスピースが鳴るわけねえだろ」
「そうですけど、もうすぐ本番だし……」
「違う、本番だからだよ。鈴木、サッカーの試合でいきなりフルパワーでボール蹴るか?」
「正直、あんまり考えたことなかったです」
「だろうな。怪我防止とパフォーマンス向上のためのストレッチだ。楽器はそれ以上に重要なんだよ」
「わかりました」と返事をしたものの、「じゃあやってみろ」と言われて言葉に詰まった。
「……すみません、具体的にどうすればいいか分かりません」
「だよな。顔の柔軟は、こうやるんだよ」
白川先輩が、全力の「アイーン」をした。
一瞬固まったが、その後に真顔に切り替わった破壊力に耐えきれず大爆笑してしまった。
「笑ってリラックスできたな。
アイーンは顎と唇の柔軟になるんだ。
ついでに目も大きく開け。
目が覚めるぞ」
ガラス戸を鏡代わりにして、先輩と並んで「アイーン」を繰り出す。
「鈴木、もっと顎出せ、頬骨上げろ!」
「はい!」
さらに腕も交互に振り下ろす。
そこへ、岩尾先輩と黒沢もやってきた。
「何やってるんすかー?」
「楽しそう!」
白川先輩は「お前らもやれ!」と巻き込み、4人並んで全力のアイーン。
「これ、案外顔の筋肉動きますね」と岩尾先輩。
「だろ? 俺考案の演奏前柔軟体操だ。ちなみに『のりのりまさのり』バージョンは……」
「白川!後輩に変なこと教えんな!」
山田先輩の怒声が飛んだ。
だが、白川先輩はどこ吹く風で「これは準備体操だ」と胸を張る。
「鈴木、試しに吹いてみろ」
促されるままホルンを構えると、驚くほどスムーズに音が出た。
「……出ました!」
「だろ? クロも岩尾もやってみろ」
二人の音も、さっきまでとは明らかに響きが違っていた。
「ほら、ふざけてるように見えて効果あるんだよ。山田もやってみろよ」
「やらないよ、もう! 15分後にロングトーン始めるから!」
山田先輩はため息をつき、あきれ顔で席に戻った。
だが、グランドピアノに反射して見えてしまった。
背を向けた山田先輩が、人知れず全力で「アイーン」の顔を作っている姿。
俺たちは目を合わせ、笑いをこらえるのに必死だった。




