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万事休すというところで、神はリリスを見捨てなかった。
「まあ!まあまあまあ!こんなところにいらしたの」
「ロベルト様、一緒に会場へ参りましょう」
なかなか会場へ現れないロベルトへ痺れを切らしたのか、優雅な足取りでやってきた数人の令嬢。
彼女らに取り囲まれた挙げ句、ぐいぐい腕を引かれたり矢継ぎ早に話し掛けられては、流石に集中を保つことも難しいようだ。拘束が緩み、リリスはこれ幸いとどさくさ紛れに逃げ出した。
睨む令嬢達には申し訳ないが、感謝の念しかない。
だというのに。
次の日登校するや、一部の令嬢達から冷たい視線を浴びせられた。大方、あの日会場にいた者達だろう。誰も彼のお眼鏡に叶わなかったのか、二人きりになっていたリリスが周りを出し抜いたと思われているらしく、なんとなく風当たりが強い。
しかし、だからといって直接的な何か、物を隠されたり暴言や暴行を受けたりはないので訴えることもできない。なんて面倒くさい。
急に煩わしくなった日々に思わず盛大な溜め息を吐きながら、リリスはチョコレート色のリボンを手に取った。
「幸せ逃げちゃうぜ」
耳許に甘く落ちる囁きに、リボンが滑り落ちる。
何故ここに。リリスは自分でも大袈裟と思うほど大きく横に飛び退いた。
今日はこのところの鬱々とした気持ちを晴らそうと、折角お気に入りの雑貨店に足を運んだというのに。諸悪の根源がにこやかに手を広げるものだから、リリスは肩を怒らせた。
「あれ?ここはまさかの再会に感激してハグするとこでは」
空を掴む姿勢のまま、きょとんとするロベルト。
「する訳ないでしょ。ほとんど初対面の相手ですし」
間髪入れず返した言葉に、ちぇっと唇を尖らせるも顔つきは脂下がっている。それに薄ら寒いものを感じて、リリスはじりじりと後退りした。
「まぁ、たしかにぃ。ってことで、親交を深めるためのお茶でもいかが?」
「……折角のお誘いですが、生憎、この後は用事がございまして。誠に恐れ入りますが、ご遠慮させていただきたく存じます」
「は~、馬鹿丁寧にどうもありがとう。棒読みに免じてまた今度とさせていただきましょう」
もっと粘るかと思われたが、ロベルトは大袈裟な礼をひとつ残して去っていった。拍子抜けするほどあっさりしたやり取り。一体なんだったの。残されたリリスは暫し立ち尽くした。
我に返ったのは、店員が遠慮がちに声を掛けたからだった。どっと疲れが増したように感じたリリスは、もう品を見る気にもならず真っ直ぐ帰宅した。
これが三週間程前の話。
以来、ばったり遭遇すること数知れず。時には花やレース、ちょっとしたお菓子等、強く断る程でもない贈り物をされる日もあった。怖いくらいにセンスが良い。が、なんとなく兄の影がちらつく。
昔々、意気揚々と蝉の脱け殻をプレゼントされた時、こんこんと女性への贈り物を選ぶイロハ、ついでに自分の好みを言い聞かせたからだ。まともに会話したことさえない相手にここまで嗜好を読まれているのは、そうとしか考えられなかった。
だから、ついには根負けして、受け取るようになってしまったのだって仕方がない。だってだって、素敵なんですもの。リリスは毎回言い訳のように胸中で呟いた。
特に昨日は、卒業後も同じ職場で働いているレオナルドの近況を餌に、初めて公園を一周散歩してしまった。勝手に話したがりのイメージを持っていたけれど、ロベルトは意外にも聞き上手というか相槌が絶妙で、悪い気はしない。むしろ、予想外に会話が弾んでしまった。
その中で、最近話題の薔薇を模したチョコレートについて、ぽろっと口にしただけなのに。今朝には手書きのメッセージカードと共に、可愛いミントグリーンのリボンでラッピングされてお届けされたそれ。リリスは断じて欲しいとは言っていない。欲しくないとも言っていないが。
カードを見るまで発言したことすら忘れていたような小さな事柄でも、嬉しくないと言えば嘘になる。
そうして日々を過ごす内、ある意味押し付けられている物でも流石に貰いすぎでは、という考えが浮かぶと途端に何かお返しをした方が良いような気もしてくるもので。
依然として関わりたくない気持ちはあるものの、貰いっぱなしというのも非常に気持ちが悪い。
そんなリリスが、渋々返礼品を探しに街へ出掛けた日のことだった。
「リリスさん、ちょっとお時間よろしくて?」
なんだか見知った顔が向かいからやって来るなあ、とは思っていた。
ここのところ特に刺々しい目で見てくるクラスメイトの三人で、あまり話したことはない。そんな者達が真っ直ぐ向かってくるものだから、なんとなく面倒な気配を感じて脇に避けようとするも、それだけでは甘かった。
よろしくないです、と反射的に出かかった言葉をリリスはなんとか飲み込んだ。
「……皆様、ご機嫌よう。生憎、この後は用事がございまして。誠に恐れ入りますが、ご遠慮させていただきたく存じます」
「まあ、そうおっしゃらず」
「ほんの少しなのよ、さあさあさあ」
このところ大活躍の台詞も彼女達には通用しなかったようだ。強引に脇を固められると、そのまま近くのカフェへ連行される。
丸テーブルの淡いピンクのクロスは縁の刺繍が大変素晴らしく、こんな時でもなければじっくり眺めたい程に見事なものだった。
四人は均等な間隔で座ることはせず、リリス一人に対して三人がややまとまった位置に座している。
店内は植物と衝立によって半個室のようになっていて、着座すると周りの様子は殆ど分からない。また、ピアノの演奏が奥でされているらしく、よっぽど大きな声を出さなければ隣の会話も聞こえないようだった。
「こちらのお店、タルトタンタタンが有名ですのよ。リリス様もおひとついかが」
「紅茶はこちらが合いますの」
「同じものを四つ頂けるかしら」
口を挟む間もなく注文され、程なくタルトタンタタンと紅茶がやってくる。
しょうがないのでさっさと食べて帰ろうと、リリスはいつもより大きめの一口を意識してフォークを突き刺した。
「あらまあ、見事な食べっぷりですわね」
にこやかな口調と裏腹に、目には蔑みが滲んでいる。それを横目でちらりと確認したリリスは、黙々と食べ進めた。
「……伯爵家ではろくな物が食べられないのかしら」
嫌味とも本気の憐れみともつかない声色で心配され、鼻白む。マルカート家には及ばないとはいえ、そこそこの歴史があり現在も騎士として重用されるアマービレ家の財務はいたって健全だ。なんなら、高給取りでも有名な宮廷魔術師になったレオナルドから仕送りを断れるくらいに。
しかし、言い返したところで余計面倒なことになる気配しか感じられないので、リリスは口が空いたそばからタルトタンタタンを詰め込んだ。
「まあ、いいわ。今日はお話がありましたの」
「先日のマルカート家のガーデンパーティーに、あなたもおりましたでしょう?そこで……そう、なにか思い違いをしていないかと思いまして」
「私達三人、幼少の頃にゆくゆくは婚約者にどうかと顔合わせをしたことがあるのよ」
聞きもしないのによく喋る。
最後の一口を思いきり頬張り、紅茶と共に流し込んだ。自分には関係のない話だと一蹴しようとしたところで、リリスは両肩にぐっと重みを感じて口を閉じざるを得なかった。
「やあ、何かろくでもない話してる?」
頭上を仰ぎ見るまでもない。どうしてここに。
肩をがっしり掴んでいる手の大きさ、自分とは違う骨張った質感にぼうっとしていると、紫紺の髪が頬を撫でる。反射的に身を引くリリスを追い掛けるように、ロベルトはより深く腰を曲げて覗き込んできた。
髪色と同色の瞳は、極近くで見ると微かに桃色がかっている。画面上では知り得なかった情報に、リリスは呆けたように見惚れてしまう。
「丁度店に連れ込まれてるとこ見かけたから俺も入ってみたけど、なかなか同じ席に案内してもらえなくてさぁ。待たせてごめんな?」
「いや……全く、待ってないので」
「うはあ、リリスちゃんつれなーい」
あまりのもの言いに我に返り、思わず真顔で返してしまった言葉へ、ロベルトは大袈裟な身振りで反応を示した。茶化されているのだろうか。無意識に眉間へ皺が寄るリリスとは裏腹に、令嬢達は摩訶不思議なモノを見たという顔でロベルトを凝視していた。
「ま、確かに約束はしてなかったけど。折角会えた訳だし別のとこで飲み直そうぜ。もっとリリスちゃん好みのとこ教えてあげる」
するりとリリスの手をとって、立ち上がらせようとするロベルト。
こんな所に居続けるより遥かにましだと掴まれた手に力を籠めれば、器用に片方の口角だけ上げた笑みが返された。
予想だにしない、けれどよく似合っているその表情に、リリスの胸がざわめく。
「お待ち下さい、ロベルト様!」
半ば悲鳴のような呼び声。微かに眉を顰めたロベルトは、ちらりとそちらを見やった。
余韻に浸る間もなく、笑みが消える。
何故だか落胆している自分がいることに、リリスは酷く狼狽えた。
「せめてわたくし達の誰かをお選びになるならまだしも、どうして」
明らかに迷惑そうな相手の様子は気にしないらしい。残りの二人もそうだそうだと追従している。目を潤ませた姿は、先程までとは比べ物にならないくらい弱々しいもの。
ところが、ロベルトには何の効果もないのか、首を傾げながら天井の辺りを眺めている。
「んー、やっぱ結婚は人生の墓場って言うくらいだから、どうせなら最高に面白可笑しい墓場のが良いだろ?」
予想外の答えだったのだろう。
つられたのか、鏡のようにゆっくりと首を傾げる令嬢の様には、困惑が色濃く見てとれる。
「墓場……は聞いたことがありませんが、ロベルト様と過ごす時間はとても楽しいものでした。それはロベルト様も同じだと思っておりましたが、違いましたの?」
「いや、あれをそう思ってる時点でもう無理だわ」
「えっ」
「うーん、俺の接待スキルが凄すぎた?だとしても、一緒にいて疲れる相手とは居られないし、それを察せられない奴とはもっと関わりたくないんだわ」
「えっ」
はっきりとした拒絶の言葉に、三人は揃って硬直した。瞬きひとつ微動だにしない姿は、息をしているのかと心配になる程だ。
「そもそも君らの誰かと婚約考えてたら、あんなパーティーなんて開かないで直接話持ってくだろ。日頃の付き合いがあるから招待状は出したけど……誰も条件に合ってないし」
みるみる顔色を失っていく彼女達に、リリスはもはや痛ましいものを見る目にしかなれない。オーバーキルでは。
「なんなら今やってみる?とびっきり可愛くガッツポーズしてくれるか?」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑る仕種は、似合うがこそ意地の悪さが際立った。
そう、そうなのだ。
ゲームのプロフィール欄に、ロベルトの好みのタイプは『芯のしっかりした女性』と書いてあった。前世ではその言葉を励みに日々の仕事を頑張っていたので間違いない。いや、必ずしも仕事のできる女性=芯のしっかりした女性ではないと分かっているが、少なくともできない人より芯がふにゃふにゃではないだろうと邁進していた。なんて誰に聞かせるでもない弁明は置いておいて。
とにかく、どう考えても『可愛らしくガッツポーズをする女性』なんてトンチキ回答はしていなかったはずだ。だからこそ、ロベルトはレオナルドと同じようになんらかの、むしろ変えてしまったレオナルドの影響でゲームの彼とは異なっているのだと考え、先の輪投げでは思いきり手を抜いた。
けれど、まさか。
唐突に湧いた考えに、リリスは眩暈がした。正直に言えば信じたくない。
しかし、困惑するばかりの令嬢達からは全く意味が通じていないということが察せられる。つまり、リリスの仮説を裏付けるほかならない。最悪だ。
そんなリリスの同様を見透かしてか、にんまり笑うロベルトは悪戯のネタばらしをするようにそっと囁いた。
「なあ、知ってるか?この世界にガッツはいないんだぜ」
今まで聞いたどの台詞よりも甘やかな声色にくらくらする。
「さてさて、俺らはお暇しようか」
今度こそ握った手を引いてリリスを立ち上がらせたロベルトは、自然な流れで出口へ、その先の馬車へと誘った。
ああ、まさか、この人も転生者だったなんて。