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「それで、私がお見合いを?」
月日は流れ、リリスが少女から女性へと成熟していく中、その話は持ち上がった。
「いや、見合いというか、その前段階というか……」
書類に視線を落としながら話す父親は、歯切れ悪く言葉を濁した。困っているのか、しきりに左手で髪をかき上げている。
「前段階?ええと、本格的な顔合わせの前に茶会か何かでお会いするということですか」
「そうなるのかもしれん。手紙には、条件に合う婚約者を探しているから、その正否を先に確かめたいとあって……見合いまでいくと断るにしてもそれなりに角が立つ上、どうやら同じ内容の知らせをいくつかの家に送っているそうだ」
「はあ?」
おっと、つい令嬢にあるまじき返事をしまった。
普通、条件があれば綿密に調査してから打診するものでは。随分雑な、いや、複数同時進行と合わせて酷い話である。
リリスは小首を傾げた。
「なんだか変わったお話だけれど……お父様はお受けするつもり?」
「ううむ、あのマルカート侯爵家からだからなあ」
「マルカート侯爵家!」
かの家といえば、建国時より王に仕える名家のひとつである。王家からの信頼は今尚厚く、大臣として重要なポストに就き、誰もが関係を持ちたいと考える筆頭だ。
リリスの家も五代以上続く伯爵家なので新興貴族とはとても言えないが、マルカート家に比べればひよっこもひよっこ。この国の歴史を紐解けば必ず目にする大貴族とは天と地程の差があった。
「もし婚約できるなら、これ以上ない良縁と言えるだろうし、まあ、様子見に行くくらいは……。それに、肝心の相手がどうやらレオナルドの朋友らしい。リリスにも気の合う者をと考えていたが、あいつの友人なら気に入る可能性も高いんじゃないか」
「うーん、まあ、確かに……?」
レオナルドの友人といえば、一緒に馬鹿なことをやっているあの人だろうか。名前は知らないものの、手紙には頻繁に登場するので妙に他人とは思えない。
リリスは二人がスライムの色を全部混ぜたら何色になるのか試してみた話が好きだった。濁った青紫色になっただけでなく何故か体積が何十倍にも膨れ上がり、最後には弾け飛んだらしい。当然、部屋は大惨事でしこたま怒られたというエピソードだ。
思わず、ふふふと笑いを溢してしまったリリスは誤魔化すように喉を鳴らした後、取り繕うように質問を口にした。
「それで、お名前は」
「ああ、名前は知らなかったんだね。三男のロベルト。ロベルト・マルカート子息だよ」
始めは、そうなのかとリリスはただ頷くだけだった。
しかし、ふと、聞き馴染みのある単語が引っ掛かる。
……ロベルト・マルカート。
……ロベルト・マルカート?
……それってあの、ロベルト・マルカート!?
脳裏によぎったのは、キラキラした音楽とスマートフォンの四角いディスプレイ。祈るように回したガチャ。誕生日の礼服シリーズ最高だったなあ……。
うっとり懐古したところで、リリスは我に返った。ロベルト・マルカートといえば、友達に布教されてうっかり嵌まった女性向けアプリの登場人物では。というか、前世で一番に好きだった彼では。
「あっ、お父様、我が家の家名って」
「んん?アマービレがどうかしたかい?」
「そうよ、私はリリス・アマービレ。そしてお兄様はアラン・アマービレと……レオナルド・アマービレ!」
思い切り立ち上がった反動でテーブルの茶器が揺れる。しかし、そんな些細な失態はまるで気にならない。
レオお兄様もそうだった……ッ!そりゃあ顔が良いわけよ、とリリスは頭を掻きむしりたくなった。
ここでリリスを擁護するならば、ゲームは新人魔術師のヒロインが魔術師団に配属となったところから始まるということ。つまり、随分と未来の話だ。レオナルドも大人として成長しきった姿で描かれていた。更に、兄弟がいることを匂わせる台詞はあったものの『リリス』というキャラは影も形ない。
ちなみにヒロインとの恋愛イベントは個別ガチャのエピソードにてふんわりある程度で、魔術師達を中心としたわちゃわちゃがメインストーリーとなっている。熱烈に紹介してきた友達は、誰某と誰某の絡みが良いとかなんとか言っていたっけ。それはそれとして。
「リ、リリス?急にどうしたんだい?」
突然、奇妙な言動をした娘を案じる父を末娘特権の甘えた声と笑顔でどうにか丸め込む。とてもじゃないが冷静に話し合える状態ではない。
ひとまず了承の意は伝え、後日改めて詳細を確認することになって、これ幸いとリリスは自室へ引っ込んだ。
それにしても、まさか、ゲームの世界だったなんて。
やたら食べ物が日本人好みの物ばかりなのはそう言うことかと合点がいく。思えばサンドウィッチもエビチリもイベントのアイテムとしてせっせと集めた遠い記憶。
流石にタルトタタンやトウモロコシはゲームでは見かけなかったので微妙に名前が違うのかもしれない。なんだそりゃ。
リリスはベッドに寝転がり、しばし放心した。改めて思うが、まさかゲームの世界だったなんて。
たっぷり十分ほど枕に突っ伏した後、なってしまったものはしょうがないと早々に開き直った。切り換えの早さには定評のあるリリスである。
それから、ええと、とこれまでの記憶を引っ張り出すが、暑くもないのに汗が止まらない。もしかして、私、いつの間にか余計なことしちゃってたんじゃ……と、不安で堪らなくなる。
その予感は的中していて、ゲームでのレオナルドは後方で氷や雷の上級魔法をバンバン撃つ典型的な魔術師だったはずが、独自の身体強化術を開発。更には剣の稽古も続けることで、細身ながらも無駄のない筋肉に覆われた体つきになっていた。本来のもやしっこという設定は完全に失われている。
本気の時には光の如く駆け抜けるそうで、どんな魔物も一突きで仕留めるという。どう考えても魔術で強化、物理で殴る前衛タイプである。どうしてこうなった。
頭を抱えたリリスだったが、どう考えても軌道修正不可能なところまでいってしまっているので笑うしかない。
もともと思春期に入った時にレオナルドと微妙な距離感になったというのもあるが、長兄のお見合い相手がことごとくレオナルドに鞍替えしたがるという事件が起きてしまい、家族で大変ギクシャクしたからだ。以来、レオナルドは勤め先の寮に引っ込み滅多に家には寄り付かない。
それがなくとも、急に『体を鍛えるのは止めて氷と雷の魔法を鍛えてね』と言い出すのだって意味が分からない。
そもそもゲームでは、ロベルトに限らず婚約者のいるキャラなぞいなかった。ということは、誰も選ばれずに終わる可能性だってある。むしろ周囲の思惑のなかでロベルト本人はまだ婚約者を必要としていない意思表示として条件なんてモノをあげていたんじゃないか。そうだ、そうにちがいない、とリリスは思い始めた。
自分が選ばれる訳がないと高を括れると、まるでアイドルのコンサートに行くファンのような気分になってくる。
ええい、なるようになれ、とリリスが悟りを開きつつあった春。遂にガーデンパーティーの招待状が届く。
時候の挨拶に始まり、日時や諸注意を盛り込んだ文面には、婚約者の条件ともいえる女性の人物像もさりげなく書き込まれていた。それは――――――――……。
◇◆◇◆◇
馬車に揺られ、リリスはマルカート侯爵家の門をくぐった。
その目は死んでいる。
色彩豊かな花々が目を楽しませてくれる侯爵家自慢の庭でのパーティー。立食形式で規模はそれほど大きくもない。また、年齢の近い令嬢や令息が中心に招待されているらしく瑞々しい顔ぶれだった。……ついでに何組か成立させてやろうという魂胆が透けて見える。
せめて侯爵家の軽食を味わってやるくらいの気概でいたが、それもぷしゅりと萎んでしまう。リリスは小さく息を吐くと、辺りを見渡し目当ての物を見つけた。
ちょうど軽食の並んだテーブルの向こう側、庭園の端に細やかな彫刻が施されたポールが九本立っている。側に控える従僕の手には花冠。輪投げだ。輪投げのコーナーがある。さっさとやって帰ろう。
リリスは滑るように歩みを進ませ、五つの花冠を受け取った。他の参加者は本命がお目見えになってからアピールする算段なのか、殆ど並ぶ者はいなかった。
どうやら一人ずつやらなければいけない訳でもないようで、友人らしい二人組の令嬢が各々励まし合いながら花冠を投げている。ひとつは端に逸れ、ひとつはポールに掛かったようだ。見事成功させた令嬢は控えめに飛び跳ねて喜んでいる。フリルたっぷりのスカートもほわほわと揺れて可愛らしい。
残念ながら外れてしまった令嬢も、腐ることなく残りを慎重に投げた結果、右下のポールに最後のひとつが引っ掛かる。安堵したのか、両手を胸に当てて微笑んでいた。
いよいよリリスの番になり、位置に着くや両手で一遍に放り投げた。五つの花冠は空中で僅かにばらけ、二つは端に逸れたものの、三つが揃ってポールに掛かった。
ぞんざいな投げ方に、傍らの従僕はたまらず頬を引き攣らせた。
結果を見たかどうかの素早さで身を翻していたリリスを引き留めたのは、そんな彼の言葉だった。
「あの、ポーズは」
煩わしさに舌打ちしたい気持ちをぐっと堪える。握りこぶしを作り軽く掲げると、足早にその場を後にした。
ひとまず『ミニゲームに挑戦すること』と、その後に『ガッツポーズをすること』という義理を果たしたリリスは、薔薇のアーチをくぐり、帰りの馬車へと向かう。主催の侯爵夫人への挨拶は早々に済ませていたため、ギリギリ失礼に当たらないだろうとの判断だ。当然、辺りに他の参加者の影はない。
迷路のような生垣もようやく終わり、五段ばかりの階段をのぼったところで気を抜いたリリスに影が重なる。
「もうお帰りですか、お嬢さん」
音もなく背後に現れ、軽薄そうな笑みを浮かべた男は、ぱちりと左目を閉じた。
特別背が高いという訳ではないが、腰の位置が極めて高く、足が長い。細身のシルエットと小さな顔も相まって、余計にスタイルが良く見える。
リリスは震えそうになる足を奮い立たせ、極めて貴族的な微笑みを意識して返した。
「ええ、ご挨拶は済みましたもので。申し訳ございませんがどうにも体調が優れず、退席することにしました」
「それは大変だ!少し休憩してから帰られた方が良いでしょう。さあ、こちらへ」
本当に寒気がする。
「お構いなく。ご遠慮しますわ」
危うく取られそうになった手を引き抜き、リリスは半歩後退した。
男は袖にされたことを気に病む素振りも見せず、むしろ可笑しそうに笑みを深めながら紫紺の髪に軽く触れだした。
「まあ、そう言わずに。とびっきりのシャンパンがあるんだ」
「残念ですが、私、未成年ですので」
そもそも体調が悪いと言っている相手を酒に誘うとは何事か、と内心憤慨したリリスは、男の顔を見て自らの失態を悟る。
「あはは、ダウト」
親指と人差し指を開いたポーズ、所謂拳銃を模した右手で「バーン!」と撃たれるや冗談のように足が動かない。ふざけた態度とは裏腹に緻密な魔術を操る手腕がなんとも腹立たしい。
「改めまして、俺の名前はロベルト・マルカート。本日はお越し下さり、どうもありがとう。あちらのお部屋で仲良くお喋りしようや、アマービレ家のリリスちゃん」
いや、リリスはずっと腹を立てている。
それこそ、招待状が届いた日からずっと。
彼女の推したロベルト・マルカートは、決してこのような男ではない、と。