03-3 セレブタス侯爵夫人を救出せよ(後編)Ⅲ(1/5)
マユマリンさんの救出は秘匿された。彼女の存在は、セレブタス邸で暮らす者しか知る者はいない。それが妥協させたマユマリンさんの願いだったから。
彼女の最初の願いは「殺してほしい」ということだった。歯が抜かれたことで発音が難しい状態で必死に訴えていたのだが、多少卑怯に思いながらも「コトリンのために生きて欲しい」と訴え、それに応じて貰えた。……馬鹿正直に「ミッションのために生きて」と言ったところで彼女の心には響かなかったことは間違いない。むしろ、失言まである。
そして代わりの願いとして「この姿を誰にも見られたくない」という願いに変更させた。もちろん、俺だけは例外である。
彼女の居場所はコトリンティータと話し合った結果、侯爵夫妻の寝室に決定した。理由はセレブタス邸で完全に使用人を遮断できる場所が限られていて、コトリンティータの許可なくメイドであっても立ち入りを許していない部屋だから。マユユンの件があったので、みんなも色々察してくれたに違いない。
何らかの問題があって使えない場合、俺の使用している部屋を立ち入り禁止にさせて看護しようと考えていた。ところが、見張りがいないのでは俺に用事のある人は勝手に入ってしまうと言われ却下になった。
ただ、治療のためとはいえ俺が男である以上、結局心的負担が掛かってしまうのではないかと思う。もちろん、マユマリンさんはそのことを言葉にしないが。
その日の内にコトリンティータの承諾も得て、従属契約に関する説明と、可能であれば契約も実行することになった。もちろん約束を守るため、一時的にマユマリンさんは姿を隠すのに千寿にはお姫様ベッドのような天涯に変化させてベッドにくっついて、カーテンにてベッドの外側から姿が見えないように間仕切りした。カーテンは本物の布では当然なく千寿の身体なので、彼女の許可無く誰も中に入ることはできない。
「お母様を見知らぬ男性に預けること、本当に申し訳ありません。ですが、彼は信用できます。何故なら、彼こそはわたしが異世界から召喚した勇者様だからです……一応」
「一応って……まぁ、確かに一応になるか」
否定しようと思ったが、自分の勇者らしくない行動から抗う言葉を見つけられなかった。
「……」
目が見えず、言葉も上手に発音できないマユマリンさんは黙って聞いている……はず。恐らく聞いてはいるだろう。……娘の言葉だしね。
「タイガさん、説明お願い」
「わかった。もし、怖い思いをさせていたら済みません。知らない言語も聞こえてきただろうし、複数の気配も感じただろうから、不安かもしれないけれど、間違いなく人は俺だけだから。……それと、これから説明するのはマユマリンさんの身体の復元についてです」
そう話すと、彼女の顔がカーテンの内側のこちらに向けられる。俺に向けられた何も映さない目が、いつぞやの人形と同じ義眼で……元に戻すためにも同意を得られたらと思う。
「今ある治療技術では、衰弱した身体を回復させることのみ可能だと思いますが、ほとんど治せないのが現状です。ですが、そんな身体でも復元させる規格外な手段があります。それが従属契約です。マユマリンさんは王族に近しい方と聞いていますので、存在は知っているかと思いますが、俺と従属契約をすることで1ヶ月もすれば完全に元通りになると思います」
例えば、眼球に傷をつけて失明させたという場合は、契約紋章術なんて使わなくても普通の精霊術で治療は可能である。怪我等の損傷や出血、病気や呪いといった類は理論上、対応した精霊術で治るとされている。ところが部位欠損となると話は別。今回の場合は眼球が摘出されていて、四肢も切り離されている。それらを既存の精霊術で再生させるのは不可能なのである。
「本当に治るんですか?」
「はい。これから手順を簡単に説明します。それに了承して貰えれば治ります。まず、最初に一時的に歯を再生させます。宣誓のような呪文を正しく発音して貰うためです。ただ、その歯は俺が使用した精霊術で作った偽物の歯なので、契約手続きを終えた後に消しますが。歯を再生させるタイミングで、その人形の義眼を外します。目の周りを一時的に変形させるので痛みはないはずです。違和感はあるとは思いますが、その辺は我慢して下さい。その後、呪文を暗記して下さい。その間に契約紋章術用の紋章を描くことになるのですが、掌に描くことができないので、身体を支える都合から腕のあった場所に描かせて頂きます。くすぐったいかもですが、それも我慢して下さい。最後に紋章に俺の掌を重ねた状態で呪文を詠唱して貰い、俺と唇を重ねることで発動します……嫌だとは思いますが我慢して頂けますか?」
本来であれば、嫌ならしなければ良いと言える。でも、コトリンティータにとっても、俺にとっても、今回は契約して貰わないと困る。
「……」
彼女がコクッと首を縦に振る。……何か、本当に申し訳ない。
「じゃあ、コトリンティータ。マユマリンさんの気が変わらぬ内に契約用の道具と包帯を書斎に取りに行って貰って良い?」
「もう、最初から準備しておいてください。……行ってきますね」
彼女が出て行ったのを確認してから、極力マユマリンさんの場所から離れたところで、
「ユーリボン、【操身眼】」
小声で呼ぶと承知していると言わんばかりに直ぐに【魔霊の召喚】。そして、ユーリボンによりマユマリンさんの口が変化して歯が出現し、目の周りも変形し、義眼がポロッと外れると、元の形に戻った。……これ、本来であれば手術が必要で医学知識と技術が必須。精霊術って便利だ、マジ。
「とって来たよ」
「おかえりなさい、コトリンティータ」
何気なく部屋に入って来た彼女にマユマリンさんが声をかける。思わず彼女の動きが止まる。
「……お、お母……様……」
「心配と苦労をかけました。ごめんなさい」
「いえ、いいんです。お母様が生きてさえいてくれれば」
まともに会話ができるので、マユマリンさんも心置きなく声をかけられたのだろう。
「じゃあ、コトリン。従属契約の文言、マユマリンさんに教えてあげて。俺は紋章を描くのに集中するから」
眼球が亡くなって、窪んだ目の周辺。そのホラーチックな表情を見せずに済んだこともあるだろうが、コトリンティータは嬉しそうにマユマリンさんと話す。その間に、彼女の目を覆うように包帯を巻いた後に腕の切断面に紋章を描く。慣れたもので今では手本を見ずに、身体の断面であっても描けるようになった。
「どうですか? 暗記できましたか?」
「……大丈夫です」
大した内容でもないので、直ぐに暗記して貰えたようで。しかし、しばらくスムーズな母娘の会話ができなくなるのも可哀想と思ってしまう。……まぁ、彼女がこの部屋に長居すると誰かが様子を見に来てしまうので、早々に終えなきゃいけないのが申し訳なく感じた。
マユマリンさんの腕の断面に直接触れ、手でしっかり支える。
「どうぞ」
「わたし、マユマリン=M=メリーメイは、タイガ=サゼの指し示す道を切り開く剣となることを対価に契約します」
彼女の呪文を終えた後、彼女の唇に唇を重ねる。すると、掌に覆われた紋章を描いた部分から光が溢れ、徐々に収束していく。完全に光が消えれば契約完了である。
「はい、終了です。歯を元に戻してしまいますが、その前に伝えておきたいことがあれば、今の内。あまり時間はとれませんが……」
「いえ、大丈夫です。治った後、ゆっくりと話します。……タイガ様。これからお世話になります」
「こちらこそ。俺が女性だったら、もう少し気持ちが楽だっただろうけど、そこは勘弁してください」
「お母様。また、ゆっくり話せる日を待っています」
話が済んだので、俺はユインシアに目配せし、彼女の【魔晄眼】で【操身眼】を無効化させ、元の形状に戻させた。
これで《セレブタス侯爵夫人の救出》はクリアだと思ったが、その通知が来ない。しかし、確認に遅延があるのかもと考え、待ってみることにした。
マユマリンさんと契約してから早くも4日が経過した祝霊歴1921年5月19日。正直、忙しすぎるのと疲れが溜まっていたこともあり、あまりリベルタスに貢献できていない。
主にマユマリンさんの世話があるので長時間の外出ができないのが原因なのだが。それでもブルームレーン伯爵家とエーデルベル伯爵家の取り調べも行い、各伯爵が掌握している村を回って、従者候補をスカウトしたり、移住希望者を案内したりと、代わりの利かない仕事はちゃんとやっている。
他にもブルームレーン伯爵の第二夫人ミーナイリスさんと第三夫人ミルヒトーミアさんに意思確認をした上で、まずは身体を再生させるために従属契約を行った。
また、セレブタス邸に隠されて療養していたマユユンがついに完治。完全に肉体が再生し、母親の下へと戻った。彼女は恩返しなのか、母親とリベルタスに移り住み武術を学び始めた。従者でもある彼女は自覚がないが紋章術の才があるので多分キヨノア直下の班に所属することになるだろう。
「タイガ君、祭壇、光ってる!」
「来たのか?」
書斎に来た魅娑姫の慌てぶりに立ち上がる。時期的にそろそろと思っていた最後の1匹がついに来たか。
急いで中庭まで行くと、祭壇には既に光の柱が立ち昇っていて、現れる寸前のようだ。走って駆け付けると、既に彼女は現れていて目の前で光が消えた。その瞬間、彼女はバランスを崩し、倒れるところを受け止めることに成功した。まぁ、精霊扱いなので本人浮けるのだけど、彼女自身がその事実に気付くまでタイムラグがあるんだよなぁ。
「え? タイガ君? 何、ここ?」
「ここは異世界。詳しくは後で説明するけど、とりあえず立つなり、浮くなりしてくれる?」
「嫌です。このままお姫様だっこで運んで下さい」
そう言われて、俺は彼女を床に下ろした。
「床に下ろさなくてもいいじゃないですかっ! ……って、あら?」
このタイミングでようやく俺以外の連中が視界に入ったようだ。
「もしかして、縮みました? とてもお似合いですよ」
「数分後には同じ言葉を返すことになるよ、絶対」
上からミユーエルが冷たい視線を向けるが、彼女は動じない。
彼女の名はエミリーナ。二重の目に暗い紫色の瞳。膝丈まであり、毛先が紫にグラデーションしている銀髪。高身長でスレンダーなモデル体型の身体。人間であればモテたこと間違いなし。それが俺と暮らす怪異最後の1匹。その正体はリャナンシーである。
彼女の話では、遥か昔にアイルランドにやってきた日本人の潜在的才能に惚れ、帰国する彼に憑いて日本まで来てしまったそうだ。当然その日本人は既に亡くなっているのだが、アイルランドに帰ろうにも筋金入りの方向音痴。帰れずに行く宛も無く、彷徨って浮遊霊のような存在になっていたところ俺に一目惚れし、今度は俺に憑こうとしたが、彼女の正体を知った時点で当然拒否している。
ちなみに彼女にとって憑くとは恋人になると同義であり、彼女の愛を受け入れると死んでしまう。……嘘のようで本当なリャナンシーの話。
「え~? 何でそう言い切れるの?」
「俺がお願いするからだよ。エミリンも俺の家族になってくれるよね?」
「なります」
きっと、ここにいる全員が思っただろう。お前が一番チョロいと。従属契約は良心が若干痛むけれど、コイツ等への眷属契約は全く良心が痛まない。何がとは言わないが、過去の仕打ちを考えれば当然の奉仕である。
「んじゃ、書斎に行って、さっさと契約しちゃおう。それが終わったら、みんなでエミリンへの説明を含め、状況整理するぞ」
書斎に向かって歩き出すと、エミリーナを筆頭に他の連中も付いて来る。
やっと、日本で暮らしていた頃の状態に戻った。家族と離れて暮らしてから、実質コイツ等が家族である。付き合いもかなり長い。怪異としてはポンコツではあるが、俺の理解者としてはコイツ等の右に出る者はいない。
「エミリーナの名のもとに、我が力、我が命を主、大牙に対価をもって献上することを誓う」
このアストラガルドについて説明しつつ書斎に来ると、さっさと準備をして彼女と眷属契約を結ぶ。ミユーエルの予告通り彼女も幼女のような姿に早変わり。彼女と見比べるとマリアリスが実は成長していることに気づく。これもレベルの影響だろうか?
「タイガ様、そろそろ会議の時間が……」
カナリアリートが書斎まで呼びに来た。確実に会話の一部は聞こえたかと思うのだが、幸い彼女の目にも千寿は見えているので誤解されることはないだろう。
「わかった。今行く」
「あの、タイガ様。何かありました? なんか、雰囲気がまた変わられたようなのですが」
彼女の指摘で、この時初めて眷属契約は自分の性格にも影響があることに気づいた。
読んで頂き、大変ありがとうございました!
前回の投稿後にブックマークをして下さった方、ありがとうございました。筆者が確認できました4人目の読者様です。読んで貰えたことに感謝いっぱいでございます。
現在は4名様が続きを待ってくださっている方と認識し、楽しんで読んで貰えるよう試行錯誤で書いてます。少しずつでも文章が上達していれば良いのですが……。
これからも読者がいて下さるということを励みに書き続ける所存です。今後も精進して書いていきますので、引き続きご愛読よろしくお願いします!




